エフェソスEphesus

このエフェソス編ではイズミール経由でエフェソス(別名エフェス)へ行くとき,アルテミス神殿,機関車のあるレストラン,ファッションショー,エフェソス遺跡の写真とキャプションを載せました.


エフェソス付近のGoogleマップ

マーカー5で示すエフェソスは,エーゲ海に近くなった地中海に面し,壮大な古代遺跡のある街.

イズミール経由でエフェソスへgo to Ephesus via Izmir

イズミールの街

イズミールの街

5/12(土)朝アイワルクのホテルを出て,エーゲ海を西に望みながら南下した.やがて通勤と思しき車や電車を眺めるようになり,そして写真の街イズミール(Izmir)に入った.人口は350万人(横浜と同じくらいか?)でイスタンブール,アンカラに次ぐ第3の大都市だそうだ.

高速道路の右側,昔からの港には従来からの街が発展し,反対の陸側には新しい集合住宅がどんどん建設されているようだ.現在車両産業,食品産業,医科大学の最先端がん治療....など特に盛んだそうだ.車は各家庭一台所有という.

ところで地理的に見るとイズミールは地中海とエーゲ海の境い目辺りになろうか.


イズミール近くの山の上の砦

山の上の砦

砦はビザンチン時代に建設され,大理石製で,アラブの攻撃から守るためであったそうだ.

尤もこの地の歴史はそれより遥かに遡り,正確な説明は思い出せないが,この辺りはアマゾンと呼ばれる女戦士が活躍した土地だそうだ.アマゾンといえば通販だが,ここのアマゾンはそれはそれは怖いものだったらしい.

またこの近くでは金山があり(現在も),砂金などで採取され,水銀Hgで精錬されるそうだ.1トンの土砂から1グラムの金が採れるそうだ(これが多いのかどうか判らないが).水銀は単に屋外に張ったビニールシートに蓄えられた程度で管理が甘く,必然的に中毒被害者がかなり出たそうだ.金山の歴史は古く,昔都市国家,ん~,名前は出てこないが,として栄えた頃,世界で初めて金貨を流通させたという.つまり金本位制を採用した訳だ.


下は,エフェソスへ行くときの写真いろいろ

エフェソスへ行くときの写真
エフェソスへ行くときの写真 エフェソスへ行くときの写真 エフェソスへ行くときの写真 エフェソスへ行くときの写真 エフェソスへ行くときの写真 エフェソスへ行くときの写真
エフェソスへ行くときの写真 エフェソスへ行くときの写真 エフェソスへ行くときの写真 エフェソスへ行くときの写真 エフェソスへ行くときの写真 エフェソスへ行くときの写真

エフェソスの歴史

さてエフェソス(またはエフェス)に入ってきた.エフェソスに関わる大雑把な歴史の位置付けは下図のような感じである.

エフェソスに関わる歴史年表

エフェソスに関わる歴史年表


アルテミス神殿Artemis

アルテミス神殿の残された一本の柱

アルテミス神殿の残された一本の柱

エフェソスは元々ギリシャからの移住者が作った街だそうで,ギリシア多神教の女神アルテミスを祀った巨大な神殿がここに建設されたのは紀元前550年の頃だそうだ.とても壮大なもので,ギザのピラミッド,バビロンの空中庭園などと並んで世界七不思議の一つに数えられたそううだ.しかし現在は崩壊した石を積み上げた一本の柱が残るだけだ.柱の上は格好のコウノトリの営巣場所となっている.卵は33~34日で孵化(ガイドTTさんがその場でiPhoneで調べてくれた)し,渡り鳥なので冬はもっと暖かい国に移動するようだ.

多くの礼拝者を引きつけたアルテミス神殿であるが,紀元前356年7月21日,何としても名を残したいとするヘロストラトスという異常者の放火で破壊されたそうだ.なおこの日はアレキサンダー大王の誕生日に当たるそうで,大王は事件を悲しみ,この地の税を無料にし,全額を補修費用に充てるようにしたそうだ.でも変だな~?生まれたばかりの赤ん坊にそのようなことがどうして判り,政策が打ち出せるのだろう.....?

ただ後世途中から,キリスト教への改宗が進むなどしたことから,結局完全な再建はなされず,元の石材は遠くイスタンブールのアヤソフィア建設等に流用されたそうだ.石は一個500~600kgもあり,またずいぶん遠いが,馬車で運搬されたそうだ.

柱の左背後,中央にドームのある建物はセルジュークトルコ時代1375年に建立されたモスクで,現在もちゃんと使われているそうだ.そしてその右上にある窓の多い建物は聖ヨハネ教会という.ヨハネは聖母マリアと共に晩年この地で過ごしたが,6世紀頃になると時の王の命でヨハネの墓のある場所に教会が建てられたという.今回訪れなかったが,近くに聖母マリア教会もある筈だ.

またモスクの背後,丘の壁は,6世紀ビザンチン時代の城壁だそうだ.ということで,この写真の場所では2000年間の歴史をまとめて見ることができるということです.


下は,アルテミス神殿周辺のいろいろな写真

アルテミス神殿周辺のいろいろな写真
アルテミス神殿周辺のいろいろな写真 アルテミス神殿周辺のいろいろな写真 アルテミス神殿周辺のいろいろな写真 アルテミス神殿周辺のいろいろな写真 アルテミス神殿周辺のいろいろな写真 アルテミス神殿周辺のいろいろな写真 アルテミス神殿周辺のいろいろな写真

機関車のあるレストランLocomotive restaurant

機関車のあるAZIZIYEレストランでキョプシシケバブの昼食

AZIZIYEレストランでキョプシシケバブの昼食

アルテミス神殿を見物してからAZIZIYEレストランに入った.テーブル間が狭く,ウエーターが中に入れず,客に皿を送らせるというあまり好感の持てない印象が残る.出してもらったのはキョプシシケバブという細かいお肉のケバブにトルコ風チャーハンだった.味はまあこんなものか.


大量の蒸気機関車

大量の蒸気機関車

蒸気機関車が展示されていると聞いていたので,新橋駅前のように一台置いてあるのかな~と思っていたらとんでもない,コレクションは膨大で何十台もあった.普通の人でも蒸気機関車にはノスタルジーを覚えるが,鉄道ファンなら大喜びではなかろうか.

表示パネルを見ると古いものは1919年製などからで,英,独,米...製などいろいろ揃っている.またスルタンのお召し列車であろうか,バスタブに次の間付き車両などもあった.

レストランの所有なのか,或いは単に鉄道公園とレストランが隣接しているだけなのか.よく判らないが野ざらしで傷みが進んでいるようだ.ちゃんと保存するには資金が足りないので....ということなのであろう.


下は,機関車のあるレストランの写真

機関車のあるレストランでの眺め
機関車のあるレストランでの眺め 機関車のあるレストランでの眺め 機関車のあるレストランでの眺め 機関車のあるレストランでの眺め 機関車のあるレストランでの眺め 機関車のあるレストランでの眺め
機関車のあるレストランでの眺め 機関車のあるレストランでの眺め 機関車のあるレストランでの眺め 機関車のあるレストランでの眺め 機関車のあるレストランでの眺め 機関車のあるレストランでの眺め

ファッションショーFashion show

皮革製品ファッションショー

皮革製品ファッションショー

ランチの後,皮革製品店に行った.トルコにはこの後訪れるエフェソスの図書館などで大昔から書籍を大事にしていたが,その印刷になめした羊皮,つまり羊皮紙が使われたそうだ.羊皮紙の前にエジプトでパピルスが発明されていたのだが,技術流出を恐れたエジプト政府は禁輸措置を採り,已む無く周辺国は代替技術開発を模索,そして0.3mm厚の羊皮紙を生産し,書籍に仕上げたという.

羊皮紙の伝統は皮革コートやジャケット造りに受け継がれているそうで,薄いものは0.4mmくらいで仕上げられているそうだ.確かにサンプルに触れてみると薄く柔らかだ.そしてファッションショーが始められ,いろいろな商品がアピールされた.かなり高価なものだと思うが買い求めた方もおられた.

話は飛ぶがトルコのファッションモデルの80%はイズミールやエフェソス辺りの出身だそうだ.今でこそトルコ/ギリシャはあたかも日韓の領土や歴史問題のような敵対関係にあるものの,古代両国の交流は盛ん,或いはギリシャの植民地であり,ギリシャ系白い肌で美しい人が多いのだそうだ.う~ん,なかなか複雑な問題というか背景というか,まあこれから未来志向で行ければ何よりであろう.ただ現実は,トルコのEU加盟に強く反対しているのがギリシャだそうで,国連常任理事国の拒否権同様,一国の強い反対でも加盟は否決されるそうだ.トルコより圧倒的に財政状態の悪いギリシャが拒否とは何ごとだ,という思いはトルコ側には抱かれているようだ.


下は,ファッションショーの写真

ファッションショーの写真
ファッションショーの写真 ファッションショーの写真 ファッションショーの写真 ファッションショーの写真 ファッションショーの写真 ファッションショーの写真 ファッションショーの写真

エフェソス遺跡Ephesus

エフェソス遺跡入口近くローマ時代の浴場跡

入口近くローマ時代の浴場跡

エフェソス遺跡に来て,ゲートをくぐると先ずはこの浴場跡だ.ローマ人は風呂が好きだった.日本人みたいだ.ローマ遺跡には必ず浴場が付いている.またこれと関連して近くの地面には焼き物の配管など上下水道設備も残っている.

手前のイオニア式エンタシスはもっと古いのかも知れないが,詳細は不明.


エフェソス遺跡クレテス通り脇のメミウスの碑

クレテス通り脇のメミウスの碑

起源1世紀頃,当時の3代続いた評価の高かったエフェソス支配者の碑で,メミウスは建立者の名のようだ.石に刻まれたレリーフがその人達であろう.

先方に平野が広がっているが,昔はエーゲ海を望む港が近接していたそうだ.そしてトロイと同様,ここも河川の運ぶ土砂で埋め立てられ,港として機能しなくなり,偉大な都市国家エフェソスもまた衰退していったそうである.


エフェソス遺跡ドミティアヌス神殿

ドミティアヌス神殿

クレテス通りの左側奥にあって,ローマ帝国の第11代皇帝ドミティアヌス(Domitianus)を祀るため建立された神殿の一部.元は大きな神殿だったそうだが,皇帝が家臣に殺され,また神殿も取り壊されたそうで,今は柱少しと土台が残っている.

ところでドミティアヌス神殿の始まりであるが,紀元前11世紀,イオニア王アンドロクロスは『魚と火そしてイノシシが移民先を教えるだろう』という神託を授かる.王は魚が捕れて,しかもイノシシも棲んでいるような土地であろうと解釈した.そしてある時,王が魚を焼いていると,その魚が飛び跳ねて傍らの茂みに消え失せ,そこにに引火し,イノシシが飛び出した.王はこれ幸いとイノシシを仕留め,食べてしまった....そしてこここそがご神託の地に間違いなかろうと建設したのがエフェソスということだ.いや~なかなか興味深いと思う.


エフェソス遺跡ギリシャの女神ナイキ(Nike)のレリーフ

ギリシアの勝利の女神ナイキ(Nike)のレリーフ

米ナイキのブランドはこの女神のことで,またあの三日月のようなマークはこのレリーフを元にデザインされたとか....


エフェソス遺跡クレテス通り

クレテス通り

クレテス通りは現在のチケットオフィスのある入り口から,ケルスス図書館まで続いている大理石で舗装された大通り.途中列柱やゲートなどいろいろ配置されている.

写真で右辺りにはアルテミス神殿跡や,公衆浴場や便座がズラリと並んだ公衆トイレがある.トイレは今でこそ水は流れてないが,当時はちゃんと流れる下水設備を備えていたようだ.


エフェソス遺跡ハドリアヌス神殿

ハドリアヌス神殿

2世紀の建立で,女神ティケ,蛇模様の頭髪のメドゥーサ,エフィソスの起源伝説に関わるレリーフ(後ろ側アーチの左右)などが刻まれている.専門家が見ればエフィソスの起源についていろいろ知ることができるそうだ.


エフェソス遺跡ケルスス図書館

ケルスス図書館

細部に彫刻が施され,しかも堂々とした造形は見事だ.この図書館にはかつて12,000冊もの書が所蔵されていたそうだ.多くは羊皮紙に記された書物であろう.

正面4体の彫像はそれぞれ知恵,運命,学問,美徳の象徴であるが,全てレプリカだそうだ.またこの2階建ての構造物は,崩れたものを修復したもので,紛失されていた部材は新しいもので補ったそうだ.

ところでこれほど大規模で立派なエフェソス遺跡がどうしてユネスコ世界遺産ではないのか不思議に思っていたが,こうした復旧改修がユネスコの方針に合わなかったためだそうだ.な~るほど,納得.


エフェソス遺跡娼館への案内広告

娼館への案内広告

図書館前,大理石の通りに記されている.足の先の方向には娼館があったそうだ.足のサイズは小さく,これより小さいサイズの人はお断りと云う基準でもあったそうだ.

足の横の女性像線画は比較的稚拙で,専門のアーチストに依頼したものでなく,経費節減のため当事者の女性たちが彫ったものではないかと言われているそうだ.


エフェソス遺跡野外劇場

野外劇場

紀元前2世紀に建てられたという2万4000人収容の大円形劇場.ガイドTTさんの解説では当時のエフェソス住民は収容人数の10倍くらい,20万人余の規模だったのではないかということだ.現在上部観客席は補修工事中だった.

なおこれとは別に図書館の手前辺りでも1400人収容の小劇場があった.規模は大差あるがどちらも似た形式で,あちこちのローマ遺跡で見かけるタイプと基本的には同じだと思う.

またこの写真上部に見える大通りは市場があったところ(アルカディアン通り)だそうで,活発な商取引が行われていたそうだ.



下は,エフェソス遺跡の写真

エフェソス遺跡での眺め
エフェソス遺跡での眺め エフェソス遺跡での眺め エフェソス遺跡での眺め エフェソス遺跡での眺め エフェソス遺跡での眺め エフェソス遺跡での眺め エフェソス遺跡での眺め
エフェソス遺跡での眺め エフェソス遺跡での眺め エフェソス遺跡での眺め エフェソス遺跡での眺め エフェソス遺跡での眺め エフェソス遺跡での眺め エフェソス遺跡での眺め

エフェソス遺跡に遠足の子

小学生であろう,みんなにこにこ仲良し良い子,遠足はやはり楽しそうだね.

エフェソス遺跡に遠足の小学生エフェソス遺跡に遠足の小学生
エフェソス遺跡に遠足の小学生エフェソス遺跡に遠足の小学生


Cannergy'sホームへ