このヴィリニュス編では,リトアニアの首都ヴィリニュスで,ゲディミナス城と3つの十字架の丘,聖ペテロ&パウロ教会,ヴィリニュス大聖堂,ヴィリニュス大学などを見物したときの写真を載せました.
リトアニアの首都ヴィリニュスはマーカー6に位置している.ベラルーシ国境に近い.『ヴィリニュス歴史地区』は世界遺産に登録されている.
人口はおよそ54万人で,リトアニア人58%,ポーランド人19%,ロシア人14%,他ベラルーシ,ウクライナ,ユダヤ人などだそうで,リトアニア全土とくらべてリトアニア人比率が低いそうだ.
別窓で大きなGoogleマップを開く2014/4/15朝,私たちは郊外のメリディアンヴィリニュスホテルからバスでヴィリニュス旧市街へと向かった.郊外は一般的な近代建築で,会社や,ショッピングモール,集合住宅等々並んでいる.
都心に向かうバスの停留所では,通勤客が並ぶ様子も見える.
13世紀,時のリトアニア大公国の君主ゲディミナス大公(Gediminas:1275~1341年)がこの丘に築城を始め,丘の麓の城(下の城:現在修復中)も含めて16世紀頃に完成したようだ.写真右側,リトアニア国旗がたなびくのは,ゲディミナス塔(Gediminas' Tower)で,城壁一部として建てられた監視塔だったようだ.丘がベースで高いので,監視には好都合であった筈だ.
手前を流れるはネリス川(Neris)で,旧市街にはもう一つのヴィルナ川(Vilnia River)が流れている.ヴィリニュスの名称は,2つの川を合わせたような感じであるが,実際それが語源のようだ.
ゲディミナス城周辺は緑地公園になっている.樹木も豊かで,いい公園だ.
ゲディミナス城の丘近くの丘に立つ白い三つの十字架.17世紀初頭,布教のためヴィリニュスに来ていたフランチェスコ会修道士三人が,異教徒に磔にされ,その死を悼み当初木製十字架が建てられたのが始まりだそうだ.後に改修や撤去を経て,やがてコンクリート製となったが,旧ソ連時代に破壊された.そして1989年に復元され,現在の姿になったそうだ.
前日訪れた十字架の丘もそうであったが,ソビエト支配時代には破壊され,独立を回復してようやく丘も元の状態に戻せた訳だ.
旧市街の北東に位置している聖ペテロ&パウロ教会にやってきた.カトリック教会であろう.1668年,ロシアからの解放を記念して建設が始められ,ヴィリニュスを代表するバロック様式で,外装に7年,内装には主に名の知られたイタリア人彫刻家が当たり,30年もの工期を要したそうだ.
建立資金を出したのは当時の将軍パツァス公(Pacas)という人物で,自らの墓廟をここに設けるのも目的とされたようだ.
聖ペテロはイエスキリストの一番弟子格.ペテロの別音はピエトロ,聖ペテロはサンピエトロで,バチカンのペテロの墓の上にサンピエトロ寺院が建てられているそうだ.片や聖パウロは12使徒ではなく,当初ユダヤ教徒であったが,『目から鱗が落ちて』キリスト教に改宗.以来布教で多大な成果を上げたのだそうだ.
中に入れてもらうと,真っ白,な印象だ.夥しい数の白い彫刻で壁や柱,天井が埋められている.合わせて2000体以上になるそうだ.モチーフは天使や聖人,聖書や神話からが多いそうだ.油絵や有彩色の彫刻は数が少ないが,キリストや聖母マリア,聖人などが見える.素材は石灰岩を粉にした漆喰なのだそうだが,随分滑らかな表面に仕上がるものだ.
ドームや壁の所々には窓が設けられ,白い彫刻がよく見えるようになっている.まあバロックと言えばこうした過剰ともとれるような装飾手法なのであろう.音楽の場合,バッハなどその代表と思うが,やはり装飾的と言える一面があろう.
入り口真上のパイプオルガンが真っ白なのも,明らかな拘りが感じられる.写真右側,装飾が施された曲面から成る説教台とその天蓋,その上の有翼天使(大天使か)など,実に優美で,見事だと思う.
帆船が真ん中に吊り下げられていた.首を傾げた船首で,全体が水鳥のようなフォルムでワイヤーで組まれているのがいい.ちゃんとアンカーとラダーも備えている.聖ペテロが元々漁夫であったことに因むらしい.
下は,聖ペテロ&パウロ教会での写真
きっと市バスであろう,聖ペテロ&パウロ教会前ではタンデムバスが走っていた.二両で一人なので運転手が少なくて済むのであろうが,負担は大きそうだ.日本であまり運行されないのは道幅が十分でないためだろうか?
聖ペテロ&パウロ教会を本の少し先を行くと石畳の通りになる.教会辺りが旧市街かどうか微妙な場所だが,この辺りまで来ると石畳で旧市街っぽさが濃厚になる.
通りには統一された装備とカラーのレンタサイクルが停車している.石畳ではガタガタするであろうが,それでも太い輪っぱのマウンテンバイクであろうから結構似合うと思う.
ギリシャ神殿のような大聖堂だが,以前ブエノスアイレスの大聖堂がやはりこんな風でびっくりした経験があり,今回は『おーっ』程度で済んだ.
それよりその前の,完全に別棟で建つ鐘楼のデカさに驚く.高さは53mとこれまで見てきたリガの鐘楼とかと比べると大した高さではないのだが,これまた非教会風で,また著しく太いデザインが印象的だ.
さてその歴史であるが,1251年,リトアニア大公国の初代王ミンダウガス公がドイツ十字軍騎士団の圧力に屈し,恭順の意を示すためにロマネスク様式で建てられたということだ.ただ公が暗殺されると,またキリスト教も捨てられ,以前の自然崇拝に戻ったりするのだが,1387年,ヨガイラ公の時代になると再びキリスト教に改宗され,本教会も再建されたそうだ.そして現在のギリシャ風になったのは,18世紀の大改築のときだという.
ヴィリニュス大聖堂広場には,上述の丘に初めて城を築いたゲディミナス大公の像があった.足元には,大公の夢に現れたという鎧の狼が吠えている....だったか?
ゲディミナス大公はリトアニア大公国の実質的な創始者とされるようだ.
大聖堂の前にSTEBUKLASのプレートが埋め込まれている.奇蹟という意味らしい.カトリックでは特に重大な意味を含む奇跡であろう.この上で時計回りに(いや反対だったか?)一回廻り(三回ではないです,とガイドさん)しながら願掛けすると,それが叶うそうだ.疑り深いカナジーは,そんな簡単に....と,試さなかった.似たような話はミラノ辺りでもあったように思う.
さて,このSTEBUKLASのプレートは願掛けより,1989年8月29日,当時ソ連統治下にあったバルト三国(リトアニア,ラトビア,エストニア)が独立運動の一環として行った『人間の鎖』の起点となった場所として知られているそうだ.三カ国で200万人,三国人口の約半数が参加して手を繋ぎ,エストニア首都タリンまで600kmの鎖になったそうだ.三国はそれぞれ異なる民族と文化の国だが,三国のソ連併合を認めた独ソ不可侵条約が共通にのしかかっており,この日はその秘密議定書締結50周年だったという.つまり三国ともソ連統治からの開放を国際社会に訴えるために行われたわけだ.開放はソ連崩壊,他の東欧諸国開放などと相前後して実現することになった.
ここは大聖堂近く,低い並木の歩道を併設した通りに沿い,3,4階建てに抑えられたクラシックな建物が並ぶ.なかなかいい佇まいの街だ.
こちらもィリニュス大聖堂近くに建っている,リトアニア大統領官邸.リトアニア国旗にEU旗,それと一番上はリトアニア紋章旗で,ここで執務で滞在中のときは掲げられているようだ.
そのリトアニア紋章旗の絵柄は,どうやら壁に貼られた白い騎士の紋章と同じようである.
21世紀の今,これまた随分中世的ロゴだな~と思ったら,実はとんでもなく長い歴史のある建物だった.既に16世紀頃はヴィリニュス司教の住居(そのため大聖堂間近)で,18世紀にロシア帝国に支配された際はヴィリニュス総督の宮殿....と変わり,リトアニア独立後は大統領官邸になったという.かつてロシア皇帝アレクサンドル1世,フランス王ルイ18世,ナポレオンなどが訪問した記録があるようだ.
で,リトアニアの紋章であるが,現デザインは1918年制定とさほど古くない.しかし,白い騎士の基本要素部分は昔のリトアニア大公国の紋章そのままで,やはり歴史があるのだ.リトアニア大公国最盛期であった15世紀の版図を見ると圧倒的に広大だ.現在のリトアニア,ベラルーシ,ウクライナ,ロシアの南西端,ポーランドの東端を少しカバーし,バルト海から黒海まで続いていた.現リトアニア面積に優に10倍は超えるであろう.世が世であれば,我がリトアニアも欧州の大国で.....と,その次代の紋章にあやかったか,な?
下は,ヴィリニュス大聖堂と近所での写真
狭いキャンパスに歴史ありそうな講堂が建っている.実際1579年創立で,中欧の大学では非常に古い一つだそうだ.人文系から,社会科学,自然科学,医学系....を擁するリトアニア一の総合大学のようだ.1700年以降,ロシア帝国の統治下であったヴィリニュスで反露運動の本拠となり,そのため大学は一世紀もの間ロシアに封鎖された歴史もあるそうだ.
後方の尖塔は聖ヨハネ教会の鐘楼なのだそうだが,大学の一部は同教会地域内に置かれている,つまり借地か?ということだ.
作られたのは最近であるが,古い感じの絵柄レリーフの黄銅(多分)製ドア.道路に面したヴィリニュス大学図書館入り口で,実に重厚,換言すれば入るのが躊躇されるような雰囲気だ.マルティーナスマジュヴィーダスと云う方がリトアニア語で記した最古の本が所蔵されているという.
ところでそのリトアニア語はインドヨーロッパ語族バルト語派で,ラトビア語とは最も近い親戚関係という.しかしエストニア語は全く異なるアジア系で,このことは他ページでも触れた.そして標記は基本的にはラテン文字で,各種発音区分のマーク(diacritical mark)が付いている.マルティーナスマジュヴィーダスの本はきっとこの文字のリトアニア語で書かれたのでしょう.
ヴィリニュス大学近くは石畳の狭い通りが味わい深い.
写真のレンガの建物はとても古く,途中で改築されたのだが,壁の白い部分はオリジナルの窓のあった跡を示している.....と添乗Sさんが話してくれたような....
ヴィリニュス歴史地区は世界遺産登録されているし,今後の街整備も極力昔の状態を維持して行われていくだろう.
下は,ヴィリニュス大学界隈での写真
焼き物の破片を嵌め込んだのはカフェの外壁.なかなか洒落ているが,落書きが書き加えられたのは惜しい.ヴィリニュスは落書きの目立つ街だ.こうした焼き物破片のリユースはフエ(ベトナム)のグエン朝第12代皇帝カイディン帝廟でも見かけたことを思い出した.