ジイリジャンを出てさらに北上した.やがてアルメニア北端近くに達するとハフバット修道院があった.
エレバン盆地を離れてからずーっと山間の地,つまりアルメニアは殆ど山なのだということを実感しながらバスで走るのだった.最も勢いがあった頃の国土の1/10で,しかも荒地に閉じ込められた苦い歴史の果て,つまり現在がなかなか容易ならざることも感じ取れる.逆アーチ型橋の架かる川を越え,険しい山の麓の町を抜け,途中荒廃した旧ソ連時代の工場などを眺めながらバスはなおも走る.
現在支給される年金は話にならないほど低額で,それで食べていくことはとてもできないそうだ.旧ソ連時代は一応生活でき,孫に少しお小遣いを与えることができるレベルだったが,今は肉親に養って貰わない限り生きていけない状況なのだそうだ.なので年配者のかなり多くが,旧ソ連時代の方がましだったと考えているそうである.
10世紀中ごろから建造が始まったというハフバット修道院.建物は複数が増築で連なったようなスタイルだ.それぞれ別の時代に建て増しされたのであろう.それでも石造りで円錐形の屋根などは,他のアルメニアの教会建築様式と共通であろう.
近所には農家が数軒立ち並び,その村の一画に修道院が位置しているように見える.しかし現在,院内はひっそりとしており,常駐の僧侶や修道士は居ないようである.しかしこれまでに,ソ連時代に荒廃した建物を修復し,世界遺産(文化遺産)に登録された経緯があるようだ.つまり,ようやくハード面の回復が済んだものの,実際の宗教活動にまで復旧するのはこれからなのかも知れない.
建物の素材や構造,また実際お坊さんが住んでいないからでもあろうが,かなり冷えびえとした感じを受ける.修行にはいいのだろうか?遺跡はえてしてこういったことになってしまうが,実際の生活がないためやむを得ないか.
下は,ハフバット修道院辺りの写真あれこれ
こうしてアルメニアの観光は終わり,ハフバット修道院からほど近い国境に来た.順番待ちの車は決して多くないが,アルメニアの出国審査も,グルジアの入国審査も結構時間がかかった.一人ひとり顔検分し,バスのトイレを調べるなどして,合計1時間半ほど費やしたであろうか.
こうした出入国に際し,アルメニアバスとドライバ,ガイドも一斉交換となった.アルメニアの皆さんご苦労さまでした.グルジアのガイドはMr.ディービッドさんになった.どうぞよろしく.