エレブニはエレバンの一部で,エレバン発祥の地であるそうだ.
エレブニ博物館はこの後登るアリンべルド丘の麓にあった.この辺で出土した古い石器や文字を記した石版,土器や青銅器など展示されているが,知識不足と眠気でよく思い出せないでいる.
この人がアララト王国を建国したアルギシュティ王(King Argishtis ).エレブニ博物館の上がる階段の袂に建っていた.ガイドのハジミクさんが,それはそれは強い王様でした,といろいろなシーンを解説してくれるも記憶に留めず.
なお階段脇の動物の石像やレリーフはイラン/ペルスポリスで見られるデザインと似た雰囲気を有するのが興味深い.地域が近いので共通の文化的背景があるのであろう.
下は,エレブニ博物館の写真あれこれ
上述の博物館の背後はアリンべルド丘で,ここに登った.丘の上からはエレバンの街が360度見渡せて,周囲が山に囲まれた盆地の地形であることが一目瞭然である.石垣の残る道を辿り,てっ辺に至ると写真の神殿らしき建造物が見えてくる.石積みの壁に漆くいが塗られ,ライオンに乗った王(=神?)であろうか.
前述の神殿から少し南に行ったところにあった.この石版自体は確かレプリカかと説明されたように思う.この石板と,さらに他で発見された石板,合わせて2枚に書かれたくさび形文字の文書から,この砦がアララト王国のアルギシュティ王によって紀元前782年に築かれたことが解っているという.
当時ヨーロッパとインドを結ぶ交易路の中継地として栄えたそうであるから実に長い歴史を有する訳だ.ただ,後世はペルシア帝国やオスマン帝国から狙われ,19世紀になるとロシア帝国に占領される大変な時代が長く続くことになる.
何にしてもアルメニアはアッシリアに対抗してこのエレブニの大要塞を築いた2,700年前のアララト王国時代まで遡る訳で,きっとこの史実が国を奪われ,追われてもアルメニア民族の絆を一層強める拠りどころになっているのであろう.
丘の上におられた私設(?)監視員.我々のガイドが先導するルートが適切でなかったりすると大声で注意を促していた.旧ソ連時代,この遺跡は手当たり次第破壊されたそうで,もしそれがなかったならかなりの遺産が残っていたそうだ.僅かに残る遺跡を大切に守ろう,と活動している様子だ.また写真背後の石垣の城壁は最近修復されたもので,一部セメントが使われ全く古いものと同じという訳ではないそうだ.
下は,エレブニ遺跡の写真あれこれ