このシンホー編では,2018年9月8日,ムオンライ市場を出てから白ターイ族のチャンヌア村を訪ね,シンホーに向け山道を行くも土砂崩れで遮断され,一旦チャンヌア村に戻り昼食,次いで白モン族の村,赤モン族ナゲ村,ザオカウ族ファンソリン村を見せてもらいながら,シンホー市場を訪れたときの写真を載せました.
私達はシンホー4の朝市を覗いた後,ダー川(Da)支流対岸(右岸)に出て,QL12を北上し,途中近道へと右に折れるも崖崩れで戻り,QL12北上再開.三叉路に至,DT128路にターンして南下,そしてシンホー5の市場に着いた.
別窓でシンホー周辺の大きなGoogleマップを開くシンホーからダー川(Da)支流脇を進んだ.この辺りは既にダー川本流の反対側(山側)支流となったようである.相変わらず濃い土色の流れではあるが.
流れの途中には発電用(と治水兼るか)ダムがあって,川幅は相当ある.Lさんの解説によればダムは中国政府が,脇の道路は主にロシア政府が資金供与して建設されているという.ロシアとは昔から特に軍事面などで強い結びつきがあり,また中国とは現にいろいろ問題を抱えながらもやはり金が頼りのようだ.乗っ取られなければいいが....
しばらく行くと道路脇に露店があった.近所の村や山で採取した野菜や果物を並べているようだ.屋根付きの小屋作りなので常設市場であろう.
さらに行くと,バナナ畑,それに盆地状水田が見えた.稲はまだ青々とし,二期作の二度目のように見える.
白ターイ族のチャンヌア村の集落部に来た.ターイ族伝統の高床式住居だ.屋根はここのお宅の場合スレート葺き入母屋造りである.また柱は通しの円柱である.
ガイドLさんの説明によると,こうした住宅は建設会社や専門の大工さんが造るのではなく,当家のご主人が村人全員の協力で,2~3年間かけて建設するのが普通だそうだ.
2階が居住スペース,階下は土間の倉庫,作業場になっているのは他のターイ族住宅と同じだ.番犬が2匹も目を光らせている.多分リードなしだ.ここは皆の後ろにピッタリ付いて歩こう.
現在農繁期なのであろう,村の家には在宅者が少ない.そしてたまにこうして水牛やバイクが通る.水牛は今回ツアーで最も頻繁に見かけた家畜だ.ただ働いているシーンに出合ったことはなく,このように歩いているか,草を食んでいる場面だけだ.田んぼを耕すときは働くらしいが,今はその時期ではないようだ.
ところで水牛は高価で,バイク1台と同じくらいの値だそうだ(Lさん談).尤も大きな水牛ではバイク複数台分になるであろうが.なお水牛肉は食用になり,私達もこの後味わう機会があった.
豚と牛もよく飼育されている.豚は黒豚が多い.多分それが美味しいのであろう.ここは小屋で飼育されているが,放し飼いになっているのもしばしば見かける.よく逃げていかないものだと感心するのだが.
なお羊やヤギは相対的に見ることが少ない.これもちょっと不思議なような....
個室タイプのニワトリ小屋だ.これは珍しい.庭先で放し飼い,逆にバードケージにぎっしり詰め込まれたりはよく見るが,個室は少ない.
一軒の農家一階作業場で奥さんが収穫したトウモロコシの皮剥ぎか何かの手入れをしていた.この後ある程度乾燥し,そして(機械で)実を落としてツブツブにし,それを完全に乾燥させるのではなかろうか.
写真左端白い棒が実のツブツブを落とした芯で,家畜の餌になるのであろう.
また写真左上の竹編み筒は魚捕りのトラップで,入り口にカエシがあり,反対側に蓋を着ける方式だ(正式名あるはずだが不明).ずいぶん多数あるので小川のあちこちに仕掛けるのであろう.
住宅庭の一画にタロイモが植えてあった.ずいぶん大きい.サトイモと同じような形,いや全く同じかな~
今ググってみたら,『サトイモ』はタロイモの一種で,世界で最も北方で栽培されるタロイモ,ということです.なるほど.
私達の車はしばしQL12を北上し,途中シンホーへの近道へと右に折れ,山道に入っていった.
この辺りは平地がなく,斜面にバナナの木を植えるくらいしか手がないようだ.斜面はかなり急坂で,バナナの手入れや収穫作業はかなり大変そうだ.
この道は甚だ行き交う車やバイクが少なく結構なのだが,途中崖崩れ箇所が間々現れる.そしてやがて規模の大きな崖崩れにぶつかる.ガイドLさん,添乗Wさんが修復工事関係者らの情報を収集し判断した結果,私達のフォードバンで通過するのは困難で,一旦戻って確実性の高いルートで出直すことになった.
私達の車は,少し前に見せてもらった白ターイ族チャンヌア村に戻った.そして村の市街地(?)にあるレストランに入り食事することになった.
これを見ると青菜炒め,春巻き,小エビ炒め,ポーク炒め,....などかな~
午後長丁場になりそうなのでしっかり食べなくては,いやドライバーさんのことです.
ダー川支流に沿いQL12路を北上した.ダー川は北上すれどもあくまで土色に濁ったままだ.やはり最近大雨があったばかりなのであろう.
暫く進むと路端に小川(側溝)が流れ,ここで洗濯中の女性たち,水遊びの子どもたちに出会った.この日は土曜日で学校がお休みなのだ.
Lさんが確かめると道路反対側の白モン族村の皆さんで,早速皆で押しかけてみることになった.
道路を挟んで小川の反対側には何軒かの平屋建て住宅が建ち並んでいた.皆前庭に,あるいは公道に張り出してトウモロコシをシートに広げ乾燥させている.壮観だ.
この辺りは稲作が不可能で専らトウモロコシ栽培になるという.そのため食べ物もお米よりトウモロコシ主体にならざるを得ないという.
村の一軒の住宅内部をこちらの奥さんが見せて下さった.家は板壁若しくはカーテンで仕切られた寝室と,広い一つの部屋になっている.広い部屋の右端は写真のキッチンで,このときはたまたま大釜で豚(下に写真あり)の食べ物を調理中だった.またそれと並行して左側で家族用食事も準備中で奥さんは大忙しだ.
燃料は薪で,竈は幾つもあり火起こしも大変だ.そのために小型電動ブロアー(写真左)を用意し,また煙の排気を助けるため板張りの壁には隙間が多く設けられている.
住宅の真ん中,入り口を潜った先にルビングスペースが設けられている.このときはお嬢さん一人が寛いでいた.こうしたルビングスペースでは奥に祭壇が設けられていることが多かったが,こちらのお宅は宗教的なものはなく,飾り棚の上に数本のキャンドルがあるだけだった.サイドに賞状のようなものや写真が掛けてあるのは他と同じだ.
写真右下はトウモロコシなどの収穫物,それに家畜の飼料など置かれており,これは一般的なスタイルだ.
キッチンから反対の左側を眺めると,奥がカーテンで仕切られたベッドルーム,中程は作業場など多用途スペース,その手前は前述の食料や飼料の保管スペースになっている.
壁板の間,壁と屋根の間には換気スペースが多く,今の季節はいいがかなり高所(確か1,000mくらい)なので冬は寒くなかろうかと気になる.
住宅の裏庭に豚舎とその壁にチキンケージが置かれていた.黒豚は先程奥さんが飼料を準備していたので間もなくありつけるでしょう.
ニワトリはなぜかずいぶん狭いケージに入れられていた.農家によっては庭に放し飼いで,地鶏として出荷しているように見えるが.....こちらのお宅では,『柔らかなお肉』をウリにしているのかな....
トウモロコシの天日干しで,子どもたちが熊手で掻き混ぜを手伝い,また半ば砂遊び的に遊んでいる.雨にならなけりゃいいね.
さて比較的崖崩れの少ないルートを来たのであるが,それでも何箇所か崩れた場所を通過した.ここはそんな場所の一つだ.ベトナム北辺このエリアは,特段台風とかでなく,普通のときでも結構雨があり,また擁壁など貧弱な状況なので崖崩れは頻発するようだ.
しばらくして赤モン族のナゲ村に入ってきた.最初こどもたちが大勢集まり,赤モン族らしい洗濯物の架かるこのお宅を訪ねようとした.でもこのお宅の番犬は口を白く縁取り,歯を剥いている.見ただけでも恐ろしい.ガイドLさんも恐ろしくて近づけないと言う.ここは止めておきましょう.
何れにしても番犬の多いところだ.とても一人で来れるところではない.
そこで番犬の心配なさそうな別のお宅を訪ねた.寄棟屋根平屋建ての家で,外壁には実に多量の肥料が積まれている.そんなに広い耕作地があるのでしょうか?
前庭を眺めるとパパイヤと,それに絡まるハイビスカス,さらに各種植物が茂っている.別に化学肥料をやらなくとも育つ土地ではないのか....やはり農作物は違うのかな.
幸いこちらのお宅では奥さんが滞在中で,Lさんがお願いして赤モン族衣装を着けてもらった.
とても華やかな衣装ですね.手の込んだ刺繍でしょうか.細いエプロンと言うか,相撲での下がりと言うか...は特に特徴的なような....幅広プリーツのスカートやゲーター(スパッツ)着用は他のモン族含めて共通なのでしょうが,色やデザイン,帽子やスカーフの着用に関してはかなり差がありそうだ.私には区別が難しいケースがほとんどだ.
部屋の中も少し覗かせてもらったところ,上述の白モン族の住宅と似ていて,基本的には軸工法木造,広~い土間床のワンルームで,中央にリビングスペース,右にキッチン,左にベッドスペースが配され,食料品貯蔵など兼ねているようだ.
上の恐ろしい番犬の家で遊んでいた子どもたちだ.私達はこの子達に興味があったのだが,この子達も普段見かけない外国人ということで,私達を遠巻きにしながら追いかけてきてくれたのだった.そしてここを去る頃にはすっかり仲良しになり,手を振ってバイバイしてくれた.
この子達もちゃんと赤モン風スカートを着けている.多くは市場で販売されているプリントものと云うことではあるが,子供の頃から伝統に親しむのはいいことだ.感心した.
赤モン族ナゲ村から南下するに連れ徐々に標高を上げた.高度計を見ると最高地は1,600m位を指していた.そしてこの辺りの斜面を見ると,土砂の色合いからすると近年水田(或いは陸稲田か)用に開拓された棚田のように見える.狭い耕作面に対して,棚の段差は大きく耕作はかなり大変そうだ.
こちらは水が確保できないとかの理由であろうか,棚田にせず,斜面をトウモロコシ栽培地として活用している.今は収穫が終わった段階で,茎が枯れた状態で地面に立っている.冬になり草がなくなる頃,牛を連れて来て食べさすとか聞いたような...いや違うかな...ちゃんと聞いておくべきだった.
ザオカウ族ファンソリン村に着いた.家を見ると平屋建てと二階建て住宅(下は倉庫,作業場)が混在している.ザオカウ族の村と聞いているが,2つの民族が混じっているのであろうか.
背後の山は通過してきた辺りであるが,カルスト地形のように見える.多分そうだと思われる.
こちらはザオカウ族の平屋住宅.元気な女の子が玄関から勢いよく飛び出してきた.当然ザオカウ族の子であろう.
この玄関で驚いたのは漢字だ.上に『新年大吉』,右に『伍福百福全家福』,左に『千財万寶遍地金』のようで,上と右は日本人にも解り易く,左も文言上は理解しても,日本人的にはお祝い事にはあまり用いないであろう.しかしこれは現在の漢族にはもろに使われそうな響きだ.つまりザオカウ族は漢字を解するのみならず,新年の祝賀習慣などを受け継ぎ,またその思想も漢族と似た面があるものと思った.大変興味深い.
ただ若いザオカウ族の皆さんで漢字を解する人はやはり減っていくのかな~
右側女性の黒いスカーフと言うか,ターバンというか,これがザオカウ族ファッション一番の特徴のようだ.スカーフの中には長い髪が丸めて束ねられているのであろうか.
ちょっと写真でははっきりしないが,ズボンにも細かな刺繍が施されており,上着の襟元,袖口などのポイント的デコレーションなどと共に要所を押さえている.
左の女性はやはりザオカウ族なのか,別の民族なのか不明だが,ふたりともお針仕事に精を出している.
フランスの植民地支配下にあった時代の名残だそうで,ユーロになる以前,フラン時代のコイン(銀貨かな?)をネックレスに加工して身に付けている.
コインの上部に1つ,下に3つのリングをロウ付け(brazing)でくっつけ,そこにビーズチェーンを繋げている.コインに孔を開けてチェーンを繋げず,面倒だがコインの脇にフッキング用リングを付加したのがいい.孔を開けるとやはりカッコ悪かろう.
ザオカウ族ファンソリン村を出てさらに南に走った.カルスト地形的景観はなおも続き,その緩やかな棚田の光景が美しい.この程度の面積と段差であれば何とかコンバインが入れるであろうか.
午後4時半近くになってシンホー市場入り口に到着した.市場は普通朝早くが勝負と言うか常識と言うか....ちょっと遅くなってしまった.ドライバーYさん,Pさん長い距離済みませんでした.
という訳で些か寂しくなってしまったシンホー市場だ.まだ多くの店は閉店していないが客足は遠退いたようだ.市場の活気が失われている.どのみち冷やかしだけの私達には関係ない,いや寧ろゆっくり見ることができていいじゃないか,とも言える筈だが,やはりチト盛り上がらないかな.
他の市場同様野菜や果物,食肉,衣料品....など揃っているのはもちろんであるが,お線香やキャンドル,御札のようなお祈り関係の品を扱っているささやかなお店もある.多分他の市場でも在ると思う.
ベトナムは共産党一党支配で宗教には否定的な国であろうが,アニミズムと結びついた伝統的信仰など活きているのは少しばかり垣間見たし,そうしたお祈りの際に役立つのであろう.
雑貨店のお子さんであろう,お店のところで遊んでいた.カメラを向けると好意的にポーズをとってくれた.ありがとうさん.
概してベトナム北辺この辺りの方々は写真撮影に対して寛容で大変ありがたい.反対にケータイやスマホを向けられることがあるが,もちろんこちらも平気です.
さてこれで今日の観光はほぼ終わりで,この後ライチョウのホテルに向かう.Yさん,Pさんさらによろしく願います.