このガミへ編では,2017年5月25日のトレッキングマップ,ローマンタンで朝を迎え,歩き始めて一つ目の峠を越え,次に二つ目の峠を越え,さらにチョゴラ峠を越え,ツァランコーラを渡り,ローゲカルゴンパに至り,ここで昼食.午後歩きを再開しマランラ峠を過ぎ,赤い絶壁を眺めながらダクマール村を過ぎ,次に五つ目の峠を越え,ガミ村のキャンプサイトに着くまでの写真を載せました.
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トレック6日目の5月25日は,19:ローマンタンから青い線で記したトラックを辿り,20:チョゴラ峠(4,280m),21:ダクマルを経て,15:ガミまで歩いた.
この日のGPS記録では
歩行距離:22.73km
歩行時間:7時間39分
総時間:10時間27分
終点の標高:3,566m
だった.
ローマンタンに朝が来た.快晴のようだ.この日も5時起き,テントを畳み,朝食後7時出発だ.
これまで他で休んでいた荷役の馬,ロバが集まってきた.このテントサイトは草が生えており,馬の朝食になっている.多分土地所有者に支払う使用量には馬の草代も含まれていると思う.(以前ドルパのポクスンド湖で,馬方さんとサイト所有者間で馬のショバ代について揉めたことがあった)
7時になり,ガイドTさんを先頭にローマンタンのサイトを出発した.
トレイル脇には村で使われて排水が主であろう水路が先の畑方面に流れている.さらにその脇の石と土の塀の乾きようを見るに,貴重な水であろう.
ローマンタンの街を出ると,行く手直ぐに谷が横たわっている.ドカポロコーラ(Dokpolo khola)の谷のようで,とにかくこの渡りにかかる.
来るときも渡った筈でしっかりした橋があったと思う.
ドカポロコーラ(Dokpolo khola)を渡り,川岸を上ると,そこにはまるでムスタンとは思えぬ緑豊かな光景が広がっていた.一体全体どうなっているんだろうと思えるほどだった.
そんな訳で馬が放牧され,草を喰んでいる.
また茶色い山の向こうに白い山脈が見えているが,チベット国境の山と聞いた.地図を見るとムスタンヒマール(Mustang Himal)であろうか.
私たちは峠に向かう緩やかな丘を進んだ.そして,これも極めて非ムスタン的であろう池に出合った.地下水が湧き出るのか,或いは向こうの山から流れくるのであろうか.何れにしても放牧された家畜の良き水場になっているようだ.
池から暫く行くと,羊の群れに出合った.引き連れているのは左の男性一人だ.きっとローマンタンの街を朝出て,餌場に向かう途中なのであろう.ところでこの羊もムスタンヤギ同様,丸々とした大型のタイプだ.
この花が咲いていた.花は一見すみれのようであるが,葉っぱはすみれとはぜんぜん違うように見える.さて何でしょうか?
何れにしてもこうした花はここで始めてお目にかかった.豊富な草同様この辺りはやはり特別の気象にあるのでしょうか.
ジョムソンからローマンタンに進む間,殆ど他のトレッカーに出会うことはなかった.しかし復路が始まった今日は,一転して他パーティのトレッカー(皆西洋系)によく出会う.ティジ祭が終わり,皆一斉に引き上げるタイミングなのであろうか.
さて目指す一つ目の峠はあの凹型に窪んだ辺りであろうか.
丘を上りきると,この簡素な丸石の石塚(ラプツェ Rapche)の置かれた一つ目の峠だった.ちょっとあっけないほどのサイズだが,非チベット仏教国のケルンに比べれば必ずしも小さくはないであろうか.GPSで標高を見ると3,990mを示していた.
振り返って見ると,ローマンタンは既に遠くになっていた.まあそれなりに歩いたようである.
一つ目の峠からはさらにアップダウンのある丘は続いた.まあ,これがムスタントレックの一般的地形だとは思う.
まだこの段階では風が無かったのは幸いだが,多分強風を伴うアップダウン歩行がムスタンのデフォルトトレックスタイルなのかな~とも思う.
そのうち二つ目の峠に到着した.今度の石塚はかなり砕石を加えた大型のもので,崩れ難そうだ.
二つ目の峠を越え,さらに進んだ.とても歩き易いトレイルだったように思う.
向こうには白い山並みが見えているが,はてヤカワカン辺りであろうか....いや判らないな~
二つ目の峠から暫く行くと,今度はヤギの群れに出合った.子ヤギも多く混じっている.大型の種で,黒いのが多い.
二つ目の峠の次はチョゴラ峠を目指して進む.これまでの2つの峠は名が付いてなかったが,今度はちゃんとチョゴラ峠(Chogo La Pass:4,280m)の名が付いている.それどころか,標高4,280mは今回トレッキングの最高点になる予定だ.
暫く緩やかに上るとやがて4,000mを越えた.そしてそこはヤク(Yak)の世界だった.中には今年春に産まれたばかりと思しき小さな個体(左下)も混じっている.そして決して草ぼうぼうではない,いやむしろ疎らな僅かな草を,大きな図体で懸命に喰んでいるようだ.頑張れ~
やがて目指すチョゴラ峠(Chogo La Pass:4,280m)に到着した.今回最高点で,感慨ひとしおだ.
チョルテンは,かなり大型であるが並の石塚(ラプツェ)で,現在は既にメインの交通路ではなく,トレッキング程度に供されるトレイルなのかな~と感じさせる.
やはりここが最高点ということで,カタを結ぶ人も多い.順当な考えだと思う.
ここでカッコつけて,チョゴラ峠の向こう側を写してみる.う~ん大分下りそうだな~
ネパールの旅行社主催,私たちと同じようにディジ祭目指したトレッキングツアーの参加者で記念写真だ.一人の方と話してみたら,その人自身はUKからで,他は例えばポーランド,仏,....と,ヨーロッパ各地からのメンバーですよ,ということだった.
チョゴラ峠からは南側の高原を緩やかに下るトレイルになる.比較的単調そうな予感がする.
高山植物らしく丈を低くして地べたを這う可憐な花が咲いていた.形はカズラのようであるが,はて何という花でしょう.
そのうちトレイルは沢に下り始めた.ツァランコーラ(Tsarang Khola)のようだ.沢に降りると流れは僅かで,橋も架かり,容易に越えられた.
ツァランコーラ(Tsarang Khola)もやはり下流でカリガンダキに注ぐ筈だ.
沢に下れば,登り返しが待っていた.久々に若干ガレたトレイルだ.
ツァランコーラ沢から上りきると,トレイルの両側にチョルテンが建ち,その頂点間にタルチョーが張られていた.ローゲカルゴンパ(Lo Gekar Gompa)入り口の印のようだ.
2つのチョルテンは階段ピラミッドのように段々になった形状で,他ではあまり見られないタイプだ.
階段チョルテンの先,左手には,素晴らしい緑の牧草地に林があった.とてもムスタンとは信じ難いような光景だ.
牧草地には2,3頭の馬が見えるが,一足先に到着した私たちの馬組の人たちの馬のようだ.
そしてローゲカルゴンパ(Lo Gekar Gompa)の側面になり,この庭に入っていった.
ローゲカルゴンパはこの赤い色から判るようにサキャ派ゴンパで,ガミの長~いメンダンの元,パドマサンバヴァがやっつけた魔女の腸と関連が深い,いや全く同根で,同じコンセプトで建立されている.
つまり,この地には腸ではなく,魔女の心臓が落下し,その上に建立されたということだ.
なお起源についてはもうひとつの説があるそうだ.それはパドマサンバヴァが,師の生きる後の世に仏教が弾圧される時代が来ることを予測し,仮にそのような時代になっても大事な経典だけは守ろうと,この地下に埋蔵した.そして後の8世紀,ここを聖地としてニンマ派(パドマサンバヴァはこの開祖)寺院として建立された,ということだ.そして今ではムスタン最古の聖地とされるそうだ.
ところで後者の説に関してはブータンのメンバルツォでも似た話しを聞いたことがある.そこでは750年ころパドマサンバヴァが後の世の人のために,宝典や仏像など仏教の宝物をある湖の底(メンバルツォ)に隠した,そして後世の高僧ペマリンパ(Pema Lingpa:1450-1521年)師がバターランプを灯しながら,湖底の埋蔵宝典や仏像などの宝を引き上げたというストーリーだった.
これまた大きな木だ.ゴンパの歴史を偲ばせる古木ではなかろうか.
ローゲカルゴンパ本堂前にきた.そして階段を上り,お坊さんの案内を聴きながら本堂を見せてもらった.はっきり思い出せないのでIさんのレポートを見せてもらうと,正面にパドマサンバヴァ,右にインドの弟子,左にチベットの弟子の像が並び,その手前入口側には21人のターラー壁画,8人の如来壁画などが描かれていたようだ.
ところで寺は一般に街や村の一画に在ることが多いと思うが,ここローゲカルゴンパは周りに民家は一切なく,孤立している.そんな訳で近くにバッティもなく,ここの庭(白い僧坊の中庭)をお借りして食卓を並べ,昼食を頂くことになった.
これがこの日の昼食.ヌードルスープ(インスタントラーメン),パスタ,ミートローフ,ナス,ジャガ....であろうか.
なおシェフとスタッフは僧坊のキッチンを使わせてもらったということだ.
ローゲカルゴンパ僧坊の裏側には自営と見られる畑や,チョルテンが複数あった.チョルテンは古いが塗り直しされ,メンテナンスされているようだ.
ローゲカルゴンパから東を望むと,盆地状谷の底に広い畑のある集落を見る.この村はマラン(Marang)のようである.この村を通過することはないのだが,村の名を冠した峠(マランラ峠)はこの後通る予定になっている.
ローゲカルゴンパ周囲に村はないが,ゴンパ敷地の出口としてこのようなチョルテンが並んでいた.やはり階段状様式で,赤く塗られている.
ローゲカルゴンパから下ったところで,大勢の人が日干しレンガ作りに励んでいた.ちょっと距離があるが前述マラン(Marang)の人たちであろうか.
斜面下辺りで粘土を掘り起こし,水を加えて捏ね,型枠に入れて成形し,枠を外して陽の下に並べている.土に麦わらなどの結合剤(バインダー)を加えているかどうかは判らなかった(見えなかった).およそ10日間で乾き,完成だそうだ.
ローマンタンのページで述べたが,日干しレンガはジャムパゴンパのような大きな建築でも使われ,結構耐久性もあるようだ.また使用済みのものは,そのまま土に戻り,また再生可能であり,環境負荷が少ないのは大きなメリットだ.
左にマランの村を見ながら,丘のトレイルを進んだ.
大分歩き,ラマンラ峠手前で休憩した.峠まではそう遠くはないはずだが,まだ見えてはいない.
ようやくマランラ峠(Marang La Pass)に着いた.この日4つ目の峠で,丸石の石塚(ラプツェ)がが築かれている.
標識でもあれば分かり易いのだが,やはりそうした類はなにもない.将来トレッカーが多くなれば整備されるかな.
峠近くでヤギの群れに出合った.黒い大型種だ.マランの村から朝出て来て,終日この辺りで少ない草を食べ続け,夕刻に村に帰宅するのか.
マランラ峠から砂地のトレイルを下った.この辺りの山は普通の黒っぽい色合いだ.
岩の隙間を通過し,暫く下ると,前方にチラリと赤い絶壁(Red Cliffs)が見えてきた.
坂を下りきると,赤い絶壁を背後にした畑に民家のある集落,それに小川も流れている.素晴らしい眺めだ.
集落はダクマール村の一部,小川はダクマールコーラ(Dhakmar Khola)のようである.そして他の川と同じようにカリガンダキに合流する.
随分赤い岩が立ちはだかる.迫力がある.赤いのはやはり酸化鉄など含んでいるからなのでしょうか?
ところで赤壁と言えばやはり三国志が偲ばれるが....まあ,もちろん関係ないのが残念.
ダクマール村(Dhakmar)は結構広い.村の一画には大きな黒白赤の三色のチョルテン(chorten)が建てられている.それぞれ金剛菩薩,観音菩薩,文殊菩薩のシンボルと,復習した.
新しく橋を建設中のようだ.村人総出の大人数で作業している.今は写真右上の石置き場から,手で石をリレーし,手前まで運び,金網で囲う橋脚ブロック積み作業の段階のようだ.
建設機械はなく,すべて人手頼りのようで,こうした集団共同作業が欠かせないようだ.
ダクマールコーラの流れに沿うように緩やかに下ると,村外れになった.三色ストライプの建物が見えるが,これはゴンパの僧坊であろうか.
背後には赤い絶壁(Red Cliffs)がまだ続き,壁の中ほどの高さにはたくさんの洞窟が穿ってある.やはり昔の修行僧が瞑想した場所なのであろうか.
それにしてもこの高さに登るにはロッククライミングの技が必須だ.その代わり,邪魔者が現れる心配はほぼなかろうが.....
さていよいよダクマール村を抜けると,南口の三色チョルテンが見えた.加えて大きな白チョルテンがあるから観音菩薩は別格扱いということになろうか.
南口三色チョルテンを越えるとトレイルは緩やかな上りになる.そしてこの日5つ目となる峠に向かう.
やがて丸石の石塚(ラプツェ)が置かれた,本日五つ目の峠になった.名前は不明だ.
この峠前後からは,今日の宿泊地ガミ集落の谷が見えてくる.
五つ目の峠を過ぎるとトレイルはガミコーラ(Ghami Khola)の沢に向かって急勾配で高度を下げていく.
目指すガミ村は一旦このガミコーラまで下り,それを越えた左岸の丘を少し上ったところに位置している.
ということで先ずはガミコーラ右岸まで下った.比較的流れの水量はあるようだ.
さてこの日は既に結構歩いたが,まだ暫くありそうだ.
ガミコーラ右岸に下った後,川に沿うトレイルを遡上し,橋に至る.そしてこれを渡り,左岸の丘を登り返してガミ村に入った.
さて,マニの村に入った.この村には往路でも昼食で立ち寄った.マニ車やチョルテンなど仏教施設の多い村だ.
そんなマニ車列の左側を水道管を運ぶ女性が通った.この地方でよく見られるこの黒いパイプはポリエチレン製であろうか,可撓性があり凹凸ある地面に這わせて敷設する用途に適しているようだ.
ここにもまた長いマニ車列があった.ガミは仏教第一の雰囲気がいっぱいの村だ.
そしてようやくガミ村の一軒バッティにたどりついた.バッティの名は思い出せないが,往きで昼食を摂ったところとは違っている.
中庭を備え,確か2階にダイニングルームがあり,そこで食事を頂いたように思う.
バッティ2階屋上に上り,眺めてみた.まずこの母屋にくっついて家畜囲いがある.ただまだ山から戻らないのか家畜の姿は見えない.
坂の多い狭い道には,大きなチョルテンが2つも見える.そして白い壁の民家屋根上には丸太が置かれている.
私達のテントはバッティ裏庭に張られた.テントが完成したころ小雨がぱらついていたが,大したことなく止んだ.
夕食は,母屋ダイニングルームでピザにパスタ,イタリアンずくめだった.ごちそうさんでした.