エチミアジンEchmiadzin

キリスト教を国教に制定した最初の国はアルメニアで,301年のことだそうだ.ちなみにローマ帝国のキリスト教化よりも数十年早いそうである.そのアルメニア正教総本山があるのがこのエチミアジンで,エレバンから西20kmに位置している.

エチミアジン大聖堂 Echmiadzin Cathedral Compound

アルメニア正教の総本山エチミアジン大聖堂

アルメニア正教の総本山

聖グレゴリウスというアルメニアでの布教を強力に推し進めた人がいた.あるとき,幻でキリストが地上に降り,金の槌で地上を打つシーンを見た聖グレゴリウスは,これを神のお告げとして,303年ここに木造の教会を建てた.これがエチミアジンの始まりだそうである.5世紀に石造りに建て替えられ,7世紀には修復が行われ,現在の建物は17世紀に再建されたものだそうだ.

エチミアジンは大聖堂のほかに司教の住居,神学校,博物館(宝物館)などの付属機関がかなり広い敷地に点在している.

エチミアジン大聖堂はカトリックのバチカンに相当する総本山.ロシア,アメリカなど世界に散らばったアルメニア人が巡礼に訪れるそうだ.

ところでイースター前のこの時期は断食(もしくは節制,禁食)期間だそうである.イスラムの断食,ラマダンは良く知られるところであるが,キリスト教徒の断食については言葉だけ聞いたことがある程度だ.アルメニアでは,特に男性は普段肉食がメーンであるが,この時期,肉や魚を絶つのだそうである.ハジミクさん自身は普段から肉は少なめにしているからあまり影響ないが,男性は大変と語っていた.

お祈りするアルメニア正教徒

アルメニア正教徒

ろうそくを灯し熱心にお祈りする姿がとても印象的だった.大聖堂の外観はシンプルであるが,内部はこの写真背後の壁のように多くのイコンが掲げられ,ドーム天井は綺麗に彩色され,シャンデリアが吊り下げられていた.


フランスに貸し出され不在のノアの方舟と処刑の槍の棚

ノアの方舟と処刑の槍

大聖堂奥の方は展示スペースになっており,歴史的物品や儀式用品が展示されている.普段ノアの方舟(Noah’s Ark)残片とキリストが処刑された時に使われた槍の穂先も展示され,これが目玉なのであろう.だが,たまたまフランスで開催中の展示会に貸し出されたそうで,見ることができなかった.

大洪水にまつわるノアの方舟物語は旧約聖書の創世記に出てくるそうだ.ノアの方舟がたどり着いたところが,現在トルコ領であるが,アルメニアが強かったころはアルメニア領のアララト山山頂,もしくは山腹だと言われるそうだ.アララト山にノアの方舟の痕跡を見たり,ここから破片を回収したと証言する者が昔から多いことがその根拠とされるようだ.最近は衛星写真の分析で証明する試みも報じられている.ノアの洪水は聖書研究者などの見解では西暦紀元前2370年か紀元前3000年ころに起こったとされているそうである.

一方,処刑の槍であるが,聖遺物(処刑の前に被せられた茨の冠,十字架に手足を打ち付けられたときの釘,十字架,傷口から流れ出た血,右脇腹を突くのに使われた槍など)は各地にあるそうで,異教徒的に言えばここに展示された槍もその一つであろうか.

小枝で編んだ冠を被りと猫柳の小枝を持った少女

小枝と冠

イースター前の教会は大勢の信徒で溢れていた.アルメニア正教では礼拝に訪れると,猫柳の小枝と木の名前は失念したがやはり小枝で編んだ冠を家に持ち帰る習慣があるそうだ.教会の門前にはこれを商う人の姿が多く見られるし,街の路上で商品を並べている人も見られた.この小枝と冠は幸福を呼ぶのだそうで,この写真のお嬢さんも親に買ってもらいにこにこしていた.


下は,エチミアジン大聖堂の写真あれこれ

エチミアジン大聖堂の写真
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さらにエチミアジン大聖堂の写真

エチミアジン大聖堂の写真
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筆者自身キリスト教に詳しくないので,キリスト教の基本教義を資料から改めて転記してみる.

基本教義が概ね共通でも,宗派によっていくらか違いがあるようだ.分からない部分も多々あるし,間違いもあるかも知れないが,見聞きした範囲でメモしてみると次のようになる.

教会東方教会西方教会
種類東方正教会
(=ギリシャ正教)
東方諸教会カトリックプロテスタント
グルジア正教
ロシア正教
セルビア正教など
アルメニア正教
コプト教会
マロン派ルーテル教会
バプテスト教会
英国国教会
メソジスト派 など
聖霊聖霊は父なる神のみから発する聖霊は父なる神からもイエスからも発する
イエス三位一体論,イエスは神であり人でもあるイエスは単一の神性を持っていたとするキリスト単性論三位一体論,イエスは神であり人でもある
偶像ありなし
礼拝ミサが中心説教を重視

エチミアジンの博物館Echmiadzin museum

エチミアジンの博物館

博物館の展示品

大聖堂奥の展示室の他に,独立した博物館(宝物館)があり,修道士さんが付き添って我々を案内してくれた.信者の方はいなかったし,他の観光客の姿もなかったので,半公開のような感じだ.2フロアに渡る展示室には写真のようなタペストリーや油絵,聖具,聖職者の衣装など数々並んでいた.前述の修道士さんが「写真は2~3枚だけ可」と言われたが,その中庸さ(?)が印象に残る.博物館手前にはぶどう畑があり,何でも数十種類にも達するぶどうの木が栽培されているそうだ.確かいろいろなぶどう酒を醸造するためだったかな?


下は,博物館辺りの写真あれこれ

エチミアジン博物館辺りの写真
エチミアジン博物館辺りの写真 エチミアジン博物館辺りの写真 エチミアジン博物館辺りの写真 エチミアジン博物館辺りの写真 エチミアジン博物館辺りの写真 エチミアジン博物館辺りの写真 エチミアジン博物館辺りの写真

聖フリプスィメ教会St. Hripsime Church

3世紀後半,ローマにフリプスィメという美しい尼僧がいたそうだ.ローマ帝国ディオクレティアヌス皇帝がフリプスィメをわがものにしようとして言い寄ったが,彼女はこれを拒絶し,乳母のガヤネとともにアルメニアに逃れたそうだ.ところが逃れた先で,今度はアルメニア王(Trdat王)に迫られたそうで,まあそれ程美しかったそうである.しかし,これも拒絶したため,フリプスィメとガヤネは王の差し向けた追っ手に惨殺されてしまったのだそうである.

この後,罪の報いで重い奇病にかかったアルメニア国王は,先にキリスト教に改宗していた妹の忠告で15年間牢につながれていた聖グレゴリウスを解放した.すると病が癒されたそうな.さらに過去の罪を悔い改めてキリスト教を受け入れ,国教にしたのだという.またこの教会を建設し,地下墓地に聖フリプスィメを葬ったようである.階段で下りると,彼女の肖像が描かれ石製の棺が安置されていた.過去の遺骨調査から,聖フリプスィメは身長2mと大きな女性だったことが判ったそうだ.

この教会は下部が方形で,その上部のアーチ型壁で円筒ドームを支える構造のようだ.なかなか力強い美しさがある.我々が訪れたとき,国内の団体であろうか,若者を交えたグループがガイドから説明を受け,キリストを抱くマリアの絵が掲げられた礼拝堂でお参りしていた.

聖フリプスィメ教会外観聖フリプスィメ教会礼拝堂

下は,聖フリプスィメ教会の写真あれこれ

聖フリプスィメ教会の写真
聖フリプスィメ教会の写真 聖フリプスィメ教会の写真 聖フリプスィメ教会の写真 聖フリプスィメ教会の写真 聖フリプスィメ教会の写真 聖フリプスィメ教会の写真 聖フリプスィメ教会の写真

ズヴァルトゥノツの古代遺跡the Archaeological Site of Zvartnots

ズヴァルトゥノツの古代遺跡「ズヴァルトゥノツ教会」

ズヴァルトゥノツ教会の遺跡

聖フリプスィメ教会から少し走ったところにズヴァルトゥノツ教会の遺跡はあった.この教会は7世紀半ばに建てられたが,10世紀末の大地震で倒壊し,厚い堆積物で長い間覆われていたそうである.円形状に並べられた列柱の頭部は渦巻きなど若干ギリシャ式を思わせる部分もあるが,籠の目,つまりケチャップのブランドでよく知られるところのカゴメのようなユニークなデザインだ.

この教会遺跡以外に,醸造瓶やぶどう潰し所を備えたワイン造りの作業場跡なども見物したし,どこが相当するのか判然としないが王宮跡などもあるようである.なお降り立ったエレバンの空港の正式名称はズヴァルトゥノツ国際空港で,この遺跡に因んで名付けられたようだ.

地面に並べて展示されたズヴァルトゥノツの古代遺跡の建物

地面に並べて展示

パーツが全部揃っておらず,再建できないものはこうして地面に配置されていた.この展示方法には初めてお目にかかったが,かなり判りやすくいい手法だと思う.


下は,ズヴァルトゥノツの古代遺跡の写真あれこれ

ズヴァルトゥノツの古代遺跡の写真
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エレバン郊外the suburbs of Eerevan

エレバンからエチミアジンの間は比較的平らなようである.教会や,ワイン/ブランデー会社,カジノ街,家具屋街,集合住宅,戸建て住宅,畑.....などが見える.建物は石造りが目立つ.カジノ街は,夜ここだけがピカピカしており,もちろん合法ギャンブルで,チャチながら地元民はエレバンのラスベガスと称しているそうだ.

エレバン郊外エレバン郊外
エレバン郊外エレバン郊外


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