このライチョウ編では,2018年9月8日夕刻シンホーからライチョウへ車で到着し,Muong Thanhホテルで一泊し,9日の朝を迎えた.そして(一旦別ページ記載のダオサン日曜市見物に出かけ)午後ライチョウ周辺の村を訪問し,ライチョウ市場を見物し,ムオンタンホテルに落ち着いたときの写真を載せました.
9月8日夕刻シンホー5から山道を走り,やがて幅広いQL4D号線に出て,一旦Phong Thaで休憩した後,ライチョウ6まですっ飛ばし,ここのMuong Thanhホテルで宿泊.翌9日一旦QL4D号線を西に戻り,DT132号線入り道になるとそこで北に折れ,ダオサン7を往復する(ダオサンのページに記載).ダオサンから戻った後は更に西に進み,周囲の村を訪れながらPhong Thaに行きランチ,そしてライチョウを見物し,Muong Thanhホテルに戻った.
別窓で大きなGoogleマップを開くただし小さな地名や細い道は一切出ない.
シンホー見物を終えると私達はまた車に乗り,再び高原を通過し元の街道に向かった.高原の新しい棚田も再び仔細に眺めてみると茶色に染まった土地の段差はかなり大きい.トラクタなど入れないし,手の農作業は大変でしょう.
山道は,名は知らぬがまた濁流の脇を通るようになった.結構な高地にしては水量がある.それだけ降るということで,道路決壊など油断できないですね.
山道が終わり大きな街道QL4D号線に出た.そして急にバンはスピードを上げた.既に外は暗くなってきたがお店などの建物が並んでいる.フォントー(Phong Tha)の町のようだ.
街道に出て程なくガイドLさん懇意のホテルレストランでお願いして,一休みした.山道でドライバーさんは相当疲労したであろうし,私達もお手洗いの時間だ.
なおこのお店(レストラン)には明日ランチで再訪する予定になっている.
ドライバーお二人が頑張ってライチョウムオンタン(Muong Thanh)ホテルに到着した.この日は当初予定のシンホー行きルートが決壊し,戻って別ルートで回ったため時間がかかったのだ.ごくろうさまでした.
中に入るとロビーは広々していた.荷物は部屋に運んでもらい,私達は先ずは夕食と,渡り回廊先のレストランに足を運んだ.
これがこの日ムオンタン(Muong Thanh)ホテルで頂戴した夕食.でも食べた後なのか,それとも前なのかあまり写ってない.豆腐とか春巻きであったか....ビールは定番のハノイビールだったか.
これがムオンタンホテルの部屋.十分広く,清潔そうに見えるし,バスルームはタブを備えているしいいと思う.
ただ部屋によっては水漏れするところもあったそうで,お気の毒だった.そう云った問題はベトナムに限らず辺境もしくはそれに準ずるような地の宿ではしばしば遭遇するので最初のチェックが欠かせない.
窓から覗いてみた.ホテルの庭は広く,スイミングプールも備えている.左端赤い屋根が今しがた夕食を頂いた離れのレストラン棟だ.ライチョウは街は高い建物はなく,また比較的まばらであるが街灯がある.この時間(8:20PM)になると車も歩行者も殆どないようではある.
さてムオンタンホテルの一夜が明け9月9日朝になった.昨晩降ったのか庭は濡れているようだ.中央のレストラン棟周囲の庭木はジャングルのように瑞々しく茂って見える.
先方のカルスト的山々は霧と雲でなかなか趣ある景観を見せている.ズームアップすれば良かった.
上写真赤い屋根,白い壁のレストランに行った.お客さんが少ない,いや殆どいないので,だだっ広く感じる.そして当然の如く丼にフォーを装ってもらった.フォーなら先ず間違いない.美味しかった.
朝食が済むと私達は2台のフォードバンに分乗し,出発した.ライチョウの街はお店はさほど多くなく,比較的小型の住宅が並んでいるように見える.街路樹は豊富で,バイクの交通量はかなりある.
感心するのは赤地に黄色い☆のベトナム国旗(金星紅旗)を掲げた家やレストランが多いことだ.この日は特段祝日とかではなく,普通の日だが,つい先般9月2日が国慶節で,その名残だそうだ.また真っ直ぐな旗竿だと,旗が丸まって下に垂れ,模様が見難い.そこでΓ型旗竿にして模様が良く見えるように掲げているのも目立つ.
なお国慶節は,1945年9月2日にフランス領インドシナから独立宣言を行ったことを記念して,この日に制定されている祝日ということだ.また当時の状況は,第二次大戦中で,日本はベトナムを占領したが,フランスも現地に留まり影響力を維持していた.1945年8月15日日本の敗戦で.権力の真空状態が生じた.そしてこれに乗じてホーチミン主導のベトミン(Vietnam doc-lap dong-minh-hoi/ベトナム独立同盟会の略称Viet minh)がベトナム八月革命を発動した.そして皇帝のバオダイは1945年8月30日に退位し,阮朝は滅亡,9月2日ベトナム社会主義共和国が成立した,ということだ.
なおフランス軍はこれで撤退した訳ではなく,この後も居座り,1954年同軍とベトミンの決戦,ディエンビエンフーの戦いでようやく決着することになる.
トウモロコシを庭いっぱい広げ乾燥中だ.男性が熊手でツブツブをかき回せている.この分では今日は雨が来ないで済むかな~
----------- ここで一旦ダオサンのページへ -----------
ダオサン見物が終わり,ライチョウに戻ってきた.この辺りに来ると比較的広い平面の田んぼが現れた.そして二期作可能だそうだ.それにトラクタやコンバインが入ることができるであろう.
一旦西のフォントー(Phong Tha)の町に入り,前日休憩したホテルランアン(Lan Anh)のレストランでランチとなった.去年のメリークリスマスがまだ掲げられている,いや今年の準備をもう始めたのか?
ホテルオーナーは42歳の女性で,現在独身とLさんがしきりに強調されていた.多分クリスチャンであろう.
ところでガイドLさんもクリスチャンなのだが,兵役がないという.宗教によって兵役が異なるのは例えばイスラエルでアラブ系住民は,寝返りや諜報の恐れありとして徴兵されないという.しかしベトナムもそうなのか?Lさんに問い質すと,ベトナムはフランスの植民地支配を受けたことだし,欧州の国全般が嫌いだ.そして欧州人が持ち込んだキリスト教やクリスチャンを信用していない.なのでそいつらを兵役に就かすことはできない....とまあ,そういうことらしい.でもこれに関しては今もよく解らないな....
ホテルランアンは別棟の大きなレストランを備えており,そこでこのランチ(殆ど残骸レベルだが)を頂いた.写し損ねたが,インテリアはロマネスク風と中華風をミックスしたような変わった趣向だった.上記富豪女性オーナーの趣味でデザインされたそうだ.ふむふむ.
昼食後白モン族の村を訪ねた.庭には大量のトウモロコシが干してあり,軒下では暇なのか皆座って休んでいる.多分時々熊手でトウモロコシをかき混ぜるのであろう.
皆が暇そうに見える中,若奥さん一人が道路反対側の泉から,片手に10リットル,合わせて20kgくらいありそうな水を汲んできた.一人重労働だ.多分水道水より美味しいお茶ができるのでしょう.
こちらが上述の約一名以外の暇な方々.日曜ですし,まあこれが本来の過ごし方なのでしょうね.
それと白モン族衣装はだれも着けていないので,Lさんに聞かないと分からないです.Lさん自身も多分話してみないと判別できないと思います.
東に向かいながらもうひとつの白モン族村を訪問した.先ず道端の小屋で野菜や例えば朝鮮人参の如く精力剤として特段の効力があるらしい山菜,写真中央暗黒赤芽の出ているもの,を並べたショップを覗いた.そして背後に数軒の家があり,覗かせてもらった.
こちらが覗かせてもらった白モン族のお宅だ.この写真ではあまり特徴的なことが表現できていない.腕が悪い.ただ白いプリーツスカートなどは白モン的かな~
ずいぶん白モン族の皆さんに出会ったが,念の為もうひとつの村を訪れる.丘を登ると立派な木造建築が見える.この辺りでは数軒このような立派な建物が見えて,何か特殊なものの栽培で.....とか勝手な話が持ち上がる.
でも庭に広げられた作物はピーナツか何か普通の作物ではないかな~
村の道を進み,次のお宅の前に差し掛かった.よく肥えた黒豚がほっつき歩いている.思うによく逃げ出さないものだな~と.多分この辺りでは家を離れてしまうと餌が確保できなくなるのであろう.その点やはりイノシシとは違うのであろう.
そしてまた次のお宅を見て回る.ポリタンクに水を満たし仲良し姉妹がこれを浴びてご機嫌だ.赤の他人,下手すると盗撮罪とかで,お縄頂戴などになりかねないが,そんな赤の他人にも心温まる光景だ.ありがとうさん.
なお傍らには白モン族のお母さんがちゃんと監視(子どもではなく私たちを)されてました.
白モン族村には路端の所々に白い生姜の花が咲いていた.私は初めて見た(或いは見ても覚えてなかった)のだが福岡のHさんに教えてもらった.なかなか美しい.
白モン族村を見て回り,ライチョウの村中心に戻ることになった.道端では黒い水牛と赤牛が仲良く草を食んでいた.水牛と牛はかなり異なる種と聞いているが,こうしてみると結構仲がいいように見える.人間界でも見習いたいものだ.
さてバイクがいっぱい,ライチョウ村中心に入ってきた.この少し先から常設(曜日によらず毎日)ライチョウ市場が始まるという.
この大きなみかんはボンタンだそうです.そう言えばディエンビエンフー近くの村辺りでこれが実っている木がありましたね.
破れジーパン(ダメージジーンズ)の売り子さんで,市場もずいぶん都会風になってきましたね.
こちらには思い出せない葉物野菜にハマグリ,筍,モヤシ,チキン....など並べている.これまで覗いた市場では葉物野菜はそのまま地面に置かれていたが,ここではバスケットに入れられている.まあ,これが最大の違いかな.
ここの花屋さんはドリアンも揃えてる.さすが~それにハノイの街では大量に花が売られていたが,山の市場では花はあまりなかったかも.
スーパーで鶏肉を買うには,もも肉とかささみとかの部位,1パッケージの重さ,値段等見てバスケットに入れれば済む.だがライチョウ市場で活きたニワトリを買うのはなかなか大変だ.私はこの女性が一羽買い上げるプロセスを暇に任せて一部始終観てみた.
先ず買い手はケージの外側から美味しそうな一羽に目星を付ける.そして嫌がるその一羽を売り手と協力して足を握って引っ張り出す.ケージの奥にいるときはかき分けて引くので手がかかる.引っ張り出し,バタバタするニワトリの足を掴んで,ニワトリの各部を注意深く観察する.ときに羽や毛をかき分けて表皮を観察する.これで良ければ,計量し取引成立,袋に入れて完了だ.
しかし一匹目では満足できない.そこで上プロセスを繰り返す.このケースでは3羽目でようやく取引が成立した.3羽目で成立は多分速いほうだ.不成立で立ち去る客が遥かに多そうだ.
左はうなぎ,真ん中はナマズ,右は不明だがおそらく大きな川魚.大きな魚は輪切り若しくは2枚に下ろして,切って販売.肉類と同じで所望のサイズに切断して売ってくれるようだ.売り手前にあるのが円筒形まな板だが,汚れが気になるな~
みかん,ザクロ,マンゴー,ぶどう,りんご,パパイヤ,桃....おおよそよく見るものだが,大量に揃えている.
この日の見物はすべて終わりムオンタンホテルに戻った.そして一風呂浴びてホテルレストランに降りた.このレストランは写真で見るとごく普通に見えるが実は人工池の上に島のような形で建てられている.手が込んでいるが,大した効果がないような....そう言ってしまっては身も蓋もないか.
写真で見る限り寄せ鍋か何か,所謂鍋物だったのは間違いなさそうだ.もちろんビールは飲んだが,添乗Wさんがペットボトルり入り(つまりノーブランド)焼酎を出してくれたので喜んで飲ませてもらいました.
そして名前と住まい程度であるが簡単に自己紹介した.今回は名古屋や大阪方面,福岡や熊本など遠くの方が居られた.どうぞよろしく.
さて明日はサパに向かう.多分涼しいでしょう..