グルジアの首都トビリシは人口は約120万人.美しいとは言い難いムトゥクヴァリ(Mtkvari)川が流れ,三方を小高い丘に囲まれている.気候は温暖であるようだが,滞在中は雨が多かった.
アルメニア国境を越え,トビリシに入り,トリホテル(Tori Hotel)に到着したのは暗くなってからだ.トビリシのメインストリートであるルスタベ通りにほど近い.部屋の窓からは古いアパートや経済成長省の建物が見え,表側は緑地に面していた.
ムトゥクヴァリ川北側河岸の丘に立つ.歴史は5世紀の殉教者,聖シュシャニック(Shushanik)まで遡り,元々の建物は12~13世紀,モンゴルの侵略で破壊されたようだ.現存の建物は12世紀のゴルガサリ(Vakhtang Gorgasal(i))王(庭のブロンズ像の主)の後継者が居城として13世紀に建設したようである.トビリシ最古の教会であるが,牢獄として使用されたり,宗教が禁止されていたソ連時代は劇場として使われた歴史があるようだ.なおソ連時代はゴルガサリ像の場所にレーニン像が居座っていたそうだ.
この日は火曜日であったが,大勢の市民が礼拝に訪れていた.ソ連時代の反動もあるのであろうか,これほど敬虔なキリスト教徒の多い国はあまりないのではと感じる.ところでこの礼拝堂に至る少し手前で聖職者が鐘を鳴らしていたのは礼拝開始の合図だったのであろうか?
下は,メテヒ教会と周辺の写真いろいろ
辺り一帯に硫黄の匂いが立ち込めており,標識にも硫黄泉と掲げてあった.同行の方が,ぜひ夕方訪れて見たい,といろいろ段取りされていたが,時間が確定された予約が必要でちょっと適わなかったようだ.日本の公衆浴場と違って個室(あるいはそれに近い浴室)であるためであろうか,ふら~っと立ち寄るという訳にはいかないようだ.
一見モスク風の左の建物はハマム,つまり公衆浴場.エクステリアのタイルはイランなどの様式とよく似ている.玄関脇にいた男が,プーシキンが訪れたときの記念パネルがこれだ,と教えてくれたが,グルジア文字とロシア文字であろうか?何れにしても読めない.中を見物させてもらったが湯気もうもうで,やっぱりお風呂!
右側丘の上に見えているのは,ここまでは上らなかったがモスクのミナレットだそうだ.イスラム教徒との共存が今後もうまく続くよう願いたい.
小さなコンビニの奥に両替の窓口があった.ここで食事時のビールやワインのために僅かな額の現地通貨ラリ(Lari)を買う.看板のように買いはUS$1=1.7ラリだった.この通貨単位ラリって筆者は初めて聞いた.
下は,ハマムと周辺の写真.グルジア様式テラスの家もなかなか趣深い.
左上と右下は近くの路上.右上と左下が館内(この後写真禁止と注意された).比較的地味な展示物が多いが学芸員が熱心に説明してくれる.最も我々以外入館者が居らず,入館後間もなく停電で暗くなったのはちと寂しい.右下路上のブロンズ像は地名は忘れたがグルジアで出土したというBC7世紀の「ワインを飲む人」のレプリカだという.こんな古い時代にすごいっ!むしろこちらが感動的.ワイン発祥の地を自負するだけの出土品であろう.
博物館の後,グルジア正教会の総本山シオニ大聖堂を訪れた.歴史は6~7世紀くらいまで遡るという.過去に異教徒の破壊やモスクへの転換が何度かあったが,シオニ大聖堂は今も髪の毛とブドウの茎で編んだと伝えられる聖ニーナ(St. NinaまたはNino)の十字架が納められているトビリシの主要教会だという.
聖ニーナの十字架の絵は,この先もグルジア各地の教会,修道院で見かけることになるが,現物の十字架はここだけか,若しくは限られたところだけなのであろうと思う.また壁には種々たくさんのイコンが掲げられていた.ここも毎日信者が訪れるようで,現にこの日も日曜ではないが,右写真のようにミサが行われていた.
下はシオニ大聖堂の写真あれこれ
下はシオニ大聖堂近くの小さな商店街や教会.
6世紀建立でグルジアで最も古い教会の一つだそうだ.Anchiskhatiという言葉がわかり難いが,辞書などで調べると,救世主即ちキリストのイコン,ではなかろうか.Basilicaは広辞苑にも載っており,教会堂のようなので,結局キリストのイコンを抱く聖マリア教会,となろうか.(現在の筆者解釈.)
気のせいかマリアのイコンがやたら目立つようにも.....
たまたま中を覗かせてもらったとき洗礼式が執り行われていた.10歳くらいの女の子で,水を満たしたたらいの上に立ち,僧が両手で水をすくって頭から振りかぶせていた.寒い日だったので少女はダウンジャケットを着ていたが,水は容赦なく首筋から身体に回るので冷たいであろう,ブルブル震えていた.もちろん初めて見た光景であるが,多分神との契約に関する最も重要な儀式であろうから,異教徒でありながらもある種の感動を覚えた.なおガイドのディービッドさんによれば,洗礼を受けるのは年齢に関する制約等は一切ないのだそうで,普通親が考えて決めることが多いそうである.
むかし会社務めの頃,尊敬する技師長がクリスチャンであった.ただ,洗礼を受けたのは,かなり高齢になられ,お亡くなりになる少し前であったと人伝に聞き,驚きまた不思議と長く思っていたものだ.今回初めて洗礼式を見て,聞いて,幾ばくか疑問が解けたようにも思えた.
下はアンティイコン教会と近所の写真