カライKalait

このカライ編では,2019年1月31日アベシェ手前のキャンプで朝を迎え,朝食と裏山上りの後,アベシェの町に行き,次いでダートロードに入りアベシェの先まで進み,ランチ場に来て食事.そして午後はカライへと進み,キャンプサイトに到着し,一泊するときの写真を載せました.

カライ付近のマップmap around Kalait

カライ付近のマップ(Googleマップのスクリーンショット)

この日はアベシェ手前のキャンプサイト6から,カライ7まで進んだ.アベシェまでは舗装道路でその先は未舗装路となる.

別窓で大きなチャド付近Googleマップを開く

アベシェ手前の朝in the morning at Near Abeche

アベシェ手前1月31日朝食風景

1月31日朝食風景

1月31日もいい天気で明けた.テントを畳み,少しして朝食を用意してもらい,頂戴する.なぜか今回のツアメンバーの席は第一回目で座った配置を以降踏襲することになった.一風変わった流儀だが,まあ良かろう.

2つのボウルで覆われているのはフランスパンだったと思う.多分昨日ビールを仕入れた町あたりで調達したのではなかろうか.(前日の夕食も覚えてない,きっと認知症であろう私がこれを記している時点より相当昔の食事を思い起こすのは奇跡に近いことと思う)


食事を終えて裏,いや前か,の山を上ってみる

食事を終えて裏(前)山を上ってみる

食事を終えると裏,いや前か,の山を上る人がいた.私も年寄りの冷水....とは思いながら上に行ってみた.いや~平原が広がっている.現在は全て褐色の枯れ草で覆われているが,新芽の吹く頃には全面緑になる筈で,それもまたすごいだろうな~と想像が掻き立てられる.


上ってきたキャンプサイトを見る

上ってきたキャンプサイトを見る

反対側,つまり上ってきたサイドも覗いてみた.いや~こちら側もキャンプサイトの先は完全に平原,見事なほどの平地で,この花崗岩の山が独立峰であると改めて認識した.


アベシェ手前のダバンガ(Dabanga)

アベシェ手前のダバンガ

裏山から戻るとランクルに分乗し,間近であろうアベシェに向かった.程なく小さな村のダバンガ(Dabanga)が見えた.前回同様剥き出しの大瓶もあるが,今回はその外側をミレット茎コーンで覆ったタイプが多い.直射光を避け,夜間の冷え込みを緩和するためのようだ.

ダバンガは村で共同管理し,夜間の見守りなどで泥棒から守るそうである.


アベシェ手前雑穀植物の残り茎

雑穀植物の残り茎

ミレット(Millet)若しくはソルガム(Sorghum)の残り茎だそうだ.かなり背丈が高いのでモロコシ(蜀黍),コーリャン(高粱)が属するというソルガム類かな~

茎の疎らな残り方(残し方)を見ると,旧約聖書レビ記の律法,『地主は畑の作物収穫時,故意に刈り残しし,貧しい小作人や寡婦に落ち穂として拾わせよ』という一節が思い起こされた.

つまり,遊牧アラブチャド族のラクダ飼料として残すという,前日聞いた解説だ.

ところで話は飛ぶが,ミレット(Millet)は仏アウトドアブランドミレー(Millet)と同じですね.私のリュックもそうです.有名な画家も居りましたね.人の名前としては多分一般的なのでしょう.それがどうして雑穀類になったんだろう.....?


アベシェの町town of Abeche

アベシェまではきれいな舗装道路

アベシェまでは舗装道路

アベシェまではきれいな舗装道路が続く.アベシェ(Abeche)はワダイ高原(Ouaddai)にあり,チャドで4番めに大きい町,人口8191人(2008年←相当古い)という.

今の場所とは少しずれているが,かつてフランスに敗れるまではワダイ王国(1501~1912年)の都で,奴隷交易で栄えたそうだ.スルタンの治めるイスラム王国という.ワダイに限らずアラブやアフリカ,さらにそれら近隣では奴隷狩りや売買は長い間盛んに行われていたそうで,恐ろしいことだ.

近年は隣国スーダンのダルフール紛争(基本的にはアラブ系政府と黒人系住民の対立か)の難民(最大時には24万人とも←メチャクチャ多いですね)や,国連の支援機関が集まっていたそうである.これも奴隷交易に劣らず重大な問題であろう.


アベシェの2本ミナレット大きなモスク

2本ミナレットの大きなモスク

さすが大きな町だけあって2本ミナレットの大きなモスクが見える.2本ミナレットはチャドで初めてだ.

現在ワダイ州はアラブ人とマバ人(Maba)が多いそうで,アラブ人は基本的にイスラムであろうし,マバ人もスンニ派イスラムということだ.またかつてのワダイ王国はスルタン王国だった.ということから州都アベシェ住民は殆どイスラムと思われる.


ガソリンは若干安めか

ガソリンは若干安めか

給油のためガソリンスタンドに寄った.ガソリン単価は550フラン/リットルなので,100円位になろうか.日本よりは安いが産油国にしては必ずしも安くはないであろう.


アベシェの町まだミニ三輪車が多く走っている

まだミニ三輪車が多く走っている

スタッフの皆さんは水や食料の買い出しに行き,私達も大きな市場を巡り見せてもらった.市場は他国では見られない興味深い様相が見られた.ただ写真は禁止ということで一枚もなく残念だ.他での撮影不可を含めて今回旅行で甚だ不満足なことだ.

アベシェの通りには信号機があり,そして写真のようなミニ三輪車が多く走っている.インドから贈られたのでオートリキシャと呼ばれるようだ(さらに遡れば日本語(人)力車だが).皆近距離タクシーとして運用されているようだ.首都ンジャメナを含めてこれまで見たことがなかったので,アベシェだけが特例で認められているのであろうか.

こうした三輪車は多分2サイクルエンジンで排気ガスがひどく,昔はインド,ネパール,スリランカ.....諸国で大量に走っていたが,例えばカトマンドゥなどでは使用禁止になって久しい.


アベシェの先other side of Abeche

ミレット(Millet)運びのロバ

ミレット運びのロバ

さてアベシェの町を越えると道は未舗装になった.いよいよサヘルは終わり,サハラになるのだな~と感じる.

そんなラフロードを2頭のロバがたっぶりミレットの茎と,他の荷物,それに御者を乗せて行く.ロバは優しい顔をしているが大変なのだ.生まれ変わっても避けたい生き物の代表格ですね.悪いことしないようにせねば.....


アベシェ先で満載のトラック

満載のトラック

ロバではなくトラックなのでまあいいか,とも思うが積み過ぎだろう.荷枠の外までロープで荷を括り付けている.

ところでこれは引っ越しの場面でしょうか....


アベシェの先ラクダの移動

ラクダの移動

遊牧民か或いは定住民か,どちらにしても餌場を探してラクダを移動させている.

私達2台目以降のランクルは先行車の巻き上げる砂塵に悩むが,ラクダの身体は砂塵を避けるため,鼻の穴を閉じることができ,目は長い睫毛で保護されているという.いや~さすが砂漠の生き物ですね.


アベシェの先,家族揃ってピクニックに出かけるところか

家族揃ってピクニックに出かけるところか

馬車にロバ数頭,男女成人に子供,筵や他の荷物(きっと食べ物)で移動している.これから一家揃ってピクニックに出かけるところと,読んだ.ぜんぜん違うかな.....


アベシェの先牛もまだ多い

牛もまだ多い

サヘルからサハラに移ると乾燥し過ぎて,牛が暮らすのは無理だそうだ.この辺りはまた枯れ草がたくさん生えているので牛の放牧に支障ないそうだ.

ところで背後の山はまだ花崗岩かな....北に進むと徐々に堆積岩の砂岩に変わってくるのだそうだ.


アベシェの先ピクニックの家族

ピクニックの家族

先程の家族とは無関係の家族.老若男女一家総出で樹の下でピクニックだ(と思う)

今日は金曜日(イスラムの休日)でも日曜日(クリスチャンの休日)でもないが,休めるのはいいですね.


花崗岩の上でピクニック

花崗岩の上でピクニック

見ると岩は砂岩ではなく花崗岩のようである.そして皆さんはピクニックか(←拘り過ぎ)

女性は華やかな衣装で,ノースリーブ(しかしスカーフあり)の人もいるが,チャドではイスラム女性は腕を露出していいのだろうか,それとも彼女はクリスチャンか.多分後者かな....


アベシェの先,暑くなったのでヤギも木の下に

暑くなったのでヤギも木の下に

暑くなってきた.ヤギも暑いので木の下に集まってきた.いつも思うがでかいヤギだ.


アベシェの先大きな塀があった

大きな塀があった

土の道路や庭の広がる村に,難民収容施設のような長い塀(日干しレンガか)が見えた.はて何でしょうね.


ランチ場go to the lunch place

ワディ(wadi)脇でランチ

ワディ脇でランチ

一号車リーダーTさんがランチ適所を探してあちこち巡る.そしてワディ(涸れ川/wadi)脇,木立の茂る場所を見つけ,ここで停車.

スタッフの皆さんがランチの準備をしている間に近所の子らが寄って来てくれた.ただ一定の距離を保ち,あまり近くまでは来てくれない.

写真のように干上がったワディは浅いが結構幅がある.雨季には水が満たされ,周囲は緑に映え,美しくなるのでしょうね.


今日のランチは野菜サラダ,混ぜご飯にチーズ

今日のランチは野菜サラダ,混ぜご飯にチーズ

写真を見るとこの日のランチは野菜サラダ,混ぜご飯にチーズだったようだ.野菜はアベシェマーケットで調達し,アルファ米や具はUさんが日本から持参し,チーズはEさんがイタリアから運んでくれたのでしょう.また後でフルーツデザートも出してもらったと思う.美味しかった,ごちそうさまでした.


子どもたちが笑顔になった

子どもたちが笑顔になった

空きビンを渡すなどいろいろ工作(?)して子どもたちと親密になった.親密度は私達との物理的距離と顔の表情で判るが,ご覧の通り笑顔になってくれた.


これは使われてない学校だったか

これは使われてない学校だったか

さてランチが終わるとまた北上を再開した.そして次の小さな村に達した.村の広場には馬やロバが行き交い,散歩する人の姿が見える.

左寄りの四角い建物は,前にも述べたが教師の給料などの運営費が削られ,休校に追い込まれた小学校だったと思う.周辺国との関係が改善され,学校の費用が回復することを願いたい.


カライへgo to Kalait(Oum Chalouba)

カライの端であろうか

カライの端であろうか

北上が続くうちにちょっとした町並みに入った.カライ(Kalait)の端というか一部であろうか.カライはエネデイー州の一部,県に相当するエリアになるようだ.

なお地図によってはカライはOum Chaloubaと記されていることもある.Oum Chaloubaは古い名前のようだ.東京に対して江戸のようなものかな.


過積載でパンクかな

過積載でパンクかな

このトラックも積み荷がすごい.故障のようだが....パンクかな?多分パンクの頻度が高いのであろう,片側だけで3つもスペアタイヤを積んでいる.パンクのリスクより,輸送効率優先なのでしょう.ドライバー不足,トラック不足なのでしょうね.


かなり砂漠になったがまだ牛は大丈夫

かなり砂漠になったがまだ牛は大丈夫

木が少なくなり,砂漠っぽさが増してきた.でも降雨があるのだろう,枯れ草が相当ある.そして餌(と,どこかに水場も)があるので牛も元気にそれを食んでいる.


コロシントウリが道の所々に

コロシントウリが道の所々に

道の所々にこのような丸い果実が転がっている.一見野生のメロンかな,と思える.和名はコロシントウリ,学名がシットルルスコロケントス(Citrullus colocynthis)だそうだ.

コロシントウリはウリ科の多年生つる草で,スイカと同属.茎はここでは地を這っており,水分を得るため根は地中深くまで達するそうだ.実は写真のように球形で,スイカのようなまだら紋があるのも見る.ここに生えているものは人にとっても家畜にとっても毒性があり,激しい下痢や血便,流産などの危険が及ぶという.ただ家畜は害があるのを知っているので口にはしないそうだ.一方適量で下剤としての薬効もあるそうだ.

フランス軍が初めてサハラにやって来たとき,トゥアレグ族がこの実を井戸に投げ入れ対抗した記録などあるようだ.

またこれをベースに品種改良し,毒性がなく美味なスイカやキュウリが生まれたということだ.


アラブチャド族の家

アラブチャド族の家

左側が完成したアラブチャド族の移動形住宅,右は組み立てが半分終わった段階の住宅か,それとも倉庫か.木構造枠にミレット編み筵(むしろ)の壁や屋根を貼ってできるようだ.組み立てや解体が容易で,軽量,遊牧に適した構造だ.こうした建築作業性,軽量化の追求は中央アジア遊牧民のゲル,パオ,ユルタ,ボージなどど同様でしょうね.


キャンプサイトへget to the campsite

カライ郊外のキャンプサイトに到着

カライ郊外のキャンプサイトに到着

陽が大分西に傾き,光が赤みを帯び,その影が長くなった.そしてエネデイー州州境に入って間もなくの場所がこの日のキャンプサイトに選ばれた.

停車するとハッチバックが開けられ,屋根の覆いシートが外され,荷が降ろされた.そしてテント張りの前に先ずはビールの気化熱冷却プロセスに入った.これで今日は完璧に冷えるであろう.

ビールの後はテントだ.この日はUさんかEさんに手伝ってもらったと思う.ありがとうございました.


スタッフはお祈り

スタッフはお祈り

陽は落ちた.そしてスタッフうちの5人の皆さんがメッカの方向に向き,お祈りを初めた.短い時間だが,ときに座り,ときに立ち祈っている.

そしてお祈りが終わるとクリスチャンのシェフが既に始めていた夕食の準備に加わった.


この日のメインはスパゲッティ

この日のメインはスパゲッティ

この日はスパゲッティだった.当然イタリアンガイドEさんの差し金,いやアドバイスがあったであろう.美味しかったのでおかわりした.

ビールは33ではなく,GALAだった.この日は早く勝負に出たのでよく冷えていた.GALAも日本のラガービール同様のアルコール濃度で,美味しい.尤も例えばハイネケンのように薄いビールでもこのような砂漠で飲めば結構美味しいかも知れない.何より一人一本と貴重なことだし.

食事が終わると,後は寝袋に入って寝るだけだ.でもこの日も静かで,砂の入る心配もないし,テントのバタつきもなかろう.