グルジアのトビリシから空路でバクーに到着した.空港から都心のホテルに至る短い時間で,これまでの2国に比べて車が皆新しい,少なくとも外見上はイスラム圏らしい香りが希薄,といった印象を受ける.さて実際どんな国であろうか?
東にカスピ海,北にロシア,南にイラン,西にグルジアとアルメニアに接している.グルジアの首都トビリシからカスピ海に接するアゼルバイジャンの首都バクーに飛ぶ際,下を見ていると機体の北側に山がず~っと見えている.コーカサス山脈がカスピ海近くまで続いているのだ.
領土内にアゼルバイジャン人居住地に囲まれたアルメニア人が多く住むナゴルノカラバフ地方があり,ソ連解体後からアルメニアとの間で紛争状態になっており,現在も解決していない.なおアゼルバイジャンはアルメニアとイランに囲まれた飛び地も有している.
東のカスピ海はアゼルバイジャンの他に,ロシア,イラン,トルクメニスタン,カザフスタンが接している.カスピ海はどうやらペルシャ湾並みに石油が埋蔵されているらしく,自国の排他的経済水域をできるだけ大きくしようと,各国が「カスピ海は海」「いや湖」と主張しているそうである.国際法の200海里適用に絡み,大半は海,イランは湖とした方が自国に有利であるらしい.
大まかには乾燥した大草原気候となるようだ.山岳地と海に囲まれているため,地域毎に気候が変化に富み,果実や野菜は多種豊富に産出するそうだ.
訪れたのはバクー周辺だけであるが,朝起きたときは晴れていたのに,8時頃から濃い霧が急にカスピ海から真横に強く流れ込み,一瞬にして荒れた天気になったりした.いやはや.
BC6世紀頃この辺りにアゼルバイジャン人の祖先と考えられるアルバニア人の国家成立,3~5世紀キリスト教伝わるもササーン朝ペルシアの支配が及び,8世紀アラブ人に征服されイスラム教が広まり,11~15世紀セルジューク朝,モンゴル帝国などに支配され,15世紀後半イラン,サファビー朝により全アゼルバイジャンが征服され,シーア派を受容し,18~19世紀ロシア領とイラン領として南北に二分され,1918年アゼルバイジャン民主共和国樹立,1920~1936年社会主義共和国形成し,ソ連邦に加盟,1991年共和国として独立宣言.
以上のようにアゼルバイジャンはソ連崩壊後に独立したが,領内のナゴルノカラバフ自治州は同年に独立宣言,これにアルメニアが支持を表明.同州が事実上独立状態となったことにより,アゼルバイジャンは国土の16%を失い,80万人の難民を抱える状態にあるようだ.
1993年以来,元アゼルバイジャン社会主義共和国共産党書記長ヘイダルアリエフが大統領として政権を掌握,強権的な政治を行ってきたようだ.2003年に引退するも,長男のイルハムアリエフを後継者に指名し大統領選挙に勝利し,権力の世襲委譲が果たされたそうである.確かに通りのあちこちには,大統領の肖像画が掲げられ,共和国と称しても,逆に.....と云った印象を受ける.そうした国はよくあるが.
民族的にはアゼルバイジャン人(アゼリー人)が90%を占め,他にロシア人,アルメニア人が居住.アルメニア人居住区は独立宣言するなどなかなか大変.
言語はアゼルバイジャン語だが,歴史的経緯からロシア語が使用されることもあるようだ.
イスラム教徒が95%を占め,シーア派70%,スンニ派30%だそうだ.他にロシア正教会,ユダヤ教会,アルメニア教会などのキリスト教徒,今回礼拝中の寺院を訪問したゾロアスター教徒などが僅かに存在するようだ.
バクー油田など豊富な天然資源があり,アルメニア,グルジアと比べて総じて豊か.ロシア帝国領時代にはアゼルバイジャンの生産量は世界の生産量の半分に達していたというから相当ポテンシャルは高いようだ.
羊や牛を中心とした牧畜,綿花の栽培なども盛んなようだ.