シデSide

このシデ編ではシデ(またはスィデ)へ行くとき,シデ遺跡,シデのホテルの写真にキャプションを添え載せました.


シデ付近のGoogleマップ

マーカー8で示すのがシデ.ここにもまた紀元前の遺跡(シデ遺跡)が残されている.地中海に面し,港は現在も活用されているようだ.

シデへgo to Side

シデに向け再びアナトリア高原へ

再びアナトリア高原へ

クサントスを見物した後,次の観光地シデへと向かった.2つの街ともエーゲ海に面しており,海岸沿いの道もあるのだが,その道は混み合うということで,一旦パムッカレから来たときの内陸道の途中まで引き返し,中間地点の湖の辺りでシデ方向に分岐することになった.

この辺りの高原は比較的荒地が多いが,所々に麦畑も広がり,なかなか雄大な眺めが楽しめる.


シデへ行く途中大理石の切り出し

大理石の切り出し

パムッカレの遺跡では大理石があまり無かった(ほぼ茶色一色だった)が,そこから南に位置するこのエリアでは山また山全部が大理石だそうで,樹木はあまり生えてない.白い部分が採石場で,削られた跡を見ると,切り出しサイズは結構大きいようだ.

こうして切り出された大理石はロシアなど諸外国にも輸出されているそうだ.輸送費が嵩むであろうが,安定した取引が続けられるのではなかろうか.ちなみに日本の場合,距離的に優位な台湾辺りからの輸入が多いと聞く.


シデへの途中アンタルヤを通過

アンタルヤを通過

アナトリア高原を遡り,湖辺りに来たとき,右(東側)に折れ,エーゲ海方向に進んだ.そしてその沿岸にある大きな街アンタルヤに入ってきた.

住宅やお店,ホテル等が高密度で並んでいる.アンタルヤはロシア人が大挙して訪れる街だそうだ.特に夏は多く,アンカラがどこの国の街か判らなくとも,アンタルヤだけはロシア人の誰しもが知っているそうだ.ロシア人客は例えば近くの名所を訪れるといった観光ではなく,専らホテルのプールサイドやビーチで寛ぎ,食事を楽しむ,所謂リゾートライフをエンジョイする人が殆どだそうである.


アンタルヤのトルコ空軍基地と空港

アンタルヤのトルコ空軍基地と空港

アンタルヤにはトルコ空軍基地があった.戦闘機が展示されているが,国産機種もあるというからそれかも知れない.またその近くにアンタルヤ国際空港もあった.2つは近いので或いは滑走路など一部共用で運用されているのかも知れない.

空港にはロシアからの直行便がロシア人を満載して飛んでくるそうだ.何れにしてもアンタルヤはロシア人で持っている街の印象だ.

アンタルヤからはエーゲ海沿いにシデまで東進した.温暖な沿岸部だけに果樹園牧場麦畑といった農業地帯が続く.


下は,クサントスからアンタルヤを経由し,シデに至るまでの写真

クサントスからアンタルヤを経由し,シデに至るまでの写真
クサントスからアンタルヤを経由し,シデに至るまでの写真 クサントスからアンタルヤを経由し,シデに至るまでの写真 クサントスからアンタルヤを経由し,シデに至るまでの写真 クサントスからアンタルヤを経由し,シデに至るまでの写真 クサントスからアンタルヤを経由し,シデに至るまでの写真 クサントスからアンタルヤを経由し,シデに至るまでの写真
クサントスからアンタルヤを経由し,シデに至るまでの写真 クサントスからアンタルヤを経由し,シデに至るまでの写真 クサントスからアンタルヤを経由し,シデに至るまでの写真 クサントスからアンタルヤを経由し,シデに至るまでの写真 クサントスからアンタルヤを経由し,シデに至るまでの写真 クサントスからアンタルヤを経由し,シデに至るまでの写真

シデ遺跡Side ruins

シデ遺跡の歴史

さてアンタルヤを経由してシデにやってきた.シデ観光に関わる大雑把な歴史の位置付けは下図のようである.

シデに関わる歴史年表

シデに関わる歴史年表


シデは紀元前7世紀頃,ギリシア人によって造られたイオニアの殖民都市で,アレキサンダー軍による破壊もあったが再興し,1~2世紀には大いに繁栄したようである.アポロン神殿や劇場,浴場などの跡が数多く残っている.


専用バスでシデ遺跡に入る

専用バスでシデ遺跡に入る

シデの駐車場に到着すると,ここでシデ当局が用意した小型バスに乗り換えて,遺跡の中に入って行った.着いた辺りは普通の市街地で,車も人もガンガン通っていることに驚く.専用車に乗り換えたのはどうやら遺跡の保護ではなく,観光バスの駐車スペースの関係かと思われる.

でも着いたところにはいきなり写真のような大きな遺跡構造物が建っており,一部は補修工事中であった.写真はローマ門と言われる辺りであったかな?


シデの港

シデの港

シデは3方エーゲ海に囲まれていて良港を備えているようだ.観光船が目立つ.運が良ければここで真っ赤な夕景を望めるそうで,船上で眺めれば最高であろう.私たちは夕方までここに居たが,この日の夕焼けは大したことなく沈んでしまった.


シデ遺跡アポロン神殿

アポロン神殿跡

エーゲの畔,コリント式エンタシスを持つアポロン神殿跡で,間近に眺めるとかなり大きい.写真は,1人の女性を含む3人の騎馬警官が神殿にやって来たところだ.警官はこの後,馬上のまま神殿前に並んで観光客の写真撮影などに応じていた.ちゃんとピストルも携えているが,まあ特に事件がなければ半ば観光担当管の役目を担っているようだ.


シデの遺跡レストラン

シデの遺跡レストラン

エーゲ海に面し,港も備えたシデには,観光客のぞろぞろ歩く姿が見られる.アポロン神殿跡近くには他の遺跡もゴロゴロしており,それをそのまま活かしたレストランなども営業している.ここでエーゲ海に沈む陽を眺めながら一杯やるのはいいと思う.

なおシデとはザクロのことだそうだから,メニューにはザクロジュースやザクロのカクテルが載っているかも知れない.


下は,シデ遺跡のいろいろな写真

シデ遺跡での眺め
シデ遺跡での眺め シデ遺跡での眺め シデ遺跡での眺め シデ遺跡での眺め シデ遺跡での眺め シデ遺跡での眺め シデ遺跡での眺め
シデ遺跡での眺め シデ遺跡での眺め シデ遺跡での眺め シデ遺跡での眺め シデ遺跡での眺め シデ遺跡での眺め シデ遺跡での眺め

シデのホテルに到着arrived at the hotel in Side

シデのCrystal Admiral hotel

シデのCrystal Admiral hotel

たくさんの観光でシデのホテルCrystal Admiral hotelには8時過ぎに到着した.なぜか個人個人がレジストレーションカードに詳しく記し,パスポートの提示を求められる.実はCrystal Admiralの系列ホテルで火災が発生,そこの客全員をここに受け入れており,混乱しているようだ.その煽りで私たちの部屋も足りなくなり,私は同行のHさんと一緒に,2間メゾネットタイプ,バスルーム共用という部屋があてがわれることになった.写真は階段で繋がれた下の部屋だ.まあ,仕方なかろう.いや寧ろ,この個別部屋が確保できなかった件と,この後キャフタからアディヤマンのホテルに変更された件の補償で,旅行社からは後日12,000円近く返金してくれるというから嬉しい.

ところでこのホテルはばかに広い.中央のロビーを挟んで両側に100室づつくらい並んでいる.そして,その中の幾つかはメゾネットのファミリータイプだからかなり大きい.ロシアからの家族連れ客などが良く利用するようだ.

地下のバフェレストランも巨大だ.大量に並んだ食べ物コーナーからテーブルまでは相当歩く.それまであまり無かったローストビーフやスモークドサーモン,アンチョビー...などが並び,9.75TLとなぜか半端な値段のビール(エフェスビール)と共に大変美味しく頂いた.ただチーズやオリーブは試したものは,他のレストラン同様皆塩辛かった.

なお後で,部屋確保不手際のお詫びのため,ホテル側が「部屋の冷蔵庫内やバーのソフトドリンクなどは無料にしますよ~」との知らせがあった.大したものは入ってなかったが,ミネラル水はしっかり頂いておいた.


下は,シデのCrystal Admiral hotelの写真

シデのCrystal Admiral hotelでの眺め
シデのCrystal Admiral hotelでの眺め シデのCrystal Admiral hotelでの眺め シデのCrystal Admiral hotelでの眺め シデのCrystal Admiral hotelでの眺め シデのCrystal Admiral hotelでの眺め


Cannergy'sホームへ