このイェンミン編では,2018年9月14日午前中既ににジオパーク展望台に至りおっぱい山を眺めた後,また車に乗りクアンバの街に来てランチ.その後白モン族ルングタン村,白モン族ハーソレ村を訪れ,棚田街道を通り,ランテンザオ族ナケ村を訪れ,その後イェンミンに到着したときの写真を載せました.
9月14日午後ジオパーク展望台(茶色フックの下辺り)を出発し,赤い(戻りのグリーンと重なったところは茶色)線のトラックを辿り,クアンバ.白モン族ルングタン村,白モン族ハーソレ村,棚田街道,ランテンザオ族ナケ村と進み,イェンミン14に到着した.
別窓で大きなGoogleマップを開くジオパーク展望台から下り,車に乗ると,先ずは直ぐ近くのクアンバ(Quan Ba)の街に向かった.
直ぐ近くのクアンバ(Quan Ba)故,あっという間に街に到着した.
特段変わった存在ではないでしょうが,おっぱい山は有名なので,そうした観光客が立ち寄るケースが多いのではないでしょうか.
わかめスープに黄色いおこわ,カニ玉(のようなもの),ナス炒め,厚揚げ焼き....などでしょうか.取り立ててどうこう言うものではなく,普通に美味しく頂いたと思う(よく覚えてない)
このレストランはファミリービジネスで運営されている.私たちへの仕事も終えたので,部屋の奥側で所謂賄い食の昼食を始めた.
ところでそのテーブルの壁に飾られた円盤状のものはお茶(中国でよく見るカチカチのタイプ)で,当店はこの辺り特産のお茶製品の卸し事業もやっているのだそうだ.
そして,当店ではお茶の小売もできますよ~ということでパッケージを見せてもらうと,本来卸用で何も表示のない手頃サイズのパッケージも揃っており,75,000ドン/100grの発酵タイプ(紅茶タイプ)パックを買い求めた.ビール2缶程度で,とても安い.
腹がくちくなり,次は白モン族(white Hmong)の暮らすルングタン村に向かった.天気はまだすっきりしないな~
ルングタン村に到着すると子どもたちが笑顔で歓迎してくれた.端からとても友好的だ,うれしい,ありがとうさん.
ルングタン村は麻織物作りで知られ,その協同組合や展示場を備えている.私たちはその展示場を訪れ,手作りの麻織物製造過程を見せてもらった.
最初は麻の茎を切り裂き,麻の繊維を作る.その後その繊維をある程度乾燥し,左の束のような状態にする.
裂いた麻繊維はとても硬い.そこでこれを臼に入れ,所定の薬品(石灰などだったか)を加えて杵で突くことで柔らかくする.このとき着色される二次的効果もあるのかも知れない.
麻繊維はせいぜい1~2mで,これを繋ぎ合わせて長い糸にしていく.ちょっと写真では小さくて見づらいが大きな輪っぱ(プーリ)の上辺り,細いシャフトの先に白くなった部分が糸巻き取りボビンに相当している.
ボビンの細シャフトのもとには小径プーリーが設けられ,その下の大プーリに平ベルトで連結されている.つまり細シャフトは大プーリーの回転数に比べて大幅に(10倍くらいか)速く回る.
女性は足元のドライブ竿を両足間中央をピボットにして,上下前後動を加え,大プーリーを回転し,ボビンを高速回転しながら麻糸を巻き取っていく.
しかし巻取り前に麻繊維の繋ぎと縒りをかけることが肝要なのだ.これは両手と左手のへらを使いながら行う.見ていると正に神業としか言いようがない.すごいです.
ボビンに巻き取られ,長くなった麻糸はその後ボビンから外され,この写真のような大きな束にまとめられる.そして確か加熱とか染色の工程に入るのだったか....よく思い出せない.
左側年配女性は麻糸で機織りを行っている.織り方は一本ずつ交互に分けた縦糸の間にシャトルを左右からくぐらせ,上から加圧して蜜にし,縦糸の上下を反転しながら同じことを繰り返す,一般的な機織り方式だ.
右の若い女性は丸太の上に織り上がった布を敷き,その上に板を置き,そこに乗りシーソー運動を延々と繰り返す.そして布地を柔らかくなめす.大変な運動量だ.
私たちが見て説明を聞いている頃,他のお客さんも来ていた.北辺の地としてはサパ以来の盛況ぶりだ.
麻織物製品はルングタン村全村通じて作られ,その一部や,上記資料館で作られたものが展示販売されている.伝統的デザインの衣類,伝統デザインの暖簾/カーテン,バッグやテーブルクロスなど並んでいる.直売なので比較的安いと思う.
なお販売担当の当女性の衣装は,当然白モン族伝統スタイルと思われる.
ルングタン村に続いてまた白モン族のハーソレ村を訪ねた.道の両側に立ち並ぶ家々は大方トウモロコシの焼酎製造に関わっており,とても豊かな村だそうだ.
ハーソレ村の白モン族住宅は瓦葺き切妻屋根の板壁平屋建てが多いように見える.そしてこちらのお宅をちょっと覗かせてもらった.
伺ったお宅ではご主人は不在で,奥さんと息子さんが在宅した.このときは焼酎蒸留とかはなく,その前工程である発酵工程の更に前,トウモロコシを煮て,麹で発酵させる準備段階にあるようだった.
右側の扇風機は多分そうした段階で冷やすために使うのではないでしょうか.
床には原材料のトウモロコシが置かれていた.これでどれくらいの焼酎ができるのだろうか.
玄関突き当り壁に燃え尽きた線香のある香炉が,赤い四角模様のある棚に載っていた.これが祭壇なのでしょうね.その下壁の両側には何やら墨絵風のものが掛るが,これは何だろう....
さらに下は食事やお茶の補助テーブルで,全く俗世界のものだけだ.
ということで,こちらのお宅を含めて少数民族の皆さんは宗教に関してはとても緩やかな関係を持ち生活しているように見える.多分ベトナム共産党の方針とも合致しているものと思われる.
ガイドLさん,添乗Wさんの話しによればハーソレ村はとても子どもが多いのだそうだ.まあ少子化って何のこと?といった雰囲気という.焼酎でたいへん潤っているのが理由だそうだ.
そしてその子たちは元気で遊び回っている.結構なことだ.
町内会館のような小さな施設があった.そこで小学生が,DVD再生のダンスレッスンを見ながら,ダンスの自主トレーニングだそうだ.指導者とか大きな子はいない.すごくやる気のある子たちですね~ほんと感心しました.
ハーソレ村を離れると名前は不明だが川の左岸を走るQL4C街道を進んだ.
道の右側には背の高い水牛など家畜用草が植えられている.
道路建設若しくは川工事で中国政府が資金援助したのであろう,中国語で『辺(の中国簡体字)界地区』(Frontier Area)の標識があった.市場でも中国語で記された商品は多いが,道路標識がこうだとちょっと気になる.
QL4C街道をしばし行くとなかなかきれいな棚田が見えてきた.
この辺りは尾根と谷が細かく入り組んでいるため,棚田も複雑だ.右側は途中で棚田が途絶えているが,ここから傾斜が急になり過ぎて棚にするのが不可能だったのでしょうね.
そしてそのうちランテンザオ族(Lan Ten Dao)ナケ村に到着した.住宅は瓦屋根切妻屋根,土壁の平屋または二階建てが多い.中にはオールコンクリート製も見える.
写真の二軒はどちらも平屋建てで,土壁がしっかりと屋根の真下まで塗られているのが特徴だと思う.ここのランテンザオ族は比較的寒冷地に暮らしてきた歴史があるのだろうか.同じランテンザオ族でも,少し前に訪れたライチョウ近くのランテンザオ族の家は板壁で,壁と屋根の間は風が抜ける構造になっていた.
こちらのお宅は二階建てで,一階の前側,庇の部分が長く,作業場や物置として活用する造りになっているようだ.
そして二階部分は主に倉庫として使われるのか,色々なものが載っている.
上記二階建て住宅を間近で見せてもらった.
一階の軒下,庇下で,奥さんが自らの装飾品を作るため,長く幅広ビニールシートを細く裂き,それを撚って糸に紡いでいる段階だそうだ.上述の麻糸紡ぎ(よりは単純だが)のようである.右手に持っているのは電動ドリルで,これに細く裂いたシート片(繊維)をチャッキングし,回しながら縒りをかけるのだそうだ.電動ドリル導入前に比べて作業時間はかなり少なくて済むようになったそうだ.なおこうして紡いた糸は例えば房飾りなどに加工されていくようだ.
壁際には漢字で『尿素』と記された肥料袋が並んでいる.やはり中国が幅を利かせている.
さて二階を見てみよう.左上はこのお宅の誰かのために予め用意してあるお棺で,以前他で見たのと同じ形式だ.
もう一度一階軒下に戻り,玄関脇を眺めると,ミシンが置かれ,お子さんたちが周りで遊んでいる.つまり縫製の仕事もここで行うわけで,家の中より明るくていい面があるのだと思われる.寒い季節になれば中に入れるのであろう.
こちら隣家(コンクリート住宅だった)の赤ん坊を背負った若いお母さんは,キャップだけランテンザオ族スタイルで,他は圧倒的に非伝統的おしゃれだ.この手もありだと思う.
水牛が小屋で食事中だ.しつこいがまだ水牛が働いている場面には一度も遭遇してない.
そう言えば水牛の鳴き声って聞いたことないかな.....モウーではない筈だが....
ブタくんは外に逃げ出したいのだが重くて柵が越えられない.困ったな~ブ~
私たちを遠巻きにし付いてきた,言わば追っかけの子たちだ.とても友好的なのだが間近に来るのは恥ずかしい,そんな感じだ.とてもいい子達だ.
この日の見るところは全て終わり,イェンミン(Yen Mihn)の街に入ってきた.今日はこの街に泊まるのだ.
イェンミン市内を少し走りタオニュエンホテルに到着した.ここはレセプションは一階で横にパーキングエリアが設けてある.
入り口脇には布袋様のような像が据えてある.でも日本や台湾で見かける布袋様と違って右手に何か棒状のものを持ち,それを肩に掛け,左手で袋を引き,子どもがそこにすがっているような.ベトナムスタイルの布袋様かな....
キーを貰って部屋に入る.するとバカに広い,いや無駄に広いと言ってもいいだろう.まあ広い分には問題ないが.
窓を見ると,道路を挟んだ向こう側はカルスト地形の鋸山が聳えて見える.高さはあまりないのであろう,上の方まで緑なので,植生限界にはとても届かないようだ.
山がそんな状態だからこの街の辺りはふんだんに樹が茂り,緑豊かだ.
夕食はホテル前通りを反対側に渡り,路地を少し入ったレストランで食べた.豆腐鍋だった.ベトナムで,しかもまだ暑い季節なのにこれほど鍋だったのには驚いた.既に日本に居るときの一冬分食べたような....
レストランとホテルの間にケータイ屋さんが煌々と明かりを灯していた.iphoneなど並べている.就職に必要な賄賂の額など聞いているので,iphoneなど買える人は限られているのでは....と考えさせられる.でも受け取る側の立場の人もいるのだから商売になるのですね,きっと.
さて明日は今回最北,最奥のドンバン,そして更に中越国境を目指す.