このハノイ街道編では,2018年9月17日,ハジャンで朝を迎え,ハノイへの街道を下りながらパテン族マトゥン村,ザオワンチェット族の村に立ち寄り,街道脇レストランでランチを頂き,高速道に入り,休憩しながらハノイ入りした.そしてバンから大型バスに乗り換え,ハノイ市内をバス巡りし,フレンチレストランで夕食を頂いたときの写真を載せました.
私たちはこの日ハジャン12を発ち,ハノイへの街道を下り,パテン族マトゥン村,ザオワンチェット族の村,街道脇レストランを通り,高速道に入り,ハノイ2入りした.
別窓でハジャン~ハノイ周辺の大きなGoogleマップを開く9月17日ハジャンのハアンホテルで目覚めた.テレビを点けるとベトナム語だが,絵からするとひどい崖崩れだ.私たちも後半は大丈夫だったが,前半はかなりたくさんの崖崩れに遭遇した.日本も崖崩れで甚大な被害を被ることは間々あるが,ベトナムも多いところだ.
レストランは,勝手知ったる前回と同じ道路右斜向いのレストランだ.道路は空いておりそこへとことこ歩く.
前回と同じ若旦那が道路に向かって,ミンチし,丸め,少し平たくした肉団子を焼いている.
この焼きは歩道の上であるから,営業中のサインであり,またお店の三次元リアル動画広告でもある.
このお店はここだけの名物つけ麺タイプがあり,前回はそれを試した.今回はそれと比較するために,スープに麺を入れた一般タイプにしてみた.
で,結果はどうだったか.それぞれ持ち味があるので,それぞれいいが,普段は普通タイプ,たまにつけ麺タイプ,とするのがいいかも知れない.
なおここのデザートバナナは結構美味しかった.
食後ハアンホテルに戻り,荷物をまとめてチェックアウトした.そしてフォードバンに積み込み,ハノイへの街道(最初はQL2街道)に入り,南に向かった.
ハジャンの街を出て暫くはまだハジャン省の範囲だ.ただ徐々に平地が現れ,川も出てくるように思った.天気が芳しくないのが残念だ.
街道筋には村の現れる頻度が高くなる.ここの村ではキリスト教会が見えた.山間部に比べれば人口がそれなりに多くなったのだろう.
ベトナムではバイクは街でも山でも必需品なので,バイク店は多い.ここはホンダバイクを扱っているようだ.
この辺り一帯はあちこちに木の薄板が立てかけてある.薄板といっても経木ほど薄くはなく,2mmくらいはあるのではないか.アカシアの木から作るそうだ.そしてこの用途は主に住宅の内装(壁紙)だそうだ.確かに壁紙より自然木なので美しいと思う.
とにかく住宅の庭だけでなく,街道脇の手摺とか,橋の辺りまで,乾燥のため立てかけてある.
車はパテン族(Pathen)マトゥン村に着いた.そしてガイドLさんがこちらの婦人に,どなたか民族衣装を着ている人が居ないかどうか訊いてくれた.でも今は居ないとのことで,それならと,着てもらうよう依頼してくれた.
Lさんが頼んでこちらの若奥さんがパテン族伝統衣装を着用し,見せてくれた.基本的に赤基調のワンピースのようだ.
マトゥン村は概ね平地近いが,パテン族は本来山の民で,厳しい天候に対応するため,足元から頭まで防御する服装を着用するという.ただしモン族同様山を上り下りするためスカート部分は幅広でゆったりした作りなのであろう.
またここの奥さんは着けなかったが,正装では赤いターバンをぐるぐる巻きにするようだ.ターバンぐるぐる巻きは,多分以前見せてもらったナムティ村ターバンザオ族のターバンと似ているのではなかろうか.
庭に妙な植物が実を付けていた.とても食べるものではなさそうだが,面白いというか妙と言うか.....はて何でしょうね.
マトゥン村を離れ,また南に進んだ.平地が多くなり,田んぼの面積は大きくなった.機械での作業に支障なさそうだ.
街道脇の村もどんどん通過し,ここはそんな中の一つ.雨でバイクは辛そうだ.お気を付けて.
次に私たちはザオワンチェット族(Daoのサブグループ)の村を訪ねた.しかもその村長さんのお宅だということだ.写真がそのお宅で木造二階建て前庭に屋根付きパーキングスペースの付いた立派な住宅だ.
それと入り口へのドライブウェイにはジャックフルーツが実り,そうか平地に出たか,と云う印象だ.
さてザオワンチェット族とはどういった民族でしょう.Wさんの資料によればワンチェットのワンはズボンの意,チェットはズボンの刺繍装飾柄の一種,ということだ.つまり『ズボンの刺繍』ザオが民族名として定着したようである.
ということでザオワンチェット族村長の奥さんが着て下さった伝統衣装がこれだ.ズボンは黒で,民族名の根幹を成す筈の刺繍などまったくないじゃないですか.また上衣も袖口や合わせ部に彩りが加えられているが黒(濃い藍)一色に近く,これではラチ族のくノ一装束に近いんじゃないですか......これでは.
でもこうして平地に降りて,キン族と同じような生活を送るようになったら,やはりキン族,すなわち平均的ベトナム人と大差無くなるでしょうね.
でも内側は華やかですよ~と,ガイドLさんが内側の衣類を見せてくれた.私たち爺さんには過剰なプレゼンだが,殆どが爺さんなので仕方ない.
他に古くなり,不要になったという伝統衣装が欲しいということで,業務上か或いは個人的インタレストか,添乗Wさんが何点か買われていた.
ちらっと邸宅内を覗かせてもらった.先ず床はそれまでの土間とかと違って,ピカピカした床材が貼ってあり,これだけで所謂ベトナム北辺の住宅とは異なるな~と悟る.
正面にリビングスペースと,はっきりしないが多分祭壇を設けたレイアウトは多くの少数民族住宅と同じだと思う.で座っておられる方が村長さんか?
右側が種々薬効を含む山の木を乾燥したもの.左ボウル無いがそれをスライスし,成分抽出し易くしたチップ状加工品ということだ.
何でもこのチップを水かお湯で煎じて飲むことで,種々薬効が得られるらしい.
上薬効樹を薄いチップにするスライサーで,木棒を奥側から差し込むとストッパーで行き止まり,そこに回転中の刃物が上から降りてきて,スライスされる,という機械のようだ.
ザオワンチェット族の村が過ぎ,平地の多い田園地帯の趣が深くなった.こうして眺めると稲作が圧倒的に多いようだ.
町か村か実は分からないのだが,規模が大きそうで,何やら政治的旗が掲げられているので町とした.商店も増えてきたようだ.
町に入ると大きなレストランがあり,そこに入った.建物は昔の庄屋クラス人物のお屋敷で,それをここに移設し改築したようである.
外側も立派だが内装も見事だ.とにかく趣ある造りで,立派な建物だった.
で肝腎な食べた料理は何だった.....思い出せない.中華風だったかな...
大分平地の割合が多くなった.しかし依然としてカルスト台地の特徴的地形は続き,小山が現れる.前述の如くこの地形はハロン湾まで続くというのだから,まだまだ中間地点なのであろう.
レストランからさらに南に下ると高速道入り口になり,ここに入る.
高速に入って最初のSAがあり,ここで休憩した.大型トラックが何台も停車し,ここで休むドライバーが多いようである.
SA売店の片隅には小さな祭壇があった.小さな明かりを灯し,線香を焚く香炉の簡素なタイプで特定の宗教を感じさせないスタイルだ.コーク缶やタバコのお供えが庶民的気楽さを感じさせる.
高速道はどんどん進み,ハノイに近づいてきた.広い田んぼの稲穂は既に黄に染り,刈り入れを待っている状態のようだ.この辺りは二期作であろうから,刈った後はまた次のために耕す作業があるのだろう.
私たちのフォードバンは都心に入るため,一旦北に位置するハノイ空港辺りを通過した.
フォードバンは都心エリアに至り,ここで駐車した.法的規制のためかハザン(或いはハノイ外)の車若しくはドライバーはハノイでは観光用車両として巡ってはならないのだそうだ.ということで私たちは2台のフォードバンから降り,ドライバーYさん,Pさんにお礼を述べお別れする.Yさん,Pさんは直ぐ次の仕事が待っており,忙しいそうだが安全を願ってます.
Yさん,Pさんのフォードバンに代わって,中型バスが来てくれた.そして,最初ハノイ到着時フライトが遅くなり,巡れなかった人もいたことであり,私たちはハノイ都心部を簡単に巡ってみることになった.
最初はとりあえずショッピングしようと,スーパーマーケットに寄ってみた.こうして写真を見るとずいぶん広い歩道ですばらしい.
ハノイ名物,バイクレースは言い過ぎだが,それに近い印象でバイクが走り回っている.
ベトナム社会主義共和国の父ホーチミン氏の墓廟だ.今もロシアから導入した技術で遺体が保存され,24時間警護されているそうだ.
昼も賑やかだが夜も結構人出のあるハノイ繁華街.
湖畔の人出は結構あるが,その割に静かだ.馬鹿騒ぎは皆好まないのであろう.
一通りバスでハノイめぐりし,レストラン街にやって来た.
最後の夕食はこのフレンチレストランで頂くことになった.期待できそうだ.
レストランにはブッダの肖像画が架かる祭壇があった.初めてこうした祭壇に出合った.
メインはオージービーフステーキか魚の選択だった.私は前者で,ミデアムレアをお願いした.フレンチスタイルでソースの掛かったものだったが美味しかった.