ディエンビエンフーDien Bien Phu

このディエンビエンフー編では,2018年9月7日ハノイのSilk Pathホテルで朝食後,ハノイ空港に行くも遅れのため待ち,やがてディエンビエンフーに飛び,着後昼食を頂き,バン2台に分乗し旅が始まる.そして先ずは黒ターイ族バンヘン村を訪ねたときの写真を載せました.

ディエンビエンフー付近のGoogleマップ(静止マップ)map around Dien Bien Phu

ディエンビエンフー付近のマップ(Googleマップのスクリーンショット)

この日はハノイからディエンビエンフー3に飛び,この近くの黒ターイ族バンヘン村を訪れる.そしてその後は次ページムオンライ編のページで記すムオンライまで進む.

別窓でディエンビエンフー周辺の大きなGoogleマップを開く

ハノイの朝in the morning in Hanoi

ハノイ空港に向かう

ハノイ空港に向かう

9月7日朝Silk Pathホテルでツアーメンバーが一同に会し,Wさんのご挨拶の後,マイクロバスに乗り込んでハノイ空港(ノイバイ国際空港)に向かった.当初ベトナム航空午後便(14:35)の予定だったか,急に10:30発の午前便に変更する旨知らされたそうだ.とかく社会主義国ではありがちなことだそうだ.

途中ホーチミン廟前やホン川を過ぎ,住宅街を越え,郊外を走り順調に進んだ.


ハノイ空港国内線ターミナルに到着

ハノイ空港国内線ターミナルに到着

ハノイ空港国内線ターミナルに到着した.以前混沌の国際線ターミナルだったところだ.現在は国内線専用なので空いている.結構なことだ.


ハノイ空港から飛ぶfly from Hanoi

お供え専用の果実

お供え専用の果実

さて,変更になった10:30発OV8202便のチェックインは直ぐに済み,さてそろそろボーディングタイムかと待つが,一向にその案内が出ない.

暇なのでゲート前ショップを眺めていると,このような見たことのないフルーツが並んでいた.一店舗のみでなく複数店舗に見える.ガイドLさんに訊くと,仏教のお坊さんがお供え専用にするための,食べられない果実だそうだ.とするとベトナムにはかなりの仏教徒,それにお坊さんがいるのだな~と思った.なおLさんはカトリックなのでお供えの方法などに関して詳しく存じてはないようだ.


ミールクーポンでカフェへ

ミールクーポンでカフェへ

OV8202便は出発が遅れて,お昼になった.ベトナム航空がミールクーポンを配ってくれるというのでこのカフェ(?)に入る.さて何を食べるかな~


結局フォーにする

結局フォーにする

サンドイッチやホットドッグ....いくつかメニューにあるが,結局皆がフォーにすることになった.ベトナムではフォーにすれば先ず間違いないだろう,という訳だ.実際美味しかった.


OV8202便は12:15発に変更になった

OV8202便は12:15発に変更になった

ようやくOV8202便の表示が出た.10:30発が12:15発になったわけだ.ベトナムではよくあることだそうなので,まあこの程度で済んで良かった,とゆったり構えるのが吉ということだ....内心そりゃ難題だな~と思うが.


ハノイ空港から飛ぶ

OV8202便に乗り込む

と云うことでOV8202便に乗り込む.機材はドア脇に記されたATR72-500機だ.

ATR72はミャンマーツアーでエアバガン航空のヤンゴン/バガン便,バトゥーラ氷河ツアーでパキスタン国際航空のイスラマバード/ギルギット便で乗ったことがあるが,2-2シート配列ナローボディのターボプロップ双発機だ.名のように72人クラスで,現在開発中の三菱MRJクラスより若干小サイズだが,MRJは普通のターボファンエンジン,高速なので競合対象ではなかろう.

エンジンはP&W製だそうで,6枚羽と多い.そのためスラストを稼げるので,比較的回転数を下げ,低騒音にできるようだ.


ディエンビエンフー着arrive at Dien Bien Phu

ディエンビエンフー上空になる

ディエンビエンフー上空になる

小一時間ばかり飛んだか,フラットな地形に比較的密集した住宅,そしてその周囲に田んぼの広がる様子が見える.

ディエンビエンフーは,1954年フランス軍とベトミン(Vietnam doc-lap dong-minh-hoi/ベトナム独立同盟会の略称Viet minh)軍の戦った地で,ベトミン勝利の舞台として有名.当時ベトミンはラオスまで浸食し勢力拡大しており,また仏軍は植民地帯のラオスまでの拡張を狙っていた.そして先ずベトミン軍をラオス国境地帯に引きつけるため,空挺部隊をディエンビエンフーに降下させ,占領した.だがベトミン軍はそれを包囲攻撃し,50余日の戦闘で陥落させた.仏敗戦は,同国内でも停戦の意見を強くし,やがてジュネーヴ休戦協定に調印した,ということだ.

米の多大な武器援助を受けた13,000人の仏兵に勝利したベトナムは今も強く誇りに思っているという.一方仏軍がベトミンのゲリラ戦に敗れたことは世界中を驚かせ,ゲリラ戦指揮を執ったボーグェンザップ将軍はホーチミンの片腕として後にまで活躍したそうだ.ということでディエンビエンフーはベトナム人の誇りで,ハノイの通りの名にもなっているらしい.


ディエンビエンフーに着陸

ディエンビエンフーに着陸

OV8202便はディエンビエンフー空港に着陸した.滑走路は一本で,標高491mに位置しているようだ.空港は閑散とした趣であるが,実際ベトナム航空のOV8202便を含む朝夕ハノイ便2本程度で,まああまり飛んではいないようだ(しかもその2便も客が少ないときは1つにまとめることもあるそうな).

さて機を降りて眺めると,標高491mながらフラットな地で,周りは山が取り囲んでいる.つまり盆地という地形が当てはまろう.


2台のバンでホテルレストランへ

2台のバンでホテルレストランへ

空港には2台のフォードバンが待っていてくれた.それぞれYさん,Pさんが道中通しで運転し,最後ハノイを離れるまで担当してくれるという.よろしく願いますね.

ハノイ空港でフォーを食べたが,まだ十分ではないということで,バンは食事のためディエンビエンフー市内に向かった.


ディエンビエンフーのホテル

ディエンビエンフーのホテル

バンは程なくディエンビエンフーのホテルに着いた.ディエンビエンフーは同省の省都で,全域の人口は10万人くらい,マップのページで判るように,ラオス国境にほど近い.ハノイより標高が高いせいか,暑苦しさは相当緩和されたように感じる.

なおディエンビエンフーは上述のように仏越激戦地だったので,多分それに関する記念碑等あるであろうが,今回私達のツアーは棚田や少数民族に焦点を当てているため,道路からいくらか記念碑を眺めた程度で,殆どパスで通り過ぎただけだった.


殆ど平らげた後のベトナム料理

殆ど平らげた後のベトナム料理

ホテルレストランではベトナム料理を出してもらった.殆ど平らげた後であるが,中華料理の一バリエーションと称しても構わないように思う.美味しかった.

これがちゃんとした食事の最後ですからね~と,Wさんに釘をさされた気もする.すなわちこれから山に入リますよ~と云う宣言だ.


黒ターイ族バンヘン村visit a black Thai Village

ディエンビエンフーの盆地を行く村

ディエンビエンフーの盆地を行く

食事の後,バンはディエンビエンフーの盆地を北に向けて走った.小規模な市街地を過ぎると水田地帯になった.水田はこの辺りでは二期作が可能だそうで,また平地で広いためコンバインやトラクタの運用が可能だ(この先山に入ると不可能になる)

畑の向こうには赤茶色入母屋屋根を持ち,また同じく赤茶色柱の高床式住居が数軒見えている.どういった民族の村でしょうか?これから訪れる予定の黒ターイ族(Thai)の村でしょうか.....?


バンヘン村で荷運びの男性

バンヘン村で荷運びの男性

バンヘン村に入り,村を歩く.向こうから天秤棒で荷運びの男性が歩いてきた.天秤棒に菅笠は典型的ベトナムスタイルではあるが,特段黒ターイ族(Thai)の衣装ではないようだ.ベトナムの少数民族は言語ごとに民族が分かれ,さらに装束(それと言語方言など)で,赤とか,黒とか,白とか....で修飾され,サブ分類されている.しかし男性の場合民族衣装の伝統は希薄で,あまり注目されないようだ.


バンヘン村道端のパパイヤ

バンヘン村道端のパパイヤ

まあベトナムだからパパイヤはほぼ全域で採れるであろう.バンヘン村の道端,いや屋敷の垣根か,でもたわわに実を下げている.日本でも沖縄辺りでは採れるそうだが,関東では見ることができないので,こうして見かけると羨ましく思う.


黒ターイ族の住宅

黒ターイ族の住宅

これが黒ターイ族の住宅だそうだ.先程通りから眺めた住宅様式とは違っているが,赤茶色の屋根を持ち,同じく赤茶色柱の高床式という点では似ている.屋根はペイントされたトタンのようだ.

高床住宅の床下(一階部分)は農作物の乾燥や,洗濯物干し,製粉作業,農具置き場...などに用いられ,ここのお宅では番犬が4,5匹繋がれていて吠えられた.怖かった.なおここでは繋がれていたが,リードなしの犬も多いので大変だ.とても一人では歩けない.

また居住部は基本的には広いワンルームで,上る階段が左右2つある.左は男階段で上ったところ付近に祭壇があり,右は女階段で上ったところ近くにキッチンがある.


黒ターイ族バンヘン村

黒ターイ族の民族衣装

左がこの住宅の奥さんで,黒ターイ族の装束だ.右は平服だが同じターイ語を話し,通じるご近所の友人.黒ターイ装束女性は長い髪を束ねて上に巻き上げ髷(シニヨンと呼ぶらしい)を作り,刺繍と飾り片の垂れた黒い(藍染か?)頭巾で覆っている.上衣は白っぽく,黒っぽいロングスカートだ.ということで,黒ターイの『黒』は頭巾とロングスカートの色を表しているということか.....?

なおこうした民族衣装は別にお祭りだとか,葬儀だとかに関係なく,普段着,農作業着として着用されている.ただし時代の流れであろうか,普段は右の婦人のように民族衣装を着ない人の割合が高くなっているようだ.

ターイ族(Thai)はベト族,タイー族(Tay)に次きベトナム3番目に人口の多い民族で,基本的には同じ言語,高床住居ながら,方言レベルの言語差,衣装,文字(ターイ文字など),ヘアスタイルなどで黒ターイ,赤ターイ,白ターイなどに分けられるそうだ.

ところでターイ族(Thai)には似たような紛らわしい民族がいる.ひとつは2番目に人口の多いタイー族(Tay),もうひとつはタイ人(Tai)だ.ターイ族(Thai)とタイー族(Tay)はどちらもタイ語系言語族に属し,ある程度話が通じるそうである.またタイ人(Tai)は民族の名ではなく,タイランド国籍を持つ人のことで,ちょっと違うであろう.ガイドLさん,添乗Wさんの解説にしばしばごちゃごちゃになって,自分でも混乱しているが.


バンヘン村の家畜小屋

バンヘン村の家畜小屋

階下が牛と水牛小屋,二階が干し草置き場になっている.どちらも風通しのいい構造,と言うか壁は殆ど無い.

牛と水牛は共存できるようだ.ちょっと驚いた.


黒ターイ族住宅の構造

黒ターイ族住宅の構造

黒ターイ族のお宅に伺って,居宅を見せてもらった.木造軸工法,トタン(またはスレート)屋根葺き,広~いワンルーム構造,寝室はカーテンで仕切り,一般に3世代(ときに4世代)同居が多いそうだ.


黒ターイ族住宅左端に祭壇

黒ターイ族住宅左端に祭壇

居室左端に祭壇が設けてあった.これは他のお宅でも共通形式だった.一番上にホーチミンの肖像画やお供えがあり,横に家族の卒業証書や賞状(多分),家族の写真など掲げられている.ここのお宅は仏教やカトリックといった伝統宗教ではなく, ベトナムでは一般的という民間信仰としての村の神,家の神,先祖信仰....のような信仰のようである.


黒ターイ族バンヘン村

中越戦争で戦死した家族

ベトナム戦争後の1970年,ベトナムが反ポルポト,さらに領土拡張を狙いカンボジアに侵攻し,プノンペン制圧を果たす.ところがこれに怒った中国はベトナム国境を越境して侵攻し中越戦争が勃発.中国人民解放軍は当初ベトコンが得意とするゲリラ作戦にはまり,3日間で数千名もの死傷者を出した.そこで戦術を大砲と戦車主役に変え,激戦の末目標地点を占領し,撤退した.この際中国軍はベトナムの国境地帯を徹底的に破壊したという.そうした国境地帯は後日訪れる予定だ.

このポートレートはその中越戦争で戦死された,ここの奥さんの息子さんだそうだ.写真左下には燃え尽きたお線香があった.少なくとも毎朝お線香が焚かれるのだと思われる.


風通しのいい寝室のパーテション

風通しのいい寝室のパーテション

前述のように居室は広いワンルームで,寝室のパーテションは風通しのいいカーテン一枚だ.床は板張りでこちらも風通しがいい.冬は多分寒いであろうが,それ以外の季節の快適さをメインに設計しているのであろう.



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