クサントスXanthos

このクサントス編ではクサントスへ行くとき,パタラ遺跡周辺,クサントス遺跡の写真とキャプションを載せました.


クサントス付近のGoogleマップ

マーカー7で示すのがクサントス.ここに紀元前のクサントス遺跡が残されている.遺跡は面してはいないが,地中海は間近なようである.

クサントスへleave Pamukkale for Xanthos

パムッカレを出て程なくデニズリ辺り

パムッカレを出て程なくデニズリ辺り

パムッカレを出て少し走ると標高の高いところに出て,大きな町デニズリ(Denizli)辺りとなる.布製品など多く産し,例えばシーツなどは,同じ製品がイスタンブールの半値で買えるそうだ.

丘陵の土壌も良く,タバコ,アーモンド,ぶどう....など色々採れるそうだ.


クサントスへの途中養蜂の巣箱

養蜂の巣箱

果樹が多いので養蜂も盛んだ.養蜂がないと受粉がうまくいかないであろうから,まあ相補関係にあるのであろう.

蜂蜜は普通のようにビンに詰めても売られているが,蜂の巣(ハニカム)の形のままでも売られている.また後日の上等なホテルのバフェでは蜂の巣の形のまま(巣に入った蜜の状態で)並べられていて大いに驚いた.パンに付けて食べると薄い巣のセル部分が舌に残るが,そのまま飲み込むに支障ない程度の硬さだった.味は特段変わったことはないが,原料のまま,ブレンドされないので,まあ混じり気のない味(?)と言って語弊はなかろう.


毎日清掃されるバス

バスは毎日清掃

長い行程で,バスは途中で休憩した.ドライバHさんがきれい好きなのか,或いはバス会社Dorak社のポリシーなのか,バスは毎日清掃されていた.高速道路のサービスエリアには必ずレストランと売店があり,そしてバスの清掃員が待機している.

洗った直後に大雨があったりして気の毒だが,いつも窓が綺麗で私達にはありがたかった.なおトルコの観光バスは大体白いものと決まっているそうだ.市バスなどの路線バスは色々思い思いに塗られているそうだ.おもしろい.


山に川にポプラに

山に川にポプラに

雪を抱く山に,川に,ポプラに,いい景色が見られる.この周辺で一番高い山は2500m程度だという.

この辺りはタバコに加えてケシも栽培されているそうだ.ケシは医療用麻薬の原料として当然厳しく管理されており,花の本も出版されている専門家で,添乗Oさんの経験では,撮影のためケシ畑に近づいたりすると直ちに番犬が飛んで来るそうだ.怖いですね.


下は,クサントスへ向けてパムッカレから南下したときの写真

クサントスへ向けてパムッカレから南下したときの写真
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途中パタラ遺跡へvia Patara

パタラ遺跡

パタラ遺跡

パムッカレから相当の時間走ってエーゲ海近くにたどり着いた.古い石やレンガの遺跡のようなものがそこかしこに転がっている.実はこれは目指すクサントス遺跡ではなく,パタラ遺跡(Patara)と呼ばれるものだそうだ.クサントス遺跡と似た時代で,かなり大きく広がっており,トルコ政府が現在も継続的に発掘調査中だということだ.


パタラ遺跡の田舎風レストラン

田舎風レストラン

パタラ遺跡は私たちは観光ではなく,単に昼食を食べるために立ち寄った場所だ.田舎風というか,田舎そのもののレストランで,庭にはハイビスカスとかレモンが見られ長閑なところだ.

パタラ遺跡の周辺はビニールハウスが多く建ち,野菜の栽培が盛んなようだ.


煮込み料理と飲むヨーグルト『アイラン』

煮込み料理と飲むヨーグルト『アイラン』

土鍋のビーフ煮込み料理で,同行の皆さんには美味しいと好評だった.土鍋も熱かったので生の状態からオーブンで煮込むのであろう.カップの白は『アイラン』と呼ばれるトルコ式飲むヨーグルトだ.因みに日本ではヨーグルトはブルガリアとかグルジア辺りが発祥と思われてますが,トルコ発祥ですよ,とガイドTTさんの説明あり.でもあまりに古い時代の話で,確証はないのではなかろうか.

右上の皿は細かなパスタを混ぜて炊いたご飯に,味噌しそ巻き風形態ながら全く異なる....何だったか?,と茶色い....これも何だったか?レンズ豆のスープだったかもあった筈だが,この写真の段階では既に胃に収まっていたようだ.

左上のパンは最もよく出されるタイプで,フランスパンのような形だが柔らかく,歯もまた悪い筆者向き.トルコではどこで食べてもパンに関しては概ね大変美味しい.

終わりに米のプディングのようなものが出されたが,『美味しい』と『食べられない』の両極端に評価が割れた.私自身は,まあこんなものかな~程度でどっちつかずだ.


下は,パタラ遺跡辺りのいろいろ

パタラ遺跡辺りでの眺め
パタラ遺跡辺りでの眺め パタラ遺跡辺りでの眺め パタラ遺跡辺りでの眺め パタラ遺跡辺りでの眺め パタラ遺跡辺りでの眺め パタラ遺跡辺りでの眺め
パタラ遺跡辺りでの眺め パタラ遺跡辺りでの眺め パタラ遺跡辺りでの眺め パタラ遺跡辺りでの眺め パタラ遺跡辺りでの眺め パタラ遺跡辺りでの眺め

クサントス遺跡Xanthos

クサントスの歴史

さてパタラ遺跡辺りで昼食後,その近くのクサントスにやってきた.クサントスに関わる大雑把な歴史の位置付けは下図のようである.

クサントスに関わる歴史年表

クサントスに関わる歴史年表


クサントスはペルシャがアナトリアを支配していた頃から始まり,ローマ時代まで続いた都市国家であるようだ.


クサントス遺跡

クサントス遺跡

先ずこの地方は古代リュキア(Lycia)と呼ばれ,上述のパタラを含め幾つかの都市国家が成立していたという.クサントスはそんなリュキアの中では最大の都市国家であったそうな.この写真の門や,背後の円形劇場は比較的新しくローマ時代のものであるが,クサントスには古い時代を含めて比較的多くの記述された記録が残るそうで,ガイドTTさんによれば特に次の3つの重大な特徴を知ることができるという.

  1. 被支配を嫌い,ペルシャ戦では全員討ち死した.たまたま遊牧で山に出かけていた80家族のみは生き延びた
  2. 紀元前5世紀という古いモニュメントが保存されていた.
  3. クサントスにローマ字の起源が見られる

第一の特徴である独立を重んじた点であるが,都市国家として営まれていた紀元前540年頃ペルシャの進撃を受けたとき,敵に支配されるくらいなら自決したほうがましと,果敢に挑んだそうだ.結局ペルシャに負けたのであるが,放牧のため山に出かけていた80家族は生き延びたという.

ところで勝利したペルシャであるが,現在クサントスには全くペルシャの遺産が残っていない.これはペルシャは税金を徴収することだけに徹し,家臣を派遣して行政を司るといったことがなかったためだそうだ.多分いざというときは軍隊を送ったのであろうが,一風変わった統治方法だったと思う.


クサントス遺跡クサントスの王の墓のレリーフ

2番目の特徴クサントスの王の墓のレリーフ

上の写真で2つの塔の右側の塔に刻まれたレリーフ.2番目の特徴を示すもので,ただこれはレプリカ,ロンドンの大英博物館に本物があるそうだ.姿は異なるがナイキのように翼のある女性など綺麗に残るレリーフも素晴らしいし,またこの内容などから塔は紀元前5世紀のクサントスの王の墓ではないかと見られているそうだ.

左側の塔も墓所と見られ,切り妻型屋根が特徴で,少し新しく紀元前4世紀頃と推定されるそうである.

前述の如くクサントスはペルシャ軍によって壊滅的打撃を受けたのだが,ペルシャは納税さえすればある程度の自治を認めたそうで,生き長らえた人達の中の王がこの墳墓の主なのではなかろうか.またこの頃独自の硬貨を鋳造するなど,自主独立の気概はやはり強く持ち続けていたようだ.

時代が下ると宿敵ギリシャに攻め入られ,さらに後はアレキサンダー大王が入ってきたそうだ.アレキサンダーはクサントスにとっては敵(ギリシャ)の敵ということで,アレキサンダー大王とは友好条約を結び,平和裏に受け入れたということだ.まあ定石通りよく見られる構図であろう.

アレキサンダーの後は他国家と同様ローマ支配の時代になるのだが,これは致し方なかろうか.


クサントス遺跡3番目の特徴ローマ字の原型

3番目の特徴ローマ字の原型

石碑に刻まれた文字だ.現代のギリシャ文字とローマ字(ラテン文字),それとどちらでもない幾つかの文字で記されているように見える.ただこれはローマ支配の頃の広場にあったもので,もっと古いのは前述の墳墓基部辺りに記されていたようだ.文字はチグリスユーフラテス文明の楔形文字など非常に古いものもあるが,クサントスの文字はそれらをモディファイしたか,若しくは新規に作り出し,現代ローマ字(ラテン文字)の元を創ったということだ.


クサントスの街はビニールハウスだらけ

クサントスの街はビニールハウスだらけ

クサントス遺跡は小高い丘に築かれている.ここからクサントスの街を見下ろすと,見事なほどビニールハウスだらけである.あたかも住宅は波間に浮かぶ小舟のような景観だ.トマトやナスなど,まあ何でも採れるようである.上でたわわに実ったレモンを載せたが,地中海の温暖な気候ゆえ多種類の果樹も成長するそうである.


下は,クサントス遺跡の写真

クサントス遺跡での眺め
クサントス遺跡での眺め クサントス遺跡での眺め クサントス遺跡での眺め クサントス遺跡での眺め クサントス遺跡での眺め
クサントス遺跡での眺め クサントス遺跡での眺め クサントス遺跡での眺め クサントス遺跡での眺め クサントス遺跡での眺め


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