このサマルへ編では,2017年5月26日のトレッキングマップ,ガミの朝歩き始め,ガミラ峠,ニイラ峠を越え,ザイテ村でお茶をいただき,シャンボチェンラ峠を越えて,シャンボチェン村で昼食.そして午後シャンボチェコーラの谷に下り,チュングシ洞窟でランチョンチョルテンを見物し,シャンボチェコーラ谷の対岸(右岸)から上り返し峠に至り,その峠から今度はサマルカヤンコーラ越えし,サマルに到着するまでの写真を載せました.
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トレック7日目,5月26日は,15:ガミから,帰路のトラック(青線)上の14:ニイラ峠,12:シェンボチェンラ峠,22:チェングシケーブ(ランチョンチョルテン)を通り,11:サマルに到着,ここのテントサイトで宿泊.
この日のGPS記録では
歩行距離:20.17km
歩行時間:5時間43分(エラーか?)
総時間:10時間43分
終点の標高:3,605m
だった.
私たちはこの日も5時起きだった.間違いなくシェフPさんとキッチンボーイの皆さんはそれより早く起きて,私達の湯を用意したり,母屋のキッチンでこうして朝食の調理に取り掛かっておられた.
バッティ2階バルコニーから下の家畜囲いを覗いてみてびっくりした.昨日夕方見たときは空であったのに,今見るとヤギと羊でいっぱいだ.結構遅い時間に帰宅していたようだ.
羊やヤギの角は普通2本だが,4本角の羊(いやヤギか?)が一頭混じっていた.私は始めて見たが,たまにそうしたのが産まれるのであろうか.
ところでここの羊とヤギは,長い毛,大きな体格など,よく似ていて見分けが難しい.私だけかな.
朝食が済み,テントを撤収し,軽い準備運動をし,出発した.そして仏教施設の多いガミ村を進む.
ガミ村外れには古いカンニがありここを抜けた.天井は曼荼羅やダビデの星のような星模様,側面は如来などの像が描かれている.鮮やかな青はラピスラズリであろうか?
ただ惜しいことに絵の具が虫食い状に剥がれてきている.
村外れではガミコーラ川(Ghami Khola)に出合い,これを渡り対岸(右岸)に渡った.他のパーティのトレッカーも一斉に渡ってきて,同じ方向に向かった.
ところで上のGoogle mapを拡大すると見えるのだが,ガミ周辺のこの通り(の一部を含む通り)には『カリガンダキ回廊(Kali Gandaki Coridor)』の名が付されているようだ.
ガミコーラを渡った後は,ガミラ峠(Ghami La Pass)に向かってどんどん上る.比較的急なところもある.
後ろを見ると,往きと同じ眺めだが,ガミの村がよく見える
それと左端から右下に続く黒い点々,これは餌場に向かうヤギの列のようである.かれらも早い出勤のようで,感心感心.
馬もトレッカーの荷物を乗せて進んでいった.
これも往路で通過した点であるが,ガミラ峠に至った.石塚(ラプツェ)が築かれている.ここではリュックを下ろし,一休みだ.
ガミラ峠では,パドマサンバヴァが悪魔の腸上に築いたムスタン一長いメンダンを再度眺めた.ティジ祭で悪魔祓いの儀式をつぶさに眺めてきた後だけに,さらなるインパクトが感じられた.
次はニイラ峠だ.今日歩くトレイルのうち,スタートのガミ村からニイラ峠の間は,5/22(月)歩いた往路の一部と同じだ.ということでこの風景も以前見ている筈だが,単調な部分はよく覚えてないな~
そのうちニイラ峠(Nyi La Pass:4,050m)に着いた.さすがこの景色はよく覚えている.往路の最高地点と云うことで記念写真も撮ったのだった.
ここでもちょっと休憩だ.
ニイラ峠から下りにかかった.途中往路とは異なる西側の道に入る予定だ.
ニイラ峠の少し下で,西の道に折れ,そこを進んだ.比較的なだらかで,いい道だ.
やがてザイテの村に入っていった.道脇に大きな家畜囲いのフェンスが目につく.農家の戸数は数軒程度で小さな集落のようだ.あまり畑が見えないので放牧を生業とする家が多いのであろうか.
Hotel Zaite Jamyangの看板を掲げた茶屋に入った.ここでは定番のミルクティーを頂いた.
中庭の喫茶室周囲には色々な国旗が掲げられ,欧州や中東のが目立つ.日本人客はあまり多くないせいか日の丸は見えなかった.
これもチベット圏定番の仏具やネックレスに加え,帯やチベットストライプの布地などもあった.ある人の買い求めた帯はデザインが素敵と評判になっていた.
ザイテでお茶の後,また歩き始めた.少しすると道路工事中で擁壁を築いていた.道幅は広く,もちろん車道である.なおこれまでも皆無であったが,舗装の気配は全くないようだ.
チョルテンがあって,その先に木立が見えている.集落の入り口であろう.
戸数僅かな小さな集落だが,木立は立派だ.そこに家畜が入らないように石で保護フェンスが積まれている.植物が少ない自然環境なので,こうした保護はとても大事なことなのだ.
なお,Iさんのレポートによればここはチャンカルと呼ばれる集落のようだ.
ここら辺で東を望むと,谷の底に往きで一泊したギリン(Geling:3,510m)の村が見える.丘中腹のタシチョリンゴンパ下寺,上寺,学校施設の様子がはっきり見えて,懐かしい気がする.
暫く行くとまた小さな集落入口に出合った.ここではマニ車列があり,ベンチが置かれていた.Iさんのレポートによればタマの集落ということだ.
この辺りからは下の沢を目掛けて一旦下る.結構急な坂だ.
沢の底まで至ると,今度はその対岸から上り返す.やはり急な坂が待っていた.
上り返すと,そこにはあの特徴ある2つ目の大きなチョルテン,つまりシャンボチェンチョルテンが立っていた.
高く位置するシャンボチェンラ峠から,山中腹にあるシャンボチェンの村目掛けて下りにかかった.そこで昼食の予定で,大した距離はない筈だ.
下り坂の途中でシャンボチェンの村を見下ろすとこんな風に見える.戸数は5,6軒であろうか.
そしてここでも家畜から樹木や野菜を守る大きい長方形のフェンスが見える.随分大きいのに驚く.
フェンス内の白いものは何であろう,温室か....?
シャンボチェンの村に到着した.そして奥の一軒のバッティにお邪魔した.
シャンボチェン村バッティのダイニングルームに上がらせてもらい,ここで昼食を頂いた.
部屋の戸棚には商品のビールやコーラ類,スナック類が並んでいる.
昼食後バッティをお暇し,メインの道路に出た.少し行くと『チュングシ洞窟(Chungsi Cave)』の標識があった.珍しいことだ.
目的はチュングシ洞窟だがそこに行くには,先ずシャンボチェコーラ(Shyangboche Khola)の谷に下る必要があり,下り道に分岐した.
シャンボチェコーラ(Shyangboche Khola)谷への道は細いが,変化に富むなかなかいい景色が見られる.
トレイル自体が谷筋にあるので,灌木程度だが緑も比較的多く点在している.
曲がりくねったトレイルは結構長い.さて一体どれくらい降下したであろうか.
そしてタルチョーの架かるシャンボチェコーラ(Shyangboche Khola)の谷に到着した.シャンボチェコーラはあっけないほどちょぼちょぼの流れだ.
タルチョーはこの近く,チュングシ洞窟内に祀られるランチョンチョルテン(Ranchung chorten)への入り口の印だ.
シャンボチェコーラ谷にはチュングシ洞窟(Chungsi Cave)へ上る階段が設けられている.そこで階段の前にリュックを置き,皆で洞窟へと上り始めた.
欧州グループの皆さんとはこの辺でまた同じタイミングになった.
階段の終わりにチュングシ洞窟(Chungsi Cave)があった.山の切り立った崖に自然の風化でできたものだそうだ.
昔修行僧が篭ったとされる人工的な洞窟はこれまで幾つかの場所で見てきたが,ここは自然の洞窟なので瞑想にはさらにぴったりの場と言えそうだ.
現在は立派な階段があり,安全に上れるが,ないと結構な勾配があり,大変だったのではないかと思う.
現在ここには管理人を兼ねたたった一人のお坊さんが常駐し,修行しているそうだ.また巡礼者も時々あるようで,そうした人たちの宿を提供するそうで,そんな石室のブースが建てられている.なおブースは洞窟内にもある.
洞窟前に立ち,中を見ると右側にどっしりした鍾乳石(石筍)が座っている.これは『自ら生じた仏塔=ランチョンチョルテン(Ranchung chorten)』とされ,洞窟の御本尊として祀られているのだそうだ.
なお鍾乳石の手前は仏像のレリーフが刻まれた人口の石板である.
鍾乳石脇には4基の人口チョルテンがあった.それぞれ絵が付けてあり,左から釈迦牟尼,口ヒゲが見えないがパドマサンバヴァ,初めて聞く無量光仏,観音様の一人,ということだ.
洞窟手前には何人かのラマ像(写真)も掲げてあった.中央は亡くなられたというサキャ派の高僧,右二人目はダライラマ14世,....あとは不明.
こうした宗派を越えて尊厳を示すことはいいことだ.
チュングシ洞窟は左側から内部に入り,チョルテン背後をぐりると巡れる.軟弱な私は入り口大岩のロッククライミングで滑り,ここで敢え無く退却した.
チュングシ洞窟を見終えると,また階段を下り,リュックを背負う.そしてシャンボチェコーラを,確か飛び石で渡り,対岸(右岸)へ出た.
対岸に出た後からは,斜面トラバース路をひたすら上る
このトレイルは,砂地で幅が狭いところがあって,これまで全行程の中で一番大変な行程だった.少し崩れて私には怖い箇所もあった.
さて大分上ったかな?振り向くと出発したシャンボチェコーラの谷の両岸から立ち上がる岩山が陽に輝きとてもいい眺めだ.
傾斜は緩やかになってきたようだが,まだまだ上りは続く.トレイル下を覗くと谷まで非常に深く見える.ここで滑ったら大変だ.
どことなく人の顔だ,と話題にしながら上り続けた.どちらかと言うと東洋人の顔ですな.
幅の狭いトラバース路は終わり,何も心配せず歩けるトレイルになった.良かった.
でも峠まではあと少しありそうだ.
そして峠に到着した.タングシャ峠と呼ばれるようだ.石塚が築かれタルチョーがたなびいている.
また向こうには久しぶりにニルギリの峰が見えている.
ここでは腰を下ろし,休憩し,また次の谷越えに備える.
タングシャ峠からサマルカヤンコーラ(Samar kyung khola)の谷に向かった.暫くは必ずしもはっきりしない,急な荒野を下る箇所もあった.
途中雪山が見えた.左テリチョピーク(Tilicho Peak:7,134m),右ニルギリノース(Nilgiri North:7,061m)であろう.美しい.
続いて左にヤカワカン(Yakawa Kang:6,482m),右にトロンピーク(Thorung Peak:5,751m)がよく見えた.
今回のツアーは,この山の麓ムクチナートの近くまで来ているのに,訪れないのはちょっと残念だ.
こんな遅い時間になって,2頭の牛が急坂の階段を上ってくる.さっき通った荒野の草を喰みに行くのかな~頑張れ~
そのうちサマルカヤンコーラ(Samar kyung khola)の谷が見えてきた.そしてこの辺りから先のサマルカヤンコーラ越えルートは,往路で逆方向から越えたところと共通だ.なので対岸の急登や左上の四角いゲートなど思い出す.
サマルカヤンコーラへの急坂を下り,越え,そして上り,ゲートを通過し,サマルの縄張りに入ってきた.
入ると早速大きなチョルテンが立ち並んでいた.皆白いので観音菩薩の象徴であろう.
既に5時半で,大分陽が落ちてきた.山の壁は黒くなり,雪山の北面も暗くなってきた.
遅くなってようやくサマル(Samar:3,620m)の集落に到着した.この長いマニ車は見覚えある気がするが,多分逆方向から歩いたであろう.いや~それにしても今日はよく歩いた.くたびれた.
サマルは往路でお茶を頂いたが,今度はそことは異なるバッティのお世話になる.つまりキッチンやダイニングルームを使わせてもらい,庭にはテントを張る.私達の9張りの上の段には,既に外国のトレッカーが4,5張り設営していた.サマルのバッティもあまり余裕がないのだろう.尤もこのティジ祭絡みの期間だけであろうが.
この日はシェフPさんが用意する最後の夕食ということで,特別料理にケーキまで作ってもらい,美味しく頂いた.ごちそうさまでした.
さて明日はいよいよトレッキング最終日だ.