ポカラへto Pokhara

このポカラへ編では,2017年5月18日カトマンドゥで朝を迎え,カトマンドゥ国内線ターミナルからポカラに飛び,ホテルに落ち着き,そこで昼食後ポカラの街散策に出かけ豪雨に見舞われ,雨が治まってからホテルに戻り,夕刻ネパリダンスを眺めながら夕食を頂いたときの写真を載せました.


カトマンドゥ~ポカラ~ジョムソン航路マップ

カトマンドゥからポカラ付近のGoogleマップ(スクリーンショット)

今日5月18日はカトマンドゥ3からポカラ4へ行き,ここでまた一泊する.

カトマンドゥの朝in the morning in Kathmandu

カトマンドゥ朝のダルバールマルグ

朝のダルバールマルグ

朝のポカラ行きフライトに合わせて,早朝にマイクロバスでアンナプルナホテルを発った.ダルバールマルグのお店はまだシャッターを閉じたままだ.ホテル間近の建物2階には古都レストランの看板が見える.久しく行ってないが,今も事業が継続しているようでほっとする.ネパールもコリアン,チャイニーズ客が多くなり,日本人は相対的に少なくなっているようで,経営難度は上がっているであろう.


完成したトリブバン国際空港国内線ターミナル

完成したトリブバン国際空港国内線ターミナル

2年半前来たときは工事中であった国内線ターミナルは完成していた.これできっと以前より広くなったであろう.


イエティ航空(Yeti AIrlines)でチェックイン

イエティ航空(Yeti Airlines)でチェックイン

新しい国内線ターミナルに入ると,随分広々していた.先ずバッテリはタイ航空の国際線とは逆に,ハンドキャリーは不可,すべて預入バッグにということで,再確認する.また預入バッグ+手荷物で15kgの制限も再確認.

これで添乗Iさん,ガイドJさんが9:10発イエティ675便の全員分チェックインをして下さった.

カウンタはイエティの他に,ブッダ,タラなど並んでいるが,大手(の筈)のネパールエアライン(以前のロイヤルネパールエアライン)が見当たらない.訊いてみると,本数は多くないが国内線も少し運行を続けており,カウンタはそうした非大手と共同ということだ.


カトマンドゥでJetstream 41に搭乗

Jetstream 41に搭乗

さて時間になり,オンボロバスでJetstream 41のタラップに向かう.Jetstream 41はカトマンドゥ~ポカラ間の定番機材で,29席,ターボプロップ双発機だ.英航空機メーカーBAeの製造だそうだ.ターボプロップ双発機と言えばYS11が思い浮かぶが,定員はその半分以下で随分と小型だ.

私たちは皆リュックを背負って乗り込んだ.シートはネパールで稀と思われる指定席だ.

ポカラに飛ぶfly to Pokhara

ヒマラヤはほとんど雲の中

ヒマラヤはほとんど雲の中

イエティ675便はポカラに向け離陸した.滞空時間は30分くらいであるが,CAはキャンディやコーヒーまで配ってくれる.そこまでしなくていいと思うのだが.....

ヒマラヤは少しだけ頂きを覗かせている.晴れていれば良く見えるであろうガネッシュとかマナスル,アンナプルナ...は殆ど見えない.まあ,モンスーンシーズン(或いはその直前)であるから致し方ない.


ポカラ上空になる

ポカラ上空になる

僅かな時間でポカラ上空となった.カトマンドゥと比べて建物の密度が低く,緑豊かだ.ただカトマンドゥ盆地と比べて平坦なエリアは狭く,山が間近まで迫っているようだ.それに滑走路も短いこともあってか,B737などの比較的小型ジェット(ターボファン)双発機を見ることはないし,実際離着陸できないのかもしれない.


ポカラ空港に到着

ポカラ空港に到着

機は無事ポカラ空港に着陸した.小さな空港ビルで荷物を受け取り,表に出た.WELCOMEの花文字が見える.ネパールではなぜかWEL-COMEと綴られることが多いのだが,ここは-が入っておらず普通で,拍子抜け(?)しそうだ.

標高が827mだけあって,1400mのカトマンドゥより気温は高めだ.


ポカラはやはり南国風だ

ポカラはやはり南国風だ

空港で咲いていた,さてこの花の名は何だったか?思い出せないが暖かい地方で見る花の木だと思う.ネパールの緯度は奄美大島くらいだと聞いたが,標高はバラエテイが広がり,ここポカラは800mクラスで,ようやくそんな奄美並の植生が連想される.


バラヒ(Barahi)ホテルに到着

バラヒ(Barahi)ホテルに到着

ポカラからマイクロバスでレークサイドのバラヒ(Barahi)ホテルに行った.バラヒ(Barahi)は,山ほど存在するヒンドゥー神の一人らしい.

バラヒホテルは既に立派なホテルだが,ポカラでは『これでもか!』とばかりにあちこちでホテル(ロッジ)の新築,増築中で,当バラヒホテルでもなおも増築工事中だ.いや~きっと観光客が増大中なのですね~


200番台の3階の部屋

200番台の3階の部屋

この日停まることになった部屋.英式に200番台の部屋番号だが,3階にあったと思う.バスタブもあり,wifiも通じていい部屋だったと思う.


スイミングプールもあり

スイミングプールもあり

これには実に驚いた.別に高級ホテルでもないのにスイミングプールを備えていた.私は(同行の皆さんも)浸かることはなかったが,ちゃんと地元客と思しき人達は入っていた.

カトマンドゥの水は常に黄身を帯び,幾ばくかの不安が離れないが....ここは大丈夫なのでしょうか?


豪雨のポカラheavy rain in Pokhara

ポカラの街

ポカラの街

ホテル・レストランで昼食の後,ペワタル湖(Phewa Tal)まで散策しようと皆で出かけた.距離は幾らでもない筈だ.

写真はホテルを出て間もない辺りで,まあ代表的ポカラ風景と言っても大きな間違いはなかろう.観光客向けお土産店,トレッキング洋品店,レストラン,八百屋さん,雑貨店....等並んでいる.驚いたのは中国語(殆どは簡体字の)の看板がバカに目立つことだ.中国からの観光客が多くなり,しかも日本人とかと違って夏や真冬も相当数訪れるということらしい.


突然豪雨のポカラ

突然豪雨のポカラ

ペワタルに近づいた頃,突然豪雨になった.たまたまバス停の小屋が脇にあり,皆でここに逃げ込む.既に地元の皆さんも多く逃げ込んでいた.

はてどうしたことでしょう?ガイドJさん(カトマンドゥ在住)もこんなの見たことない,ということだ.そのうち風は強くなり,硬質な音が屋根から響き,アラレが路面に転がりだした.道路は水浸しになり,川となって流れ出した.迫力だ~

だがどれほど経ったか,1時間位であろうか,小降りになり,殆ど止んでいった.そしてこれが機会とホテルへの帰途へと急いだ.


豪雨から戻ると日差し見えた

戻ると日差し見えた

ホテルに戻ると,雨はすっかり上がり,日差しさえ見えてきた.所謂夕立の激しいケースであったのであろう.

写真はホテルレセプション向かいのお土産やアパレルのショップだ.よく判らないがちょっと洒落たお店だ.この庭にはマンゴーの木などもあり,まだ小振りながら実を付けていた.ポカラはバナナからジャックフルーツ,マンゴー,パパイヤ.....といろいろ育つようだ.


ネパリダンスの夕食dinner with Nepali dance show

ネパリダンスの夕食

ネパリダンスの夕食

夕立の後暫く部屋で寛いだ後,ホテルレストランで夕食になった.ホテルレストランは中庭の舞台を備えた屋外テーブル席があり,この日はそこで頂戴した.

舞台では楽器演奏者(右手背後),歌い手(最右手),舞方それぞれ登場し芸を披露してくれた.ネパールは数十の部族が暮らすが,舞は部族毎に異なり,舞う前にそれがどの部族のものか解説があった.衣装も部族毎に異なるのでそのときは一応,フムフムと聴いたつもりだが....よく覚えてないな~


伝統的ネパール料理

伝統的ネパール料理

ダル(豆スープ)とバート(ご飯)を含む伝統的ネパール料理がこの日の夕食.まだまだ肉食爺のカナジーにはちょっと物足りない感じだ.

これは結構豪華なメニューなのだと思うが,これを簡略化した基本食,つまり殆どダルバートだけの食事で過ごした2010年のマナスル一周トレックが思い出される.


部屋には2つの宗教の聖書

部屋には2つの宗教の聖書

夕食を頂き,部屋に引き上げた.ベッド脇には仏教徒用に『The teaching of Buddha』,ヒンドゥー用には『Bhagavad-gita As It is』が置いてあった.普通ホテル経営者の信仰若しくは経営方針に基づく一冊,例えば中東ではコーラン,西欧では新約聖書など,置いてあることが多い.ここの経営者は2種置くことで,さぞかし気を遣ったことであろう.それなのにどちらにも目をくれないですみませんでした.

さてこれで18日は終わった.明日はジョムソンに飛ぶ日だがうまく飛べるかな~



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