カイセリKayseri

このカイセリ編ではカフラマンマラシュ経由でカイセリへ行くとき,フナトゥハトゥン,ドネルキュンベット,カイセリ城,カイセリの街や市場の写真を載せました.


カイセリ付近のGoogleマップ

マーカー14で示すのがカイセリで,アナトリア高原に位置している.ビザンツ帝国時代からの街で,カッパドキアに近い.

カフラマンマラシュ経由via Kahraman Maras

先ずはカフラマンマラシュに向かう

先ずはカフラマンマラシュに向かう

今回の旅行で最東端の宿泊地がアディヤマンで,5/18(金)朝ここからカッパドキアの北の外れ,カイセリに向け出発した.そしてカイセリへはカフラマンマラシュを経由するルートが採られた.カフラマンマラシュは地図で見ると前々日訪れたガジアンテップの北100kmくらいに位置している.

カフラマンマラシュへの道は基本的には緩やかな起伏の丘陵の連続した地形で,大まかにはこれまで通過したところと似ていよう.雪の残る山や緑の草地がなかなか美しい.


トルコ風アイス,ドンドルマ

トルコ風アイス,ドンドルマ

トルコ最大手MADOのお店に停車した.まあ,サーティワンアイスクリームのようなものであろう.目当てはこのドンドルマ(Dondurma)と呼ばれるトルコ風アイスクリームだ.ドンドルマはヤギのミルクとランの球根を加えて粘りを出し,味を整えるのが特徴だそうだ.で,大いに期待し,食べさせてもらった.確かに普通のアイスより粘り気があると感じたし,美味しかった.

なお,MADOはヨーロッパにも支店を有する全国チェーン店だが,このカフラマンマラシュ店が本店で,元祖ドンドルマをあみ出したということだ.また売店では,ヤギの粉末ミルクやランの乾燥球根粉末,砂糖....のセットがドンドルマの素として販売されているそうだ.


カフラマンマラシュの街

カフラマンマラシュの街

MADOの少し先の光景で,カフラマンマラシュの住宅街の一部だと思われる.住宅の壁や屋根色がバリエションに富む.4本ミナレットのモスクも立派そうだ.

ガイドTTさんがモスクやイスラムに関する話を幾つかしてくれた.


などなど.



下は,カフラマンマラシュ経由で行くときの写真いろいろ

カフラマンマラシュ経由で行くときの写真
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カイセリへget to Kayseri

カフラマンマラシュから北上

カフラマンマラシュから北上

カフラマンマラシュを過ぎるとカイセリに向け北上した.他では見かけなかったトタン屋根の住宅が時々見える.

ところで帰国後最近の2012年05月25日,カイセリの警察署の前でテロリストによって仕掛けられた爆弾攻撃により,警官1名が死亡,子供を含む18名が負傷した.ギョクスン/カイセリ間幹線道路の18km地点にある軍警察司令部の前で検問を行い.....のニュースが伝えられた.このギョクスン(Goksun)とはどうやらこの道路のカフラマンマラシュ少し先にある街のようで,分離主義テロ組織PKKの2名の自爆テロ犯は,シリアからシャンルウルファ辺りの密入国ルートでトルコに入り,私達が走った道でカイセリに入ったようだ.シリアとの関係は悪化しつつあると聞いたが,このような重大な事件を起こすことがあれば当然かも知れない.


カイセリの途中で牛の放牧

牛の放牧

途中で休憩を取りながら大分カイセリに近づいた.牛が草を食んでいる.長閑な光景だ.

トルコで4番目に高いというエルジェス山(3,916m)も間近に見えてきたのだが,雲が係りクリアでないのがちと残念だ.


路面電車の走るカイセリに入る

路面電車の走るカイセリに入る

通りの真ん中を行く路面電車に出合うようになった.カイセリの街に入ったようである.ここもきれいな並木道で,どの自治体もこうした緑には力を入れていることが窺える.



下は,カフラマンマラシュからカイセリへ行くときの写真

カフラマンマラシュからカイセリへ行くときの写真
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カイセリ観光に関わる歴史

カイセリの観光に関わる歴史的建造物は以下のような年代に作られている.

カイセリ観光に関わる歴史年表

カイセリ観光に関わる歴史年表


フナトゥハトゥンHunat Hatun mosque

フナトゥハトゥン正面

フナトゥハトゥンモスク正面

1238年セルジューク朝スルタンのアラディンカイクバード一世(Alaeddin Keykubad 1)の奥さんフナトゥハトゥン(Sultana Hunat Hatun)に依って築かれたモスクであるそうだ.カイセリの大通りに広場を挟んで建てられている.内部も含めて地味な色であるが重厚であるとも言えるかも知れない.ただ近づいて見ると,ファサードの鍾乳石模様など細かなレリーフが見られる.

セルジューク時代なのでまだ大ドーム建築技術はなく,柱を二元配列で並べ,その上に小さなドームを被せた構造になっていた.柱は太く密で,頑丈そうである.


フナトゥハトゥン礼拝堂

フナトゥハトゥン礼拝堂

建設から既に800年近く経つのだが,今もちゃんと使われている.この日は5/18(金),最も大事な金曜礼拝の日であるが,このときは定刻礼拝時間の前だそうだが礼拝堂に来て,礼拝する人達の姿があった.



下は,フナトゥハトゥンモスクの写真

フナトゥハトゥンモスクでの写真
フナトゥハトゥンモスクでの写真 フナトゥハトゥンモスクでの写真 フナトゥハトゥンモスクでの写真 フナトゥハトゥンモスクでの写真 フナトゥハトゥンモスクでの写真

ドネルキュンベットDoner Kumbet

ドネルキュンベット

大通りの真ん中に立つドネルキュンベット

1218年,前記フナトゥハトゥンモスクと同じくセルジューク朝スルタンのアラディンカイクバード一世が,無くなった愛娘シャージハンハトゥンのために建てた霊廟だそうである.なぜか通りの真ん中に建てられているのが不思議だ.ドネルキュンベット(Doner Kumbet)のドネル(Doner)はドネルケバブのそれと同じ,回転とかねじれの意味で,基部がねじれたデザインだからだそうだ.でもこの写真ではねじれがちょっと判りづらい.それとキュンベットは廟の意味でいいのだろうか?

何れにしても,こちらも表面の細かなレリーフがあまり風化せず,クッキリ残っているのには驚く.だがこの先は,排気ガスのまっただ中にあるので,ちょっと心配ではある.


多分エルジェス山(3,916m)

エルジェス山であろう

ドネルキュンベット近くで,建物の間から見えた.多分エルジェス山(3,916m)であろう(確信はないが)

この後,ホテル近くでも雲が上がらないかな~と何度か見ていたのだが,無くならなかった.まあ,山は上昇気流で雲ができやすいので仕方ないか.

なおトルコで登山は新しいスポーツで,夏休みが3ヶ月ある学生などが始めているそうだ.

カイセリ城Kayseri castle

カイセリ(Kayseri)の名は,ローマ帝国のカイザルと関係があるそうで,街自体はその頃からすでにあるそうだ.そして街の真ん中にあるこの城壁は6世紀にビザンツ帝国のユスティニアヌス一世,そうあのガジアンテップ城塞を築いた人物,が建設したそうだ.ガジアンテップとカイセリどころか,ビザンツ帝国の版図は広大で,まあ,驚くに当たらないであろう.そして,その後幾度かの改修を経て,現在に至っているようだ.

城壁内部には現在,非常に広い市場(バザール)が形成されている.

カイセリ城カイセリ城
カイセリ城カイセリ城

カイセリの街the city of Kayseri

カイセリの街を俯瞰

カイセリの街を俯瞰

宿泊のヒルトンカイセリホテルはカイセリ城前広場を挟んだ手前にあった.窓からはトルコ国旗を掲げたカイセリ城と横の大きなモスクを含む街の中心街が展望できる.背後の山は,最近見てきたばかり,慶州の双子山型古墳慶州のページ参照)が思い起こされた.もち論あまりにも巨大で,まさか古墳ではあり得ないが.

エルジェス山(3,916m)は写真の右側に聳える筈であるが,私の部屋からは見えなかった.


カイセリの街

カイセリの街

まあ一般的な大きな街だが,ミナレットが所々に見えるのはやはりイスラムの街だ.他の都市でもそうだったが信号機の位置が低く,歩行者には見易い.赤または青の残りの秒数が表示されるところもある.


カイセリの路面電車

カイセリの路面電車

二両編成くらいのコンパクトな路面電車は市バスと共に市民の足のようだ.またトルコでは車の保有率は高く,概ね一家に一台だそうで,交通量は多い.Taxsiと掲げたタクシーも目立つが,自転車はあまり見ない,いや殆ど無い.


ヒルトンカイセリでバフェの朝食

イスラム朝食

ヒルトンカイセリのバフェでよそった朝食.薄いハムとソーセージはポークでなく,ターキーとビーフか?ヨーグルトは羊乳かも知れないが不明.コーン,ポテト,きゅうり,トマトはごく普通,サーモンにアンチョビーまであって,パンやミニチャパティロール(だったか?)も美味しいし,いや~豪華だ.

これまでの学習で,チーズとオリーブは非常に塩辛い恐れがあるのと,デザート類は甘過ぎる危険があるのであまり食指が動かないが,まあ,こんだけ食べていれば十分どころか食べ過ぎですね.



下は,カイセリの街での写真

カイセリの街での写真
カイセリの街での写真 カイセリの街での写真 カイセリの街での写真 カイセリの街での写真 カイセリの街での写真 カイセリの街での写真
カイセリの街での写真 カイセリの街での写真 カイセリの街での写真 カイセリの街での写真 カイセリの街での写真 カイセリの街での写真

カイセリの市場

カイセリの市場

カイセリ城塞の内側には現在大規模な市場が形成されている.中心部は写真のように屋根付きの所謂バザールのような形式で,縦横に走る通路の両側にお店がびっしりと並んでいる.またこの周囲は一般的な形態の商店街となっていて,こちらは屋根付きバザール以上に大規模である.


カイセリの乳製品店

乳製品店

ヨーグルトやチーズショップの店頭風景.豪快にむき出しで並べてあるのに少し驚く.早く売らないと乾いてしまって,パウダーチーズにしないとならないし.....とか余計な心配も.


カイセリのゴールドショップ街

ゴールドショップ街

ゴールドのお店だけが並ぶ一画もある.ゴールド街は例えばイスタンブール,イスファハン ,アレッポ,ダマスカス....等々イスラム圏でよく見られるが,これぞ中東の香りだ.現にトルコは最近はかなり落ち着いていると思われるが,以前ハイパーインフルに見舞われたこともあり,やはりゴールドで持つのが安心できるのだと思われる.ウインドウにはもちろん延べ棒ではなく,多くはブレスレットなど装飾品の形態で展示されている.


カイセリのいつも混んでいるATM

いつも混んでいるATM

カイセリの市場街にはCiti bankなど幾つもの銀行のATMコーナーがあるが,なぜかどこも混み合っている.別に自分が用もないのになぜそんなことを感じるかというと,これまで回ってきたどこの街でも,電車でもないのにATMで行列の光景を目にしてきたからなのだが.....どうでもいいことを,ほんとにおせっかいだ.すみません.


乾物店で干し柿が吊るされていたのには大いに驚いた.後でガイドTTさんに訊いたら,トルコでは柿も実るし,干し柿も普通に作るという.柿は他国であまり無いものと思い込んでいたが,そんなことなさそうだ.やはり市場は回ってみるものだ(←冷やかしですみませんが)



下は,カイセリの街辺りの写真

カイセリの街の写真
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カイセリの街の写真 カイセリの街の写真 カイセリの街の写真 カイセリの街の写真 カイセリの街の写真 カイセリの街の写真

カイセリの街を十分ほっつき歩き楽しかった.次はいよいよヒッタイトの核心ボアズカレだ.



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