シャンルウルファSanliurfa

このシャンルウルファ編ではシャンルウルファへ行くとき,聖なる魚の池,メヴリディハリルモスク,シャンルウルファ城,シャンルウルファの街を見て回ったときの写真を載せました.


シャンルウルファ付近のGoogleマップ

マーカー12で示すのがシャンルウルファで,やはりシリア国境近くに位置している.元々アラブ文化の濃いところだそうだが,近年はシリア内戦の難民流入が多いそうだ.

シャンルウルファへgo to Sanliurfa

シャンルウルファの手前でユーフラテス川を越える

ユーフラテス川を越える

ガジアンテップを出てシャンルウルファに向け,東へと走った.緩やかな丘陵を暫く行くと川があった.ユーフラテス川だそうだ.この目で見られて感激だ.ただし,トルコではユーフラテスとは呼ばれず,フーラト(Firat)川と呼ばれるそうで,道路脇の標にもそのように記されている.そしてこの辺りにはダムが設けられ,発電に利用されているという.また後日,この川の上流を通過する時,さらに大規模なダムを見ることになる.


シャンルウルファに近くなる

シャンルウルファに近くなる

ガジアンテップとシャンルウルファの間の丘陵には麦畑の他に,ザクロとかピスタチオなどの林も見かける.地面が岩なのか荒地のままのところも結構ある.車窓からそんな光景を眺めているうちにどうやらシャンルウルファに近くなったようだ.


シャンルウルファに入る

シャンルウルファに入る

高速道路を降り,シャンルウルファの街に入ってきた.道路には植えてからまだ然程日が経ってないようであるが,並木が綺麗だ.モスクのミナレットが一段高く空に突き出ている光景は,どの街でもそうであろうがやはりイスラムの街と訴えてくる.



下は,シャンルウルファへ行くときの風景

シャンルウルファへ行くときの風景
シャンルウルファへ行くときの風景 シャンルウルファへ行くときの風景 シャンルウルファへ行くときの風景 シャンルウルファへ行くときの風景 シャンルウルファへ行くときの風景 シャンルウルファへ行くときの風景

シャンルウルファ観光に関わる歴史

シャンルウルファは大変歴史の深い街で,旧約聖書での預言者アブラハムの4000年余り前の生誕から色々な出来事があったとされるそうだ.さらに旧約聖書での他の有名な登場人物ヨブもまた,この地で生まれたという伝説があるそうで,一神教に大変所縁の深い地であるそうだ.

シャンルウルファ観光に関わる歴史年表

シャンルウルファ観光に関わる歴史年表


私たちは,アブラハムに所縁深い池と,それよりず~っと近年の城とモスクを観光した.

聖なる魚の池the sacred fish pool

聖なる魚の池(バルックルギョル/Balikligol)とルズワニイェモスク(Rizvaniye Mosque)

聖なる魚の池とルズワニイェモスク

当時この地の多神教徒の王様ネムルートに対して,アブラハムは神への信仰を説いたそうだ.だが王は理解しないばかりかこれに怒って,アブラハムを火炙りの刑に処したそうだ.そしていざアブラハムが丘の上で炎で焼かれるに至ったとき,焼けた薪は飛び散り,丘の下に落ちた火が水に変わり池となり,薪が魚になったということだ.

そしてこの池が聖なる魚の池(バルックルギョル/Balikligol)と呼ばれ,一神教の聖地として多くの信徒や,そして私達のような単なる遊山客が訪れるに至ったそうである.

また対岸のモスクはアブラハムの伝説とは比べるもなく新しく,オスマン帝国時代の建立で,ルズワニイェモスク(Rizvaniye Mosque)と呼ばれるそうだ.アブラハムはもちろんユダヤ教,キリスト教を含めた一神教の預言者であるが,そこは現在イスラムの地となったからには,建つのはやはりモスクであろう.


聖なる魚

聖なる魚

かなり大きい,鯉であろうか?これが薪が化身した魚の子孫だ.勿論これを捕るようなバチ当たりな人はいないし,餌も多いためか群れを成して泳いでいる.


聖なる魚の池にはアラブ系の人たちも多い

アラブ系の人たちも多い

シャンルウルファはシリアに近く,アラブ人が結構多く住み,また住んでいないまでも行き来が多いそうである.例えば写真の女性達は顔も覆っていることなどからトルコの人達ではなく,多分アラブ系の人達のようである.

なおキリスト教徒と思しきヨーロッパの観光客も,アラブ風貸衣装ではしゃいでいたり,まあリラックスできる聖地だと思う.


アインゼリハ(Ayn Zeliha)の池

アインゼリハ(Ayn Zeliha)の池

王ネムルート自身は神に帰依しなかったが,その娘ゼリハはアブラハムの話を理解し,神を信じるに至ったそうだ.そしてアブラハムが火炙りの刑に処せられることになったとき,ゼリハもまた火の中に身を投じたそうである.ところがこのときも,アブラハムの場合同様,火と薪が飛び散り,それがこのアインゼリハ(Ayn Zeliha)の池と,ここに棲む魚になったそうである.

周りは深い緑で散歩にもいい場所だ.



下は,聖なる魚の池周囲のいろいろな写真

聖なる魚の池周囲での眺め
聖なる魚の池周囲での眺め 聖なる魚の池周囲での眺め 聖なる魚の池周囲での眺め 聖なる魚の池周囲での眺め 聖なる魚の池周囲での眺め
聖なる魚の池周囲での眺め 聖なる魚の池周囲での眺め 聖なる魚の池周囲での眺め 聖なる魚の池周囲での眺め 聖なる魚の池周囲での眺め

ガイドTTさんによると,アブラハムを含めて預言者は25人居り,最後の預言者がモハメット(ムハンマド)ということだ.最後とはこれから先の将来も含めての最後の意味だと思われる.

メヴリディハリルモスクMevlidi Halil mosque

山の崖下に建てられたこのメヴリディハリルモスク自体はつい最近のものだそうだが,この奥にアブラハム生誕の洞窟モスク(同名のようだ)があるようだ.巡礼者が多いので,新たに大きなモスクを横に建てたようである.

礼拝堂を覗かせてもらうと,定刻の礼拝時間ではないためであろう,たった一人が静かにお祈りしていた.

メヴリディハリルモスク(Mevlidi Halil mosque)メヴリディハリルモスク(Mevlidi Halil mosque)
メヴリディハリルモスク(Mevlidi Halil mosque)メヴリディハリルモスク(Mevlidi Halil mosque)

シャンルウルファ城Sanliurfa castle

シャンルウルファ城

シャンルウルファ城

写真の高い城壁自体は9世紀にアッバース朝が建てたものだそうだ.つまりその頃ここはビザンツ帝国の支配が及んでいなかったのであろう.

ところがこの城壁の上に登り,巨大な二本の円柱を眺めて見ると,コリント式でかなり古そうだ.どうやら紀元前2世紀から紀元後3世紀頃,古代ローマ帝国時代のものらしい.

という訳で,シャンルウルファ城はトロイ遺跡のようにその時代の支配者が,順次改築を行なってきた城で,最も古くはヒッタイトの時代まで遡るそうである.


シャンルウルファ城壁に登ると360度パノラマの視界

城壁に登ると360度パノラマの視界

シャンルウルファ城壁に登ると360度パノラマの視界が開ける.茶色っぽいシャンルウルファの街が全部下に見える訳で,所謂山城として格好の場所であったであろう.

真ん中の大きなドームが先程訪れた新しいメヴリディハリルモスクで,その右手,先の尖っていないミナレットのあるモスクがアブラハム生誕の洞窟モスクであろう.


勝手に私設ガイド

勝手に私設ガイド

中学生になったばかりくらいであろうか,男の子が寄ってきて,シャンルウルファに関するいろいろ口上を述べているようだ.日本語ができないので専らガイドTTさんにトルコ語で,必死に解説している.まあ,『釈迦に説法』の見本のようなものだ.将来ガイド志望だそうで,観光地では時々こうした『勝手にガイド』の子が寄ってくるそうだ.そして,流石プロには叶わないと悟ったか,最後にマイクを握り歌を披露してくれた.意欲的で,生き生きした行動は素晴らしい,ぜひ将来に向けて頑張ってね!



下は,シャンルウルファ城の写真

シャンルウルファ城の写真
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シャンルウルファの街the city of Sanliurfa

シャンルウルファの街

バナーでいっぱいのシャンルウルファの街

地元シャンルウルファサッカーチームのバナーだそうだ.かなり盛り上がっているようだ.

街の外は茶色っぽいが,街に入ると比較的緑が手入れされ,茂っている.

ところでシャンルウルファのシャンル(Sanli)は『誉ある』の意味で,1920年の祖国解放戦争で仏軍からウルファの街を守ったことで冠せられた称号であるそうだ.前ページのガジアンテップのガジ同様名誉ある接頭語であろう.


シャンルウルファの街は少しアラブ的

シャンルウルファの街は少しアラブ的

アラブ人が行き交い,また茶色のアラブ国的建物も多くアラブの街に少しにているようだ.特にここはシリアに近く,大事な商取引相手国であるが,最近アサド政権の弾圧から逃げ込んでくる人多数で,関係は悪化中とのことだ.

こうしたアラブ的風潮が関係するのであろうか,シャンルウルファと近隣にはファミリーのシステムが有るそうだ.一ファミリーは普通近親者500人以上で構成され,結束が極めて固い.個人の稼いだお金は一箇所にプールされ,ファミリー全員の資金となり,皆で分配して使う.なくなれば,皆で助け合ってこらえ,頑張るという.マフィアのファミリーと似ていよう.

ただこのファミリーシステムは女性に対する掟は非常に厳しく,何か行動するときには,必ず父親か男の兄弟の許可がいるのだそうだ.例えば市場での買い物は,一人で勝手に出掛けてはならず,父か兄弟が同伴しないとならないそうだ.また未婚の若い女性が妊娠したときは殺されるそうだ.殺されてはかなわないと,イスタンブールなど大都会に逃れても,刺客を送り込んで必ず殺してしまうという.この時追手の殺し屋には18歳以下の少年が選ばれるそうだ.未成年のため死刑や終身刑が免れ,最長十数年の刑で,30歳くらいで出所可能と云うのが理由だそうだ.

一夫四妻を廃し,日本より相当早く婦人参政権を認めたトルコでちょっと不思議だが,この地方ではイスラムの戒律が強く受け継がれているということなのだろう.なお,現法律(国の)でも男女差はあるそうで,例えば男性は異教徒の外国人と自由に結婚できるが,女性は禁じられているそうだ.これは確かにちょっと解りにくい.


シャンルウルファのウルファケバブ

ウルファケバブ

東アナトリアの料理はトルコの中で美味しいとされ,ウルファの名を冠したケバブは特に有名であるそうだ.マトンの挽肉に微塵切りの玉ねぎや胡椒など加え,串に巻いて焼いたケバブだ.串は抜いて,竹輪のようにして出してくれるので食べやすいし,美味しかったかな.....いや少し塩が効き過ぎていたかも.


シャンルウルファの変わった鳩

シャンルウルファの変わった鳩

ケバブレストランの庭にいた鳩.顔は若干目付きが悪いものの確かに鳩だが,トサカのようなものを付け,足がまるで羽箒かモップのようである.歩く姿はアシカ(いやアザラシか?)のように見えておかしい.それでもあくまで鳩だと当人(当鳥)は言い張っているから更におかしい.



下は,シャンルウルファの街の写真

シャンルウルファの街での眺め
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