モスクワからエレバンへは3時間弱のフライト.現地時間の深夜12時頃到着した.
深夜エレバン空港,正式名はズヴァルトノッツ国際空港(Zvartnots International Airport),に降り立ち,少しタラップから歩くとこのコンパクトな入国審査室に至る.初めて見るアルメニア文字であるが,普通のアルファベットの親戚程度の感じで,アラビア文字とかサンスクリット文字とかのような,「全く異質」な印象は受けない.
ガイドさんの話では,ここでのビザは当初US$30の予定であったが,係官の裁量でトランジット扱いUS$20になり,ただし発給時間を短縮するグループ迅速処理で+US$5,合わせてUS$25だったようだ.グループ処理では効率的にさばけるので,むしろ安くしてもよさそうに思えるのは筆者のみだろうか?
エレバン都心,と言っても片田舎の雰囲気を漂わせた街であるが,にあったこぢんまりしたコングレスホテル(Congress Hotel)に宿泊した.ホテル前は広い緑地帯の両側に車道と歩道がある大通りで少し先に多分市の中心であろう共和国広場があった.
下は,エレバンコングレスホテルとその辺りの写真
マテナダランはアルメニア古文書館で,展示と研究機関を兼ねているそうである.古い時代の写本の聖書,文学,科学,医薬学関連や,印刷技術ができた以降の書物を数万点保有しているようだ.
本古文書館は,建物入り口脇の石像アルメニア国字創設者メスロプマシュトツ(Mesrop Mashtots: 360年~440年)の名を冠している.アルメニア文字は38文字(+合字が2つ)から成り,大文字と小文字がある.この文字体系は上記聖人メスロプマシュトツによってに創られたそうだ.ギリシア文字が参考にされたようだ.幾つかの文字が後世になってから追加され,38文字のうち,8つが母音,30が子音を表す表音文字であるようだ.また,アルメニア語特有の記号がある.眺めると各文字の類似性が高く,筆者的には視認性があまりいいように思えないような.....
ここは研究機関でもあるので,学芸員の方が解説してくれる.折角の専門的解説もバックグラウンドがないためなかなか難しかった.全ページ羊皮に綺麗に手書きされ,顔料で彩色された絵が入ったものも数多くあり,一冊作るのにどれほど大変だったであろうか?と感心させられる.一番古い書は5世紀のもので,10~18世紀アルメニア人の作品や古代と中世の外国の著名学者の作品の翻訳が多いようである.中には,原本が失われ,アルメニア語翻訳だけ残った文学作品などもあるそうだ.
多くは経年変化による損傷を受けており,修復が重要な業務の1つであるそうだ.修復では書き換えは許されず,例えば裏当てで補強するなど,あくまでオリジナルを保存するのが基本と話していた.2001年に日本の外務省が無償での古文書保存協力の約束をしているそうだ.ここでの撮影料金はUS$6と比較的高かったが,僅かでも修復費用に充てられるのかも知れない.なお参考のためヨーロッパ系原語の文学作品,アラビア語の幾何学の本,三菱財団寄贈という日本語北斎本などもいくらか並べてあった.
下は,マテナダランの写真あれこれ
首都であるが落ち着いた地方都市の趣だ.我々のような東アジア系やアフリカ系人種を見かけることはなかった.アラブの国などでは我々観光客がしげしげと観察されることがあるが,ここではそういったこともなく互いに淡々と街を歩くことができる.
下は,街の写真あれこれ
下は,街の写真あれこれ
エレバンの一角に広場があり,青空市場があった.多分毎日開かれているのではなかろうか.自ら描いた作品であろうか,たくさんの絵,その多くは油絵,を並べた露店が幾つもあった.こういった商品は冷やかし客が大半で,売れ行きは必ずしも芳しくないのがどこの街でも共通であろうか.
この商品はイマイチ判らない.ボトルであるからワインか何かのようであるが,レリーフのラベルには十字架など付され,置物かな~?
下は,青空市場の写真あれこれ
ここは夕食のレストラン.生バンドの演奏をやっていた.近くのテーブルでは地元女性が食事をしていた.暫くするとどうやら民族音楽であろう曲が演奏され,僅かなスペースでダンスが始まり,参加する人がどんどん多くなった.なかなか乗りのいい民族のようだ.ガイドのハジミリさんによれば,男性はかなり酔わないとやらないが,女性は何処でもすぐ踊り出すということだ.
前半がお昼,後半が夕食の様子.3枚目,薄いパン(ナン)と裂きイカのような形態のチーズはなかなかユニーク.