イスタンブールIstanbul

このイスタンブール編ではサフランボルからイスタンブールへ戻るとき,ブルーモスク,アヤソフィア,トプカプ宮殿,グランドバザール,イスタンブール旧市街の電車,考古学博物館,カイロ経由で帰国の写真を載せました.

イスタンブール付近のGoogleマップ

マーカー18で示すのが,最初到着しバスで出発したトルコの首都イスタンブール.

ボスポラス海峡とマルマラ海の一部を跨いでいる.

イスタンブールへ戻るback to Istanbul

サフランボルからイスタンブールへの戻り道,マルマラ海が見えてくる

サフランボルからの道,マルマラ海が見えてくる

サフランボルから,途中2度ほど休憩しながら長い距離走った.やがて右手にマルマラ海が見えてきた.いい眺めだ.この辺りはもうオフィスの多いヨーロッパ側イスタンブールへの通勤圏だそうで,道路の真中にバス専用レーンが設けられている.


ボスポラス大橋を渡り,イスタンブール新市街経由で旧市街へ

ボスポラス大橋を渡り,新市街経由で旧市街へ

アジア側からボスポラス大橋を渡り,先ずはイスタンブール新市街に渡った.そして高級住宅街の丘を越え,ガラタ橋を渡ってマルマラ海畔を通り旧市街へと入って行った.そしてブルーモスクなど見物だ.

写真の海岸沿いから眺めていると,結構大きな客船から,アジア側/ヨーロッパ側渡しのフェリー,小型の遊覧船まで色々航行している.

また釣り糸を垂れている人も見える.良く知られるトルコのサバサンドのように,トルコではサバは普通に食べられている.これが同じイスラムでもイラン辺りでは,鱗のない魚は食べないと聞くのでどうしてかな~?と思う.食肉に関してはコーランにも明確に規定されているが,魚についてのタブーは記述がなくそれぞれの宗派で違いがあるらしい.



下は,サフランボルからイスタンブールへ戻るときの写真

サフランボルからイスタンブールへ戻るときの写真
サフランボルからイスタンブールへ戻るときの写真 サフランボルからイスタンブールへ戻るときの写真 サフランボルからイスタンブールへ戻るときの写真 サフランボルからイスタンブールへ戻るときの写真 サフランボルからイスタンブールへ戻るときの写真 サフランボルからイスタンブールへ戻るときの写真
サフランボルからイスタンブールへ戻るときの写真 サフランボルからイスタンブールへ戻るときの写真 サフランボルからイスタンブールへ戻るときの写真 サフランボルからイスタンブールへ戻るときの写真 サフランボルからイスタンブールへ戻るときの写真 サフランボルからイスタンブールへ戻るときの写真

イスタンブール観光に関わる歴史

あちこちにローマ時代の遺跡が残っているなど,イスタンブールの歴史は古い.ただ私たちは今回比較的最近の以下の名所だけを巡る予定だ.

イスタンブールに関わる歴史年表

イスタンブール観光に関わる歴史年表


ブルーモスクSultan Ahmed mosque

ブルーモスク(Blue Mosque)外観

ブルーモスク外観

6本ミナレットで有名なのに4本しか写ってない.修行が足りない!

それでも堂々とした姿だ.正式な名前はスルタンアフメットジャーミー(Sultan Ahmed Camii)またはスルタンアフメットモスクで,ブルーモスク(Blue Mosque)は外国人が名付けたもので,地元では観光業者だけに通じるそうだ.

オスマン帝国第14代スルタン/アフメト一世によって建立され,1616年完成だそうだ.大きなドームを載せたずんぐりした様式はオスマン帝国時代で始まったのだと思うが,最近建設されるトルコのモスクのデザインにも受け継がれているように見える.つまりある意味どれも類型的だと思う.


ブルーモスク中庭では映画撮影中

中庭では映画撮影中

玄関で靴をビニール袋に入れて入った.中庭ではレールが敷かれ,カメラ用ブームが付いたトロッコが載せられていた.映画撮影のようである.

回廊は連続させたアーチの上に小さなドームを屋根を載せたもので,例えばユチュシェレフェリモスクなどでも見られた様式だ.

庭では遠足の小学生の歓声が上がっている.どこも子供たちは元気だ.


ブルーモスクの礼拝堂

ルーモスクの礼拝堂

実に巨大なドームだ.柱も巨大だ.もし一言で色を表せ,と言われたら,私は『茶色』と応えそうだ.でも普通ブルーと感じられるそうで,ブルーモスクの通用名が付けられたそうだ.ブルーのタイルやブルーのステンドグラスが多めなためであろう.

観光客が多いし,皆控えているがそれなりに騒音もある.でもそんな雑然とした中でちゃんとお祈りしている人も相当居られる.また.たまたま傍に,同じイスラム国インドネシアからの観光団がいて,ガイドの説明を聞いていた.私も行儀悪くちょっと耳をそばだてたら,出だしは私たちがTTさんから受けたレクチャーに近い感じだ.でも受け止め方は随分違うでしょうね.


ブルーモスク女性は後ろでお祈り

女性は後ろでお祈り

ミフラーブのある前方の広い礼拝場に女性は入れない.その背後が通路になっており,さらにその後ろに狭いスペースがあり,女性はそこでお祈りしている.女性が前に座っていると,男は気になってアラーに集中できないから,と云うのがこうした掟が存在する理由だそうだ.それなら左右に分けるなどでも良さそうな気がしないでもないが....まあ,いろいろあるのであろう.



下は,ブルーモスクでのいろいろな写真

ブルーモスクでの眺め
ブルーモスクでの眺め ブルーモスクでの眺め ブルーモスクでの眺め ブルーモスクでの眺め ブルーモスクでの眺め ブルーモスクでの眺め
ブルーモスクでの眺め ブルーモスクでの眺め ブルーモスクでの眺め ブルーモスクでの眺め ブルーモスクでの眺め ブルーモスクでの眺め

アヤソフィアHagia Sophia

ビザンツ帝国(東ローマ帝国)時代の西暦360年,キリスト教大聖堂として建設されたそうだ.途中火災や再建を経て,後の11世紀,東西教会の分裂以後は,正教会の総本山となったそうだ.さらに時代は下り1453年,コンスタンティノープル(現イスタンブール)を占拠したオスマン帝国メフメト2世はこの大聖堂を没収,モスクへ転用を決め,以降モスとして使われてきた,ということだ.

モスクへと転用するため,壁のフレスコやモザイクタイルは漆喰で塗り固められ,ミフラーブが加えられたそうである.そして更に後世,アタチェルクの政教分離の一環として,このモスクは世俗化対象で博物館になり,漆喰の下のモザイク画なども公開されるに至った.ただ私たちは訪れたのが5/21(月)の休館日で,中に入れす,単に外を眺めただけだった.まあ,以前見たことがあったし,仕方ないか.

アヤソフィアアヤソフィア
アヤソフィアアヤソフィア

トプカプ宮殿Topkapi palace

トプカプ宮殿正門

トプカプ宮殿正門

1478年オスマン帝国スルタンのメフメト2世が完成したという宮殿.正門のとんがり帽子の付いた正門はユニークで印象的だ.上述のようにメフメト2世は1453年,コンスタンティノープルを占拠した訳だが,当時別の場所に宮殿を設け,さらに新たにこのトプカプ宮殿を建設したようだ.なので当時は新宮殿と呼ばれたそうだ.


マルマラ海を見下ろす丘に建つトプカプ宮殿

マルマラ海を見下ろす丘に建つ

トプカプ宮殿の奥からはマルマラ海が望める.丘の岬の先には大砲が据えられ,その場所はどうやらトプカプと呼ばれるらしく,それが後の宮殿の呼称になったようだ.

ここは正しくボスポラス海峡の入り口でもあり,今でこそ長閑だが,当時は守りの要であったであろう.


トプカプ宮殿で預言者ムハンマドの遺品を訪ねる

預言者ムハンマドの遺品を訪ねる

トプカプ宮殿の博物館には預言者ムハンマド(モハメット)のあごひげなどの遺品や,他カリフ所縁の品が展示されているそうだ(時間切れで見られなかったが).そのためアラブやイランなどからこれを訪ねてくる人も多いそうだ.写真は顔立ちや装束からするとイランの人達であろうか?

なお博物館は有名な85カラットの『スプーンのダイヤモンド』(スプーンと交換したそうだ)とか金のゆりかごなど展示した宝物館(写真禁止)や,陶磁器館なども見応えがある.



下は,トプカプ宮殿の写真

トプカプ宮殿の写真
トプカプ宮殿の写真 トプカプ宮殿の写真 トプカプ宮殿の写真 トプカプ宮殿の写真 トプカプ宮殿の写真 トプカプ宮殿の写真 トプカプ宮殿の写真

トプカプ宮殿ハーレム入口辺り

トプカプ宮殿ハーレム入口辺り

トプカプ宮殿国政議事室の手前辺りにハーレム入口がある.ゲートをくぐると,ちょっと中世ヨーロッパ風,こんなミラーが掛かっていた.

ハーレムには最盛期1000人もの女性に,多数の宦官(多くはアフリカ大陸からの黒人だったそうだ)がここに居て,取り仕切っていたのはスルタンの母親だったそうだ.私がガイドTTさんのお話で非常に驚いたのは,女性は基本的に奴隷の身分であり,国内外から集められた美女で,できれば身元があやふや,戦災孤児など親類縁者が少ない女性が理想的だったそうだ.そしてスルタンの母親が選んだ子を女,あくまで奴隷として,スルタンに対応させたということだ.

スルタンは基本的に妻帯しなかったが,例外としてメフメト4世(だったか?)一人だけは妻帯したそうだ.ただイスラム法的に結婚していなくとも,女性としては大勢いたのだし,お世継ぎを含めて子孫もちゃんとできた訳で,ガイドTTさんの説明がイマイチ理解できていない.


トプカプ宮殿ハーレムの部屋

ハーレムの部屋

ハーレムには綺麗に飾られた部屋が数多く並んでいた.ただ女性たちや宦官は奴隷の身分で,逃げたいと思う人も当然いよう.でも,逃げられないように塀が設けられ監視もされていたというからやはり大変だ.

メフメト2世は織田信長と近い世代である.信長の頃岐阜城ではまだ大奥の話などあまり聞かない.その後江戸城が出来る頃になると大奥の話も聞くようになる.でも江戸城では宦官は登場せず,専ら女性が取り仕切っていたように思うが,さて実際はどうなんだろう...?



下は,トプカプ宮殿ハーレムの写真

トプカプ宮殿ハーレムの写真
トプカプ宮殿ハーレムの写真 トプカプ宮殿ハーレムの写真 トプカプ宮殿ハーレムの写真 トプカプ宮殿ハーレムの写真 トプカプ宮殿ハーレムの写真 トプカプ宮殿ハーレムの写真 トプカプ宮殿ハーレムの写真

グランドバザールthe grand bazaar

イスタンブールのグランドバザール

イスタンブールのグランドバザール

オスマントルコ帝国時代,トプカプ宮殿と同じ頃建設されたようだ.メインの通りは,数日前覗いたカイセリ市場などと比べるととても広い.食品,乾物,衣服,宝飾品....まあ普通市場で扱われるものは大体あるのではなかろうか(全部見た訳ではないが).案内された入り口ゲートの『1461』の文字はここの竣工年であろうか?このゲートから真っ直ぐ歩く程度で,横に逸れないほうが無難ですよ.戻れなくなりますからね~,と添乗Oさんに釘を刺されたが,私はもち論元より戻る自信がないので一本道の往復で引き上げた.

途中ちょっとした小物を見つけて買ったが,リーズナブルなプライスで納得できる.これだけ大きなバザールでは観光客の割合は僅かで,殆どは地元のお客さんであろうから,他国ではたまにある「ふっかけ」などはあまり心配なさそうだ.



下は,グランドバザールの写真

グランドバザールでの眺め
グランドバザールでの眺め グランドバザールでの眺め グランドバザールでの眺め グランドバザールでの眺め グランドバザールでの眺め グランドバザールでの眺め グランドバザールでの眺め

旧市街の電車trains in the old city of Istanbul

旧市街中程にあるホテルから考古学博物館に電車で出かけてみたとき写した写真.

↓地下鉄の駅↓地下鉄車内↓路面電車トラムの駅
地下鉄の駅地下鉄車内路面電車トラムの駅
路面電車トラム車内トラム車両トラム駅脇旅行代理店
↑路面電車トラム車内↑トラム車両↑トラム駅脇旅行代理店

朝の通勤時間帯だったが,それほどは混んでなかった.

イスタンブール考古学博物館Istanbul archaeology museums

イスタンブール考古学博物館のアレキサンダー大王首像

アレキサンダー大王の首像

期待のイスタンブール考古学博物館にやって来た.青銅器時代から比較的最近のものまで展示されているが,ヘレニズム時代,ローマ時代の出土品が特に多いと思われた.

写真はアレキサンダー大王(Alexander the Great:紀元前356~323年)の首像で,これまで書籍などで見かけたことのある記憶と一致する男前の顔立ちだ.この博物館には大王の全身像(立像)も保管されているのだが,その展示場は改装工事で残念ながら閉鎖されていた.


アレキサンダー大王の石棺

こちらも大変有名なアレキサンダー大王の石棺.巨大な大理石に入り組んだ彫刻が施されている.こんな細かいものをよく彫ったものだ,そして2000年以上経つのにまるで最近彫られたかのようにピカピカなのには驚く.これらのレリーフはアレクサンダー大王がペルシャ軍と戦う様子を彫ったものだそうで,今は殆ど落ちているが彩色が施されていたようだ.傍らに鮮やかな彩色復元が置かれていた.

ところでこの石棺はアレキサンダー大王の活躍が見事に彫られているが,大王の遺体が葬られたのではないそうだ.大王腹心の部下,アブダロニモスという人物が自ら納まる棺に,大王の業績を称えるために彫ったということだ.

アレキサンダー大王の石棺全体アレキサンダー大王の石棺側面

なお石棺はレバノンの首都ベイルート近く,シドン遺跡で発掘されたそうだ.ドイツ辺りにいろいろ持ち去られたトルコも,やり返したか.江戸の敵を長崎で....みたいになるが.


考古学博物館の海の神オケアヌス(Oceanus)像

海の神オケアヌス(Oceanus)像

エフェソスで発掘されてという古代ギリシャ神話の大理石像.紀元前2世紀,ローマ帝国時代の作品とされるそうだ.

この時代のものは他にもたくさん展示されていて,改めて当時のアートレベルの凄さを感じさせられた.



下は,イスタンブール考古学博物館辺りの写真

考古学博物館の写真
考古学博物館の写真 考古学博物館の写真 考古学博物館の写真 考古学博物館の写真 考古学博物館の写真 考古学博物館の写真
考古学博物館の写真 考古学博物館の写真 考古学博物館の写真 考古学博物館の写真 考古学博物館の写真 考古学博物館の写真

カイロ経由で帰国leave for home

イスタンブール空港上空

イスタンブール空港から発つ

全ての観光を終えて,イスタンブール空港まで送ってもらった.ガイドTTさん,ドライバHさん大変ありがとうございました.

エジプトエアMS-737便でカイロに向け飛び立つと,眼下には巨大なイスタンブールの街が広がっていた.今回はほんの一部眺めただけなので,できればもっとゆっくりいろいろ見てみたいものだ.


カイロ上空

カイロ上空

2時間くらいでMS-737便はカイロ空港上空に達した.殆ど砂漠なのでに古代文明が開けたのがつくづく不思議に感じられて仕方がない.単純思考では到底解は出てこないが.


乗り換えのカイロ空港で

乗り換えのカイロ空港

成田行きエジプトエアMS-964便は相当待ち時間があった.長いためエジプトエアはミールクーポンをくれて,私たちはレストランで長時間粘った.トルコのチーズやオリーブは塩辛かったが,ここエジプト空港では食べ物全体がNaClでいっぱいという感じだった.

同行の皆さんと長話をしているうちにようやくMS-964便に乗ることになった.そして機は順調に飛び,夕刻成田に到着した.皆さんありがとうございました.



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