モソロMoussoro
このモソロ編では,2019年2月10日ベルキアのキャンプサイトで朝を迎え,朝食後細かい砂地の上を走りサラル辺りを通過し,なおもバハルエルガゼルの南下を継続,やがてモソロ辺りを過ぎ,モソロ南のキャンプサイトに着くときの写真を載せました.
モソロ付近のマップmap around Moussoro
ベルキアのキャンプサイトを発ち,サラル辺りを通過し,なおもバハルエルガゼル(Bahr el Ghazal)南下を継続し,モソロ辺りを過ぎ,モソロ南のキャンプサイトに至った.
別窓で大きなチャド付近Googleマップを開くベルキアの朝morning at Beurkia
ベルキアの朝は一見無問題
ベルキアの朝になった.青く,一見無問題なきれいな空に見えるが,実は風が強くテントの中まで砂が入りエライ一晩だった.
まあそれは置いておいて,いつものようにテントを片付け,朝食を頂き,バハルエルガゼルの砂漠を昨日から継続して南に行くことになっている.
ランクルは出発した
さて準備が整いランクルは出発した.バハルエルガゼルは川若しくは川底なので,きっと泥が溜まっている(いた)であろう.泥は細かいから,車輪に蹴り上げられ,ホコリが舞い易いであろう.ここは先行車から間を置いてもらうしか手がないと思う.お願いします.
サラル辺りを通過pass through Salal
砂嵐になる
朝のうちこそ青空も出て,風も然程強くなかった.しかし暫く行くと様相はまずい方向,つまり砂嵐になってきた.ドーム型で,筵(むしろ)屋根の住宅と歩く女性の姿が見えてきた.集落であろうが,視界が悪いので全体が見渡せず,その規模が判らないが,サラル(Salal)の村の一部でしょうか.
砂嵐のなか牛が行く
砂嵐のなか牛が行く.牛も目に砂が入って困るであろうが,仕方ないと思いながら歩いているに違いない.
ところでこのバハルエルガゼルエリアには,これまで幾度かであったアラブチャド族以外に,ケレーダ族(Kereda),カネムボ族(Kanembou)など暮らしているそうだ.
ケレーダ族の人々はこうした牛を引き連れバハルエルガゼル北部の水たまりを求めて移動し,乾季には南部のチャド湖辺りまで南下する遊牧民ということだ.
一方カネムボ族は,1900年代初頭仏のこの地域の征服まで,1000年以上に渡り北アフリカ中央部(ナイジェリア,ニジェール,チャド,カメルーン,リビア)に影響を及ぼしたカネムボルノ帝国(Kanem-Bornu)の末裔とされているそうだ.現在総人口推定65万と大で,イスラムを遵守し,広範囲に分布しているという.現在チャドにいるカネムボの人々は商人或いは牧畜と農業を生業としているようだ.
ラクダも砂嵐の中
ラクダも砂嵐の中だ.木の葉っぱをかじっているようだ.
実はラクダのまつ毛はバカに長く,それで砂が目に入るのを防いでいるのだそうだ.つまり女性が長い付けまつ毛をまぶたに貼り付けているのと同じ理由です.
砂の少ない地を求めて
比較的樹木が生え,地面に枯れ草があり,舞う砂の少ない場所を求めてドライバーさんが彷徨ってくれた.
ここでブレイク
サラル辺りは過ぎ去ったであろうこの辺りで停車した.そしてコーヒータイムだ.
私はMJBがないのでネスカフェ一本槍だが,リプトンとかミロとかも揃えてくれてます.頂きま~す.
家畜囲いのある大きな敷地の住宅
コーヒーの後,また車で走り始めた.広い塀,家畜囲いであろう,に囲まれた家があった.右側が以前も幾度か見たことのある,円筒状日干しレンガにコーン型藁(わら)葺き屋根を載せた構造だ.定住用であろう.
左側はミレットなどの茎保存倉庫であろうか,周囲は筵で囲まれ,保護されている.茎は家畜の餌や屋根材になるのだろう.
バハルエルガゼル南下継続go south along Bahr el Ghazal
林のある場所まで南下し,ここでランチ
バハルエルガゼルを南下し,林のある場所になり,ここで停車.停車すると直ぐ枯れ木を集めて火を焚く.シェフUgさんはランチに何を作ってくれるかな~
(写真撮ってなかったので思い出せない)
色々な住宅タイプ
食後また暫く進んだ.そして砂嵐はひどいがあたかも住宅展示会場の如く,色々なタイプの住宅が一箇所で見える場所に出た.
左はインドの塔の上のような形,半球形ドームで天辺に突き出た棒がある.下部に円筒部がなく,ほぼ半球だけだ.
中央は日干しレンガ製角の生えたスーダン(行ったことないが)様式住宅.
右は初めて目にするカマボコ形住宅で,映画で見た米軍兵舎のようなデザインだ.全体が藁屋根壁で,必ずしも頑丈ではなさそうだが.
しっかりした垣根の家
細木ながら幾重にも並べたしっかりした垣根だ.これで家畜が外に逃げ出すことはなかろう.
周囲には束ねた木材やミレットの茎も用意してある.これは多分外販用商品でしょうね.
砂嵐だけと薪集め
少年たちが砂嵐の中薪集めに勤しんでいる.風で運ばれてくる枯れ枝を集めているのか.いや単に遊んでいるだけかな....
こちらは女子会の集まりに向かうところ
一方こちらは女子会の集まりに向かうところ,といい加減なことを言ってみた.もちろんどういった場面であるのか,皆目見当がつかない.
直ぐ近くにモスク(下の写真)があるので,午後の礼拝に向かうところかも知れないですね.
村のモスクと給水塔
女性たちの直ぐ先にモスクと給水塔があった.村の中心部になるのであろう.
モスクは小ぢんまりしたもので,ミナレットは上り階段などない,細いもので,肉声での礼拝呼びかけはできず,スピーカー専用だ.でもとても大きなモスクであっても現在は肉声呼びかけは殆どないと聞いているので,細いミナレットで十分間に合うのだ.
給水塔は多分村営であろう.揚水ポンプでタンクに汲み上げ,これでいつでも自由に水を利用できるのであろう.特にトディの井戸のように深い井戸であったなら図りきれないほど楽になったことと思う.
モソロ辺りaround Moussoro
大分走ったが砂嵐収まらず
大分走ったと思う.でも依然砂嵐収まらない.牛は一部立ち,一部座っている.牛も早く収まらないかな~モウ~とか思っているかな.
ヤギは元気で駆けていく
ヤギは砂嵐など物ともしないのか,元気で駆けていく.ラクダのように長いまつげがあるようにも見えないが.....
カネムボ族の女性でしょうか
黒尽くめで,目だけ出し,顔を覆う女性たちだ.前述のカネムボ族はイスラムで,また伝統的装束を纏うと記されていたので,同族の人々かも知れないと思った.ぱっと見,アフリカより中東の雰囲気ですね.
背後はかなり丈夫そうな造りだが,はて何でしょうね.確かこの辺りであったか,パスポート提示が必要なチェックポストがあったので,既にモソロの一部に入ったものと思われる.
モソロの商店街
ここはモソロの商店街だったと思われる.迂闊に写真は撮れないのではっきりしないが,この町のお店でUさんが皆にコークなど冷やした飲み物を提供してくれた.よく冷えていて美味しかった,ごちそうさまでした.
写真のシーンは多分そこから離れた一画の光景で,買い物客であろうか,それとも卸問屋さんであろうか,はたまた乗り合い馬車でしょうか,とにかく2台も馬車が停まっている.軍やポリスが絶対にいない,施設もないのであれば,一応大丈夫な筈なのだが....そうとも言えないことがある.
またこの近くにモスクがあり,アザーンのような音声が間断なく流れていた.でもよく聴いていると”アラーアクバル”とだけ流しており,普通のアザーンとは異なるようだった.少し驚いた.
モソロ南のキャンプサイトcampsite at the south of Moussoro
モソロ郊外とんがり屋根の家
モソロ郊外に出たようだ.とんがり藁屋根の家が幾つか見える.集落を作っているようだ.とんがり藁屋根の下(本体)は日干しレンガのようである.
そして垣根で囲っているが,然程強固な造りではなく,かなり雑に見える.素材がどうしても曲がりくねっているのでそのようにしかならないのだ.でもヤギは別として牛などは外に出ないと思われる.
モソロ南のキャンプサイトに着いた
モソロから暫く南に移動し,キャンプサイトに着いた.周囲には低い丘が幾つもあり,樹木があちこちに点在している.
風下に入り口を向けテントを張る
風が強いので風下に入り口を向けテントを張る.テントは両側共に開閉でき,暑いときは両側開け放すが,気温が低いときは両側閉め,ファスナーの固い方は避けて,スムーズなサイドを入り口にする.それでも固いときは添乗Uさんにワックス塗布をお願いした.
そしてこの日は最後のキャンプということでUさんからワイン4本提供して頂いた.これにガイドEさんのイタリアンチーズやサラミも加わって,いや~最高に美味しく頂きました.
ということで夕食後はテントに閉じこもっていたわけだが,テント内部でも風が吹くように大気が,文字通り右往左往(?)する.でも直ぐに眠りに就いた.それと何やかんやと言いながらもテントは今日が最後だな~