パムッカレPamukkale

このパムッカレ編ではパムッカレへ行くとき,石灰棚,ヒエラポリス,パムッカレの温泉の写真とキャプションを載せました.


パムッカレ付近のGoogleマップ

マーカー6で示すパムッカレは内陸の中央アナトリア地方に属するようで,温泉も湧く石灰棚の丘の名前だそうだ.古代ローマ帝国の遺跡も残っている.

パムッカレへgo to Pamukkale

エフィソスからパムッカレへと内陸に入る

エフィソスから内陸に入る

エフィソスを出るとエーゲ海を離れ,東の内陸に向かった.パムッカレまで1時間半の予定で,6峙頃到着の見込みだ.少し山道的雰囲気の道になり,周囲はオリーブ以外の果樹林や雑木林だけの山林地帯に入って行く.

走りだして少しすると空が暗くなり小雨がぱらついてきたと思ったら,そのうち先方の空は不気味なほど暗くなり,そして程なく大雨,前先方見えないくらいの完全なドシャ降りになった.


パムッカレへの途中イチジク乾燥屋根を備えた農家

イチジク乾燥屋根を備えた農家

幸いドシャ降りは長くは続かず,一応上がった.ただどうやら空模様は局地的に変化するようで,その先でも2回ばかり大雨に遭った.

内陸のこの辺りではイチジクが多く採れるそうだ.乾燥イチジクやお菓子に加工されるのが多いそうだ.そしてこの辺りでは屋上に風通しの良い屋根で覆った住宅が目立つ.ここでイチジクを陰干しして乾燥させるそうだ.ウイグルの干しぶどう乾燥小屋トルファンのページ参照)などと同じ趣向だ.

上の屋根には温水器が設置されている.温水器はこれまで通過したエリアも,この先も実に多く設置されている.日本も含めてこれほど多く温水器が使われている国はないように思う.


パムッカレへの途中トルコ国鉄の旅客列車

トルコ国鉄の旅客列車

イチジクやオリーブ,アーティチョークが名産で,中東では有名な電気製品の工場が多いというアイドン(Aydin)を通過した辺りで旅客電車に出合った.3,4両編成で,私達と同じ方向,バスと同じくらいのスピードだ.ワザ無く流し撮りできました(^^;
写真でははっきりしないが互いに手を振って挨拶を交わした.

トルコの鉄道は旅客用は少なく,バスと飛行機が多いそうだ.アンカラ/イスタンブール間の航空券は1ヶ月前購入ならたった2000円くらいで済むそうである(バスの聞き違いかな?).

ただ高速鉄道計画は推進中で,既にアンカラ/イスタンブール線,アンカラ/コンヤ線の一部は開業しているそうだ.現大統領は今後の鉄道整備計画で,サウジアラビアまで鉄道でつなぐ案も持ち合わせているそうだ.


パムッカレに近づく

パムッカレに近づく

大分内陸に入ってきた.雲の合間から陽が射すと高原の陰影が美しい.

畑は広いように見えるが,遺産相続時の分割などで代々縮小し,実際農業経営だけではなかなか立ち行かないそうだ.そのためアイドン辺りでは,工場に勤めるのが普通だそうで,そうした勤め先のないところは大都会に出る人も多いそうだ.日本と似ていよう.


下は,パムッカレへ行くときの写真いろいろ

パムッカレへ行くときの写真
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パムッカレの石灰棚terraces of carbonate mineralsa

夕暮れのパムッカレ石灰棚

夕暮れの石灰棚

夕刻になってパムッカレに到着した.石灰棚の縁に立つと殆ど陽は落ちて小雨もぱらつくあいにくの状況だった.まあそれでも殆ど観光客は引き上げた後で,静かに眺めることができたとも言えよう.

石灰棚は写真の箇所と,この奥の一箇所にあって,それぞれのサイズが大きく高低差もかなりある.こうした景観は全体がかなり広大で,比較的高低差の小さい黄龍辺り(黄龍のページ参照)と異なるところであろう.


石灰棚麓のパムッカレの街

麓のパムッカレの街

丘の石灰棚から麓を眺めるとパムッカレの街が展開されている.モスクのミナレットがトルコらしさを漂わせている.

パムッカレとは『綿の城』の意,或いは『白い城』と記されたサイトも見た.前者によればこの辺りは良質の綿花の生産地であったことに由来するそうだ.現在も綿は作られているかも知れないが,さほど多いようには見えない.後者は文字通り石灰棚が白いからであろう.

なお石灰棚は,先ず降った弱酸性雨水が石灰岩中に浸透し,石灰を溶解した地下水を作り,その地下水が温泉として地表に湧き出て,石灰が沈殿して白い石灰棚が作られる,ということだ.そんな訳で温泉も近くに在る筈で,今夜は,写真のパムッカレの街の温泉付きホテルに宿泊予定だ.


下は,パムッカレ石灰棚の写真

パムッカレ石灰棚での眺め
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ヒエラポリスHierapolis

ヒエラポリスの歴史

さてパムッカレ石灰棚の横にはヒエラポリスが見えている.ヒエラポリスに関わる大雑把な歴史の位置付けは下図のような感じである.

ヒエラポリスに関わる歴史年表

ヒエラポリスに関わる歴史年表


ヒエラポリスはローマ帝国によって大規模な温泉保養地として築かれ,栄えたそうである.ただ二度ほど大きな地震に見舞われ,最終的にはセルジューク朝によって壊滅させられたようだ.


ヒエラポリス入り口

ヒエラポリス入り口

ヒエラポリスとは『聖なる都市』という意だそうで,アポロ神殿始め,ローマ帝国の定番円形劇場,大浴場図書館,体育館....等々備えられていたようだ.当時の温泉は現在も湯治プールなどに活用されているそうだ.

ヒエラポリスの構造物の大半はこの写真の門のように茶色の石で築かれているようだ.少なくとも大理石はないようだが,石灰棚の元となったという石灰石なのであろうか?いや石灰石ならもっと白いのかな~?


ヒエラポリスの円形劇場

円形劇場

かなり崩れかけているが茶色い円形劇場が見えた.大理石と比べて柔らかいようで,加工し易かったと思われるが,一方雨にも侵食され易いようでもある.日本ではまだ弥生の頃と思えば,まあすごいものだ.

また今回は詳しく見なかったが極めて大規模なネクロポリス(墓地)も奥の方に広がっている.墳墓一つ一つも大きなもので,やはり『聖なる都市』らしい感じだ.


下は,ヒエラポリスの写真

ヒエラポリスでの眺め
ヒエラポリスでの眺め ヒエラポリスでの眺め ヒエラポリスでの眺め ヒエラポリスでの眺め ヒエラポリスでの眺め
ヒエラポリスでの眺め ヒエラポリスでの眺め ヒエラポリスでの眺め ヒエラポリスでの眺め ヒエラポリスでの眺め

パムッカレの温泉Hotsprings at Pamukkale

パムッカレの温泉PAM Thermal hotel

パムッカレの温泉PAM Thermal hotel

5/12(土)泊まったホテルはその名もPAM Thermal hotelと,温泉を売りにしている.写真中央,湯気のある辺りに源泉の吹き出し口があって,断続的にブシュッ,ブシュッと湯が吹き出ている.

吹き出た湯はかなり高温で,薄めて屋内のプールと屋外のプールに回されている.屋内の水温はちょうど良い温度だったが,一部底には温泉成分が堆積し少し気持ち悪い.薬効はあるらしいが.

屋外は2つに分かれ,写真の青い部分は水温はともかく外気がかなり寒く,入るのは躊躇われた.その奥に茶色いプールがあり,こちらは水温が高めのため入ってパシャパシャしてみた.久しぶりだった.


パムッカレの街

パムッカレの街

朝パムッカレの街を望むと,その先には雪を抱いた山がクリアに見えていた.2000m以上あろう.昨日の午後は芳しくなかったが今日は晴れるかな?

パムッカレの街には大きな銀色ドームのモスクが二つも見える.どちらも比較的新しいようだ.政教分離のトルコでもイスラム勢力が増大しつつあるとの話も聞くので,モスクも増えているのかも知れない.


下は,パムッカレの温泉での写真

パムッカレの温泉での写真
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パムッカレからは再びエーゲ海方面,クサントス,シデに向かう.



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