このクラクフ編では,ワルシャワ駅から列車でクラクフへ行くとき,クラクフの街,バベル城,中央市場広場,聖マリア教会,バルバカンなどを見物したときの写真を載せました.
ポーランドのクラクフはマーカー10の辺り,スロバキア近くに位置している.『クラクフ歴史地区』として世界遺産登録されている.ワルシャワを含め,ポーランドの都市は二次世界大戦で壊滅的な被害を被ったが,ここはドイツ軍司令部が置かれ,免れたようだ.
クラクフの現人口は76万人くらいで,17世紀初頭にワルシャワに遷都するまではクラクフがポーランド王国の首都であったそうだ.現在もポーランドの工業,文化の主要な中心地であるそうだ.
別窓で大きなGoogleマップを開く2014/4/17昼ごろ,私たちはワルシャワ駅地階にある2番ホームで,12:22発クラクフ行きに乗った.
クラクフ行きは電気機関車で客車をけん引するタイプの列車だった.少しブレて撮れてしまった.欧州は車両ごとにモーターを持つ電車タイプより機関車タイプが多いようだ.
二等車は,3人ずつ対面の6人掛けコンパートメント形式,全席座席指定だ.ただ指定券が無くても乗車が可能だそうで,コンパートメント脇の通路や,連結器近くのドア前に陣取っている客もいる.
クラクフまでは320km,3時間少しと結構長い.私たちは乗車に先立って渡されたお弁当を広げて頂戴した.クラクフまで320kmもあるのに,途中には殆ど駅がない.ワルシャワ郊外程度の場所で2,3回停まったようだった.ということで,時速は100km/hくらいとなろう.ゆっくりだ.
ワルシャワ郊外までは住宅が多いが,以降は主に畑などの農業地帯になる.山とかはなく,精々写真のような丘程度で,畑作が可能なようだ.320km間眺めたに過ぎないが,ポーランドは作付可能面積が広いな~と感じられる.
何と言っても列車は外も見えるし,乗り心地もいいし,なぜかまた旅情をかき立ててくれるのでいい.
同室の皆さんと止めどもなく無駄話に花を咲かせているうちにクラクフ到着した.楽しいコンパートメントは団体旅行ならではのメリットだ.出発は多少遅れていたのに,途中リカバリーしたようで,定刻の15:33には到着した.
下は,列車でクラクフへ行くときの写真
クラクフ駅前にはショッピングモールのあるモダンな建物があった.その前にあるこの赤い車は何だ?赤いからには消防署のはしご車か?それにキャタピラーだ.でもここが消防署なら普通のポンプ車もあるだろうに....と興味が尽きない.
ちょっとクラシックな雰囲気の建物が並んでいる.さほど古いとは限らないが,私には中世を彷彿させる.特に左の塔のある建物などそうだ.
クラクフの街にもトラムが活躍している.きっとバスより定時運行性は高いと思われる.
下は,クラクフの街での写真
クラクフ旧市街南の外れくらい,ヴィスワ川(Wisla river)沿いにそびえる丘にバベル城(Wawel Castle)があった.敷地内には大聖堂と王宮が接して建てられている.その前には広い庭が設けられ,緑がとても鮮やかだ.
バベル城の丘から眼下にヴィスワ川(Wisla river)を望むことができる.結構大きな川だ.ポーランド南部のベスキトの山脈に源を発し,ポーランド国内を大きく蛇行しながら北へと1000kmも流れ,やがてバルト海に注ぐという.
対岸,写真で真ん中辺りには通称『日本マンガ館』があるそうだ.日本美術マニアでコレクターだったポーランド人の方(故人)が収集した浮世絵,日本画,木彫り,漆器....等々展示されているそうだ.普通のマンガはないそうだ.
またこちら側の川縁には,伝説の火を噴く竜が棲み,時々噴くというので,2,3分待っていたら噴いてくれた.昔,付近の娘をさらっては食べていたそうだ.そこで賢い靴屋の弟子が,そそのかしてタールと硫黄を染み込ませた羊を食べさせたら,竜は喉が乾き,ヴィスワ川の水を飲んだ.だが飲んでも飲んでも乾きは治まらず,ついには身体が破裂してしまったとさ.そして弟子はお姫様と一緒になれたそうで,めでたしめでたし.スサノオノミコトと少し似た部分がある.
バベル大聖堂は11世紀の建立で,増改築が繰り返され、ゴシック様式,ルネサンス様式,バロック様式などの要素を加えながら幾度となく工事されてきたそうだ.
歴代のポーランド王の戴冠式が執り行われ,また国王や国の英雄の墓所があるという.
左側黒いドーム,右の金色ドーム(ジグムントチャペルと呼ばれるそうだ)とは,形は同じだが下部も含めて色が違う.ちょっと珍しいデザインだ.
旧王宮も大聖堂と同じ頃に建てられ,またゴシック,ルネサンス,バロック各様式混在するようだ.現在は王宮博物館となっており,ガイド付きで見て回った.各部屋には壁画や天井画が描かれ,また絵画,タペストリー(とても多い),調度品,宝飾品などが展示されている.
国会(に相当する)議場の天井には議員の典型的人相を表現したパネルが嵌めこまれていたり,ものすごく大きなタペストリーがあって,王が外出の折に持ち運んだとかの話も聞いた.何とまあ,あんな大きなものを.....
ただここは撮影不可で,記憶はかなり曖昧だ.
城内には,シルエットになったがヨハネパウロ2世像(第264代ローマ教皇:在位1978~2005年)のブロンズ像があった.最近立てられたようだ.ヨハネパウロ2世はポーランド出身で,そのお人柄から大変尊敬を集めているという.実際あちこちで絵葉書,イコンのようなパネル,レリーフ,ペンダントなど売られたり,飾られている.
ここでも像の前で写真を撮る人が順番待ちしていた.
私たちは城の裏側にある坂道を下って王宮を去った.王宮の出口近くにはタデウシュコシチュシュコ(Tadeusz Kosciuszko:1746~1817年)の騎馬像があった.ポーランドリトアニア共和国の将軍にして政治家,またアメリカ合衆国の軍人だったそうだ.1794年のプロイセン,ロシアに対する蜂起の指導者としてポーランドとリトアニアでは国民的英雄であるそうだ.
英雄なので.上述のバベル大聖堂地下の墓所に埋葬されているという.
下は,バベル城での写真
次にバベル城を出て,旧市街を歩き中央市場広場へと歩いた.もろに中世の街並みやカフェやレストランの多い小路が楽しい.
バベル城を出てから旧市街を歩き中央市場広場へ向かう途中いくつかのキリスト教会があった.
17世紀イエズス会建立という聖ペテロ&パウロ教会(Church of St. Peter and St. Paul Krakow)はいかにもバロック風外観だ,ヴィリニュスでも同じ名があった筈だ.教会前の道沿いにはキリストの12使徒の像が並んでいる.以前既に見せて貰ったヴィリニュス聖ペテロ&パウロ教会とは,少なくとも外観は随分と違うものだ.
次に見えたのが聖アンドリュース教会(St. Andrew's Church).11世紀末には既に建てられていたという歴史ある教会.現在はロマネスク様式.
トラム通りに建つのがいかにもゴシック様式のドミニカン教会.修道院も併設され,13世紀に異教徒寺院の跡に建てられたそうだ.
中央は旧市庁舎の塔で,13世紀末市庁舎と一緒に建てられたが,庁舎は1820年に取り壊され,この塔だけが残ったそうだ.
右側は織物会館(織物取引所)だった建物で,現在は広い通路の両側に宝飾やおみやげ店が営業している.
これら旧市庁舎の塔と織物会館を取り囲む一帯が広い中央市場広場となっており,建設された頃より交易の中心として,プラハやウィーンと並び栄えてきたそうだ.現在は大規模なショッピングセンターが他所に建設され,ここはお土産など小さな露店やファストフード店程度でビジネス的にはもち論大したことはなかろう.それでも市民の憩いの場で,周囲のレストランは繁盛し,また観光客もとても多く,間接的ながらやはりクラクフの中心であろう.
広場西側は主に露店の並ぶ市場になっている.野菜や食肉,鮮魚といった食料品,また衣料品とかは比較的少なく,おみやげ,工芸品,食器,装飾品....などが目立つ.なので典型的市場,バザール,スーク....といった雰囲気とはちょっと違う.
この日2014/4/18(金)は,イースター(復活祭,2日後の日曜日)の聖金曜日(Good Friday)だった.クリスチャンにとってイースターはクリスマスと並んで最も大切な日とされる.
そのイースターの慣わしに使われるバスケット,色付きのイースターエッグ,ウサギの飾り,ネコヤナギらしき小枝...があちこちのショップで売られている.
元々はリトアニア人家系ながら,ポーランド語で記したことからポーランドでは『国民的詩人』として評価されるというアダムミツキェヴィチ(Adam Bernard Mickiewicz)という人の銅像などあり,散歩を楽しむ人の姿が多い.なお,この詩人はやはりバベル大聖堂に埋葬されたという.
東側背後には有名な聖マリア教会があり,この後訪れる.
下は,中央市場広場と周辺での写真
中央市場広場東に建つ聖マリア教会(Church of the Virgin Mary Krakow)を見せてもらう.
1222年建立というレンガ構造ゴシック様式の教会.左右不揃いの高い塔はレンガ造りでは最も高い方だという.
ここから見て左側の塔が,下で述べるラッパが吹かれる塔だ.ただしラッパの窓は左側面に回った方がよく見える.
先ず大勢の人たちは私たちと同じ観光客だ.なかなか人気の教会なのであろう,ぎっしりと入っている.
全体的に見て,ふんだんに彫刻が嵌め込まれ,金色や青,黄色などで彩色され,またステンドグラスの窓など,とてもきらびやかだ.彫刻は木彫りで金箔が貼られたものが多いようだ.
特に礼拝堂最奥の聖壇は見事だ.観音開きのような構造の衝立(Altarpiece)は高さ13mと巨大で,15世紀ヴィトストフォシュ(Veit Stoss)という人の作で,聖母マリア被昇天の様子を表現しているそうだ.これもゴシック様式に分類されるという.
聖マリア教会の天井は随分と高い.ちょっと輝く星空のように模様が描かれている.後ろ側はパイプオルガンが据えられ,これはカトリック教会の一般的な造りだ.
聖マリア教会背面に回ると黒い星形の展望台(監視台)の付いた塔が見える.ここの窓から正時毎にラッパが鳴るというので待つ.そして12:00,果たして白く縁取られた上の窓が開いて鳴り響き,そして突然途絶えた.これはラッパ吹きがメロディを吹き終えないうちに,モンゴル兵に斬り殺された(敵の矢に当たったという説もある)という故事に因むそうだ.105mmのレンズではちょっとラッパがはっきり見えない....
発端は中世モンゴル軍の襲来を告げるのが始まりだったが,そのうち時報になり,近年は観光客に人気で1時間毎に鳴らすようにして,サービス向上しているということだ.
下は,聖マリア教会での写真
聖マリア教会の後は北に歩いた.途中歩行者の多い,活気ある通りだ.聖フロリアン通りと言うそうだ.そしてこの聖フロリアンの門(St. Florian's Gate)にやって来た.クラクフ旧市街の城壁に設けられた北の門だったそうだ.
なお19世紀初頭,城壁の腐敗が進み,時のオーストリア皇帝フランツ一世(Franz I)の命で取り壊しが始まったそうだ.だがさる知識人の熱心な説得で,一部は保存されることになったそうだ.そして保存された門にはポーランドやオーストリアの守護聖人聖フロリアン(St. Florian's Gate)の名を冠することになったそうである.
門には鎧姿の像が掲げられているが,この人が守護聖人聖フロリアンであろうか?
残っているクラクフ城壁は僅かこの辺りだけだそうだ.石とレンガで作られているようだ.これまで見てきたタリンやリガの城壁と比べると高さは高くないし,監視塔も低いような.....でも,城壁は当時6~7mの高さで,監視塔は50箇所もあったそうだ.多分それで遥か遠路襲来したモンゴル軍やオスマン軍を防御したのであろう.
平和となった今,アーチストがこの城壁に作品を掲げ展示する光景は実にすばらしい.
フロリアンスカ門の先,つまりクラクフ城外にあるバルバカン(Barbakan/Barbican)と呼ばれる要塞.ゲートを有する橋のような形態の砦で,辞書を見たら楼門,橋楼,外塁などと出ていた.ここは1498年竣工のレンガ造りで,上方に並ぶ窓は銃眼であろうか.
やはり城壁の外側に位置しているのが気に掛かる.ここに務める兵士は言わば決死隊のような役目であったのか?
なお近々ワルシャワ歴史地区でも,そちらのバルバカンを見ることになっている.
バルバカン近くは緑地帯となっている.新芽が実に鮮やかだ.春の色だ.
バルバカンの外,つまり新市街になると思うが,大きな通りになっている.道の両側には大きなオフィスなどが多いように見える.ブロンズ像が見えるが,確かポーランドの英雄だったか...?
私たちはここでバスを待った.そして程なく到着し,乗り込んだ.
下は,バルバカン辺りでの写真
バルバカンからバスで新市街のレストランに行った.中世風ムードのレストランだ.イースターフライデーなので肉はなし,ということで魚料理,どんなのだったか...であった.
食事の後はヴィエリチカに行く.