このトロイ編ではエディルネを出て南下し,フェリーでダーダネル海峡を渡り,トロイ遺跡を見物したときの写真にキャプションを加え載せました.
マーカー3で示すトロイはボスポラス海峡を抜けて,エーゲ海に入った辺りに位置している.昔からエーゲ海を望む諸国の争奪舞台になった訳だ.
5/11(金)エディルネのキャラバンサライで朝を迎え,バスに乗ると,アジア側と,こちらヨーロッパ側を隔てるダーダネル海峡目掛けて南下した.広い畑が展開される.札幌在住の同行の方の『北海道の眺めより広い』との評も聞く.土地は私有制で,殆どが国民の所有だそうだ.
男性が器用にも頭に大量のパンを載せて,信号待ちのドライバに売り歩いている.パンはリング状で,表にごま粒をまぶした大きなドーナツの感じだ.トルコのパンは美味しいが,このごまパンも1個1リラ(40円くらい)だったかで,なかなかの味だ.それにしても上手くひっくり返さずに商売できるものだ.
下は,エディルネからダーダネル海峡へ向かうときの写真
途中トロイア風レストランでサバの昼食を頂戴したが,その少し前辺りから,向こうにエーゲ海が望めるようになってきた.ダーダネル海峡はエーゲ海に突き出した半島にあるので,エーゲ海は海峡から近いのだ.
昼食後暫く走り,ギルボル(Gelibolu)の街に入った.そして程なくダーダネル海峡を望む港に着き,写真のフェリーにバスごと乗り込む.
フェリーは車も人も少なかったが定刻になると港を出た.海面は穏やかで,デッキに出ると爽やかな風が気持ち良かった.
40分くらいの航行でダーダネル海峡対岸のラプセキ(Lapseki)に到着した.海峡の一番狭いところは1.2kmくらいらしいが,このギルボル/ラプセキ間は5~6kmくらいあろうか.夏になれば泳いで渡る人もいるのではなかろうか?
ラプセキもまた白い壁に赤い屋根の家々が連なり,いかにもダーダネル沿岸風情を漂わせている.
ダーダネル海峡は昔から今に至るまで戦略的に重要な場所で,いろいろな民族が攻略を試み,そして守ろうとしてきたそうだ.少し南にあるチャナッカレ(Canakkale)のカレ(kale)は城塞の意だそうだが,ここを破られるとイスタンブールまで一気に攻め入られ,陥落という事態に陥るため,大変力を入れて守られたそうだ.
ラプセキに上陸すると,バスはそのままトロイに向け走り出した.広い畑が少なくなり,松林が多くなり,オリーブ林も点在するようになった.
そのうちにチャナッカレを通過し,エーゲ海沿岸沿いを走るようになる.
下は,ダーダネル海峡周辺のいろいろな写真
トロイに関わる大雑把な歴史を図にすると下のような時代になるようだ.日本では縄文時代であるから,いや~古い!そして,トロイは古い時代の上に次々と新たな街が重ねられ,層が形成されているそうだ.
トロイに関わる歴史年表
トロイは古い時代の上に次々と新たな街が重ねられ,次のように層が形成されているそうだ.
入り口近く資料館の前に並べられたローマ時代の水道管や水瓶.第Ⅸ層で一番新しいトロイの出土品.古代ローマの上下水道技術はあちこちで見かけるが,その度に素晴らしいと感心する.
とても綺麗に残っている第Ⅱ層(2500BC~2200BC)エーゲ海交易盛んだったころの石垣.トロイ遺跡は図や模型を見ると意外と小さいのだが,概ね円形の全周を石垣で囲ったようだ.さらに陸側(海に面するのと反対側)は二重に石垣を築いたようである.
驚くことに石垣の一部に日干しレンガ(写真中央)が使われていることだが,今思うと,そんな古い日干しレンガが野晒しで果たして残存するかな~....?後世の補修か若しくは第Ⅱ層より新しい層だったかな~....?
この場所に神殿(アテナ神殿だったか?)があったそうだ.どの層だったかは思い出せないが多神教信仰は最初の頃からあるし,また一番高い所に神殿を築いたので相当古い時代からここにあったのであろう.ここから眺めると丘の下には広い畑が展開され,その先にエーゲ海が見える.トロイ時代はエーゲ海がここの直ぐ下にあり,船で接岸できたのだそうだが,近くを流れる川の運ぶ土砂で徐々に埋め立てられていったそうである.
第Ⅱ層,第Ⅲ層,第Ⅳ層などの立て札が見えるこの辺りは,幻のトロイを発見した,かの有名なシュリーマンが財宝目掛けて必死に掘った所だそうだ.ただシュリーマンは考古学的関心より,あくまで宝探しが主目的で,乱暴に掘り進んだため重要な遺跡が破壊されてしまった面もあるそうだ.またついに黄金など金目のものも多く発見したが,ドイツやロシアに離散し,やがて戦争等で行方不明になったそうだ.あまりお金にならない遺物(陶器など)は後日訪れるイスタンブールの考古学博物館などに展示されていた.
少しギリシャ文字が混じったようなローマ字に新しさを感じる.第Ⅸ層ローマ支配時代のもので,背後の円形劇場は,この種の劇場としてはとても小型だ.ガイドTTさんの解説では,円形劇場の収容人数は概ね市の人口の1/10で作られたそうで,これから見てもトロイはコンパクトな都市であったことが窺われる.
プロイセン生れのハインリッヒシュリーマンは若いとき一度ロシア女性と結婚,後に離婚.事業や,日本を含めあちこち旅の末,ギリシャに移住.40代後半になって,30歳も若いという写真の17歳ギリシャ女性ソフィアと再婚したという.そして程なくトルコに渡り,それまでの商取引で稼いた莫大な資金を注ぎ込んで発掘,そしてついにトロイ遺跡を発見したということだ.
なおシュリーマンはトロイ遺跡だけでなく,ギリシャでミケーネの『アガメムノンのマスク』(ミケーネ遺跡のページ参照)の発見などでも知られ,胡散臭いなど負の評価もありながらも,やはりギリシア神話が実在したことの発見など大きな成果を上げたのは確かだと思う.
なおトロイ遺跡はまだ調査不十分でドイツ政府と企業の資金で現在発掘調査中の箇所もあった.おそらく何らかの新たな発見も期待できよう.
下は,トロイ遺跡の写真