ウニャンガケビールOunianga Kebir

このウニャンガケビール編では,2019年2月5日ウェイのキャンプで朝を迎え,朝食後北に向かいワディドゥーン辺り,そしてコーラ辺りの戦場跡を巡り,遅くにウニャンガの村辺りを通過し,やがてウニャンガケビール湖畔でテントを張り一泊するときの写真を載せました.

ウニャンガケビール付近のマップmap around Ounianga Kebir

ウニャンガケビール付近のマップ(Googleマップのスクリーンショット)

この日はウェイのキャンプサイトから,途中内戦や対リビア戦の跡を眺めつ,ウニャンガケビール湖畔のキャンプサイトまで進んだ.途中砂嵐がひどくドライバーさんたちは大変だったと思う.

別窓で大きなチャド付近Googleマップを開く

ウェイの朝morning at Way

ウェイに陽が昇る

ウェイに陽が昇る

ウェイのキャンプサイトは2月5日になった.起きて,テントを畳んでいる頃,エネデイー山地を構成するタッシリ状岩山から陽が昇ってきた.

スタッフの皆さんは朝食準備で大忙しだ.ありがとうございます.


朝食が整い,テーブルに着く

朝食が整い,テーブルに着く

朝食の支度が整い,私達は席に座る.なぜか初日に座った場所が定位置として,2週間余り朝昼夕継続された.席を探す時間が不要なので効率的ということでその流れになったのでしょう.


ウェイの朝の薪集め

薪集め

近くに薪に適した高火力枯れ木があり,アシスタントAsさんが斧で切り倒している.

薪は車に積み込み,後の湯沸かしやクッキングに使用される.


ワディドゥーン辺りaround wadi Doum

北に向け出発

北に向け出発

ランクルは北に向け出発した.砂塵が舞い上がる気配が出て,どうやらこの先砂嵐に遭いそうだということだ.


チャド内戦時ワディドゥーンのタンク

チャド内戦時ワディドゥーンのタンク

1987年政府軍と,侵攻して来たリビア軍と手を組んだ反政府軍が激しく戦ったのが,この辺りコーラから先のエリアになるようだ.少し先ワディドゥーン(wadi Doum)にはリビア軍の基地が置かれたという.

南下するリビア軍は大規模な戦車部隊を抱え,一方北上するチャド政府軍はトヨタピックアップ改造車部隊が主力で,この砂漠では機動力が圧倒的に勝り,戦車部隊に四方八方から銃撃を加え,勝利したそうだ.写真は敗走するリビア軍が残したタンクということだ.


ワディドゥーン辺り廃棄されたタンクの数々

廃棄されたタンクの数々

廃棄されたタンクの数から,リビア軍は本格的に侵攻していた様子が窺える.

リビアはチャドのウランなどの鉱物資源を狙い,その前からチャドに侵攻し始めており,ここワディドゥーンに3,800m滑走路を作り,空軍も置いたようだ.ところがその前に仏がチャドから退くに際し,リビアも定められた国境を侵略しない旨協定がなされたようだが....まあ,それをカダフィ大佐(Gaddafi)が無視した訳で,当時のミッテラン大統領(Mitterrand)は旧宗主国としてチャド政府軍を支援,ミラージュF1を出動し,地対空ミサイルを避け低空飛行でこの滑走路を空爆破壊したという.リビア空軍はここから爆撃機を発進し,ンジャメナを空爆する狙いだったそうだ.ただしカダフィ大佐は直ぐ翌日別の空港からツポレフTu-22を発進し,ンジャメナ空港滑走路を爆撃させたそうだ.ただ戻る途中,多分ンジャメナでの被弾が原因で墜落したようである.


ワディドゥーン辺り砂嵐はひどくなってきた

砂嵐はひどくなってきた

砂嵐はひどくなってきた.視界は悪くなり,一時的に殆ど見えない状態に陥る場合もある.ドライバーさん大変ですが,よろしく願います.


ワディドゥーン辺り軍用車の残骸

軍用車の残骸

リビア軍は滑走路だけでなく,当時多くのものを失ったようだ.写真のような装甲兵員輸送車,戦車,ロケット砲,戦闘機,ヘリコプター,そして5,000人の兵士などということだ.


ワディドゥーン辺りヤシの木陰でコーヒーブレイク

ヤシの木陰でコーヒーブレイク

とにかく強い風で,1号車Tさんはそれを少しでも和らぐべくヤシの木陰を探し停めてくれた.

そしてリアドアを跳ね上げ,そこにインスタントコーヒーやティーバッグ,それにおやつを並べてくれた.頂きます.


ワディドゥーン辺りのヤシの実

ヤシの実

これが周りに生えているヤシから落ちた実だと思われる.ここはワディドゥーンなのだから,当然ドゥーンヤシ(Doum palm)であろう.別ページに記したが,内部に白く硬い種子があるはずだが....割るための石が見当たらない.


コーラ辺りaround Kora

ブレイク後北上再開

ブレイク後北上再開

ブレイク後北上を再開した.この辺りもまだコーラ(Kora)と呼ばれるエリアに含まれるのではなかろうか.

そして砂漠にはなおもリビア軍用車両や戦車が半ば砂に埋まり,転がっている.

さてワディドゥーン/コーラ一帯での戦いはコーラ戦争と称され,またトヨタ戦争とも呼ばれるそうだ.つまり主にトヨタハイラックスやランドクルーザー後部荷台に対戦車誘導ミサイルなどを設置し,チャド軍兵士が砂漠の中で自在に動き回り,リビアの戦車や装甲車を包囲して銃撃したことに由来するという.上述のようにこの機動力が優れていたこと,後部には普通TOYOTAと大書きされており,その写真が世界に発信されたためトヨタ戦争の名が世界に知れ渡ったようだ.


不発弾も多数あり

不発弾も多数あり

これもリビア軍が放棄した砲弾だそうだ.戦車とか迫撃砲とかの砲弾であろう,かなり大型だ.内部には爆薬が入ったままだそうである.

ただこの辺りに地雷はないということだ.しかしワディドゥーン/コーラ一帯で見ると,かつて自軍を守るためのリビア軍の敷設した地雷原があり,逃げる途中被弾した兵士もいたそうだ.

ところでリビア軍と反政府軍はこのとき敗走したわけだが,前ページで記したように,この少し後に今度は現大統領イドリスデビ氏が新たな反政府軍が結成し,実権を握ることになったわけだ.チャドの政治はなかなか大変で,権力継続のため軍の強化維持を図っている構図が浮かぶようだ.


コーラ辺り砂嵐は一層ひどくなる

砂嵐は一層ひどくなる

全くなんて云う日だ.砂漠らしいと言えばまあそうであろうが.....あまり嬉しくはないです,はい.


コーラ辺りランチは立食で

ランチは立食で

砂嵐の中でランチのため私達のランクルは停車した.スタッフの皆さんは砂だらけの中で準備し,私達は立ったまま,なるべく飛ばされたり,砂を被らないところを探してウロウロした.


コーラの集落かな

コーラの集落かな

食後砂の中を再び進行した.そしてコーラ集落なのかどうか不明ながら住宅が見え,またタイヤで縁が覆われた井戸もあるようだ.

それでなくとも砂だらけの世界なのに,天も地も茶色,完全に砂だけの光景になった.


コーラ辺りの井戸で水補給

井戸で水補給

この井戸でつるべを落とし,水を汲み,ポリタンクに入れた.何もかも砂を被るので洗うための水消費も多くなるでしょう.ごくろうさまです.


ウニャンガの村around vilige of Ounianga

給水の後,さらに北へ

給水の後,さらに北へ

給水の後,さらに北へ向けて進行再開.心なしか砂嵐は幾らか和らいできたような.....

轍は消され,視界も良くない中での運転はドライバーの感覚がものを言う.先頭1号車Tさんは流石勘所がいいようで,滅多なことでは道を失ったり,間違えたりしないようだ.


ウニャンガの村か,モスクが見える

ウニャンガの村か,モスクが見える

結構まとまった個数の住宅,それにモスクのミナレットも見えてきた.ウニャンガ(Ounianga)の村でしょうか.尤も村は一つではなく複数あるでしょうが.

ウニャンガ(Ounianga)とはウニャス族の土地,という意味だそうだ.ただウニャス族とは何か.....ググったが見つからなかった.多分こぢんまりしたイスラム部族なのでしょうか.


ウニャンガの家は石混じりのしっかりした構造

家は石混じりのしっかりした構造

家の壁を見ると,石が土で固められ,しっかりした構造に見える.こうした造りは初めてだ.またヤギなどの家畜がいて,ミレットの茎のようなものが立て掛けてある.つまりウニャス族は定住部族で,半農,半牧畜の人たちなのではなかろうか.


ウニャンガケビールで一泊camp by the lake Ounianga Kebir

ウニャンガケビールに到着

ウニャンガケビールに到着

上の村から少ししてウニャンガケビール(Ounianga Kebir)に到着した.上述のようにウニャンガはウニャス族(Ounias)の住むエリア,村,町ということで,それに相当しようか.

そしてケビールは大きな湖の意だそうで,大ウニャンガ群はヨア湖 (Yoa),カタム湖(Katam),ユマ湖 (Ouma),ミオジ湖 (Midji),ベベル湖(Bever),フォロドヌ湖 (Forodom) の6つから成るそうだ.

一方,小さい湖の意でウニアンガセリル群(Ounianga Serir)もあり,テリ湖(Teli),ブク湖 (Boukou),ブドラン湖 (Bedrin)....など計14の湖があり,ウニャンガケビールの45km~60km南東に位置するそうだ.

またウニャンガケビールの30km南東,ウニアンガセリルとの中間にはモトロ湖(Motro)というのもあるようだ.

ウニャンガケビールはこれまで巡ったエネディ山地,私達は訪れないがティベスティ山地の中間に位置している.写真でも見えるように近隣には種々塩分濃度の湖があり,合わせて数十個にもなるという.塩分濃度の違いで赤,青などの色を呈する湖など種々ありおもしろそうだ.これらは2012年にウニャンガ湖沼群(Lakes of Ounianga)として世界遺産ロゴ世界遺産(自然遺産)に登録されたそうだ.

でもこの眼の前の湖は薄い塩湖なのだが,名前は.....よく思い出せない....二番目に大きいというヨア湖 (Yoa)だったかな....


荷物を下ろしてもらう

荷物を下ろしてもらう

さて湖畔に到着すると,車から荷物を下ろしてもらう.

そしてビール冷やしのルーティンワークから始まる.


ウニャンガケビールでテント張り

テント張り

幸い風は概ね和らぎ,私は大きなヤシ,多分ドゥーンヤシの根本,ただし2mほど離して,手伝ってもらいながら設営した.木の直ぐ脇は野生生物のいる場合がよくあり,まずいそうだ.

こうした水辺はマラリアの危険を含む蚊のいる可能性が高いのだが,幾らか風が残っているため今夜は出ないのではないかという.良かった~今回のツアーでは電気式蚊取り(固形マットをヒーターで加熱気化し,小さなファンで送り出す)を持参し,危なそうなところでは腰に下げたり,テントで常時回している.

そして暗くなった.食卓に着き,ビールから始まった.