このドンバン編では,2018年9月15日イェンミンで朝を迎え,同町朝市を見物後,タムマ峠を越え,チョーフォーカオ朝市を見て,白モン族ルンカム村,花ロロ族ルンカムズィ村を訪ね,ドンバンに到着してランチ.食後黒ロロ族ロンヴァン村を訪ね,中越国境を跨ぎ,ドンバンに戻り夕食.そして翌9月16日ドンバン日曜市を見物し,同町を去るまでの写真を載せました.
イェンミン14で朝市見物後,赤いトラックのように北東に向かい,タムマ峠を越え,チョーフォーカオ,白モン族ルンカム村,花ロロ族ルンカムズィ村と進み,ドンバン15に到着.昼食後北の中越国境脇を通過し黒ロロ族ロンヴァン村を訪ね,その後同じルートを戻り中越国境をほんの僅か跨ぎ,ドンバンに15に帰った.そして翌日同町日曜市を訪ねた.
別窓でドンバン界隈の大きなGoogleマップを開くイェンミンのタオニュエンホテルで朝が明けた.窓から鋸山方面を眺めると黄金色に染まり美しい.今日の天気は期待できるかな~
ホテル前道路を横切り,少し小路に入り,右手にレストランがある.ここではいつものようにフォーを頂戴した.周りを眺めても,ベトナム人の多くも朝はフォーのように見える.
タオニュエンホテルの前の大通りはQL4C街道で,イェンミンの大通りでもある.少しここを歩いてみよう.
大通りでは先ず緑の豊かさに関して見事だと思う.またいろいろなお店や公的機関も並び,広い歩道も備えている.ただ歩道には露店があったり,バイク駐輪があったり,とあまり整った感じはしない.
小さく英語でも付記されていたので農業銀行イェンミン支店と解った.銀行は国営でしょうか.門があったり,ちょっと引っ込んでいたり....日常的にATMに立ち寄る感じの銀行ではないですね.
郵便局も門があり,前庭がある.たかが郵便局のくせに簡単には近寄り難いような....まあ,国家体制からして民営化などないでしょうし,こんなもんでしょうか.
こちらは税務署.税務署なら入り難くて構わないか.
それと大通りとは関係ないが,今日は今のところ晴れて青空.北辺の地では貴重な天気だ.いや大通りもきれいに見える.
イェンミン市場は上フォーレストランとは目と鼻の先だ.そして朝市に寄ってみる.
写真黒い装束はザオ,ストライプ入り赤キャップなのでランテンザオ族(Lan Ten Dao)でしょうか.やはり伝統衣装は目立ちます.
高級食材スッポンが売られていた.スッポンは養殖でしょうか,それとも天然ものでしょうか.
味の素はアルファベットに加えかなと漢字での『味の素』と本物の本家調味料を強調している.片や類似品(ジェネリック?,いやパチもん?)はもちろん別ブランドMimonを記し,独自性を訴えている.
でもね~色が全く同じで,配置デザインが似ているんだな~これが.
写真右下角の濃いパープルは,バナナ房先端に付いている花というか蕾というか,あれだ.煮物や炒め物にして食べるそうだ.
その左はスターフルーツ,その上は,カボチャにしては平たくないし,パパイヤにしては大きく色が赤っぽい....これは結局解らず.その左はハヤトウリだなきっと.葉っぱものは区別が付かず,左端はラッキョウ,いやエシャレットか?
久しぶりでバネ式トラップを見た.この大きさだとネズミとかモグラ用であろうか.イノシシ(いるがどうか知らないが)には小さ過ぎて逃げられてしまうだろう.
ビーフやポークは発泡スチロールにパッキングこそされていないが,食肉の形態で切り分けて販売されている.一方ニワトリは食肉の形態になったものはあまり見かけず(見逃しかな~?),普通活鶏で販売されている.この若い女性は鳥かごの中のニワトリ吟味した上選び,買って持ち帰るところだ.
日本の飲み屋さんでは鳥刺しを出してくれるところがあり,そうした用途には新鮮第一,活鶏はとても適していることだろう.
でも家庭で料理するとき,締めて,毛をむしり,内蔵を取り,骨を剥がし.....大変だ.第一普通のキッチンではそんなことできないだろう,それに誰がやるんだ~?
でもベトナムでは違うんです.手間ひまかけても最高に美味しいものを追求して,調理するのです.
こちらは少数民族伝統衣装ではなく,普通の洋服をオーダーメイドで仕立ててくれるようだ.朝オーダーすると夕方とか,或いは翌朝には仕上がるという高速仕上げ(香港などであり)であろうか.
こちらはポーク専門店.ちゃんと肉の形になっており,これを切り分けて売ってくれる.でもこれだけ盛大D51並みに煙を吐き出されると,お肉に付きそうですね.
その点,前述の活鶏(の肉)は店主タバコの影響を受けにくいメリットがあるかも(←肉屋が少なくとも商品の傍では禁煙するのがスジだろう,の声あり)
カウベルは普通鋳造(キャスティング)で作られるものと,この歳に齢を重ねるまで長年思いこんでいた.
だかここで見たのは,な,何と溶接仕上げだ.廃材らしき鋼板を楕円筒状に折り曲げ溶接,それに楕円蓋の表裏にU字型フックを溶接,さらにその蓋を上記楕円筒片端に溶接.そして内側フックに鉦叩き分銅を下げて完成だ.
鋳造は大変だが,溶接なら小さな設備で済むのでコストが少なくなるかな.大量生産では鋳造が安そうだが.....
市場には子どもたちもよく一緒に来る.おやつやおもちゃが楽しみだろう.
イェンミン朝市を見て,私たちはフォードバンに分乗し,QL4C街道を北東に進んだ.
イェンミン近くではまだ平面があり,水田で稲も栽培されている.
そのうちQL4C街道は山道になり,周囲はカルスト地形なので石灰岩の山が林立するエリアになっていった.
山が林立し,地盤は岩(多分石灰岩)ゴロゴロのエリアではあるが,たまに農家が住居を構え,岩だらけの地にトウモロコシなど野菜を栽培している.まあ大変なところだ.
休憩点があり,車を停めて景色を眺める.上述のように疎らではあるが,この辺りに住まい,生活している人々もいる.写真のお二人は多分にそうした人々であろう.モン族でしょうか.
普段から山で鍛えているのか颯爽と過ぎて行った.
この辺りには『ドンバンカルスト台地ユネスコグルーバルジオパーク(Don Van Karst Plateaw UNESCO Global Geopark)』の標識と共に,固有の景観,例えばXX岩,それに詳しい説明を加えたていねいな標識がかなりの密度で立てられている.
世界ジオパーク(大地の公園)とはユネスコの支援で設立された世界ジオパークネットワークが審査/認定を行っており,認定には地質遺産の保護,地域教育や科学振興,観光事業に活用し,地域社会の活性化など必要という.まあ,ユネスコマークが入っているが,直接関係ないわけだ.
当ジオパークは首都ハノイから北へ約500km,ここハガン省に位置し,北側は中国国境と接している.海抜1400~1600mほどの高台にあり,総面積は2,346km2その敷地の8割が石灰石の地質で,400~600万年前の生物化石など多数見つかっているという.2010年3月10日,ベトナム初の世界ジオパークに認定されたそうだ.
なお日本では,洞爺湖有珠山など8箇所の認定世界ジオパークがあるそうだ.
QL4C街道山道を曲がりくねながら上るとタムマ峠(Tham Ma Pass)に至る.標高は1,500mのようだ.
バイクがたくさん上ってくる.この中には観光客も多く含まれていると思われる.
やはりこの界隈過疎の地に暮らす子であろう,近くで積んできた野の花をカゴに背負い,売っている.でも買ってあげないでごめん.
QL4C街道はそのうちチョーフォーカオ(Cho Pho Cao)に入った.道の両側には市が立っている.このチョーフォーカオ朝市は月にたった一度だけ開かれるのだそうだ.ということで添乗Wさんもこれを見るのは初体験だそうだ.ここだけに限るわけではないが,こうした市場には10kmもの山奥から歩いて来る人も稀ではないそうで,気合を入れてショッピングするようだ.
この青年たちは牛の取引が成立し,連れ帰るところだそうだ.牛は高価であるし,そう度々商談が成立するのではないであろうが,早めに決まり良かったですね.牛は日本では少ないが,ブラジルとかインドとかには多いコブのあるタイプですね.
こちらの年配女性は背中のかごいっぱいに葉っぱを買い入れた.食べる野菜にしては量が多いし,家畜の餌には少ない.はて何だろう.....藍染めの葉っぱかな~と単なる思い付きを上げてみるが.....判らない.
これは多分家畜の餌を煮るための大鍋であろう.してその根拠は?シンホー近くの白モン族村で奥さんがこうした大鍋で豚の餌を煮ていたのを見せてもらったことがあるではないか.
普通買った鶏は,今朝のイェンミン朝市の女性のように,その両足を持ち,吊り下げていることが多い.だがこの男性は抱きかかえ,顔を私たちに向けて見せてくれた.食べるのではなく,ペット用かも知れないですな.
市場なので広いフードコートも備えている.男性たちはペットボトル入り焼酎,多分この辺りはトウモロコシ焼酎(あまり香りは強くない)でしょうね.
売られている野菜種子はやはり漢字で記された中国産が多い.徐々にベトナム種野菜が減り,中国種に置き換わりそうだ.
なお奥側は最も大きな場所を占める衣料品売り場になっている.
ケータイの従来タイプは上にスクリーン,下にキーボードのタイプで,折り畳みタイプはあまり売られてない.小型軽量,操作数の少なさがいいのでしょう.
スマホは諸国共通全面スクリーンタイプで,どれも同じようなものだ.
チョーフォーカオ朝市を抜け,そのままQL4C街道を行くとトウモロコシが街道脇に広げられ,乾燥中だった.確かに街道は広く平で,乾燥広場に好適だ.こうした平らでまとまった広場はなかなか見つからない.
国交省ハザン支所の思いやりある,粋な計らいが感じられる.
私たちは白モン族(white Hmong)ルンカム村に行くため,街道から小路に入った.脇の畑では蕎麦が花盛りだ.
ところでベトナムの都会からの観光客は蕎麦花を背景に写真を撮るのが大好きで,ときによっては賑やか極まりないとも,とWさんの資料を読ませてもらった.
白モン族ルンカム村入り口には門があり,野菜販売の左のおばあさん,花売り右のお孫さん,それに焼き芋屋さん,餅屋さんもいたかな~
あまり観光客の多いところではないのだが,他に適当な仕事がないのでしょうね.....
ルンカム村に入ってきた.上述のようにこの辺りは『ドンバンカルストユネスコグルーバルジオパーク』に含まれ,ジオパークの条件/目的の一つに謳われている『観光事業に活用』がそのまま活かされている.つまり建物脇等には図や写真入りの詳しい説明入り標識が立てられ,読むといろいろ解るようになっている.
例えばこの辺りの家々は昔アヘンの取引で大儲けした地主パオ氏が1947年に建てたなどと記されている.
瓦葺き切妻屋根二階建ての立派な建物が,石畳の中庭に面しコの字状に建てられている.この構造はひどい天気に耐えることが可能と,ジオパーク標識に述べられている.しかしアヘン取引で....と聞くと,いざ踏み込まれるときの対策では....などと勘ぐりたくなる.
氏に関しては『パオの物語』として映画化され,2005年ベトナム映画教会賞を受けたそうだ.
なお,現在はそのお孫さんが継いでいるそうだ.
都会からの観光客には蕎麦畑も人気だが,こうした(かなり過剰な)コスプレも人気だそうだ.このお二人は確かハノイからとかで,自撮りに便乗させてもらった.
こうした楽しみ方は中国の観光地でもよく見られるが,その混み様は尋常でなく,全然落ち着いて見物できない.その点この辺りは観光客が疎らで,大変結構だ.
石の土台には細やかな彫刻が施されている.下部は土中へと埋められズレないようになっているのだろう.そしてその上は加工に手の掛かりそうな丸柱だ.見えないが丸柱と丸石土台は,ほぞで芯ズレの出ないように結合されているだろう.
これは別の家の軒先で撮った.寸胴鍋には(多分トウモロコシの)醸造酒を入れ,上部皿は冷却水パンだ.見えないが冷却水パン下部には隙間を空けて,液化した製品,焼酎を受ける皿があり,その底から写真右手のパイプが連結されているのであろう.下で焚く薪の火加減が大事だと思う.温度が低いと気化せず,高すぎると不純物成分が多くなると思う.
なお気化した焼酎ガスが外にもれないように冷却水パンの下に見える紫布はパッキンであろう.これを清潔に保つのは大事だと思う.小姑的細かいこと言ってすみません.
村を出て白モン族の畑や田圃を訪れた.細い農道でこちらに向かうおばあさんと,まだ4歳くらいのお孫さんに出会った.
写真が不鮮明だが,この小さな子も少しばかりの草を背負っているのだ.見方によっては,児童労働が....とか言われかねないが,まあ,お人形を背負うのとあまり変わりないと見れば,無問題だ.そしてこれも伝統継承の一部なのではあろう.
白モン族ルンカム村の田んぼは棚田ではなく,比較的平面だ.しかし稲刈り機とかコンバインでなく,手作業で大勢で一斉に刈っている.なかには子どもをおぶった女性も見える.
そしてどうやら白モン族の稲刈りは女性だけでやるもののようで,男の姿は見えない.そういった伝統なのかな.
刈り入れは鎌で行う.比較的茎の下部に鎌を入れ刈る.以前バンキム村で赤ザオ族の茎の高い位置での刈り取りを見て驚いたものだが,ここの下部刈り取りはごく普通のスタイルと思われる.
赤ザオ族の茎高刈りは,稲わら乾燥目的で,稲わらをそこに載せるためであったが,ここ白モン族田んぼには畦道がありそこに置けるので茎高にする必要がないのだ.
白モン族田んぼの農道をそのまま歩き,次の花ロロ族(flower Lo lo)ルンカムズィ村に入った.
そして初めの辺りには広い畑があり,まだ花期ではなく,蕾だがバラの木ということだ.
なおここはハジャン省であるが,ハジャン省は中国国境に接し,私たち部外者の反政府的活動(例えばスパイ活動,反政府扇動など)を監視するためハジャン省役人Kさんが,私たちがハジャン省に入ったときから私たちに同行している.
ただしKさんは監視とは関係ない私たちのお手伝いもして下さり,このときは花ロロ族ルンカムズィ村一番の美人と言われる女性に花ロロ衣装を着けてもらうよう先に行き,お願いしてくれた.
ハジャン省役人Kさんの手配で,奥さんはもちろん,ハンサムな旦那さんも男性用伝統衣装を着けてくれた.花ロロ族伝統衣装は,黒ベースの地に,パッチワークや刺繍が施されとても華やか,帽子もカラフルだ.
なおこうした込み入った一人分の衣装を仕上げるには2~3年も掛るという.まあ農業や家事など本業をこなしながらではあろうが.
ところで奥さんはハノイの大学で法学を修めたのだが,所定の金(はやい話が賄賂)が調達できないため職に就けず,ここルンカムズィ村に戻った経緯があるそうだ.
ということは現役人Kさんはやはり職に就くときお金を払ったのかな,やはり....それと,後で聞いたことなのだが,Kさんは私たちの監視以外に,観光促進の任務も負っており,この伝統衣装着用依頼は後者の任務だったのであろう.
ご夫妻には一人お子さんがおられた.さすがまだ伝統衣装を着けるには若すぎるが,将来は似合いそうだ.
ところでロロ族(午後訪れる黒ロロ族を含む)はベトナム全土でも僅か3,000人余りの少数だそうだ.ベトナムでは中国の一人っ子政策類似の二人っ子政策が採られてきたが,少数民族は例外的にそれ以上でも問題ないそうだ.中国のチベット族などの例外と同じであろう.ロロ族は非常に少ないので,何人でも問題なかろう.ガイドLさんの話では共産党員や軍人,公務員が違反した場合大きなペナルティが課されるそうだ.ただしこの政策も,少なくとも公務員など除く一般人は中国に習って廃止したか間もなく廃止する方向にあるそうだ.
このお宅の玄関上には赤い印影が3つ,その上に漢字で何か記されている紙片がある.漢字の他にニョロニョロした線があるが,これについては全く判らない.ロロ族は独自文字を持つという記述も見られるので,それかも知れない.なお漢字には大吉などの文字も見えるし,日本の寺社の御札などと同じような意味合いが込められているのだと感じられる.
独自文字があったおかげか,踊り,民謡,昔話などが豊富で今もその伝統文化を保っているという情報や,また美男美女が多く,ロロ語以外にベト語,モン語,中国語など多言語に通じる人が多いとの記述も見られる.
少なくともこの地方はフォーをよく食べるので米粉はよく使うでしょう.ということでこれは製粉機でしょうか.そんな感じがしますが,この場で訊くべきだった.
少し歩いてまた車に乗り,道路を行くと少し丘になり,下に畑と住宅数軒が見える場所になった.ここも花ロロ族ルンカムズィ村の範囲でしょうか.眺める風景としてはなかなか素敵だ.
さてQL4C街道は続いた.そして所々に殆ど岩石だらけの耕作地で畑仕事に励む人たちの姿が見えた.ここは主にトウモロコシでしょうか.大変なところだ.
QL4C街道を更に行くと脇の谷間に広い棚田があり,それに比例するか如く多軒数の住戸が見えた.相当前のことだろうが,耕作地面積に応じて人口,住戸が維持されてきたんだな~~との思いを持った.
棚田や段々畑はそうそう続かない.また荒れ地の谷となり,住戸は疎らに,或いは途絶えてきた.ただ山の天辺まで樹木は茂り,途切れることはない.
連続する山の景観は例えば中東などでもよく見るが,大方樹木があまりない禿山で,非常に殺伐とした感じである.やはりたとえ荒れ地であっても緑はいいですね~
車は今日の宿泊地ドンバンの町に入ってきた.ここもまた道脇には良く緑が管理されている.結構だ.
たくさんの山を超えたような気がするが,ドンバンの標高は1,000m程度に過ぎないようだ.つまり上がったり下ったりの繰り返しだったのであろう.
小さなドンバンの町に入ると,で先ずレストランに行きランチを頂戴した.野菜スープに,オムレツ,野菜炒め,ポーク炒め,じゃがいも....あたりかな?
ランチの後近くのラムトゥンゲストハウス(ホテル)にチェックインした.翌日訪れるドンバンの日曜市の会場間近,いやはみ出した露店が軒下に並ぶようなロケーションだ.
ラムトゥンゲストハウスの部屋はこんなだった.別に問題なし.
テレビが他同様ほぼベトナム語オンリーだが,wifiのアクセス先に制限はかからずありがたい.
水の他に柔らかなウエルカムケーキが置いてあった.
部屋の窓から中国側方面(不確かだが)を眺めるとこんなふうに見える.やはりここも鋸山で,イェンミンのホテル鋸山風景のようだ.いや~それにしてもハジャンは山だらけのところですね.
ラムトゥンゲストハウスで少し休憩した後,またフォードバンに分乗し,DT182B街道を北に向かった.
途中,次から次へとカルスト的山の重なる光景が切り替わり,とても美しい.
牛が歩いているということは,水牛の歩くエリアよりは標高があるということであろう.ドンバンより少し上に来たのか.これがヤクの歩く光景であれば文句なしなのだが....それにはあまりに低い.この4倍,4,000mくらい必要だ.
曲がりくねるDT182B街道を辿り黒ロロ族(black Lo lo)ロンヴァン村に到着した.写真はホームステイも営むというロンヴァン村村長さんのお宅で,ここで奥さんの黒ロロ族伝統装束を見せてもらうことになっている.
瓦屋根二階建ての住宅は,二階に現代様式で区切られた個室が並び,ホームステイに適した構造になっている.
これが村長奥さんがみせてくれた黒ロロ族伝統装束.同じ仲間の花ロロ族の華やかさと同じように華やか,派手ですね.衣装に若干違いはあっても,同じ言語,文化を共有し,華やかに着飾ろうと云うコンセプトは同じなのでしょう.
背景右上はベトナム国民民族意識高揚のためのフラッグタワーで,54の民族を象徴する縦6m✕横9m(=54平方m)のベトナム国旗が翻っている.ルンクーフラッグポイント(Lung Cu Flag Point)の名で呼ばれ,ベトナム観光客には蕎麦畑同様必須の撮影ポイントになっているという.
道路下には段々畑と働く村民の姿が見えた.ここは棚田にできないようで,畑になっている茶色の半分はまだ残っているトウモロコシのようで,他は緑の野菜と,作付け待ち状態のように見える.
ロンヴァン村は96世帯,総人口442人ということだ.少ないですね~
次に私たちはカフェ『Cuc Bac』を訪ねた.そしてここで濃い(スタバの4倍くらい)ベトナムコーヒー(南の地方で採れる)を飲ませてもらった.
このカフェは日本人の小倉さんという方が支援され,2015年開店し維持しているそうで,Cuc Bacとは最北の意,サポートの意義など記した日本語リーフレットを読ませてもらった.
こちらの女将さんもやはり手の込んだ黒ロロ族装束で,仕上げるのに相当時間要したことでしょう.
ロンヴァン村を去ると同じ道を辿り下りにかかった.途中脇の野道を入ると中越国境になる.その手前側ではロンヴァン村の村民でしょうか,家畜の餌用草の刈り取りのような仕事をしていた.
草刈場から少し歩くと有刺鉄線と,ドクロマークに雷区 禁止入内の石板が立てられている.
有刺鉄線の一部はめくり上がっていた.ガイドLさんはめくれた状態には初めて出合ったそうだ.でもベトナム人はLさん自身含めて決してここは越えないと言う.
中国領内に入れば引っ捕らえられる可能性があり,いや実際あり,無理やり生体器官移植の提供者にされるケースとかあるそうだ.
Lさんさんが潜らないというので,一人でほんのちょっとだけ中国側に入ってみた.大きな2つの看板とバイクがあり,看板には多分国境に関する中国側法規の案内が中越2カ国語で記してあるようだ.手前側は刑事訴訟法,奥は刑法関係かな....
バイクが在るので,この辺りのどこかに潜んでいるのであろう.やはり早く引き上げた方が良さそうだ.尤も私の幾つかの器官は既に存在しないし,半分切り取られた器官とか,一応丸ごと残っているものも相当年代物なので使えないだろう.でも移植できなかった腹いせに縛り首とか別の刑に処されるとまずい,逃げようっと.
中越国境付近からドンバン方面を眺めると素晴らしい.この日は今も晴れてモヤが少ないのだ.ありがたい.
中越国境からは往きと同じ道をドンバンへと下り続けた.光線の状態も良く,山々が美しい.
ドンバンに戻り,ホテル近くのレストランに行った.キッチンでは女将さんが鍋などの準備してくれている.
この日のメインは湯豆腐.そして小魚のフライや炒めものなどのようである.味はどんなだったか.....大分前のことなので覚えてないな~まあ大してインパクトは無かったのであろう.
さて明けて9月16日朝,日曜日となった.ホテルから真下に位置するドンバン日曜市の会場(諸建物の屋根)のバカでかさが目に入る.それに右下角のホテル前から続く道路には既にかなりの人が歩き,上部バイク置き場の道路にはバイクが並んでいる.
この日は,前日訪れたレストランへまた訪れた.そして写真のフォーを頂く.連日のフォーですっかりベトナミーズになってしまった気分だ.
朝食後ドンバン日曜市へと歩き始めた.とは言ってもレストランや宿泊ホテル前の歩道は既にびっしり露店が並んでいる.やはり場所確保で早い時間が勝負なのであろう.
この八百屋さんは分からないのがいっぱい.先ず右の細い茎の菜っ葉は何だ.その左は朝鮮ニンジンのように山で掘り起こし,精がつく山菜と,以前他で見たものだ.
その左上暗黒色の実はなつめか,その右下の茶色は房(根)付きピーナッツ,その上は細身のドリアン,その横は細いごぼう,その左袋内は小豆,金時豆,その左は蜂蜜(ちょっと濃いかな).....とテキトーに書いてみたが殆ど合ってないかな.....
コブ付き牛に対してはかなり大勢の人(殆ど男性)が周りで見ている.高額商品だけに商談成立までは時間がかかるようだ.
子豚は大体女性が数匹引きながら販売している.他の販売者の豚と集まって集団に固まってしまっていることもある.子豚は集団になり身を守ろうという本能があるのだろう.
少し育って中くらいの大きさに育った豚だ.取引成立し,バイク荷台に乗せるため,四肢とも縛られてしまった.縛られる過程を見ていたのだが,抑え込もうとする二人の男性に対してギャーギャー暴れまわって,なかなか掴ませない,まあ豚にすれば運命の分かれ目にあるのだからそりゃ必死だ.
子犬は可愛い.これがあの強力な番犬になるとは到底思えないのだが,.....これまでの現実を思い起こすと空恐ろしいような....
やはりベトナムの人もフォーは大好きです.大盛りも多いようです.少数民族山間の村では普段トウモロコシだけで生活で,こうした市場で週一回のフォー(米粉製品)を楽しみにしている人たちもいるそうです.
ニワトリはバスケットにこんなに詰め込まれている.このままバイクで,本市場まで運んでくるためでしょう.
闘鶏用ニワトリも売られている.闘鶏用ニワトリは美しいものが多く,闘わないでただの観賞用にも適していると思う.
さてこの二羽であるが,間近に対峙すると首周りの羽を逆立てて,相手を威嚇し始めた.今でこそ家禽であるが,多分この凶暴さがニワトリ本来の姿なのであろう.顔をまじまじと眺めるとターキーとかハゲワシ同様怖い面構えしているよ.
ヨーロピアン女性の手をとって,手相見を行っているようだ.手相見は私の住む近くの駅でも時々見かけるが中国から伝わったものであろう.ベトナムは直ぐ隣故,こうしたスキルはもっと昔からあったのであろう,多分.
ところでこの方の服装,特にはスカーフやヘアバンドはこれまで見たことがないような気がするが,はて何族でしょうね.
何人かの男性が竹製の鳥かごを販売している.この右手では多くの小鳥が並んだ小鳥販売市がある.小鳥客は前に述べたように男性だ.
で面白いのは小鳥を売る人たちは鳥かごを販売せず,鳥かご屋さんは小鳥は扱わずカゴだけを売る.こうして互いのテリトリーを尊重して,安定的に(つまり拡大を狙うことなく)事業を維持しているのでしょうね.
ドンバン日曜市はますます混んできた,こりゃ潮時だ.
迷子になる前にラムトゥンゲストハウスに引き上げなくては.