ヴィリニュス(続)Vilnius(cont.)

このヴィリニュス(続)編では,リトアニアの首都ヴィリニュスで,聖アンナ教会,ペルナルディン教会とロシア正教教会,聖ミカエル教会,夜明けの門,聖テレサ教会と聖霊教会,ヴィリニュス新市街,ヴィリニュスの杉原千畝記念碑などを見物したときの写真を載せました.


ヴィリニュス付近のGoogleマップ(拡大)

リトアニアの首都ヴィリニュスはマーカー6に位置している.ベラルーシ国境に近い.『ヴィリニュス歴史地区』は世界遺産に登録されている.

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聖アンナ教会St. Anne's Church

赤いゴシック様式の聖アンナ教会</h3>
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赤いゴシック様式の聖アンナ教会

旧市街東のこの教会の前に到着した.先ずは『赤いゴシック様式』だな~と思った.実際33種類の形のレンガを組み合わせているそうだ.

15世紀初頭,リトアニア大公国のヴィータウタス大公(在位1401~1430年)が木造建築で創建.冠した聖アンナ(Anna)はイエスの母マリアさまの母親で,カトリックでの聖人だそうだ.

1429年,一旦火災で消失し,現在のレンガ姿で再建され,右側の鐘楼などを含め,1500年に完成したそうだ.

ナポレオン一世が1812年ロシア戦役でここを訪れた際,『我が掌に載せてパリに持ち帰りたい』と言ったとか.であればかなり尊大な感じもするが....


聖アンナ教会あちこちのアングルから

正面からは独立した右手の鐘楼も望める.左側三階建の棟は,確か付属の修道院だったか?

聖アンナ教会正面聖アンナ教会前を行く親子聖アンナ教会左側面
↑聖アンナ教会正面↑聖アンナ教会前の親子↑聖アンナ教会左側面

前を行くベビーカーには双子の男の子.かわいい!

ペルナルディン教会とロシア正教教会Bernardine Church and Russian Church

ペルナルディン教会

ペルナルディン教会

聖アンナ教会の直ぐ裏手には別の教会,ペルナルディン教会(Bernardine Church)があった.何もこれ程近くに建てなくとも.....と思わぬでもない.ペルナルディン教会もまた聖アンナ教会と同じ頃に建立されたと聞けばなおさらだ.

ペルナルディン教会の正式名はフランシスコ会シトー修道会の教会 (the Church of St Francis from Assisi(Bernardine))で,15世紀半ば木造で建てられたそうだ.教会は単にお祈りのためだけでなく,防衛のためにも使われたそうだ.

現在のバロック要素とルネサンス要素が加味されたゴシック様式になったのは,16世紀前半まで遡るそうである.ソ連占領下では教会活動が禁止され,倉庫にされ,リトアニアが再独立した後,地下に潜んでいた修道士が戻ってきたという.大分前になるが,中国で文化革命の余波で仏教寺院が無残にも倉庫にされていた光景を思い出した.


ロシア正教教会

ロシア正教教会

ペルナルディン教会から少し離れてロシア正教教会が見えた.キに斜めーを加えた屋根の十字架がそれを物語っていた.ただ多分ここはさして有名ではないようで,ガイドさんの説明もあまりなかった.ただヴィリニュスにはロシア人が14%も住むということだから,日常お祈りに出かける正教会の一つなのだと思われた.

聖ミカエル教会St. Michael's Church

聖ミカエル教会

聖アンナ教会の手前に聖ミカエル教会(St. Michael's Church)があった.敷地は狭く,道路ギリギリに建てられている.リトアニア大公国首相だったレオサピエカ(Leonas Sapiega)の命で,1594年から1604年にかけて建てられたルネッサンス様式の教会だそうだ.1633年に没したレオサピエカと家族の墓は今もここに残っているようだ.1655年のコサックの襲撃などで破壊されたが,幾度か改修が繰り返された.ソ連支配下の1956年,内部には小さな建築博物館が設けられ,今もそうした状態らしいが.....内部を全く見ていないのが残念.

聖ミカエル教会の左面聖ミカエル教会の正面
↑聖ミカエル教会の左面↑聖ミカエル教会の正面

美術学校学生の作品

聖ミカエル教会の横向かいに空き地があった.壁には何でもない落書き(ヴィリニュスにはどこにもあるが)があった.近くの美術学校学生の作品だそうだ.言われないとただの落書きかと....いや言われても区別が付かないかな.

壁の落書き,ではなくアート木の菰巻き,ではなくアート
↑壁の落書き,ではなくアート↑木の菰巻き,ではなくアート

木に巻かれたパッチワークの布は虫除けの菰巻きではなく,やはり美術学校学生の作品だそうだ.ふむふむ.


アンバーミュージアム

聖ミカエル教会の斜向かいにはごく小さなアンバーミュージアムがあった.一つに虫入り瑚珀も展示されていたので興味深く眺めた.ジェラシックパークからの連想であるが.

アンバーミュージアム入り口虫入り瑚珀豪快なドアストッパー
↑アンバーミュージアム入口↑虫入り瑚珀↑豪快なドアストッパー

車輪付き石の,多分ドアストッパーが面白い.豪快だ~

夜明けの門the gate of dawn in Vilnius

高台から見たヴィリニュス旧市外

高台から見たヴィリニュス旧市外

私たちはバスでヴィリニュス旧市外の東から,西に移動した.途中の高台から旧市外を望むと,やはり教会の尖塔が目立つ.それとタリンやリガの旧市外と比べて相当面積は広いようだ.これもかつての広大なリトアニア大公国の都であった名残りであろうか.


夜明けの門の外側(南側)

夜明けの門の外側(南側)

かつて市街を囲った城壁には城門が9つあったそうだ.多分城壁そのものの多くが消滅したためであろうが,残されたのがこの夜明けの門,一つだけだそうだ.夜明けの門と呼ばれるようになったのは,比較的最近の20世紀になってからということだが,この門は南北を通過する向きで,東には向いていない.不思議だ.

門の上にはキリスト像が,一番上には白い騎士の紋章が掲げられている.既に16世紀から,敵の攻撃から街を守り,また旅行者を祝福するために宗教的要素が門の内外に設けられたそうだ.


夜明けの門の内側(北側)

夜明けの門の内側(北側)

屋根に十字架が架り,内部のチャペルには聖母マリアの肖像画(イコン)が掲げられている.外からでも近づけばガラス窓越しで覗くことができる.

ここを通る都度,祈りを捧げて行く市民の姿を見るが,実はこのマリアさまは奇跡を起こすとされ,数世紀に渡り,カトリック教徒および正教徒双方から崇拝されてきたのだそうだ.海外からの巡礼者も多く,1993年にはローマ教皇ヨハネパウロ二世も訪れ,祈りを捧げたということだ.


下は,夜明けの門付近での写真

夜明けの門付近での写真
夜明けの門付近での写真 夜明けの門付近での写真 夜明けの門付近での写真 夜明けの門付近での写真 夜明けの門付近での写真

聖テレサ教会と聖霊教会St. Teresa church and church of the holy spirit

聖テレサ教会(St. Teresa church)

聖テレサ教会

夜明けの門から入って本の少し先にあるのが聖テレサ教会(St. Teresa church).リトアニア大公国の副首相だったステーポナスパツァス(Steponas Pacas)の保護と資金で1633~1650年に建造されたそうだ.建設に当たったのは スイス生まれのConstantino Tencalla (1610~1647年)という大聖堂礼拝堂建設も担当した人物だそうだ.初期バロック様式であるが,当時主流のレンガ造りではなく,高コストの花崗岩と大理石の豪華な創りだそうだ.前述の首相レオサピエカがスポンサーだった聖ミカエル教会はレンガ造りのようであるから,資産的には副首相がより富豪であったのであろう.


聖霊教会(church of the holy spirit)

聖霊教会

聖テレサ教会のさらにまた先に聖霊教会(church of the holy spirit)が建っていた.山門(とは言わないか)の,ピンクの門の先にあるのが面白い.ロシア正教教会だそうだが,ねぎぼうずのドームもなく,典型的正教会風ではない.バロック風だそうだ.

1567年頃に教会と修道院の複合体として創建され,18世紀半ばに再建されたそうだ.内部地下室には1371年に殉教した正教会の聖人アンソニー,ジョン,ユースタティウスの聖遺体が収められているそうだ.

ところで,ここヴィリニュスにはカトリック教会,正教会,どちらも多いようだが,丁度東方教会系と西方教会系のぶつかる境界になっていたそうで,それが理由だそうだ.


木彫のギャラリー

木彫のギャラリー

リトアニアのこの辺りでは木彫の伝統が続いてきたそうだ.そんな木彫の工芸品を扱う小さなギャラリーを覗いてみた.硬いネズの木材の食器のような実用品から,トーテムポールのような素朴な人形までいろいろ並んでいた.


アンバーを用いたオブジェ

アンバーを用いたオブジェ

近くの店のショーウィンドウ.手足,背びれは色あいからしてアンバーであろう.では白いボデイは何だ?石かな~

ヴィリニュス新市街new city of Vilnius

私たちはヴィリニュス旧市外をひと通り見物すると,ランチのためバスで新市街のレストランに行った.ヴィリニュス新市街の通りは幾らか広く,特に歩道は立派だ.ただ路面は平らになっているが石製のようであるし,周囲の建築は格調を感じさせる.私には『新市街』の語感がしっくり来ない.

歩道に面して建物外壁にATMが設置されている.ヨーロッパではよく見かける方式だ.ちょうどお昼休みの時間帯のせいか,近くのオフィスから昼食で出てくる人たちで賑わっている.ひったくりや雨の多い地方ではちょっと心配な設置方式であるが,ここはまだ大丈夫なようである.

↓ヴィリニュス新市街の通り↓新市街のATMでの並び
ヴィリニュス新市街の通り新市街のATMでの並び
新市街のレストランリトアニア料理『コルドゥーナイ』
↑新市街のレストラン↑リトアニア料理『コルドゥーナイ』

私たちはステージの付いたレストランに入った.少し中国のようでもある.席に着くと程なくステージでは,中年の男性ピアニストがグランドピアノの演奏を始めてくれた.途中気を使って,日本の曲も一つ混ぜてくれた.すみませんでした.

この日の料理はリトアニア伝統料理という『コルドゥーナイ(koldunai)』.まあ,リトアニア風水餃子と言えば近いであろう.ただちょっと小粒で,その割に皮が厚い(以前シャウレイ辺りで食べたツェペリナイほど厚くはないが).名称は異なるが,同じような料理は東欧,ロシア始め,あちこちにあるようだ.カナジー的にはやはりも少し皮が薄いタイプがベターと思われた.

ヴィリニュスの杉原千畝記念碑Sugihara Monument in Vilnius

昼食後バスは次の訪問地トラカイに向けて出発した.都心から暫く走ると,真新しい大きなビルが建つエリアに入った.近くを流れているのはネリス川(Neris River)のようだ.

そして桜の花咲く芝生の広場があった.ここには,ユダヤ人に日本中継ビザを発給し,6000人ほどの命を救った杉原千畝さんの記念碑があった.記念碑は杉原さんの母校,早稲田大学が創立100年の2001年に,人道的功績を讃えて寄贈したそうだ.桜の木については,早稲田大学か或いは杉原千畝氏の奥様どちらかということだった.氏については後に訪れるカウナスでもう一度触れたい.

↓ヴィリニュス郊外新市街↓ネリス川畔
ヴィリニュス郊外新市街ネリス川畔
杉原千畝記念碑満開の桜と市民
↑杉原千畝記念碑↑満開の桜と市民

桜は関東地方より少し遅いようで,4/15のこの日辺りは満開だった.天気もまあまあで,子供連れの家族が訪れ,桜を楽しんでいた.エストニアでは杉原千畝さんは良く知られ,尊敬を集め,ヴィリニュスにはその名を冠したスギハラ通りもあると聞いた.

なお2007年5月,天皇皇后両陛下がバルト三国ご訪問の際,本記念碑にもお立ち寄りになられたそうであり,アダムクス大統領が案内と説明をされたそうだ.


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