ジェラゾヴァヴォラZelazowa Wola

このジェラゾヴァヴォラ編では,2014/4/19(土)午後,チェンストホーバからジェラゾヴァヴォラへ移動するときの風景,ショパン博物館(ショパンの生家),ワルシャワへ戻るときの風景の写真を載せました.


ジェラゾヴァヴォラ付近のGoogleマップ

ポーランドのジェラゾヴァヴォラはマーカー15辺りに位置している.

ワルシャワから西へ54kmにある地で,ショパンの生まれたところとして知られる.私たちも専らショパン所縁の地として訪ねた.

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チェンストホーバを離れる

チェンストホーバを離れる

ヤスナグラ修道院のチェンストホーバから再びバスに乗り,ジェラゾヴァヴォラへと向かった.


専用軌道もあるトラム

専用軌道もあるトラム

さてこの街はどこだったか.トラムの軌道は一般車両の道路とは別の専用路が設けてある.土地が確保できればこの方が安全でスピードも確保できるであろう.ドアの位置が十分低いなど,トラムの特徴は保たれているようであるし.

背後の集合住宅は日本のそれと似た雰囲気に見えますね~


盛大な落書き

電車や建物にまあ,盛大な落書きが見える.ヨーロッパらしい文化の一コマだ.

電車の落書き建物の落書き
↑電車の落書き↑建物の落書き

ジェラゾヴァヴォラへの途中の松林

途中の松林

松にしては細長いようにも思うが,木肌はやはり松のようで,陽に照らされ美しい.


菜の花畑か

菜の花畑か

一面黄色で埋め尽くされた畑はやはり菜の花であろうか.


ウインドファーム

ウインドファーム

少し丘となり風の通りが良さそうな場所に風車群が見える.小規模なようであるがウインドファームであろう.

EU加盟国のポーランドは,2020年までに20%を再生可能エネルギーとする目標を目指す必要があるのだが,風力発電はその手段の一つだそうだ.他にバイオガス,バイオマス発電,熱電併給,太陽熱,地熱利用など検討されているという.

ポーランドは元々石炭の産出が豊富で,それを用いた発電が発電量の96%も占めるそうだ.その分やはり排出ガスの問題が大きい訳だ.問題改善のため原子力発電建設が進められていたのだが,チェルノブイリ事故を契機に見直され,中止したそうである.ただし,将来,新しいタイプの原子炉での建設は新規に計画されているようだ.


ジェラゾヴァヴォラ途中のP&G建物

P&G

ジェラゾヴァヴォラに大分近づいた.P&G(プロクターアンドギャンブル)のロゴを掲げた大きな建物が見えた.単なる倉庫にしては随分大きいようだが,工場であろうか?


下は,ジェラゾヴァヴォラへ行くときの写真

ジェラゾヴァヴォラへ行くときの写真
ジェラゾヴァヴォラへ行くときの写真 ジェラゾヴァヴォラへ行くときの写真 ジェラゾヴァヴォラへ行くときの写真 ジェラゾヴァヴォラへ行くときの写真 ジェラゾヴァヴォラへ行くときの写真 ジェラゾヴァヴォラへ行くときの写真 ジェラゾヴァヴォラへ行くときの写真
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ショパン博物館Fryderyk Chopin Museum

ショパンの生家(現在博物館)

ショパンの生家(現在博物館)

ジェラゾヴァヴォラに着くと,広大な敷地に建つこの白い建物にやってきた.ショパンの父が家庭教師として仕えたウォンチニスキ伯爵の家だったそうだ.今から203年前の1810年3月1日,フレデリックショパン(Fryderyk Chopin:1810~1849年)はこの屋敷内の別棟で生まれたのだが,その建物自体は無くなっているそうだ.まあ細かいことは言わず,ここはショパンの生家,でいいだろう.


ショパン家の肖像

ショパン家の肖像

博物館の壁に掲げられていた.右上が父のニコラショパン(Nicholas Chopin)で,1787年に16歳でポーランドに移住してきたフランス人.フルートとヴァイオリンを演奏したそうだ.Chopinがショパンと仏語風に発音されるのはそのためだった.日本語ではやはりチョピンで,昔,『チョピンとは俺のことかとショパン言い 』というのがあった.

左上は母のユスティナ(Justyna)で,元は貴族の娘であったが,ニコラと結婚する頃は地位を失っていたそうだ.ピアノ演奏に長けていたという.

左下は姉のルドヴィカでショパンに最初にピアノを教えたそうだ.下中央は妹イザベラだそうだ.

そして右下がフレデリックショパンである.6歳にして,耳にした旋律を再現し,また新たなメロディーを作ろうとしたそうだ.そして7歳になると,ト短調と変ロ長調の2つのポロネーズを作曲したということだ.まあ,こんな風にして作曲家として歩み始めたのだが,その作曲のほとんどをピアノ独奏曲が占め,やがてピアノの詩人とも呼ばれるようになったそうだ.


幼少時のショパンが弾いた音楽の譜面

幼少時のショパンが弾いた音楽の譜面

天才ピアニストショパンがまだ幼少の折弾いた音楽の譜面だったか?(私には全く読めないので....)

ショパンは,地動説のコペルニクス(Nicolaus Copernicus:1473~1543年)(ヴィエリチカ岩塩坑で塩像があった),2つの新元素発見,2回ノーベル賞受賞のキュリー夫人(Maria Skldowska-Curie:1867~1934年)と共に,ポーランド三大偉人の一人だそうだ.たしかに首都ワルシャワの空港はフレデリックショパン空港と名付けられ,紙幣の肖像にもなっているそうだ.


ショパン博物館の庭

ショパン博物館の庭

ショパン博物館の庭はとても広い.当時の貴族とはこうした広大な屋敷を所有していたのか,と認識も新たにした.芝生に混じり野草が,桜や木蓮が花を付けていた.


ショパン博物館の記念館

ショパン博物館の記念館

ショパン博物館庭の一画に真新しい記念館(正式名不明)があり,ホール,映像室や売店,お手洗いなどを備えている

映像室ではショパンに関するスライドを見せてもらった.


ショパン博物館記念館の売店

記念館の売店

ショパン所縁のおみやげ品が販売されている.私はここで日本語解説付きCDと小さな石膏像を買った.石膏像をしげしげと眺めて,改めて顔が前後に長く,左右は扁平である西洋人の特徴を再認識した.その縦横比は著しく日本人とは違うが,若干誇張してあるかも知れない.

なお前日のグッドフライデーから明日のイースターまでは全国的にイースター休暇だそうで,お土産店やスーパーマーケットを含めて普通のお店は殆どお休みだそうだ.空港の売店も閉店していてお土産は買えないかも,ということで,幸い開店していたこのショパン売店で買っている人が幾人もいた.


下は,ショパン博物館での写真

ショパン博物館での写真
ショパン博物館での写真 ショパン博物館での写真 ショパン博物館での写真 ショパン博物館での写真 ショパン博物館での写真 ショパン博物館での写真
ショパン博物館での写真 ショパン博物館での写真 ショパン博物館での写真 ショパン博物館での写真 ショパン博物館での写真 ショパン博物館での写真

ワルシャワへ戻るget back to Warsaw

ジェラゾヴァヴォラを離れる

ジェラゾヴァヴォラを離れる

ショパン博物館を見て,バスはジェラゾヴァヴォラを離れていった.午後5時を廻り,自転車を漕ぐ人の姿は影を長くしている.いい天気の一日で,ツイていた.


ワルシャワ市内に入ってきた

ワルシャワ市内に入ってきた

2014/4/19,聖土曜日の夕刻,再びトラムの行き交うワルシャワ市内に入ってきた.明日は旧市街観光の予定で楽しみだ.


ワルシャワへ戻りヒルトンワルシャワ

ヒルトンワルシャワに到着

午後6時少し前,ワルシャワ郊外のヒルトンワルシャワに到着した.3日前のワルシャワ宿泊は,都心のメルキュールワルシャワツェントラムホテルだったので,同じではない.

大きく高い天井の玄関ホールは広々し気持ちがいい.


ヒルトンワルシャワの部屋

ヒルトンワルシャワの部屋

チェックインし,キーを貰って部屋に入る.テレビにはwelcome名前が表示され,ホテルガイダンスなどに進める.ここに限らず,ときどきあるシステムだが,テレビ番組を見たいとき煩わしい場合もある.

トンの付くホテルだけにいい部屋だった.この辺りでは必ずしも用意されていないコーヒーセットもあったし,それと次の日は25mプールも楽しめたし.

なお,今回ツアーでは一箇所バスタブのないホテルがあったが,全てのホテルでお風呂のお湯は十分に熱いのが出て,途中でぬるくなるということはなかった.


ヒルトンワルシャワでの夕食はビーフだった

夕食はビーフだった

夕食はロビー横のレストランに行った.聖土曜日なので魚かな~と思っていたらローストビーフだった.美味しかった.


下は,ワルシャワへ戻るときの写真

ワルシャワへ戻るときの写真
ワルシャワへ戻るときの写真 ワルシャワへ戻るときの写真 ワルシャワへ戻るときの写真 ワルシャワへ戻るときの写真 ワルシャワへ戻るときの写真 ワルシャワへ戻るときの写真 ワルシャワへ戻るときの写真
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