このローマンタンの街編では,2017年5月23日,ローマンタンの街を歩き,ティジ祭第二日(中日)を見物,テントで宿泊後翌5月24日午前,チョデゴンパ,僧院博物館,ジャムパゴンパ,トゥプチェンゴンパを見物し,そして午後はまたティジ祭第三日(最終日)を見物したときの写真を載せました.
テントサイトから街の旧王宮のある中心部に向かう途中比較的新しい造りの長屋風商店街がある.一階は店舗,二階は居住空間になっているようだ.
看板にアートギャラリーと書籍とあり,ハンドメイドタンカが記されている.こうしたお店は数軒あるが,中を覗かせてもらうと完成した仏画や曼荼羅のタンカが壁に,それに描きかけの絵がイーゼルに架けられていた.
写真の男性が当店々主のアーチストだったと思うが,ゴンパの壁画修復の仕事もこなしたりするようだ.
当然であるがマニ車は道のどちら側からも正しく廻せるように道の中央に据えられている.ただ片側は車が通れるように広くなっている.写真は狭い側.
マニ車を過ぎると,旧王宮の城壁(と思われる)一部が現れる.壁の一部はトンネル状城門(写真右側)をくぐり抜けれるようになっている.
さすが祭りの最中だけあって,どこもかしこも人の往来が多く,ここに至るまでのムスタンとはエライ違いだ.
城壁入口前にはマニ車堂があった.数基の大きなマニ車が納められている.お堂の前には男どもが屯している.お祭り衣装とかでなく,普段着だ.そしてここに屯するメンバーはきっと常日頃と変わらない常連さんではなかろうか.ネパールではブラブラしているのは男が多いのだ.
ところでこのお堂前の壁には『右に投票を(Vote for →)』との落書きがあるが, →先は数字と算数式のような謎めいたものだ.一体だれに投票せよと....?
マニ車堂脇に座っていた男性だ.左の男性はおしゃべり中も途切れることなくマニ車を廻し続ける.
右男性のサングラスはとてもユニークで斬新,スイミングゴーグルのようだ.単なるオシャレか,それとも花粉症対策であろうか.だとするとちょっとお気の毒だ.
城壁入口トンネルを潜り抜けると,このようなカタを奉納するお堂があった.ここはマニ車堂前と違って若い女の子が腰を下ろしている.お祭りで学校がお休みなのであろう.
これが旧ムスタン王国の王宮だそうだ.写真は王宮建物の一部で,写真手前の中庭を囲うように建てられているのだと思う.
建築工法は,漆喰の剥がれたところを覗くと,石を積み,土で隙間を埋めた構造のように見える.これはゴンパや一般住宅でも同じ,ムスタンで標準的な工法なのではなかろうか.
一階部分はぐるりと中庭を囲うように小さな店舗が連なっている.例えば右下くすんだグリーンの看板の店は仏具や装飾品を商っている(下写真参照).
ここの店主の女性が,ドルジェやマニ車といった仏具から,宝石を散りばめた法螺貝,ネックレスなどの装飾品をいろいろ説明してくれた.
またお祭りのマスクダンスの意義などについても説明してくれた.この地方はとても厳しい自然環境にあるので,例えば干ばつを防ぐ雨乞いなどの祈りなどあるのではないか.....実は私(店主の女性)にもはっきりとは解らないのだが....と話してくれた.住民の率直なお話しが聞けてとても良かった.後で旅行社から貰った3色ボールペンを差し上げたら,喜んでくれた.
ここは城壁の外側,反対側の商店街.居ましたいました,ようやく正装と思われる男性が(写真中央)やっと.きらびやかですね~実に.
この商店街は短いがやはり仏画やタンカのお店が並んでいる.
一方未就学くらいの小さな子は,こうして着飾っている.これでようやくお祭りらしい雰囲気が出るというものだ.
反対側商店街の先にはチョルテンやカンニが並んでいる.そのカンニは何たることかバイク置き場になっている.まあ,バイクの方がより大切,ムスタンもそんな時代に入ったのか.
道端の水路で家畜の内臓を洗っていた.さて,これは果たしてティジ祭の主題パドマサンバヴァが調伏し,飛び散った腸に因むものか....?それとも単に日常食すヤキトリの準備か?
ところでここの水は明らかに濁っているが.....その脇に水道水が流れ放しになっているので,最後はそこで漱ぐのかな.
ティジ祭は前日から始まったそうだが,私たちは第二日目に初めて訪れた.席取りの後暫く待っていると,王宮右後ろ側出入り口より,きらびやかな装束のお坊さんが中庭に登場し,舞を始めた.
この日は観客で非常に混み合っており,後ろからはよく見えないが,何とか断片的に覗き込んだ.
中庭に面した王宮外壁には大きなタンカが掲げられていた.
中央は口ひげがあり,見開いた眼からパドマサンバヴァ(Padmasaṃbhava,またはグルリンポチェGuru rinpoche)であろう.やはりムスタンではパドマサンバヴァが主役なのであろう.この点ブータンなどと似ていると思われる.ただちょっと不思議なのは,パドマサンバヴァはニンマ派の開祖で,これまで見てきたムスタンのゴンパはすべからくサキャ派だった.それはそれで問題ないのかな.
そして右側は多分弥勒菩薩で,上は黄帽派,つまりダライラマ法王と同じゲルク派のラマで,赤帽のサキャ派ではない.他は,う~ん判らないな~....まあ,そうしたセクトには拘らない,広く寛容な信心が今に伝わるのであろう.
一時前に出してもらった.よく見える.装束が一人ひとり違うのですね.演じる役が異なるのか....いや,舞う動作は一緒だったような気もしたが...
一般にこうした恐ろしい顔(マスク)は守護神(守護尊)が多いらしい.このマスクもそうした範疇なのであろうか.
ところで観客は地元の人より,外国人,特に西洋人が圧倒的に多い.そして総じて大きなレンズを向けている.地元の人が気の毒なような....すみません.
はっきりとは判らないが,この方は仮面を付けず,大事そうな場面に登場される.多分ティジ祭の主役のお坊さんではないかと思われた.そして実際,翌日24日,ティジ祭最終日では悪霊を徹底的にやっつける役,パドマサンバヴァ役であろう,を演じておられた.
一通りマスクダンスが行われると,ムスタン,さらにその遠くからの巡礼者と思しき人々の礼拝となにがしかのお授けのような行事が始まった.それぞれ5人ほどのグループに別れ,タンカ下の祭壇に捧げ物を行い,続いて授けものを受ける,といった様子だ.
巡礼者はムスタン各地はもちろん,正式な装束であろう民族服に身を包む様子を見るに,多分相当遠くからの信徒もおられるようだ.例えば右端の黒装束,赤布を巻き込んだ髪の男性はチベットのチュバ(chubba)を纏っている.さすが本拠地チベットでも仏教文化の保存はままならないのかもしれないと感じられた.
なお祭壇中央,タンカ下の戴帽男性写真は昨年お亡くなりになったローマンタン国王(もちろん政治権力は無かったが)の遺影だそうだ.王には養子の男性が居られ,多分その人が今年中に跡を嗣ぐのでないかとの噂があるようだ.
さて23日午後ティジ祭第二日目を見物した後は,テント場に戻り一泊した.そして24日朝になり,朝食後ムスタン王宮(Manthang Dzong)先のゴンパ群見物に出かけた.
ムスタン王宮は単純な四角形ではなく,しかも城外建物と入り組んでおり,その高い壁の間を縫う路地を進む.
先ずは上記城壁内に含まれるというチョデゴンパ(Chode Gompa)を訪れた.
本ゴンパは初代ロー王アメパル(Ame Pal)の13世紀建立と云う大変歴史あるサキャ派の主要ゴンパだ.歴代高僧の居住地で,宗教行事中心地だったそうだ.
そうした歴史あるゴンパであるが,16世紀巨大地震に見舞われ,甚大な被害を被ったそうだ.そしてティジ祭のマスクなど重要品は一時チョプランゴンパ(Chopurang gompa)に移されたことがあるそうだ.ただそのチョプランゴンパも17世紀に大火に見舞われ,それらの品々の多くは焼失してしまったそうである.
添乗Iさんのレポートによれば,本尊釈迦牟尼像,その左手にマカハーラ,白ターラ,さらに五仏の壁画があり,左手には緑ターラ像があったようだ.私の記憶回路はバッテリの上がったDRAMの如く,何ら読み出せないのだ.普通写真を頼りにしているのだが,あいにくムスタンの多くのゴンパでは撮影禁止なのだ.ガックリ!
チョデゴンパには多くの小坊主の皆さんが属しているようだ.ゴンパは学校教育機能も有しており,仏教に加えて一般科目も教科に加わっているようだ.
次いで私たちは僧院博物館(Monastic Museum)を訪ねた.博物館自体はごく近年,2008年に建てられたが,アッパームスタンやチョデゴンパの古くて価値あるものを保存してあるようだ.例えばティジ祭の色々なサイズ,色のマスクなど相当するという.
他にも2000年前の仏教聖典,さらに3000年昔のチベット土着信仰ボン教の聖典などもあったようだ.
さらに,殆どおぼろげにしか思い出せないがムスタン民族の生活様式が解る品々からマンモスの象牙などの展示もあったようだ.
ジャムパゴンパへ続く城壁脇道を行った.赤い僧服の二人の青年僧と出会う.いかにもここ辺りの雰囲気が感じられるシーンだ.
漆喰が剥がれ露出した壁を見ると,砕石ではなく丸石だ.地震にはちょっと弱そうに見える.
ジャムパゴンパ(Jampa Gompa)を見せてもらった.ジャムパゴンパはローマンタン城壁の内部にあって古く,14世紀初頭,有名なアンゴンサンポ王(King Angon Sangpo)統治時代に建立されたそうだ.建物壁は土(日干しレンガ)で1.6mの厚さがあり,中庭のある三階建て構造だ.
本尊は大きな弥勒菩薩で,周囲には大小さまざまな108の曼荼羅がゴールドやシルバーを含めて描かれ,ターコイズやサンゴ,宝石など散りばめられているようだ.
ジャムパゴンパ二階から周辺の民家を望むと,結構密集して建てられているのがよく判る.もちろん屋根には丸太が誇らしげに載せられている.
所々にソーラーパネルやパラボラアンテナが見える.近代化の始まりと言えようか.
ジャムパゴンパから北方面を望むと,ローマンタンから少し離れた集落が見える.チベットに至る街道の上にある集落と思われる.
多分外国人のローマンタン以北への立ち入りは制限されているのであろうが,地図で見る限りチベットまでの距離はそれほどなく,行ってみたい誘惑に駆られる.
トゥプチェンゴンパ(Thupchen Gompa)はロー王国第三代タシゴン王(King Tashi Gon)時代,15世紀終わり頃建立されたそうだ.
トゥプチェンゴンパはローマンタンにおける宗教行事の中心の一つという.見事な装飾の入り口には等身大(人と比べて)以上の4守護神面が四方を向き,据えられている.
なおトゥプチェン(Thupchen)とは大仏様(Great Buddha)の意だということだ.
ドゥウンカン(Dhunkhang)と呼ばれる本堂は,聖マントラが刻まれた木製の柱や天井梁で構成され,壁や天井はブッダや菩薩の装飾図が,金銀,また輝かしい色で描かれている.
Iさんのレポートを見ると,本堂には本尊として釈迦牟尼像,右にパドマサンバヴァ像,その前に馬頭明王像など並んでいたようだ.情けないがはっきりとは思い出せない.お堂に入ったとき,ちょうど数人のお坊さんが座卓に座り,読経の最中であったが傍らでそっと見せてもらった.
トゥプチェンゴンパを見て,引き上げた.ゴンパ前の路地では婦人が水撒きしていた.日本の盛夏の光景のようだ.ただここは気温ではなく,埃対策ではあろうが.
------------- 一旦キャンプサイトに引き上げ昼食 -------------
ゴンパ見物を終え,私たちは一旦キャンプサイトに引き上げた.ティジ祭第三日目は午後2時ころから始まる予定で,十分時間がある.引き上げると洗濯物を干したり,寝袋を干したりした.風に飛ばされないようしっかり止めて.
サイトには昨夜から大きなキッチンテントとダイニングテント,それに2つのトイレテントも張られており,ダイニングテントでゆっくりお茶をすすり,また昼食を頂いた.
少し早めに王宮前広場に行った.すると前日とは全く異なるレイアウトに驚く.先ず大きなタンカは外されてなくなり,広場中央には2列のベンチが置かれ,お坊さんが並んで座っている.
この日は前日と比べると観客はかなり少なくなり,傍に行って見せてもらうことができた.観光客のかなりは昨晩のうちに引き上げたのかもしれない.何しろロッジは混み合っており,各国観光客が入り乱れて雑魚寝だったり,本来予約されていた筈なのに勝手にキャンセルされていたり,やむを得ずテントを張ろうとしたがテント場が見つからず....とか大変らしい.
さてそのうちいよいよ第三日が始まった.お坊さんは太鼓やシンバルを打ち鳴らしながら経を唱え始めた.日本式の木魚を打ちながら,と比べて賑やかだ.
昨日第二日目も主役として果たしておられたこの方,多分ローマンタンで最高位,若しくはそのクラスのお坊さんなのでしょうか,が登場した.実はこの日,殆どこの方の独演会に終始することになる.
さて2列ベンチの奥に来ると,アシスタント僧がカーペットを広げ,そこに悪魔の模型を置き,悪魔祓いの儀式が始まった.悪魔模型はバター作りであろうか.
主役僧は両手を組んで,振りながら経を唱え,アシスタント僧は香炉を灯し,振りながら,順次必要な器具を主役僧に手渡したり,引き取ったりする.オペ室の執刀医とナースのようだ.
最初主役はドルジェ(金剛杵)と鈴を組んだ両手に持ち,これを悪魔模型に翳し,振りながらお祓いのような仕草を続ける.相当長時間だ.
そのうち,前日と同じようにいろいろなマスクダンサーも登場する.たがあまり激しい動きは見られず,主役周辺で緩やかな動作に終始していたように思う.
やがて主役は座り,アシスタントから小さな槍やナイフといった器具を順次受取り,そしてそれらで滅多やたら悪魔を突き刺したり,切り刻んでいく.正にこれでもかとばかりの執拗さで驚く.
さあこれで明らかになった,主役はパドマサンバヴァ(グルリンポチェ)の悪魔退治の故事を演じているのだ.前日掲げられていた大タンカの主役パドマサンバヴァの理由もこれではっきりした.
なお切り刻まれた悪魔は弁当箱くらいの箱に詰められ,お城の中に引き返す途中,道の敷石を剥がし,そこに埋められたようだ.これも徹底している.
以上,ガミの悪魔腸の長いメンダンの謂れなど聞いてきたこと,また登場人物が少なくまた簡単なストーリー故,物分りの悪い私にもよく理解できた.
悪魔祓いの儀式が終わると,王宮前広場の催しはお開きとなった.そして僧侶と信徒一行は城門を出て街に繰り出した.
写真はそのときの城門の様子だが,観客も混じり大混雑だ.
パレードの僧は楽器を手にし,信徒は火縄銃やさすまたのような2本刃の槍などの武器を携えて行進だ.まるでこれから一揆でも起こしそうな出で立ちだ.
街の角まで進むと,大きなホーンを奏で,火縄銃を発砲(空砲)したり,かなり盛大だ.これもまた悪魔調伏の一環で,街から完全に追い払うという行為なのだそうだ.いや~徹底してますね.
ということでティジ祭第三日目の見物は終わり,街外れの静かなテントサイトに引き上げた.マスクダンスの意味合いは殆ど理解できなかったのだが,悪魔祓いの儀式は極めてシンプルで分かり易いドラマだった.これでパドマサンバヴァ贔屓になるかどうかは別であろうが.
今日もいい天気だったが,明日は再びトレックに入る.南に向けての戻りだが,往路とは違うトレイルなので楽しみだ.