バックハーBac Ha

このバックハー編では,2018年9月11日サパで朝を迎え,街道を東に辿りながら数箇所で朝の棚田を眺め,黒モン族資料館を見物し,同黒モン族ハオタン村を訪れ,次いで赤ザオ族棚田を見て,やはり赤ザオ族バンキム村を訪問し,黒ターイ族村に来てランチを頂き,午後はサフォー族ドンナムケン村,フーラー族ナムモン村,花モン族バンフォー村を,そして隣の花モン族小学校を順次訪ね,夕刻バックハーに到着するときの写真を載せました.

バックハー付近のGoogleマップ(静止マップ)map around Bac Ha

バックハー付近のマップ(Googleマップのスクリーンショット)

この日はサパ8から,QL4D街道を東に辿り朝の棚田を眺め,黒モン族資料館とハオタン村,赤ザオ族棚田とバンキム村,黒ターイ族村(ランチ),午後はサフォー族ドンナムケン村,フーラー族ナムモン村,花モン族バンフォー村と小学校を順次訪ね,バックハー9に到着した.

別窓でバックハー周辺の大きなGoogleマップを開く(ただし粗くて解りにくい)

サパの朝in the morning at Sa Pa

9月11日朝のサパ

9月11日朝のサパ

さて9月11日朝チャウロンホテルで目覚めた.窓から外を覗き,街の様子を見る.全般にどんよりした空気だ


最上階のレストランに行く

最上階のレストランに行く

チャウロンホテル最上階にはレストランがあり,朝食に行く.広い庭にオープンテラスがあり,山に向くバルコニーも備えている.バルコニーにはテーブルや椅子が備えられているのだが,あいにくこの日は山や,その手前の棚田や谷を望む光景はすっきりしない.おまけにここではちょっと肌寒い.


普通の内部テーブルに座る

普通の内部テーブルに座る

ということで私は内部の普通のテーブルに座った.なかなかいいバフェスタイル(少なくとも朝は)のレストランだ.それに全然混み合っておらず,ゆったりできる.


サパ朝のフォーとフルーツ

フォーとフルーツ

ベトナムに居る限り朝はやはりフォーだ.それにスイカにぶどう,パパイヤ,さらにパンとゆで玉子か.美味しかったと思う.


東に向け出発

東に向け出発

さて荷物をまとめて2台のフォードバンに積み込み,くじ引きのシートに座り,東に向けて出発した.

サパの街を出た直後辺りは茶畑であろうか,整然と植物が列を成して並んでいる.


朝の棚田Rice Terraces

馬が行く

馬が行く

サパの街は抜け,次の小村に入ったようだ.珍しいことに女性が馬数頭を追っている.これまで水牛,牛,豚は非常に多く,ヤギは少し見てきた.だが馬と羊は全然見かけなかった(単に見逃しか).でもちゃんと馬も飼われていることが解った.ただ女性は馬の先頭に牛も引き連れてますね.家畜市場に向かうのかな~


街道はトラバース路になり,右手は谷に

街道はトラバース路になり,右手は谷に

さてQL4D街道は左に山,右手に谷を望むトラバース路になった.落ち込む谷に向かって棚田が形成されているので,次から次へと棚田が現れることになる.


谷底の小山と棚田と村

谷底の小山と棚田と村

この棚田は谷底に,ちょっと円形古墳のような小山があり,その小山の斜面に棚田が形成されている.小山の上や裾野には数戸の農家が村を作っているようだ.

ところで棚田の水はどのように確保しているのでしょうか?小山山頂直ぐ下から田んぼが始まっているのだが水が来ないのでは....下手すると山頂の農家は生活用水の確保すら容易ではないように見えるのだが,そこは何らかの手が打たれている筈ですね.


展望デッキのお土産屋さん

展望デッキのお土産屋さん

黒モン族の女性でしょうか,お土産品を並べて販売している.さすが大人用衣装は着用しにくい(後日添乗Wさんはアートとしてある民族の衣料品を買われてましたが)ので,子ども用衣装や,テーブルクロスなどが主なようだ.

このデッキでバイクで来た男性と出会いちょっと言葉を交わしてみた.どこから?の問いに対し,男性は(ホーチミンシティではなく)サイゴンからです,と応えた.やはり現代も南の人はホーチミン氏に対して幾らかのわだかまりがあるのだな~と思った.戊辰戦争の跡でさえ完全に無くなったとは言えないとされるので,それに比べればかなり最近のことだから当然かな.

なおこの北辺エリアは近年ベトナムの人々にも人気で,ハノイの人たちはもちろん,上男性のようにサイゴンやダナン方面からも大勢押しかけるということだ.


棚田の観光用コテージ

棚田の観光用コテージ

棚田の中に建てた観光用コテージだそうだ.藁葺き(いやヤシの葉か)屋根の小屋が色付いた棚田に浮かび,美しい.


谷底を流れる川

谷底を流れる川

谷底には川が流れ,その両サイドに棚田が形成されている.つまり棚田の排水路として機能しているのであろう.ただ川の水は泥水ではなく,比較的きれいに見える.

ところで谷底の村の人達は日常生活が大変だと思う.特の川向うの人たちは一度川まで降り,川を渡り,そしてこの街道まで坂を上るわけで,ちょっとしたお使いも楽ではなかろう.


私たちも少しだけ降りてみる

私たちも少しだけ降りてみる

私たちも少しだけ体験をと,街道近く段々畑部分降りて,棚田間近まで寄ってみた.右から1/3辺りで多分刈り入れ作業をしている人の姿が3人見える.田んぼが狭く,斜面にあるため,コンバインなど入れず,手作業になるのが辛いところだ.


谷と棚田は続く

谷と棚田は続く

山と谷と棚田の連なる風景は続く.ちょうど実りの色合いが美しい.

モン族など元々中国南部から追われ,この地方に移住し,そしてこうした棚田を切り拓いたのであろうが,それは現代の耕作以上に大変であったであろう.できれば今後狭い田んぼでも作業可能な機械ができるといいと思うが....


黒モン族資料館black Hmong Museum

黒モン族資料館に至る

黒モン族資料館に至る

街道を進み黒モン族資料館(博物館)に至った.一少数民族が運営しているのがすごいですね.建物入り口手前にはっきり見えないが,岩絵らしきが刻まれた大きな岩が据えてある.

館員は常駐せず,ガイドLさんが管理人と連絡し,開けてもらうようだった.


黒モン族資料館展示品

黒モン族資料館展示品

黒モン族の各種イベントや古い風景写真,樽や織機などの道具,岩絵の写真や拓本など展示されている.個人的には岩絵が特に興味深い.

説明書きによれば,古代岩絵はサパエリアにあるムオングホア谷(Muong Hoa valley)に,約2km幅で,4kmの長さに渡って見られ,1925年仏研究者V.Goloubewが異なる形の刻まれた複数の石を発見したという.以降国内外多くの研究者が調査してきたという.

最初の調査によればこのエリアには200の岩絵があり,代表的には平行線,正方形と四角形,異るスタイルの円形,竹馬(竹竿?)上の家,人の形,カーリー(carly,多分earlyの誤植)記述系(文字のことか?)の6つに分類されるという.科学者からはこれら古代岩絵は大変貴重で,次の世代に受け継ぐよう保存されるべきとされている.


黒モン族資料館岩絵の拓本採取写真と拓本

岩絵の拓本採取写真と拓本

上が岩絵の拓本採取作業の様子を捉えた写真で,下がその拓本のようです.

拓本を見ると,5本の短い直線の平行線,四角形,スパイラル状円形,二人の人の形,3本の平行する曲線のように見えます.ただ家の形は見つからない.

さらに詳しい解説があればいいのだが....と思ったが,見つけられなかった.少なくとも炭素年代測定などの記録が見つかれば良かったのだが,ちょっと残念だ.


黒モン族ハオタン村black Hmong Village

黒モン族ハオタン村を訪ねる

黒モン族ハオタン村を訪ねる

上記黒モン族資料館のある村がハオタン村で,その一軒のお宅を訪問した.しかし当家は皆農作業で出払い無人だった.家の外観はスレート切妻屋根平屋建てで,壁は主に板壁で通気性確保のためか一部竹メッシュが張られているようだ.


通り掛かった黒モン族女性

通り掛かった黒モン族女性

私たちが他のお宅を訪ねようかどうしようかと,思案しているとき,女性が通り掛かったので写させてもらった.

真っ黒な装束というわけではないので,LさんやWさんの説明がなければ,黒モン族(black Hmong)とは全く解らない.

ただ幅広いプリーツスカートは,山に上り作業するモン族共通の特徴だとは聞いた.


こちらも黒モン族女性

こちらも黒モン族女性

こちらの女性も資料館近くで会った方.全身黒いので,単純に黒モン族としていいのかな?

う~ん,でも幅広スカートかどうかはっきりしないな~


赤ザオ族棚田red Dao Rice Terraces

赤ザオ族棚田では刈り入れの真っ只中

赤ザオ族棚田では刈り入れの真っ只中

黒モン族の村を離れ,今度は赤ザオ族(red Dao)の村に向かった.途中赤ザオ族の棚田では鎌を手にした人たちが稲の刈り入れに忙しくしていた.

普段であればレンズを向けると撮影料を要求されることもあるらしいが,こう忙しくてはそんな余裕はなさそうだと,Wさんが経験から語ってくれた.


赤ザオ族別の棚田では稲わらの搬送中

赤ザオ族別の棚田では稲わらの搬送中

さらに進み,別の棚田にやってきた.ここでは刈り取り後しばらく天日乾燥し,乾いたであろう稲わらを棚田から下の道路まで運び出していた.

この服装は特段赤っぽいわけでもないので赤ザオ族なのかどうか私にはよく解らない.尤もガイドLさんでも難しいことは間々あるようだ.


赤ザオ族稲わら運びのツール

赤ザオ族稲わら運びのツール

この女性が稲わら運びの装束を見せてくれた.一つは背負子で,一つは背中にチクチクするのを防ぐためと思われる赤いシート,それと泥濘を歩くためのゴム長だ.ゴム長は恰も渓流釣りで履くような長いタイプだ.

これを見ると,重いし,またぬかるし,なかなか大変そうですね.

ところで上着の合わせ目辺り,袖口が赤やピンクで彩られてますが,これが『赤』ザオに関係するのだろうか?


お嬢さんは幼い弟のお世話

お嬢さんは幼い弟のお世話

上女性の二人の子で,上のお嬢さんは幼い弟さんをおぶって世話している.しっかり者ですね.感心しました.


赤ザオ族バンキム村a red Dao Village

赤ザオ族バンキム村に至る

赤ザオ族バンキム村に至る

さらに進むと別の赤ザオ族の村,バンキム村になった.この写真左端の家は藁葺き屋根で,伝統的赤ザオ族住宅のようだ.写真が下手ではっきりしないのがまずい.ただ藁葺き屋根は耐久性が低く,葺き替えコストが大なので,スレートやトタンが多くなっているようだ.


棚田,段々畑,棚田のミックス

棚田,段々畑,棚田のミックス

この斜面は手前は稲の棚田,中央上部はトウモロコシか何かの野菜段々畑,中央下部と向こう側はまた稲の棚田になっているようだ.傾斜具合や水路の確保などで用途が微妙に変わってくるのでしょうか.


バンキム村皆さんの販売攻勢

バンキム村皆さんの販売攻勢

私たちが棚田を眺めながら歩いていると,脇のバンキム村赤ザオ族の皆さんがポシェットなど刺繍品を抱えて販売に現れた.赤い頭巾なのでやはり赤ザオ族で間違いないのだろう(実際はWさんの説明でそう思っているだけ).セールストークはザオ語でなく,英語で攻めてくる.う~ん,私は要らないので....と勘弁してもらう.すみません.


赤ザオ族の稲藁乾燥方式

赤ザオ族の稲藁乾燥方式

赤ザオ族の人たちは稲を刈るとき,茎の下側ではなく中程から切りとる.したがって田んぼにはかなり丈の高い稲の茎がマトリクス状に残るのである.

そして刈り取った稲穂の付いた藁を,マトリクス状に残った立ち茎の上に置き,並べるのである.このように天日乾燥させるので,稲穂も藁も地べたに接することなく,良く乾かせるということになる.


赤ザオ族の藁焼き

赤ザオ族の藁焼き

このようにして乾燥させた稲穂付き藁は,脱穀し,藁だけが廃材として残ることになろう.そして写真のように焼いて,灰が肥料として利用されていくのではないでしょうか.


赤ザオ族の脱穀した籾の袋詰め

脱穀した籾の袋詰め

脱穀した籾は直ぐに精米するのではなく,再度干し,乾燥度を上げるのではなかろうか.そのために一旦この赤い袋に詰め,乾燥機若しくは屋内の乾燥部屋に運ぶのではないでしょうか.

この奥さんも赤い頭巾を着けているので,これが赤ザオ族の証でしょう.たすき掛けのポシェットも3枚上の写真の人たちと同じなので,これまた赤ザオ族の証でしょうか.


赤ん坊を背負い働く赤ザオ族のお父さん

赤ん坊を背負い働くお父さん

赤ザオ族のお父さんが赤ん坊を背負い働いている.雨が来そうなので急ぎブルーシートで何か(藁?)覆う作業のようだ.なかなか見上げたお父さんですね.


赤ザオ族の特性トラック

赤ザオ族の特製トラック

村の鍛冶屋さんが廃トラックとトラクタの部品をリユースして,多分図面はなく現物合わせで組み立てたトラックのように見える.感心して暫く見とれてしまった.素晴らしい.


黒ターイ族村でランチlunch at a Black Thai Village

黒ターイ族の村に行く

黒ターイ族の村に行く

赤ザオ族の後はランチのため黒ターイ族(Black Thai)の村に行くことになった.黒ターイ族はディエンビエンフーでいの一番に訪ねた少数民族だ.確か平野部で川など水の豊かなところが好みというか得意というか,山の暮らしは不得手(モン族比)なのではなかったか.

ということで川の流れるこの辺りに近かろうか.


黒ターイ族レストラン

黒ターイ族レストラン

そして民宿も営むというこの黒ターイ族レストランでランチを頂くことになった.看板を見ると確かにホームステイカンガイ(Can Ngai)とか書いてありますね.でもその下の大きな字はベトナム語かターイ語か全然読めない.まあいいか.


黒ターイ料理のランチ

黒ターイ料理のランチ

これが黒ターイ料理のランチ.おこわ(赤飯)に春巻き,肉野菜炒め,....などか.

黒ターイ族に限らず,少数民族はもち米のおこわ類が好みのようで,添乗Wさんがよく市場で仕入れたものを私たちに食べさせてくれた.美味しい.ごちそうさまでした.


黒ターイのキッチン

黒ターイのキッチン

ダイニングルームの隣にキッチンがあった.ここのお宅ではこれまでと違って燃料は薪ではなく,ガス(LPG)だ.営業用では直ぐに調理しなくてはならないので,いつ火勢が十分になるかわからず,コントロールが難しい薪では厄介なのであろう.


近所の金物屋さんは赤頭巾

近所の金物屋さんは赤頭巾

近所の金物屋さんは赤頭巾だ.つまり黒ターイ族ではないと云うことかな.同じ村で別の民族が暮らすのはしばしばあることで,比較的若い世代は民族語以外に学校教育からベトナム語を話すので大丈夫なのだそうだ.

ただ逆に共通語のベトナム語を話さないと意思疎通は困難で,ときにLさんも年配者と話ができず,若い当地の人に通訳を頼むそうだ.


舗装下土砂が完全流出

舗装下土砂が完全流出

黒ターイ族の村を見て回っているとき,舗装の下の土砂が完全に抜け出て,空洞になっている部分があった.さしたる傾斜地でもないのに見事な土砂崩れでびっくりしてしまった.

先の村の家々はやはり刈り入れで忙しいのか,概ね無人でちょっとがっかり.


サフォー族ドンナムケン村Xa Pho Village

サフォー族ドンナムケン村を訪ねる

サフォー族ドンナムケン村を訪ねる

黒ターイ族の後,サフォー族(Xa Pho)ドンナムケン村を訪ねた.ガイドLさんが一軒のお宅の奥さんにサフォー族の民族服を着てもらうよう頼んだのがこの装束だ.上衣,ロングスカート共に黒をベースに艶やかな刺繍が施されている.

また左の家はお隣さんの伝統的サフォー族様式住宅だが,高床式竹で編んだ壁が特徴だ.冬は寒そうだ.サフォー族は竹や籐で編んだバスケット造りや,この壁のように竹細工が得意な伝統があるのだそうだ.


サフォー族上衣の白ビーズ飾り

サフォー族上衣の白ビーズ飾り

上衣の胸元には大量の白ビーズが飾り付けられている.このビーズはハクーンと言われ,アムチェレ(A Mu Che Re)と呼ばれる植物の実だそうで,家の裏庭に植えてあるのを見せてもらった.ハクーンはこのサイズになり採取すれば既に白く硬く,また孔が空いているので直ぐさま糸で縫い付けできるのだそうだ.

なおその下の刺繍は細かく手が込んでおり,相当時間がかかるそうだ.


こちらが新しいコンクリートの家

こちらが新しいコンクリートの家

こちらが上奥さん宅の新しいコンクリートの家.伝統の編み竹壁の家とは似ても似つかない家だ.何故か玄関上にダビデの星のようなアイコンが付いているがユダヤとは全然関係なく,ご主人好みのデザインという.

このお宅の番犬はかなり吠える.Lさんも結構怖いようだ.


新しいコンクリートの家内部

新しいコンクリートの家内部

新しいコンクリートの家内部はこれまで多く見た,広いワンルーム形式と異なり,寝室とかは壁で区切られた別室として構成されている.つまり世間一般でごく普通の間取り方式になったわけだ.

サフォー族(Xa Pho)は他の少数民族と離れたエリアで,小集団で暮らすのを旨とする,言わば孤独好みの民族だそうだ.そしてそうした伝統の一部であろう竹の住居をいち早く捨てて,現代様式を取り入れたことが興味深い.


ドンナムケン村他の住宅と人々

ドンナムケン村他の住宅と人々

ドンナムケン村の他住宅も回ってみた.多くの家は伝統の切妻屋根で高床式,竹を多用(特に壁材)している.

牛を飼い,男性も黒っぽい上下服を着ている.男性の伝統衣装は珍しい.とても興味深い.


サフォー族ドンナムケン村の芋を採る野菜

芋を採る野菜

細い葉で良く上に伸びている.名前は失念したが芋ができる野菜だったと思う.


フーラー族ナムモン村Phu La Village

ソンホン川のダム

ソンホン川のダム

ドンナムケン村を後に次はフーラー族ナムモン村を目指した.そして直ぐに川,Googleマップによると多分ソンホン川,いやその支流であろうか,のダムになった.発電用であろうか.


交通量の多い街を通過する

交通量の多い街を通過する

やがて交通量の多い街に入った.フォールー(Pho Lu)と記された街辺りだろうか.またこの街から現在走っている街道と直行する北西には大きなラオカイの街,またその直ぐ先には中国国境があるので,そちら方面の交通量も相当ありそうだ.


フーラー族ナムモン村に着く

フーラー族ナムモン村に着く

しばらくしてフーラー族(Phu La)ナムモン村に着いた.細道だけのいかにも山の村の趣だ.


フーラー族ナムモン村入口近くのお宅にお邪魔する

入口近くのお宅にお邪魔する

村に入るとその入口近くのお宅にお邪魔した.幸いこちら家主の方がご在宅で,いろいろ見聞きすることができた.

奥さんには一人息子がいるのだが現在中国に出稼ぎに行っており不在で,またご主人は他界されたのか今は一人暮らしだという.一般にこれまで見せてもらった少数民族の家庭は3世代暮らしは当たり前,ときには4世代家庭もあったことで,こちらの一人暮らしはちょと寂しいのでは....と少し思った.でも日本でも別にそれも普通だし,気楽でいいであろう.


フーラー族ナムモン村息子さんの写真もある祭壇

息子さんの写真もある祭壇

2本柱に渡された棚には線香立て,柱には息子さん,いや他界したご主人か,一番下にホーチミンの写真などが置かれ,一応質素ながら祭壇のようになっている.


フーラー族ナムモン村住宅左側にキッチン

左側にキッチン

住宅の入り口左側はキッチンスペースになっており,土間の囲炉裏周辺には鍋釜が置かれている.囲炉裏上には燻製に使えるようにするためでろう棚が設けられている.


フーラー族の伝統衣装

フーラー族の伝統衣装

Lさんが奥さんにお願いして,奥さんにフーラー族(Phu La)の伝統衣装を着てもらった.添乗Wさんも見るのは初めてという.つまりめったに見ることはできないのだ.

チャイナドレスのような上衣に金太郎エプロン,それにカラフルな帽子が特徴であろうか.


フーラー族伝統衣装背中側

フーラー族伝統衣装背中側

伝統衣装の背中側を見せてもらうとこんなだ.金太郎エプロンの帯に,何と言うのでしょう飾り布が下がっている.

なおスラックスは最初から着ていたもので,特段伝統衣装は存在しないのであろう.


花モン族バンフォー村a Flower Hmong Village

花モン族バンフォー村に入る

花モン族バンフォー村に入る

フーラー族ナムモン村に引き続き,今度は花モン族(Flower Hmong)バンフォー村にやってきた.全般に坂や凸凹の多い土地で,各戸段々状に建ち,庭が狭い印象だ.

家は切妻屋根平屋建てで,上部を除き厚い土壁で囲まれている.保温性が高そうだ.


各家庭はトウモロコシ乾燥と焼酎生産の真っ最中

各家庭はトウモロコシ乾燥と焼酎生産の真っ最中

バンフォー村はどの家も比較的狭い庭いっぱいにトウモロコシを広げ天日乾燥中だ.広げたトウモロコシの上では子どもたちが砂場遊び感覚ではしゃぎまわっている.暴れ過ぎてシートの外に撒き散らせ,叱られる場面も見える.


花モン族生前お棺の準備

生前お棺の準備

このお宅には倉庫天井に木製のお棺が用意されていた.写真はその一端から眺めた形態で,かなり大きい.花モン族は生前,体のサイズに合わせたオーダーメイドのお棺を準備しておくのがかなり一般的なのだという.普通息子さんやお孫さんがプレゼントするケースが多いそうだ.また地方によっては,結婚するとき,嫁入り道具の一つとして携えて来る民族,エリアもあるそうだ.

なおベトナムでは稲作農民は田んぼに,山の民は山に,というように生活基盤の地に土葬し,そこにまた生まれ戻ると云う思想があるそうだ.埋葬は一人単位なので,田んぼにはバカに多くの立派な墓が目立つ.これはここ北辺に限らず,南のサイゴン辺りでもそのように思ったものだ.


花モン族バンフォー村トウモロコシ乾燥先の先の水場でお洗濯

トウモロコシ乾燥先の先の水場でお洗濯

水場では奥さんが洗濯の最中だった.これが花モンの伝統衣装でしょうか.上衣は単に普通のTシャツのようですが,幅広チェックのスカートはモン族らしいように見える.なおモンの中のサブグループ『花』なのかどうかは全く見当が付かない.


花モン族焼酎造りを見せてもらう

花モン族焼酎造りを見せてもらう

バンフォー村はどの家も生業として焼酎の製造販売を行っているという.そして飲むのも好きで,たくさん飲むという.まあ,テイスティングしながら醸造や蒸留作業をするのであろうから,仕方あるまい.

さて厚い土壁の入り口に立つとびっくりする.紅白暖簾を背に,しめ縄に4本ものナイフが吊り下げられているではないか.なっ何なんだ~多分魔除けの仕掛けではなかろうか.


花モン族バンフォー村の伝統的蒸留窯

伝統的蒸留窯

現在蒸留プロセスの最中だ.竈の大鍋下部には醸造トウモロコシ酒が満たされ,上部には冷却水容器とその容器底には液化された蒸留酒(焼酎)回収のお皿と,そこから外に流しだす写真左のパイプが繋がれているのだと思われる.

ご覧のように抽出された焼酎はペットボトル空き瓶で回収されている,所謂ノーブランド品で,生産量は多くない筈だ.でも村の全戸がこの焼酎産業に携わっており,バンフォー村の焼酎は広く知れ渡り,また村は潤っているということだ.


花モン族バンフォー村厚い土壁上の鳩巣箱

厚い土壁上の鳩巣箱

厚い土壁の上に丸穴の空いた木箱が据えてある.鳩の巣箱ではないだろうか.どこだったかの市場で鳩は食用で売られていた.例えばエジプトの鳩料理などよく知られているし,調理によって美味しいのであろう.


バンフォー村花モン族姉妹が小学校から下校中

花モン族姉妹が小学校から下校中

小学生花モン族姉妹(顔が似ている)がトウモロコシの上を通り,自宅に戻る途中写させてもらった.

スカートは上記奥さんのそれと同じカテゴリーとしていいと思う.特異なのは銀のチェーンの垂れ下がるネックレス,腰ベルト,さらにそこに吊るされた,なんて呼ぶんだろうハートやV形二連エプロンだ.これが正式な(ただし子ども用)花モン装束なのでしょうか.


花モン族小学校a Flower Hmong School

バンフォー村近くの花モン小学校

バンフォー村近くの花モン小学校

バンフォー村のすぐ近くに花モン小学校があった.日本では小学校に入るのは選挙投票のときに限られ,普段入ると逮捕されたりする.

ここは校門が開いていたし,Lさんが何事もないように入って行ったので私たちもそっと入口近くに入ってみた.Lさんはもちろん入った直後学校管理者に許可を申し出たようだ.


花モン族小学校花モン衣装で電気に遊ぶ子

花モン衣装で元気に遊ぶ子

既に授業は終わり遊びの時間.しかも通学可能な子は既に下校済み.今日は火曜日であるが,山中の家庭で暮らす子も多く,そうした子は毎日の通学は困難,平日はここに併設のドーミトリーで過ごし,週末に帰宅するそうだ.

女の子はかなり多くが花モン装束を着用し,噴水で水を掛けながら元気いっぱい遊んでいる.


金星紅旗Tシャツの子ら

金星紅旗Tシャツの子ら

男の子や大きな女の子は金星紅旗Tシャツが結構目立つ.愛国者が多いことに感心する.日本で下手に日の丸Tシャツなど着ていたら,エライことになりかねない.最近は特定の外国からの批難(いや難癖か)も来そうだし....

幸いここは斜面,段差だらけのバンフォー村と違って広いグラウンドも在ることだし,元気いっぱい駆け回ってね.


バックハー到着arrive at Bac Ha

バックハーの街に入る

バックハーの街に入る

フォードバンは,共産党スローガンのバナー(多分)が架かるバックハーの街に入ってきた.静かな街並みは樹木も豊富で道路も混雑してない.


ホテルお隣はバイク屋さん

ホテルお隣はバイク屋さん

2台のバンはコンフー(Congphu)ホテル前に停車し,私たちは降りた.お隣はベトナムで最も大きな産業の一端を担うバイク屋さんだ.バイクは自転車より遥かに多い.

ただ中国の例を見ると,昔(兌換券のころ)は自転車,その後ガソリンバイク,そして電動バイク,現在は怒涛の勢いで車増加中だ.いずれベトナムも車に変わっていくではあろう.


バックハーCongphuホテルにチェックイン

コンフー(Congphu)ホテルにチェックイン

結構あちこち回りようやくコンフー(Congphu)ホテルにチェックインした.ドライバーの皆さんありがとうございました.


バックハーCongphuホテルの客室

コンフーホテルの客室

窓の小さな質素な部屋だった.でも意外なことにバスタブやエアコンが付き,wifiもつながった.テレビはリモコン一つタイプで見ることができたが,いずれもベトナム語(若しくは少数民族語)で解らない.


バックハー窓の外は夕闇迫る

窓の外は夕闇迫る

窓から覗いてみると夕闇が迫っていた.街の灯は少なく,人通りも疎らだ.


Congphuホテルレストランで夕食

コンフーホテルレストランで夕食

夕食はコンフーホテルレストランで頂戴した.写真がなかったので思い出せないが.....少なくともビールは冷えていて美味しかったのではなかろうか.ビールに関しては中国と違って確実に冷えているのは先ず間違いない.

壁に飾られた衣装はその華やかさからして花モン族のものではなかろうか.いやそのロジックでは単純過ぎるかな.

ごちそうさまでした,お休みなさい.



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