このヴィエリチカ編では,2014/4/17午後クラクフからバスでヴィエリチカへ行くとき,ヴィエリチカ岩塩坑,そしてクラクフに戻るときの写真を載せました.
ポーランドのヴィエリチカはマーカー11の辺りに位置している.700年続いた岩塩の採掘坑は,『ヴィエリチカとボフニアの王立ヴィエリチカ岩塩坑群』として世界遺産登録されている.
別窓で大きなGoogleマップを開くバスはヴィエリチカへ向け出発し,クラクフ郊外に出た.
雲行きがちょっと怪しくなってきたかな~
20分くらい走ったと思ったらヴィエリチカの駐車場に到着した.駐車場はどうやらヴィエリチカの駅の前のようで古めかしい,京浜急行のような電車が停まっていた.
駐車場から岩塩坑入り口に歩いた.道の脇にお土産屋さんのブースが並び,あ~ここも結構な観光地なんだな~と認識する.1978年という早い時点でユネスコ世界遺産登録された歴史ある岩塩坑であるし,実際年間100万人以上訪れるという.
下は,ヴィエリチカへ行くときの写真
岩塩坑を見るために先ずはこの建物に設置されたエレベーターで下る.建物屋根の塔はエレベーター巻き上げ機のためのスペースだ.
エレベーターは随分変わったタイプで,籠が4階建てになっていて,一度に一つの籠の定員の4倍の客を60mくらい下まで運べる.このエレベータは照明が全くなく,途中では完全に暗黒になる.いかにも坑道用と実感できる仕組みだ.多分坑夫が実際使っていた時代のものであろう.実際商業採掘が中止されたのは1996年とのことで,世界遺産登録の1978年より大分後,それほど昔のことではない.
坑道は太い丸太,或いは場所によって板材などで周りを覆っている.落盤事故を未然に防ぐためだ.
全部の坑道は最深327mで9層に分かれ,総延長は300kmに達するそうで,その中の地下3層までの3.5kmが観光客向けに開放されているという.
ツルハシなどで掘削した岩塩を深い位置から上げるためにロープに取り付けたバケットに入れ,立坑から引き上げた.バケットを上げ下げするロープは2個のプーリーで水平に変換され,垂直軸周りに回転するキャプスタンに巻きつけられ,キャプスタンの4つのハンドルを4人で回して動かしたようだ.
↑人力リフトのキャプスタン | ↑人力リフトの垂直変換プーリー |
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上の人力リフトと同じだが,馬が動力源なのでとても大型で高速(キャプスタンの直径比で一目瞭然).一度に大量の岩塩を汲み上げたそうだ.なお,坑夫は毎日仕事が終わると地上に引き上げて,休んだが,馬は一度地下に入ると,地上に上がることなく生涯地下の厩舎に留まったそうだ.
↑馬力リフトのキャプスタン | ↑馬力リフトの垂直変換プーリー |
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坑夫の中には芸術的才能に長けていた人もいたそうだ.そんな人たちは岩塩を削り出して,色々な立体像或いはレリーフを造り,作品が坑内のあちこちに置かれている.
この写真の彫刻群は,本岩塩坑の発見者にして,また守護神であるキンガ姫の物語りを彫刻で表現したものだそうだ.
ハンガリー王家に生まれたキンガ姫(Kinga:1224年~1292年)は,政略結婚が決まり,ポーランド王ボレスワフ5世(Boleslaw V:在位1243~1279年)から結婚指輪が贈られた.しかし姫は気が進まず,指輪を泉に捨ててしまった.ただ,お国の安定のため,考え直しポーランドに嫁ぐことを決意した.ヴィエリチカの地にまで来たとき,お付の者に『ここに井戸を掘りなはれ』と命じたそうだ.そして地面を掘り進むと,な,何と!以前捨てた指輪と,それに岩塩が出てきたそうな(彫刻はそのシーンだ).当時塩は大変貴重で,これ以降ポーランドの財政は潤い,国民の生活向上に資することができたそうだ.最盛期には,ポーランド王国の財源の1/3を生み出していたということだ.
さらにキンガ姫は貧者や病人を助け,王が死去した後は修道院に入り,没した後は,1690年に列福され福者となり,さらに1999年に教皇ヨハネパウロ2世によって列聖され,カトリックの聖人となった.またポーランドとリトアニアの守護聖人でもあり,なので現在は聖キンガ(St. Kinga)となっているのだそうだ.
最初聞いた時はず~っと昔の神話かと思っていたが,割りと最近の史実に基づく部分もあり驚いた.カトリックの聖人なので指輪と塩の発見部分は奇跡に相当するのかも知れない.
岩塩坑坑内ではしばしばメタンなど可燃性ガスが発生するという.知らないで放っておくと,大量に溜まり掘削時に発生する火花で爆発することがあるそうで,実際に幾度もあったそうだ.
可燃性ガスの多くは大気より比重が小さく,坑内の天井に徐々に溜まっていくそうだ.そこで大量に溜まる前に,手で持った松明で,天井をスキャンし,微量のうちにガスを燃やしてしまう作業を常時行っていたそうだ.写真はその様子.
全部岩塩の内部に大きな水溜りができたようなものか.当然塩分濃度は高く,周囲温度(気温)は常に14℃であり,飽和濃度は26%くらいらしい.
ところでこの岩塩層は,キンガ姫より20000倍ほど太古の今から2000万年前,この周辺は海だったそうだ.そして地殻変動が起こり,陸地に囲まれた大きな塩の湖ができて,やがてその水分が蒸発しNaClだけが残り,巨大な岩塩層になった,ということだ.
天井高さが10m,奥行き54m,幅16mというかなり広い地下礼拝堂.敬虔なキリスト教徒坑夫が,守護神である聖キンガを祀るため作り上げたそうだ.
シャンデリアや壁のレリーフ,床や壁,全て塩でできている.下はそんな作品の一部.
床のタイルに使われているので驚いたのだが,NaCl結晶(岩塩)のモース硬度は2~2.5くらいで,石膏やマグネシウム,銀,瑚珀辺りと同程度らしい.固くはないが,人が歩く道であればさほど摩耗を気にせず使用できるということなのであろう.またついでに融点も見ると,800℃とかなり高いのでこれもびっくりした.
下は,ヴィエリチカ岩塩坑での写真
ヴィエリチカ岩塩坑は危険もあるし,重労働なので坑夫の給料は高かったそうだ.日本では例えば佐渡金山など,罪人の強制労働があったとされるので,気になって,ここの専任ガイドさんに訊いてみた.すると『そのようなことはなく,皆普通の賃金労働者だった』との答えで,安心した.
全部見物し,例の4階建エレベータで地上に戻った.そこには食卓塩などヴィエリチカ岩塩坑関連品や,書籍,また人気の高いヨハネパウロ二世の肖像画など並べたショップがあった.
ショップを出て,庭を見渡すと,あれほど混み合っていた庭はひっそりしていた.皆見物を終えて帰っていったようだ.午後7時くらいなのでまあ当然であろうが.
ヴィエリチカ岩塩坑を離れ,レストランに行った.ベーコンとチーズのサラダという,朝の食事のようなものが面白い.メインディッシュがこれまたビエロギと呼ばれるポーランド餃子で,面白い.またいつものことながらビールはなかなか美味しい.
夕食後,バスはショパンホテル(Hotel Chopin)に行き,チェックイン.写真の部屋に落ち着きこの日はこれでおしまい.
------ ここから2014/4/18(金) ------
このホテルで一夜が明け,4/18(金)になった.イースターのグッドフライデーだ.そして表に出てみた.今日もいい天気だ,ありがたい.ショパンホテルは少し郊外にあるが,作りは所謂ビジネスホテルタイプだ.偉人のあやかり名称は凄いが....
お向かいも完全新市街,若しくは郊外タイプの近代ビルだ.中世風が普通なクラクフでは寧ろ珍しいかも知れない.ちょっといい過ぎか.
そしてショパンホテルのレストランに入る.テーブルには可愛いイースターバスケットが載せられていた.お皿には多分ハムやチーズ,トマト,....ヨーグルト辺りを装って,バスケットを眺めながら食べたであろう.とてもそこまで覚えてはいないが.
↑ショパンホテルレストラン | ↑イースターバスケット |
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朝食の後,ロビー片隅の売店を通った.両替も行い,日本円のレートも書いてある.さらに『No Commission』と書かれているのにもっと驚く.でも最初から売買のレート差に盛り込んでるのでは...と勘ぐってしまう..