このギリンへ編では,2017年5月21日のトレッキングマップ,ツェレの朝出発し,ジャカール対岸を通り,人喰い岩ルートを通過し,サマル村を通り,サマルカヤン川の谷を越え,ベナラ峠を経て,ベナ村に至りここでランチ.午後バガラ峠を越え,シャンボチェン村を過ぎて,ギリン村に至りここでテント泊したときの写真を載せました.
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トレック3日目の5月21日は,10:ツェレから,11:サマル,12:シャンボチェン村を通り,13:ギリンまで歩き,ここで宿泊.赤い線が歩いたGPSのトラックであるが,一部黄色の車道を歩き,一部はショートカットのトレイルを歩いた.
なお8:チュクサン~10:ツェレの間は帰路のトラック(青線)と同じで,重ねて表示されている.
この日のGPS記録では
歩行距離:18.9km
歩行時間:7時間8分
総時間:8時間46分
終点の標高:3,552m
だった.
5月21日ツェレの朝がきた.テントを空にし,スイートドリームというバッティ母屋のダイニングルームで,私たちシェフ力作の朝食(確か粥など)を頂く.
そして今日の行程は長いので,軽く準備運動し,7:00AMガイドTさんを先頭に出発した.
傾斜にあるツェレ村の家々を縫うように上っていった.
途中牛囲いのある家の一画には前日ゴンパ近くで見かけたのと同形式の香木炉(写真右)が据えられ,香木を焚く白い煙が舞い上がっていた.信心深い人々だ.
ツェレ村を抜けると高台で,南東には,左テリチョピーク(Tilicho Peak:7,134m)と右ニルギリノース(Nilgiri North:7,061m)がよく見えた.美しい.
ツェレからはジャカールコーラ(Ghyakar khola)左岸に沿うように暫く上るようだ.私の前をキッチンスタッフの皆さんがドコを背負い,抜いていった.
トレイルはジャカールコーラ(Ghyakar khola)の深い渓谷を見下ろす左岸縁になった.対岸に見えるはジャカール村(Ghyakar:3,562m)だそうだ.広い畑と10戸程度であろうか,住居が見える.
ジャカールコーラの流れは少ないが,峡谷の幅は相当あり,また深い.幸い写真左から1/3くらいのところに長い吊橋が架かっており,無かった時代に比べれば格段に利便性が増したであろう.
ジャカールコーラ左岸トレイルは暫く続いた.そして私たちはこの見晴らしの良い景色を眺めながら一服した.この先,右手を見るとちょっと大変かな~どうだろう.
やがて岩山のトラバース路になった.添乗Iさんのレポートによれば『人喰い岩ルート』と呼ばれるそうだ.これまで落石とかで犠牲者が出ているのであろうか.
実際『人喰い岩ルート』を通ってみると,幅があり結構だ.ただトレイル一部の基礎は,丸太の柱に梁の丸太,その上に砕石を積み上げた構造で,あまり強固には見えない.でも馬やロバも通るのだから大丈夫な筈だ.
人喰い岩ルートの一部には軽度の地すべり箇所や,狭い所もあったが,多くはいいトレイルだ.さてあと少しで抜けるかな~
人喰い岩ルートを抜けて,幅広いトレイルになった.
ジャカールコーラ右岸ジャカール村が低い位置に見えるので,標高も上がったようだ.
人喰い岩ルート終わりでは背後の山も美しく見えていた.ガイドTさんに訊いたとき,左はトロンピーク(Thorung Peak:5,751m)と右ガンガプルナ(Gangapurna:7,455m)と言われたように思う.
途中馬が道草を食べたか,馬組の皆さんも私たちの後に続いて通過して行った.
馬に乗ると目の位置が高くなるので怖そうだが,馬組の皆さんはへっちゃらの強者のようだ.
人喰い岩ルートを越えて進んだ.トラバース路には斜面から崩れ落ちた砂利が覆っている.規模が大きくなると大変だが,この程度に治まってくれて幸いだ.
そのうちサマルパス(Samar pass)に至った.石積みのチョルテン(若しくはラプツェ,ケルン)が築かれ,タルチョーが舞っている.ここはトレイル交差点でもあり,また近くでは新規道路工事も行われていた.
サマルパスからはサマル村目掛けて下った.そして村入口には黒(若しくは青)を欠くが一応3色チョルテンが建てられていた.
十数軒はあろうか,サマルの村が見える.ここは城塞的ではなく,完全に間隔を開けて家々が建てられている.街道沿いにはバッティやレストランも揃っているようだ.
村入り口近くには立派な林があった.例によって途中で幹をカットし,たくさんの枝を分岐したものだ.
またその先にはほぼ直方体という比較的シンプルな形状のカンニ(kani 仏塔門)も見えている.
サマル村に入り,またもや『ホテルアンナプルナ』の名を冠したレストランに腰を下ろし,ミルクティーを頂戴した.ネパールトレックではミルクティーが定番だ.私はネパール以外で,これを飲む機会はほぼ皆無なのだが,美味しいと思う.
客席の隣はキッチンだ.ビールやコークなど揃えている.場所によってはそれらがあまり売れないので超ビンテージものであることがあるが,ここではそのようなことはないでしょう.
お茶が済み,再び歩き始めた.そして村の終わりになり,マニ車列が見えた.左側を通り,端折りながら幾つか廻して,過ぎた.
さてサマル村を過ぎると,今度は一旦サマルカヤン川(Samar kyung khola)の渓谷に下り,そして対岸を登り返すトレイルに入る.
そのサマルカヤン渓谷への下り口に立つと,脇に3色チョルテンが立ち,下には深い渓谷が見える.こりゃ大変そうだな~
どんどん下り,サマルカヤン渓谷の底になった.流れは小さく,難なく飛石で越えた.
さてサマルカヤン川左岸に着くと,今度は登り返しが待っていた.折角降りたのにまた直ぐ上りで,損(?)したような....
暫く上り無名パスに出た.地図には載っていないし,標識にもないのだが,ちゃんとチョルテンが築かれ彩色されているから,もちろん地元民には名が知れているのであろう.
ここで振り返って見ると,サマルカヤン川から大分上ったのが判る.
無名パスは上りの終わりではなく,まだ先があった.しかも今度はガレたトレイルだ.歩きがいがあるな~
今度こそ上りは終わりで,広場に出た.ここでは皆腰を下ろし,少し休憩だ.
ここには石の塚が築かれ,タルチョーが風になびいている.また先方下側にベナ(Blena)の村が見えている.地図を参照するとどうやらベナラ峠(Blena La Pass:3,860m)のようである.
ベナラ峠辺りの眺めは豪快だ.赤茶けた岩の峰々,灌木の点在,ドルパ境界方面雪を抱く山.....こんな厳しいところで暮らす人々の大変さが偲ばれる.
他方の谷を眺めると,アリゾナのグランドキャニオンのような趣きも感じられる.こちらも豪快だ.
ベナラ峠から下りベナ村に至った.村とは称してもたった一軒のバッティがあるだけで,文字通りエクレバッティ(Eklobhatti)のようなものである.
ただし,この一軒の脇に新しい建物の建設工事が始まっていた.この一軒の前の道は車道なので,車の客(そちらがトレッカーより圧倒的に多いだろう)が見込めると思われる.
この日,このバッティキッチンで,シェフPさんは気合を入れて,うどんとお好み焼きを作ってくれた.特に前者は美味しかった.
うどんの昼食後,私たちはバガラ峠(Bagala Pass)を目指し再び歩き出した.この区間は車道で,幅が広い.車が通ると砂埃が凄い.
剥き出しの岩が波打つ大地は実に荒々しい.チベット的というか,ラサやシガツェ周辺などと比べると,それ以上の荒々しさだ.
車道を歩きバガラ峠(Bagala Pass:3,870m)にやって来た.石塚(ラプツェ Rapche)が築かれ,柱には大量のタルチョーが結ばれている.カリガンダキからは相当離れているであろうが,やはり風が強い.
峠なのでここで腰を下ろし,一休みした.すると私たちと同じようにローマンタンのティジ祭を目指すランクルツアーの皆さんがたまたま通りかかった.そのツアーは私たちのツアー会社と同じ社の主催であるが,トレッキングより人気が高いようで,ランクル4台12人のグループだそうだ.
バガラ峠で一休み後,北に下った.
鉄パイプの電柱が横に倒れている.そこは斜面の空間で,地面に触れずに済んでいる.そしてこれ幸いとばかりに,補修されず放ってある.ところでこれはやはり強風に因るものかな....
そして程なくまた石塚があった.小さな峠かピークのようである.
上の塚からは,少し下方にシャンボチェン(Syangbochen)の村が見えた.シャンボチェ(Syangboche)とも称するそうで,エベレスト街道のそれ(シャンボチェ)と同名か.
眺めるとシャンボチェンの戸数は僅か数軒のように見える.周囲に畑が見えないので,牧畜を生業としているのであろうか.
シャンボチェン村入り口に大きなチョルテンが建てられていた.基部のストライプが赤白黒以外に,黄色と灰色も加わっている.はてこれはサキャ派以外の宗派の意味合いなのであろうか?
また中断の2つの丸模様は何だろう?訊いておけばよかった.
ただぱっと見で,私にはフクロウが連想され,印象的で記憶に残り易い.
シャンボチェンのチョルテンからショートカットトレイルを暫く進むと,谷底にギリン村(Geling)が見えてきた.今夜の宿泊地だ.かなり大きな村のようで,広大な畑が左右に広がっている.また樹木も豊富に茂っている.
家々も樹木に隠れながらも相当数ありそうだ.
また,向こうの斜面に赤い建物が見えるが,タシチョリンゴンパ(Tashi Choling gompa)の下寺,上寺だという.ここにはギリン村到着後,荷物を置いて出かける予定になっていた.しかし私を含めて多くの人がくたびれたと云うことで,翌22日朝訪問することになった.
ギリン村へのショートカットトレイルは直ぐ近くに見えて,実際はアップダウンしながら結構長く続いた.谷あいは陽が陰るようになってきた.
そしてようやくギリン村入口になった.道路脇には家畜の石垣が続いている.家畜柵には2種あり,ひとつはこの中に家畜を入れておくタイプ,もうひとつは柵内部の樹や野菜を保護するために,家畜が立ち入らないようにするためのものだそうだ.
で,この写真中央の長い柵は,多分後者家畜の侵入防止タイプであろうか.
ギリン村入り口には彩色されたメンダン(Mendanマニ石壁)があった.チベット文字で刻まれたマニの上には,上述のシャンボチェンのチョルテン同様に赤白黒に加え黄色と灰色5色ストライプで彩色されている.
かなり夕刻になってギリン村ニュークンガホテル(New Kunga hotel)に到着した.”ホテル”であるが私たちはその庭を借りてテントを張る.またダイニングルームをお借りし,私たちのシェフPさんが調理し,夕食と明日朝の食事を頂く.これまでのテント場も大体そうだったが,ネパールトレックでは一般的な作法だ.
さてスタッフの皆さんに張ってもらったテントで,荷物を広げたり,片付けたりする.そしてそのうちに小雨が降ってきた.でも大したことないようで,しばし様子をみる.
やがて予想通り雨は上がり,向こうの山に夕陽が当たってきた.無名の低い山だがなかなかきれいなものだ.さて明日も晴れるかな~
ニュークンガホテルのダイニングルームに集まり,夕食を頂いた.ポップコーンと....はて何だったか.
食後大変な知らせがあった.サーダーBさんの奥様(カトマンドゥ在住)が事故に遇い,これからジープで急遽そちらに向かうという.大事でなければいいですね.....現地会社では直ちに代理のサーダーを送る予定で,またその方が到着するまではガイドTさんが代行するという.
後,カトマンドゥに戻って聞いた話では,Bさんの奥様は一時意識を失っていたが,その後回復しつつあるそうで,ほっとした.