サフランボルSafranbolu

このサフランボル編ではアンカラからサフランボルへ移動したとき,サフランボルでの写真にキャプションを添え載せました.


サフランボル付近のGoogleマップ

マーカー17で示すのがオスマン朝時代の遺跡が残るサフランボル.黒海側であるが距離は相当ある.近くに製鉄で有名なカラビュックの街がある.

サフランボルへgo to Safranbolu

アンカラからサフランボルに進む

アンカラからサフランボルに進む

サフランボルはアンカラの真北辺り,黒海まで100km手前くらいに位置している.途中2/3くらいの距離までは高速道路で,残りは一般道に分岐し,サフランボルまで繋がっている.サフランボルから直接イスタンブールに行く適当な道がないためか,高速分岐点とサフランボルまでの間は戻りも同じ道を通った.

サフランボルに至るまでの周囲の風景はこれまでと似ている.つまり緩やかな丘陵は麦を主とした畑で,たまに家畜がいるといった眺めだ.幸いこの時期は緑が綺麗でいい.


サフランボルへの途中で会った人達

途中で会った人達

サービスエリアで会った人々だ.カメラを手にしていたら,向こうから『撮れ』と言ってくれた.ありがとうございます,パチッ!

全然言葉が通じなかったのだが,見せてとか,後で写真を送ってくれ,とかの素振りは全く無く,一東洋人旅行者のため純粋に写真モデルになってくれたのだった.テシュクレ!多分この方たちもサフランボルに旅行なのであろう.

サフランボル手前のカラビュック製鉄所

サフランボル手前のカラビュック製鉄所

サフランボル手前,左手に黒ずんだ工場群が見えてきた.カラビュック(Karabuk)製鉄所だそうだ.比較的近いところで鉄鉱石と石炭を産出し,1939年旧ソ連の援助でトルコ初の近代的製鉄所として完成したそうだ.比較的遅い時期で,世界で初めて鉄の精錬に成功した国にしては少し意外な気もする.現在比較的規模の大きくない高炉一基で操業しているようだが,トルコで出荷量最大ということだ.



下は,サフランボルへ行くときの写真

サフランボルへ行くときの写真
サフランボルへ行くときの写真 サフランボルへ行くときの写真 サフランボルへ行くときの写真 サフランボルへ行くときの写真 サフランボルへ行くときの写真 サフランボルへ行くときの写真 サフランボルへ行くときの写真

サフランボルSafranbolu

サフランボル観光に関わる歴史

サフランボルの歴史はこれまで見てきた他の都市に比べれば新しい方かも知れない.つまりローマ時代の墓や橋梁も残り,シルクロード時代は交易の中継地として繁栄したそうだが,世界遺産として認められた建築群は概ねオスマントルコ時代の14世紀頃建設されたものだそうである.

サフランボルに関わる歴史年表

サフランボル観光に関わる歴史年表



サフランボルはフドゥルルックの丘

フドゥルルックの丘

フドゥルルックの丘(Hdrlk hill)と呼ばれる場所に登った.ここからは盆地に展開されるサフランボルの街が一望できる.住宅の戸数に比べてモスクの数が多いかな?モスクは1本ミナレット,金属ドームではなく石製の築100年以上と云った印象だ.

なおサフランボルの名は,香料サフランの集積地として発展した歴史に因むそうだ.現在はお土産屋さんで,小さな瓶詰めで売られている程度のようだ.


サフランボルの木造軸組み構造の家

木造軸組み構造の家

伝統ある木造軸組み構造の家が建てられている.石やレンガ建築の多い他エリアでは見かけないユニークなものだ.つまり縦の柱,横の梁,斜めの筋交いの黒が白い漆喰と同じ面に描かれたように見えて,ファンタスティックだ.ドイツ辺りの木造建築と少し似たところもありそうだ.

もう一つの大きな特徴として,1階部分より2階部分,2階部分より3階部分がそれぞれ横に張り出している建物がある.この写真中央の建物も張り出し量は大きくないものいくらかそうした造りになっている.

上階張り出し構造の理由は聞いたのだが.....はっきり思い出せない.少なくとも狭い路地に面して建てる場合,居住空間を広げるに有効な工法だ.サフランボルは大家族制で,一つの家に親子兄弟,何組かの夫婦家族が暮らす仕組みがあったそうだ.今は廃れつつあるのかも知れない.


サフランボルの平らではなく入り組む石畳の道

平らではなく入り組む石畳の道

サフランボルは小さな街だが,平らではなく入り組んだ狭い石畳の道が商店街の間を縫っている.

オスマン時代から近年までは黒海へ通じる交通の要衝として栄えたが,前世紀あたりになると鉄道網から外れ,またイスタンブール/アンカラ幹線道路から離れ,おまけに上述のカラビュック製鉄所に多くの人が流れ,町としては衰退していったようだ.

現在はユネスコ世界遺産に登録されたことで街や建物の改築,新築など思うようにできないであろうが,古い街並みを活かし観光などで何とか凌いでいるようだ.

ただこの日は天気が悪く,雷も鳴り,かなりの雨だったため,足早にホテルに引き上げざるを得なかったので,ちと残念だった.


サフランボルのジンジハマム

ジンジハマム

この2つドームの大きな建物はジンジハマム(Cinci Hamam)と呼ばれる公衆浴場で,17世紀に建てられ21世紀の今もちゃんと営業しているというからすごいです.なおタクシーも何台か止まれるチャルシュ広場はこの近くだったと思う.

ハマムの近くに日時計のあるモスクが建てられており,お祈りの前にハマムで身を清める人もいるのであろうか.


サフランボルのホテル

サフランボルのホテル

大きな民家をホテルに転用してあるようだ.私の部屋は階段を登ると廊下の両側に配置された確か6部屋の中の一つで,バカ広いが造りは古く,床はミシミシする感じだった.2階だけでバス付きで6部屋もあるのは,前述の大家族生活のためであろう.客室は一昔前の日本のホントの民宿のような趣だ.サフランボルは新たなホテルなど建設できないので,こうして古い家を活用するしかないし,私たち客も歴史を肌で感じ取る....とするのが良かろう(それしかない)と思う.

明けて5/21(月)朝,朝食のため中二階のダイニングルームに寄った.小ぢんまりしたところで先に座っていた台湾の人達が席を譲ってくれた.多謝!台湾の皆さんは,結構大勢なのに中国本土の人達と違って物静かだ.



下は,サフランボルのいろいろな写真

サフランボルでの眺め
サフランボルでの眺め サフランボルでの眺め サフランボルでの眺め サフランボルでの眺め サフランボルでの眺め サフランボルでの眺め サフランボルでの眺め
サフランボルでの眺め サフランボルでの眺め サフランボルでの眺め サフランボルでの眺め サフランボルでの眺め サフランボルでの眺め サフランボルでの眺め

さてこうしてサフランボルの観光を終え,これからイスタンブールに戻る.



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