このサパ編では,2018年9月10日ライチョウで朝を迎え,先ず赤モン族ザンマ村を訪問,次いでランテンザオ族ランマ村を訪ね,はるさめ作りの町工場を見せてもらい,ルー族ナタム村を巡り,2,000m級峠を越え,サパに至りランチ.午後はサパ教会周辺,サパ市場辺りをうろつき,チャウロンホテルに戻り,近所のインディゴレストランで鍋料理の夕食を頂いたときの写真を載せました.
9月10日朝ライチョウ6を出発し,赤モン族ザンマ村,次いでランテンザオ族ランマ村,はるさめ作りの町工場,ルー族ナタム村を巡る.やがてファンシーパン山(Phan Xi Pang/3,143m)を取り巻く道に入り,2,000m級峠を越え,サパ8に至る.そして昼食後サパ教会周辺,サパ市場辺りを見て回る.
ライチョウMuong Thanhホテルで9月10日朝が明けた.外を眺めるとまあまあの天気か.何れにしても少なくともここ北辺で当季節はくっきり青空になることはないことを知った.ある程度予測していたことだが,ちょっと残念なことだ.
そして別棟レストランでバフェの朝食,主にフォーであるが,を頂いた.空模様に関係なくこちらは美味しい.
食事を終えて2台のフォードバンに乗り込む.その前にカードのくじ引きでシートを決める.さてこの日はどこに当たったか....覚えてないが.
そして先ずは東に向かって進んだ.道端のかなりの住宅には金星紅旗が掲げられている.やはり愛国心からであろう.この辺りは脇に山や崖のない平地,安全でいい道だ.
赤モン族ザンマ村を目指して走っていると,ちょうど色づききれいになった棚田地帯に入ってきた.目指す村は近いようだ.
赤モン族ザンマ村入り口近くでバイクの移動肉屋さんの青年が,いつ来るとも知れぬお客さんを待っていた.大きな塊なのでバスケット上のまな板で所望量切り分けて売るのでしょう.早くお客さん来るといいですね.
日本の豆腐屋さんのラッパ,石焼き芋屋さんのスピーカーのような来訪中お知らせは一切ないので,多分決まった曜日,決まった時刻で,住民との不文律了解があるのでしょうね.
ザンマ村に入った.最初のこのお宅では水牛はいるが家人はだれも居ない.農繁期で全員出払っているようだ.
赤モン族は花モン族に加えられることもあるそうだが,華やかでおしゃれな装束が特徴.モン族は一般に棚田で水稲耕作,焼き畑,家畜飼育など行い,また鍛冶の技術に優れるという.
次に庭先に大きなバナナの樹のあるお宅へ伺った.でも不在で,皆農作業に出払っている様子だった.残念.
ところでこのバナナの木は丈が高く,高いところに実の房を下げているので採取が大変そうですね~とLさんに訊いたら,こうした大樹タイプバナナは房を付けた茎の根本から切り倒すのだそうだ.そして次の年は新しい茎が出てくるのだそうだ.かなり驚きました.
ザンマ村ではガイドLさんが次から次へと農家を当たってくれた.でも何処も無人で,残念ながら赤モン族の皆さんに会うことができなかった.
小学校があり,Lさんが見学を申し入れて見たが,先生の許可が得られず,断念.
ところでベトナムは社会主義国なのに,学費(諸物価比で結構高いという)の支払いが滞ると,全校集会の場で,『XXさんは学費が未納です,早く納めて下さい』と言われるそうだ.ホントだとするとひどすぎる....それで退学する子は結構多いのだそうだ.
幼稚園もあった.壁の絵や遊具がいかにも幼児向けで判りやすい.そしてまたLさんが先生と交渉すると,写真いいですよと言ってくれたそうだ.
でドアからお部屋を覗かせてもらった.そしてこちらがザンマ村幼稚園良い子の皆さんだ.左から3番目の子,右から3番目の子など,少し赤モン族衣装の香りがするようですね.
一軒のお宅(ここも無人)の前に咲いていた着生ラン.殆ど雑草的扱い(言い過ぎか)だけど実にきれいに咲いている.ランには適した環境なのでしょうか.
QL4D街道をなおも左に進むと,また大きな棚田エリアが見えた.目指すランテンザオ族(Lan Ten Dao)ランマ村はこの辺りに近いのであろうか.
ランマ村はQL4D街道に沿う住宅の並ぶ村だった.住宅は平屋建てが多い.
そしてその中の一軒の庭先に平服姿の主婦の方が居られ,Lさんがお願いしてランテンザオ族(Lan Ten Dao)の伝統衣装を着てもらうことになった.
奥さんはタンスとかクローゼットとかから衣装を持ってくるのではなく,玄関脇の洗濯物バスケットのようなところから衣装をピックアップし,直ぐに身に着けてくれた.衣装はよそ行き用ではなく,普段着のようだ.
そして街道反対側畑脇に立って,ポーズを決めてくれた.全般に黒く,ピンクのマフラー,そして何よりも黒い紐でコーン状に編んだキャップとその頂の簾の下がる四角い....なんと言うのでしょう,が特徴だ.
これが詳細写真だ.黒紐コーン状キャップは昔は実際の髪を編んで形作っていたそうだ.その上の簾付き四角は中国皇帝の冠,冕冠(べんかん)と呼ばれるらしい,とイメージ的に似てます.そして超大国の冕冠文化は近くの朝鮮半島やベトナムにも伝えられたらしい.
さてこの簾付き四角はその冕冠文化に関係するや否や?多分幾らか伝統を受け継いでいるのでは....
ただ皇帝冕冠の簾は目の前を覆うくらい長く,傍目で見ても鬱陶しいが,ランテンザオ族女性の冠簾は短くてこざっぱりしていいのではなかろうか.
ランテンザオ族ランマ村を過ぎてなおも東に進むと,やがて多分タムドゥオン(Tam Duong)であろう町に入った.かなり大きな町で広い通り脇には色々な建物が見える.正面の白い建物には『Sky Gate Otel』との看板が架かっている.Otelがフランス統治時代の名残を感じさせる.
さてこの通りにははるさめ(春雨)の製造工場や販売店が幾つか軒を連ねている.私達はその中の一つを見せてもらった.
写真手前側,大きな葉っぱの野菜がヤム(若しくはその仲間)で,その芋から採るデンプンが春雨の材料になるそうだ.
春雨はデンプンであれば,例えばある種の豆など何でもよく,ここでは美味しくできるヤム芋を原料としているということだ.
掘り起こした芋はすり潰し,デンプンを抽出し,それを煮て,柔らかなペースト状にする.うどんを作るときより相当柔らかなペーストだ.このペースト化作業には,写真男性の行っている捏ねるプロセスが含まれ,結構力が要りそうだ.
先ずペーストは写真中央赤いタンクに詰められる.下側には線状ペーストにするためのノズルがあり,ゲートを開けると線状ペーストが流れ落ちる.
畳サイズのスノコを片側から差込み,ノズルゲートを開け,スノコを左に移動させる.するとスノコの上には線状の柔らかい春雨が並んでいる.
柔らかい春雨が並んだスノコは台の上に置かれ,晴れていれば3時間,曇っていれば5時間天日で乾燥される.そしてカチンカチンになる前の半乾き状態になると,販売単位の所定量に束ねて,折り曲げてほぼ完成だ.
多分その後さらにカチンカチンになるまで乾燥し,ビニール袋に詰めるのであろう.
完成したはるさめは,製造者,住所,製造年月日,成分,...等々記したシールを貼り,道端の棚に並べて販売する.
ここの製品は私達が普段目にする白いタイプではなく,写真のように蕎麦のように色が付いている.ヤム芋で漂白剤など入れないためであろうか.私達の同行者何人かが買い求めておられた.軽いのでいいと思う.
はるさめ工場を見せてもらった後,今度はルー族(Lu)ナタム村に向かった.暫くすると段々ではなく川の流れる平原の稲作地帯に出た.山麓に村が見えるが,それが目指すルー族ナタム村ということだ.
こうした平原に稲作を営むのは以前訪れたターイ族などと同様タイ語系民族が多く,まだ見ぬルー族もそれと同じ言語系に属する民族なのでしょうか.
街道からナタム村に行くには先ずこの吊橋を渡る.バイクや家畜は問題ないが,車は通れない幅だ.車がないと川向うの生活は自ずと制約があろう.でもこの橋ができる前はもっと大変であったであろうし,あと少しすれば車の橋も架かることであろう.
橋を渡り,農道を歩いてナタム村に入った.そして住居外側を見せてもらった.瓦屋根入母屋造りの高床式,板壁構造である.これまでスレート屋根が多く,たまにトタンもあったが,瓦屋根はあまり見かけなかったので贅沢な造りなのかな~と思った.高床式造りは上述のターイ族と同じで,主に平地での稲作を生業としている点も似ていようか.
ルー族最大の特徴は既婚婦人のお歯黒だそうだ.他にもお歯黒をする民族があるが,ルー族は専用の落ちにくい樹液(名前は失念)で染めるという.ちょっと写真が小さいが,左端の大奥さんはお歯黒で開けた口の内側は真っ黒だ.お歯黒処理は苦いが毎晩寝る前に施すという.大変なんですね~
ではなぜお歯黒を施すのかというと,旦那さんが喜んでくれるからなのだそうだ.そうなんだ~とエラく感心したのは言うまでもない.
大奥さんと同じ家庭の若奥さんはお歯黒をしていない.若い人はお歯黒をしない人が多くなっているのだそうだ.
なお日本でも明治の頃まではお歯黒があったようだが,フッ素入歯磨き普及でお歯黒の虫歯予防効果が要らなくなった,美的感覚が変化してきた....などで,若い人から止めていったようだ.
お歯黒以外の特徴では,黒く長めの細いスカートに凝った刺繍を施すこと,および内部の藍染スカーフと外側の飾りスカーフに拘ることだそうだ.大奥さん,若奥さん二人のスカートには確かに凝った刺繍が施され,内部スカーフは見えないが,外側スカーフは彩り鮮やかだ.
それとスカートには下がりのようなものが両側に付いてますね.
向こうから歩いてきた女性を撮らせてもらった.
スカーフの内側は見えないが,外側が三角形であるところからすると内スカーフで形作っているのかも知れません.また黒いスカートの上部には刺繍が施され,両側に下がりのようなものが付いているのは上記若奥さんのスタイルと同じようです.
ナタム村からQL4D街道に戻り,さらに東に向かった.お昼近くの時間でちょっと早いように思うが小学生が下校中のようだ.リュックの子もいるが総じて身軽だ.
サパに行くには2つほど峠を含む坂道を越える.道は坂に加えてカーブが多く,ドライバーさんは大変だ.晴れていれば途中でベトナム最高峰ファンシーパン山(Phan Xi Pang/ 3,143 m)が見えるというが....この空模様では多分見えないでしょう.
大分回り込みながら高いところになった.Google mapで見るとライチュウ県からラオカイ県に入る手前にO Guy Pass 2,035mという峠が記されている.また添乗Wさんに頂いた資料では,ファンシーパン山ルート周辺にチャムドン峠1,878mありと記されている.
多分両者とも通過したのであろうが,止まって眺めたわけでなく,また標識を見たこともなかったので,その場所は特定できず.
山の中を大分進むと,集落があり,道端には写真の簡易レストランあるいは工事関係者の飯場があった.この辺りではさてホテルでしょうか,結構大きめの建物が新築工事中であったのでその関係者であろうか.
この辺りで,今しがた通ってきた方向を振り返ると滝が見える.Google mapを見るとSilver Waterfallという滝が載っているが,それであろうか.結構落差がありそうだ.ここから見る限り,山の天辺から大量の水が湧き出ているように見えて不思議だ.実際の水源はもっと奥深いところにあるのだろう.
さらに進むと広く茶畑が展開されるエリアに入った.かなり高度があり,斜面の日照,夜間の霧,昼夜の温度差,適度な風など茶栽培に適しているのだろう.
なおこの辺りは他の野菜や果物もよく採れると聞いた.野菜は遮光ネットが張られていたが....具体的に何であったか思い出せない
峠を越えてサパの街に入ってきた.ただサパも標高は1,600mと高く涼しいようだ.
サパはモン族やザオ族など多く,人口は9,000人程度で,見たところこれまで見た村や町と比べると欧風建築が見えるし圧倒的に大きそうだ.
この山岳地はベトナムの主民族キン族(ベト族)はあまり関心を示さず,少数民族が暮らし,フランスが進出し支配した頃からこの辺りを含む北部エリア(トンキン)の様子を調べ上げていったようだ.
そして仏支配下になると,仏はこの辺りを避暑地として開発していき,それが現代の観光拠点の元祖になっているようだ.
車はサパChaulongホテルに到着した.この大々的に蔦の絡まるホテルは斜面に建ち,入り口は5階にあるようだ.尤もサパの街は坂の多い土地,いや平らな土地があまりないところに築かれているのだ.ホテルの横からは棚田や段々畑が覗いているし,まあそうした場所に作られたのだ.
私達はChaulongホテルにチェックインした.ただこの辺り一帯は計画停電中で,部屋には入れないという.へえ~そうなんだ.今回ツアーで一番いいホテルがここだと聞いているのでちょっと驚いた.
ロビーにはオーナーの趣味なのであろう,各種バイクやスクーター,それに大きなシルバーアロワナの水槽があった.
一先ず荷物は預かってもらい,直ぐ近くのレストランに向かった.
Chaulongホテルと目と鼻の先インディゴレストランに行った.エクステリアは木造古民家の趣で,落ち着いた色合いに仕上げている.
インディゴレストランはインテリアやテーブル,椅子などの調度品も古民家調で,なかなかいい.プレートなどの食器類にもIndigoの名が,ズバリ淡いインディゴ色で記され,統一的にデザインされている.さてハノイ近郷の陶器名産地バッチャン村製でしょうか.
お客さんは昼過ぎだが結構席が埋まっている.ドイツ語のようだが,ドイツ人にしてはずいぶん静かなグループだな~との声が出る.いや私達がやかましいのかも知れない.
これがサパインディゴレストランのランチ.白ご飯,何かのフライ,シチュー....のようなものだったか.料理名は殆ど覚えず(覚えるのはもう無理だ)
ところでベトナムではお箸が普通ですが,やはり適当なサイズにカットされた食べ物がお皿に載っているということで,和食や中華同様結構なことだ.
昼食後サパ広場方面に歩いた.相対的に大きな街ではあるが,多分街の端から端まで1時間と掛からないであろうサイズだ.
ホテルが既に街の中心近くで,カフェやお土産店が並んでいる.サパは近隣では際立った観光地で,観光客が目立つ.少し南で栽培されるベトナムコーヒーや,さっき通ったベトナム茶もあるし,熱帯植物も豊富に栽培されている.カフェには適地だ.
黒い幅広スカートに黒いゲーターは黒モン族(Black Hmong)の女性であろう.(多分他人の)店舗軒先で刺繍に勤しんでいる.そして既に出来上がった刺繍布地を展示している.ぼちぼち売れることでしょう.
ところで軒を貸しているお店には『Air Conditioning 30℃ Inside』とあるが,高目の設定でいいと思う.他国だと冷凍室のように冷やすところもありますので.なおサパは涼しいので30℃に届かないことが多いのでは.....
サパ広場(公園)に立ち,見上げると,サパ教会(Holy Rosary Church)が高く佇んでいた.白い石ブロックを積み上げた(そのため the Stone Churchの別名もあり)シンプルで美しい外観だ.
仏支配下の1920年,仏建築家設計で建立されたカトリック教会だ.インドシナ戦争で一部破壊されたが1995年現在の姿に修復されたということだ.現在は一部観光客を除き当地少数民族クリスチャンの人々が毎日朝夕あるというミサに訪れるという.あまり大きな礼拝堂ではないので,ときには入りきれず外で祈る姿もあるそうだ.
サパ広場周辺にはちょっと場違いかと思わせるような建物がある.やはり仏統治時代の名残であろうが,現在は上手く観光資源として活用しているようだ.
こうした植民地時代のある意味負の遺産は,叩き潰さず,そのまま観光資源として活用する例は他でも見られる.例えば春先訪れたハルビンではロシア(や日本)の建造物を上手く観光に活かしている様子だった.
サパ教会周辺,モン族の子らが仕事(多分お土産の販売,いや写真モデルか)の合間に寛いでいる.モンはモンでも,黒モンかそれとも赤モンなど他のモン族か....区別できないが.
あまり役立てずごめんなさい.
観光客は白人,多分ヨーロピアンが多いように見える.私たちを含めて東アジアの人も多いのかも知れないのだが,顔が同じなので区別が付かない.
実際ホテルに戻った後,賑やかな日本語グループ2組に出会い,かなり驚いた.それぞれ日本の2旅行社の弾丸ツアーだそうだ.サパは,高速道路や,近くまで鉄道が走り,弾丸ツアーにも向いているそうだ.
また中国とは国境を接し,間近なので例えば土日で旅行可能でもあろうから,多分多いのは....と想像.
サパ広場からサパ市場に行ってみることにした.大まかには東に30分くらいということで,時々尋ねながら東に歩く.色々なお店やホテル,レストランが並んでいる.歩道にはバイクが停まっていたり,工事で陥没していたりする.
しばらく歩くと,GoogleマップでMou Son Templeと記された寺院があった.これに関する解説を見ると,約200年前に建設されたマウソーン寺院で,サパ地域で最も重要な精神的拠り所,2013年に改装されたそうだ.地元の人々(信徒)は,貧しい人々の助けを求め,外国の侵略者に対してimperial court(朝廷?,現代は政府か)を支援するために聖マウソーン(Lieu Hanh:多分この方が御本尊)に祈るという.この方はベトナム4聖人の一人で,全国で崇拝されているそうだ.
寺院を過ぎると三叉路があり,そこを左へ曲がった.曲がると間もなく市場が現れる筈だ.
上から2番めにSA PA MARKETの文字があり,ここだと判明.これまで市場と言えば,せいぜい掘っ立て小屋のような建物であったが,ここはエラくしっかりした建物だ.ちょっと期待外れと言うか,がっかりと言うか,勝手な個人的固定観念が見事打ち砕かれてしまった.なお文字の下にベトナム共産党のアイコンが記されている.同党直営のマーケットなのであろう.
内部は2階建てで,ショップ毎のブースに区分けされている.ブースにはシャッターが設けられ,営業は各店舗毎に異なるようだ,一階は穀物や,乾物,お菓子など食品関係が多く,2階はアパレル関係が多い.
2階ではミシンを置いて,伝統衣装をその場で仕立てているショップオーナーも何人か見かけた.
全体的に店舗の数や規模の割に客数が少ない印象だ.
立派な,しかし然程賑わってはいないサパ市場を反対側に抜け出ると,テントの従来型カオス感溢れる市場がくっ付いて出現する.これこそが私の固定観念の市場だ.やはりこうでなくっちゃ.この辺りでは日照りになり,帽子を持っていなかったので菅笠を買い求めた.ビール1,2本くらいの値段だったと思う.
なおこの市場の先はバスステーションのようで,看板が出ている.
外部サパ市場には花屋さんもあった.ベトナムの人は花が好きだそうだ.100万本のバラはちょっと無理でも,1万本くらいであれば何とかなるのでは....との話も.
なぜか刀を売るお店があり,中を少し覗かせてくれた.大小いろいろあれど,写真のものは日本刀より少し大きい(太い).こんな大きな刀,どんなときに使うのでしょうね.それと鍔はないので,少なくともこの刀で斬り合う,侍の戦いのような場面には用いられることはなさそうだ.ちょっと安心した.
山岳民族が山でブッシュを切り払うときとか,高木タイプバナナを根本から切り倒すときとか....使えそうだ.
さてサパ市場を見物し,教会を経由してチャウロンホテルに戻った.もどり道は観光客相手のお店が多いのだが,写真のTボーンステーキの看板を見て,いや~Tボーンステーキなんて言葉久しぶりだな~と思った.その久しぶりを食べてみたいとも少しだけど思った.
チャウロンホテルに戻ってもまだ停電は続いていた.これではネパールのようだ.で,しばらくして治まり,これでようやくキーカードのデータ書き換え可能となり,客室に入ることができた.停電,しかも計画停電のあるようなところは電子式ロックは止めて,昔ながらの金属製鍵にすればいいじゃないか....とマジで思うが.
さて入った部屋は問題なく,いい部屋だ.窓からは下方にごちゃごちゃした街の外れや,さらに棚田や段々畑が望める.
それとここは涼しい.エアコンが要らないどころか,ちょっと羽織らないと寒いくらいだ.かつて避暑地として開発されたという理由がよく解る.
驚いたのはシャワートイレ,しかもTOTOとかINAXではなく,聞いたことのない多分当地ブランドメーカー品を装備していたことだ.ここベトナムを含めて,特にイスラム圏には手動シャワーを備えたホテルは多いが,TOTO式自動シャワートイレはあまり見ない.ここのは要るかどうかは置いておいて,便器内照明を備えている.まあ,用途はそれなりにあるであろう.何れにしてもシャワートイレの普及はいいことだ.
さて夕食はまたすぐ近くのインディゴレストランだった.今度は寄せ鍋(具の詳細は忘却)で,写真お店のウエートレスが取り仕切ってくれたので,何も考えることなくひたすら食べ続けることができた.最後の締めは日本ではご飯で雑炊とかにするが,ここでは写真のように多分フォーで締めてもらったように思う.