ツァランへtrek to Tsarang

このツァランへ編では,2017年5月22日のトレッキングマップ,ギリンの朝出発し,タシチョリンゴンパ下寺および同上寺を見物し,ニイラ峠,ガミラ峠を経て,ガミの村に来て昼食.午後ガミの長いメンダン脇を通り,赤い絶壁を少し垣間見,ツァラン峠を越え,ツァランに入る.一旦ツァランで落ち着いた後チェデゴンパ(またはツァランゴンパ)とツァラン王宮見物に出たときの写真を載せました.

トレッキングマップtekking map

コロコロで拡大/縮小,ドラッグで移動可能.

トレック4日目の5月22日は,13:ギリンから,赤い線上の14:ニイラ,15:ガミ,16:ツァラン峠を通り,17:ツァランまで歩き,ここで宿泊.

この日のGPS記録(チェデゴンパ,ツァラン王宮含ます)では
歩行距離:20.4km
歩行時間:6時間53分
総時間:9時間42分
終点の標高:3,592m
だった.

ギリンの朝morning at Geling

ギリンから撤収準備

ギリンから撤収準備

この日も長い行程が見込まれており,5:00AM起きだ.荷物をまとめてバッティ母屋のダイニングルームに行く.いつものように粥もあるであろう.


ギリンの朝,南東の空にはヒマラヤの峰々

南東の空にはヒマラヤの峰々

逆光でちょっとコントラストが低いが,雲がなく良く見える.

左からヤカワカン(Yakawa Kang:6,482m),トロンピーク(Thorung Peak:5,751m),ガンガプルナ(Gangapurna:7,455m),テリチョピーク(Tilicho Peak:7,134m),ニルギリノース(Nilgiri North:7,061m)と同サウス,ではなかろうか.

ヤカワカンとトロンピークの間にトロンパスが通っている筈だ.


ギリンの朝,出発準備整う

ギリンの朝,出発準備整う

ポーターさんも荷物を整え,馬やカッチャルに積み込んだ.出発OKだ.私たちは準備運動し,7:00AM,Tさんを先頭に歩き始めた.


ギリン村の屋根付きチョルテン

ギリン村の屋根付きチョルテン

ギリン村はチベット仏教色でいっぱいだ.ここの大きな屋根付きチョルテンも朝日を浴びて輝いている.

これまでもカグベニ,タンベ,チュクサン.....それぞれの村でたくさんチョルテンを見てきたが,概して表面は凸凹の土壁仕上げに漆喰を載せ,ここにフリーハンドで彩度の高くない顔料を塗ったように見える.また屋根やその支柱は製材された角材でなく,素の丸太材だ.

そしてそれらがとっても素朴な味わいを醸しているのではなかろうか.


ギリン村のマニ車群

ギリン村のマニ車群

ギリン村の通りにはマニ車群も据えてある.車を廻す度に,中に収められたマニも回転し,それを唱えた場合と同等の功徳があるという.


ギリン村の共同水場

ギリン村の共同水場

ギリン村の一画には共同水場があった.大きな集落なのでここだけでなくきっと何箇所か設備されているのではなかろうか.

水は垂れ流しで,斜めストライプエプロンの一人の女性が野菜の洗い物をしていた.垂れ流しは水路に流れ,下流で家畜の飲料や,洗濯,樹木や畑の灌漑に用いられるようだ.


タシチョリンゴンパ下寺lower Tashi Choling Gompa

ギリン村東の丘の斜面を上る

ギリン村東の丘の斜面を上る

ギリンの集落を抜け,タシチョリンゴンパの建つ東の丘に上った.道脇にはやはり素朴なデザインの大きなチョルテンがあった.

タシチョリンゴンパの麓のチョルテンであるから,同ゴンパ縁のお坊さんの遺骸が埋葬されているのかもしれないが.....不明だ.


タシチョリンゴンパ下寺

タシチョリンゴンパ下寺の入り口

先ず下寺を見せてもらった.入り口には四天王の一人と思しき人物と,その左には,象の上に猿,その上に鶏がいて,木の上の果実を収穫している.

これとよく似ており,象と猿の間にさらに兎がいる4者構成の構図がブータンで頻繁に見られた.皆で協力し合えば,良い成果が得られる,ということだったが,このタシチョリンゴンパの3者構成図も同じ趣旨かもしれない.


タシチョリンゴンパ下寺のお堂

タシチョリンゴンパ下寺のお堂

タシチョリンゴンパは,添乗Iさんのレポートによると480年前オーロケンチョンという高僧が創建したサキャ派(Sakya 赤帽派のひとつ)のゴンパという.

お堂正面には近年亡くなられたというサキャ派指導者の写真が掲げられている.一見女性のような顔立ちだが,男性だという.この写真は他のゴンパでもよく見かけた.

そして背後には本尊釈迦牟尼や,弥勒菩薩が祀られ,多数の壁画で満たされていた.


タシチョリンゴンパ下寺から眺めたギリンの村

タシチョリンゴンパ下寺から眺めたギリンの村

ゴンパ下寺の庭から眺めたギリンの村は樹木がよく育ち,緑豊かに見える.傾斜も比較的緩やかで畑や放牧地も広いようだ.


タシチョリンゴンパ上寺upper Tashi Choling Gompa

タシチョリンゴンパ上寺を訪問

タシチョリンゴンパ上寺を訪問

タシチョリンゴンパ上寺は,下寺からさらに上った丘に建つ.ここはなぜか女人禁制ということで,男だけで訪れ,見せてもらう.

マカハーラ(大黒天)が本尊なのだそうだが,普段(この日も)カタで覆われ見ることはできない....ようだった(はっきり覚えてない).年に幾度かの催事ではカタが外され,姿を見せるそうだ.


タシチョリンゴンパ上寺の壁画

タシチョリンゴンパ上寺の壁画

壁画も多く描かれている.印象的な二人のガイコツはチティパティ(Citipati 屍陀林王)と呼ばれる墓場の番人だそうだ.

このガイコツは他所でのチャム(cham dance マスクダンス)で見たことがある.悪霊を退散させる役割を担うということだ.


タシチョリンゴンパ上寺の手

タシチョリンゴンパ上寺の手

乾燥された人の手が置いてある.この寺を建設した大工の手で,他にこのようなゴンパ建設を妨げるために切断された,いや単にゴンパに窃盗に来て,罰と見せしめのために切り落とされた,とかの説があるそうだ.結局はっきりしないという.

またお堂には銃や刀剣も柱に立てかけられていた.僧兵がいて,ゴンパも砦の役割を担っていた時代の名残りであろうか.


タシチョリンゴンパ上寺から眺めたギリンの村

タシチョリンゴンパ上寺から眺めたギリン村

ここからの眺めもすばらしい.広大な緑の地はムスタンではないような錯覚も覚える.


ニイラ峠Nyi La Pass(4,050m)

タシチョリンゴンパから下る途中に学校

タシチョリンゴンパから下る途中に学校

タシチョリンゴンパを見物し,丘から下った.次はニイラ峠に向かう.

下る途中幾つかの建物から成る学校があった.記された文字から少なくとも小学校と中学校はあった.建物の数からすると高校もあるかもしれない.


丘を下りタシチョリンゴンパを眺めてみる

丘を下りタシチョリンゴンパを眺めてみる

丘を下ったところでタシチョリンゴンパを振り返ってみた.下寺,上寺は見てきたとおりだが,上寺の奥(左上)に廃墟が見えている.ここにはギリンの王宮(Geling Dzong)が置かれていたようだ.タシチョリンゴンパ上寺には武器が並んでいたが,王宮と一体的にゾン(Dzong)が形成されていたのではなかろうか.


馬や牛が短い草を喰んでいる

馬や牛が短い草を喰んでいる

タシチョリンゴンパの丘から下ると,緩やかな傾斜の丘陵地帯となった.他ではあまり見ない馬が数頭いる.ギリンの村中でもよく見かけた牛も混じっている.

馬や牛は濃い緑の灌木は食べられず,専ら小さな草を口の先で掬って食べているようだ.


灌木のような草とヤギ

灌木のような草とヤギ

遠目には黄色い花を付けた灌木のように見えるが,傍で見ると,実は土の山に生えたマメ科の草ではないかと思える.そしてどのようにそうした小山状の盛り土が形成されたか不思議である.同行Aさんは,風で吹き寄せられた砂が一本の草で止められ,砂溜りとなり,それが繰り返され草が増え,盛り土の山も成長したのではとの説を披露された.う~ん,確かにそんな気もしますね.

ところでマメのような黄花の幹は,バラのように先の花の近くまで鋭いトゲが付いている.

そしてこの近くには大きなヤギ(この辺のヤギは大きい)がいて,時々黄花に口を寄せ,食べているように見える.トゲはかなり先端まで付いているので,食べることができるのは精々花びらと,直ぐ近くの新葉くらいか.食べられる方の防戦と,何とか少しでも食べようとする側の攻撃は互いに必死で,感動的だ.


ニイラ峠(Nyi La Pass:4,050m)に至る

ニイラ峠に至る

そのうちニイラ峠(Nyi La Pass:4,050m)に至った.往きではここが最高点だそうだ.

ということでここで記念写真とした.


ニイラ峠のラプツェ(Rapche)とルンタ

ニイラ峠のラプツェとルンタ

ニイラ峠にはチョルテン,いや大きなケルンというか,または石積み塚ラプツェ(Rapche)とも呼ばれる塚が築かれている.そしてその柱にはルンタ(rlung rta)やタルチョー(dar lcog),それにカタ(Kata)が無数に結ばれている.

やはりチベット世界を再認識させる.


ガミラ峠Ghami La Pass

ガミラ峠(Ghami La Pass)に到着

ガミラ峠に到着

ニイラ峠から比較的単調な道が続いた.そしてやがてガミ村への標識があり,そちらに折れ歩くとこのガミラ峠(Ghami La Pass)に到着した.やはり石積み塚ラプツェが築かれていた.

そしてここからは盆地状のガミ村と広大な畑を見下ろすことができる.


少し行くと長いメンダンと病院を望む

少し行くと長いメンダンと病院を望む

ガミラ峠から少し行くと,広範なガミのエリアが望めた.右側中央45°くらいの角度に見える線は長いメンダンで,後でそこを通り間近に眺める予定だ.またその右下,四角い塀の中の建物は病院,その下が学校で,前述の近藤亨氏のご尽力で建設されたという.


ガミの村village of Ghami

ガミ村の入り口に来た

ガミ村の入り口に来た

そのうちガミ村の入り口になった.住宅は西側に集中し,東は傾斜ある畑地になっている.また上記長いメンダンや病院は川向うの北斜面途中に築かれている.


ガミ村はチベット仏教色で満たされている

ガミ村はチベット仏教色で満たされている

ガミ村を歩いていると至るところにチョルテンやマニ車が設けられ,タルチョー,ダルシンがはためき,もうチベット仏教色でいっぱいだ.特段信心深い村なのでしょうか.


ガミ村の中庭のあるバッティ2階ダイニングルームで昼食

中庭のあるバッティ2階ダイニングルームで昼食

私たちは中庭(パティオ)のあるバッティ2階ダイニングルームをお借りして,シェフとキッチンスタッフの皆さんが用意して下さった昼食を頂いた.

中庭のある家は時々あるようで,なかなか贅沢な造りだ.


ガミ村のバッティは仏間も備えていた

バッティは仏間も備えていた

ガミ村のバッティは仏間も備えており,女将さんが中を覗かせてくれた.壁は一面写真のような仏画が描かれている.ところでこの部屋はちゃっかりお土産ショップも兼ねていて,各種仏具やチベッタンアクセサリーが並んでいた.な~るほど.


ガミ村で食後マニ車を廻しながら北へ

食後マニ車を廻しながら北へ

バッティでの昼食後,再びチョルテンやマニ車だらけの道を進んだ.マニ車は思い出したように時々廻した.なお先頭のガイドTさんはヒンドゥーなので,一切マニ車は廻さず,また稀に右側を通過しそうになるので,私が出しゃばり『こっちこっち』と声を掛けた.


ガミの村外れの林

ガミの村外れの林

さてガミの村外れになった.例によって途中で枝分かれした木々が見事だ.

先を行くのは私たちの二人の女性キッチンスタッフのようだ.なぜかいつも少しだけ私たちの先を歩いている気がする.


ガミの長いメンダンlong Mendan

ガミコーラ(Ghami Khola)の橋を渡る

ガミコーラの橋を渡る

ガミ村の先にはガミコーラ(Ghami Khola)が流れ,橋が架かっている.私たちはこの橋を渡り,同川左岸に出た.左岸からは直ちに上り斜面に入る.

なおガミコーラは東に流れ,やがてカリガンダキに注ぐ.


馬もガミコーラを渡る

馬もガミコーラを渡る

馬も急斜面を下り,そしてガミコーラを渡る.橋はあまり頑丈そうではないので,馬は渡渉したのかもしれない.


ガミの長いメンダン(Mendan,mani wall)になる

長いメンダンになる

ガミコーラ左岸斜面を上ると地図にも『ムスタンで最も長いマニ壁(Longest Mani Wall in Mustang)』と記され,300mもあるという長いメンダン(Mendan,mani wall)に出合った.

いや~随分と長大なものを築いたもんですね.


ガミの長いメンダンはパドマサンバヴァが引きちぎった魔女の腸で作った

メンダンはパドマサンバヴァが引きちぎった魔女の腸で作った

添乗Iさんの解説では,仏教伝来以前,この地ムスタンは強大な魔女に支配されていた.そこにかの有名なパドマサンバヴァ(Padmasaṃbhava,また別名グルリンポチェGuru rinpoche:8世紀後半頃)がここにやって来て,神通力で魔女をバラバラに打ち砕いたそうだ.そしてその腸はこの斜面に落ち,地中に埋まり,その上にこのメンダンを建てたという.この調伏でムスタンは仏教のパラダイスに変わったということだ.

なお魔女の他の臓器は別の場所に落ち,例えば心臓は後日訪れるローゲカルゴンパ(Lo Gekar gompa)の地中深くに落下したという.また肺はガミを見下ろす絶壁に,肝臓はテタンの裏山に落ちたそうだ.


長いメンダンのマニ石

長いメンダンのマニ石

長いメンダンはチベット文字で刻まれている.多分オンマニペメフムの真言なのであろう.文字が凸状に浮き出るレリーフが目立つ.文字の風化が少ないのでパドマサンバヴァより大分後に彫られたのが多いようだ.


赤い絶壁red Cliff

ダクマール(Dhakmar)への標識と赤い絶壁

ダクマールへの標識と赤い絶壁

長いメンダンから先に進むと,ダクマール(Dhakmar)への標識があり,その背後に赤い絶壁/奇岩が見えた.赤い岩は珍しくまた縦横侵食されてできた模様がおもしろい.

なおダクマールは帰路に立ち寄ることになっている.


ツァラン峠Tsarang Pass

ツァラン峠に向かう原を行く

ツァラン峠に向かう原を行く

赤い絶壁先辺りは広々した原があり,一部そんな場所も通過した.


ツァラン峠の石塚ラプツェ(Rapche)になる

ツァラン峠の石塚ラプツェ(Rapche)になる

やがてツァラン峠の石塚ラプツェ(Rapche)に至り,ここで腰を下ろした.まあ,盛大に積み上げたものであるが,峠や頂に宿る聖なる某かを祀るものであろう.勿論タルチョーなども掲げられている.

またツァランの名を冠した峠であるから,この先はツァランの領域に入るのであろう.


ツァラン峠を越えツァランの村が見えてきた

ツァラン峠を越えツァランの村が見えてきた

ツァラン峠を越えた.そしてツァランの村が谷の底に見えてきた.陽が弱くなったためかちょっと霞んでいるように見える.

ツァランはかつてのムスタン王国内では,明日行くローマンタンに次ぐ第2の街だったそうで,多分現在もアッパームスタン2番目くらいの人口を抱えているのではなかろうか.


ツァラン峠近く,縦筋状に侵食された地形

縦筋状に侵食された地形

横を眺めると縦筋状に侵食された地形が見える.こうした景観は,例えばチベットのトリンなどでも見かけるが,なかなかおもしろい.


ツァラン峠の少し先,たくさんの牛が帰路に就くシーン

たくさんの牛が帰路に就くシーン

ツァラン峠の少し先を歩いていると,たくさんの牛がツァランの方向に移動していた.連れていたのは中年のカウガール,いやおばさんで,ツァラン在住農家の主婦であろう.たった一人でこんなにたくさんの巧みな牛扱いに驚いた.

この辺りはまだ標高4,000mに満たず,ヤクのゾーンではなく,牛の領域だ.牛はヤクやヤギと違って従順(ほんとか?)なのでまだ扱い易いように思う.

尤もヤクも夕方にはまとまって住処に戻る習性があるようで,そうした集団移動は幾度か見かけたことはある.その点ヤギはスキあらば逃げようと,いつも機会を窺っている....ような気がする(違ってたらごめんなさい).


これが前にも触れたマウンドに育った黄花の草

これが前にも触れたマウンドに育った黄花の草

さてこれが前にも触れたマウンドに育った黄花の草だ.一見小山状に茂った灌木のように見える.どっこいそうではなく土(砂)がマウンド状に積もり,そこに丈の短い草が生えているに過ぎないのだ.とても不思議だ.


マウンドに生える草の花

マウンドに生える草の花

これがその草の花だ.枝には結構先までトゲトゲでいっぱいだ.殆ど家畜は手出しできないと思われるのだが....ヤギは多分先端の黄花,その近くの新芽だけであろうがついばんでいる.


ツァランに入るget to Tsarang

ツァランの村が見渡せるところになる

ツァランの村が見渡せるところになる

ツァラン峠から大分進み,ツァランの村全体が見渡せるところに来た.

西側の木立が多い辺りが白壁の住居が集中する集落,右東側は畑のエリアのようだ.その畑の北側の丘の赤い建物は後で訪問予定のチェデゴンパまたはツァランゴンパ(Tsarang Gompa),その左の大きな白い建物は昔のツァラン王宮のようである.


ツァラン入り口の大チョルテン

ツァラン入り口の大チョルテン

さていよいよツァラン入り口になった.入り口にはひときわ大きいチョルテンが建てられていた.屋根付きの基本構造や色合いは他のムスタン様式チョルテンと共通であるが,より細かな装飾が施されている.

ところでこれは通路が設けてあるので,普通のチョルテンではなくカンニと呼ぶのがいいかもしれない.そしてその通路天井や壁に曼荼羅など描かれているに違いなかろう.ただどうした訳か通路は塞がれていた.保護のためであろうか.そこで左脇を通り,さらに一周してみた.


ツァランチョルテン下段壁の細密レリーフ

ツァランチョルテン下段壁の細密レリーフ

ツァランチョルテン下段壁には幾つかの動物や架空動物のレリーフが埋め込まれていた.写真はそのひとつ,とても優しい感じだがガルーダのようである.これも細密なレリーフに彩色されており,これまで眺めたチョルテン装飾では際立っている.

なおガルーダと言えば元はヒンドゥー神,またガルーダインドネシア航空のようにイスラム国での神,さらにタイなど上座部仏教国でも神として扱われ.....そしてチベット仏教でも大事にされているということのようだ.


ツァラン入り口のチベッタンアクセサリー露店

ツァラン入り口のチベッタンアクセサリー露店

ツァラン入り口の路面に数珠やネックレス,腕輪といったチベッタンアクセサリーを並べ,販売していた.あまり,いや殆ど人通りはないのでかなり根気が要りそうだ.

ちょっと古い統計だが,ツァラン村には130家族,682人の住民が暮らしているそうだ.かつてはムスタンの首都であったということを偲ばせる数値であろう.


ツァランのカイラスホテルに到着

カイラスホテルに到着

ツァラン村を歩き,カイラスホテルというバッティに到着した.この母屋で一泊するわけではないのだが,キッチンスタッフの皆さんはここのキッチンを借用して調理し,私たちはそれをダイニングルームで頂く

なお私たちのテントは道路を挟んだ反対側,本バッティ所有地のテントサイトに張られ,そこで一泊だ.


ツァランのカイラスホテルの二階へ

カイラスホテルの二階へ

カイラスホテルの門をくぐると,一先ずこの母屋二階のダイニングルームに上り,お茶を頂き,休憩する.

この家もパティオのある大きな造りで,なかなか立派なものだ.


ツァラン村カイラスホテル近くの洗い場

カイラスホテル近くの洗い場

カイラスホテル前の通りには,これに沿って小さな水路も流れている.ここでは付近の人たちが食器を洗ったり,野菜の下ごしらえをしている.普通に見ると,衛生上大丈夫なのかな~?と思ったりするが,大丈夫なのだろう.


ツァラン村は牛がいっぱい

ツァラン村は牛がいっぱい

カイラスホテル近くを見渡すと牛がいっぱいほっつき歩いてる.ここは仏教圏だが,ネパール他都市やインドのヒンドゥー圏と同じ光景だ.でもここではツァラン峠から少し下ったところで大量の牛の移動も見られたことだし,きっと聖なる動物ではなく,普通に食用になるのではなかろうか.

水路に汚物とか流れ込まないのかな~などとまた余計なこと思わないでもないが.

ツァランゴンパ(またはチェデゴンパ)Tsarang Gompa

ツァランゴンパTsarang Gompa(またはチェデゴンパ)は丘の上

ツァランゴンパは丘の上

ツァランゴンパ(またはチェデゴンパ)は丘の上に聳えていた.添乗Iさんの資料見ると,14世紀ゴルチェワンガサンポ師の建立で,ムスタン最大のサキャ派ゴンパだそうだ.こうして眺めると手前から奥の方まで幾つかの建物から成るようだ.


これがツァランゴンパの本堂

これがツァランゴンパの本堂

坂を上がったところ,一番手前,サキャ3色ストライプのお堂が現在の本堂のようだ.

石を積み重ね,土で隙間を満たし,また表面を覆った構造であろうか.何れにしても赤い外観はこれまで見てきたゴンパ同様で,寺院だけに許された色合いのようだ.そう,以前三色チョルテンで触れたが,赤は文殊菩薩の象徴で,サキャ派を含めてチベット仏教ではとても大切な色なのだ.なお城塞(ゾン)は普通の民家と同じ白だった.


ツァランゴンパ本堂を見せてもらう

ツァランゴンパ本堂を見せてもらう

ツァランゴンパ本堂入り口に立つと少年層が大勢出ていった.お勤めが終わったのか皆にこにこ顔だ.現在35人の僧がここに属しているという.

私たちはお堂内部を見せてもらいに入った.

案内のお坊さんの説明によれば,本堂の本尊として弥勒菩薩が祀られ,手前は僧の座る座卓が確か2列並べられていた.また周囲の壁には13世紀というとても古いのもあるという多くの壁画が描かれていた.

最も驚かされたのは金(ゴールド)で凸状立体的に書かれた経典だ.目の不自由な人も触れば解るであろうし,私たちも触れさせてもらったが,実にゴージャスなものだ.なお本堂内は撮影禁止だ(ただしUS$100のお代で可能).


ツァランゴンパの古いお堂を見せてもらう

ツァランゴンパの古いお堂を見せてもらう

さてツァランと言えば,私たちには,何と言っても100年余り前ここに逗留したという河口慧海師が偲ばれる.

慧海師はその頃,タラエアで到着したジョムソンの少し南,マルファの街にも滞在しており,以前そこの河口慧海記念館を見せてもらったことを思い出す.

そしてその慧海師縁のお堂を見せてくれると,本堂背後の古いお堂に案内して貰った.


ツァランゴンパ古いお堂壁の六道輪廻図

古いお堂壁の六道輪廻図

古いお堂に入ると壁には六道輪廻図など幾つか壁画が描かれていた.かなり傷みがあり,惜しい状態だ.


ツァランゴンパ古いお堂背後小部屋の河口慧海師像

古いお堂背後小部屋の河口慧海師像

お堂から狭い通路を伝って,背後の物置きのような小部屋に入った.すると大きな目を見開き,等身大あまり,戴帽した河口慧海師像が据えてあった.上述マルファ記念館や書籍に載っている写真と比べてふくよかなお顔立ちだ.なお像は彩色塑像製であろうか?

また左の像は慧海師のお弟子さんをかたどったものだそうだ.


ツァランゴンパ古いお堂は漆喰剥がれも

ツァランゴンパ古いお堂は漆喰剥がれも

慧海師像を眺めて入り口に戻った.改めて壁を見ると漆喰が剥がれ,したがって壁画も剥がれているのが残念だ.


ツァランゴンパ古いお堂の屋根の傷み

ツァランゴンパ古いお堂の屋根の傷み

屋根も傷み,隙間が開いている.雨の少ない土地ながらやはり内部にダメージを与えそうだ.

建設から900年になるという古いお堂は傷んではいるが,慧海師の面影を偲べたし,また撮影可で,とても印象深かった.


ツァランゴンパから望む山側

ツァランゴンパから望む山側

ツァランゴンパは丘の上にあるので,眺めがいい.夕刻で陽が低くなり,コントラストの付いた山並みが美しい.


ツァランゴンパから望むツァラン村側

ツァランゴンパから望むツァラン村側

ツァランの村も良く望める.家の屋根周囲に並ぶ大量の丸太が面白い.


ツァラン王宮Tsarang Dzong

ツァラン王宮はツァランゴンパ反対の丘の上

ツァラン王宮はツァランゴンパ反対の丘の上

かつてのツァラン王宮は一旦ツァランゴンパの丘を下り,反対側丘の上にあった.この写真で中央チョルテン右側に位置する.4,5階建ての主に日干しレンガの高層建てで,初代ムスタン国王アメパル(Ame Pal)が1380年に建設したという.

階段を上っていくと,仏間があり,木彫りの観音菩薩像,他が祀られている.観音像はラダック(現インド領)から嫁いだ王妃が持ってきたそうだ.

また,別室にはいかにもゾン(Dzong)らしく,古い刀などの武器や,またしてもミイラ化した手など展示していた.手はゾンを建設した大工が再び同じようなゾンガ建設できないように,というタシチョリンゴンパ上寺での手と同じようなストーリーが聞かされた.しかしタシチョリンゴンパ同様盗人の右手との説もあるそうだ.


ツァラン王宮からツァランゴンパを望む

ツァラン王宮からツァランゴンパを望む

ツァラン王宮からツァランゴンパを眺めた.既に陽が落ち,ゴンパは陰っていた.背後の山はヤカワカン(中央)とトロンピーク(右)のようだ.雲が厚いが明日はどうかな~


ツァラン王宮の見物が終わると,カイラスホテルテントサイトに戻った.そして夕食後,そのテントで休んだ.明日はいよいよローマンタンに向かう.


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