このハジャン編では,2018年9月13日午後ビンクァンで朝を迎え,朝の棚田を眺めつつDT177街道を南東に進み,ターバンザオ族ナムティ村に来てお茶屋さん,そしてターバンザオ族衣装を着けてもらったお宅を訪ね,再び棚田街道を進み,QL2街道に交わると,そこを北に折れ,直ぐのタンクアン町でランチを頂く.そして午後花ラチ族村,タイー族ドンタン村と順次訪ね,QL2街道をどんどん進みハジャンに到着したときの写真を載せました.
9月13日は赤い(戻りのグリーンと重なったところは茶色))トラックの通り,ビンクァン11を出て,朝の棚田を眺めつつDT177街道を南東に進み,ターバンザオ族村を訪ね,再び棚田街道を進み,QL2街道に交わると,そこを北に折れ,タンクアン町でランチに寄り,午後花ラチ族村,タイー族ドンタン村を訪ね,QL2街道をさらに進みハジャン12に着いた.
別窓でハジャン界隈の大きなGoogleマップを開くさて9月13日朝はビンクァンのハーコンフーホテル(ゲストハウス)では小雨,いや霧雨程度か,で明けた.
そして一階に降り,昨晩食事したレストランに朝食に出かける.歩いていると道端では既に露店が営業し,食べているお客さんもいる.朝こうして露店で食べるのは東南アジア諸国共通の慣わしだ.
さてこの右側のお店だったか,入り,フォーとバナナの朝食を頂いた.フォーは大体間違いなく美味しい.バナナの味には結構差があり,トップクラスが1回程度,準トップが2回程度,他は並品くらいだった.で,ここの朝は準トップ,いや並みだったかな~
フォーとバナナの朝食後,ハーコンフーホテルに戻り荷物整理,と言ってもただその辺に残った少しをバッグにいれるだけだが,を行い,外に出す.
改めて幅広いベッドを眺めると殆ど縦横同じ正方形だ.まあ,構わないが.
一階に駐車中のフォードバンに乗ると,DT177街道を南東に向かった.脇を流れるは濁流であるが,まあいつものことだ.驚いたのはここでどうやら投網を打っている人がいることだ.ちょっと写真が不鮮明だが,今打った網をたぐり寄せているように見える.
私の固定観念で投網と言えば,清流で鮎などで使われるのかな~といった程度なので,濁流で投網とはかなり驚く.多分別に魚影は見えなくとも掛るくらい魚が多く棲息しているのかも知れない.
DT177街道はしばしば断崖脇を通過する.取り立ててガードレールなど設けてないのも珍しくはない.そして街道と断崖の僅かな隙間土地に住宅が建てられているときがある.この写真がそうした例だ.土台の半分は斜面に突き刺した細い支柱だけですよ....いや~見るだけでも怖いのによく平穏に暮らしが送れますね.ご無事を祈ります.
棚田は頻繁に,いやどこにも現れるが,ここは大分色付いてきて,きれいだ.この分だとあと1~2週間で刈り入れかな.
今のところ仕事のない水牛は街道脇の野原で草を食んでいる.低い平地であれば二期作,メコンデルタ辺りまで下れば三期作もあろう.水牛は植え付け前の田起こしなどで働くそうで,平地であれば2回,南では3回の労働が課されるであろう.しかるにここら辺の棚田は年に一回の作付けなので,1回の労働で,あとは食べて寝ていればいいのだ.社会主義国なのでそれでいいいのであろう(←そうなんですか?)
DT177街道で停車し,棚田をよく見てみようと云うことで停まった.街道ではあるが交通量は疎らであまり迷惑を及ぼす恐れもない.
それにしても緑豊かな地帯だ.元々雨や霧が多く,また暑いところなんでしょうね.それに多分今は雨季なのであろう.
ここの棚田はかなり急な斜面に形成され,段数も多い.中程に見える白い一軒家の所有地でしょうか.上下の移動は段差が多いのでもちろん大変だが,横方向への移動はジャングルや谷で妨げられている.
見れば見るほど,大変だな~と云う気持ちになってくる.実際そうだと思う.
私たちが停車している辺りに少し後に一台の作業車両が停まった.そして草刈り作業員がエンジンカッターで草刈りを始めた.草は大して問題になるほど張り出しているようにみえない(一所懸命働いているのに済みません)が.....ベトナム国土交通省が気合を入れている事業項目なのであろう.あちこちで見かける土砂崩れが100倍くらい重要に思えるのだが....やはり素人考えかな.
棚田は水田であるので,水位を一定に保つための難題がある.つまりあくまでも一つの田んぼは同じ標高にないといけない,段々畑であれば水で覆うことがないので然程シビアでなくていい筈だ.しかして棚田は上から見ると等高線を描いているように見える筈だ.
そしてここのように山あり,谷ありの地形が幾重にも連なっている地形は,棚田も複雑を極めることになる.先人はさぞかし苦労を重ねたことでしょう.
街道を進みターバンザオ族(Turban Dao)ナムティ村を訪ねた.最初は街道沿いのお茶製造のお宅を見せてもらった.この辺りはお茶の葉を産するそうで,こちらのお宅では発酵したり,半発酵して紅茶系の茶に加工するらしい.写真のご主人は今竹で箒状のものを作っているが,蒸した茶葉をかき回す道具とかであろうか.それともただの箒か.
右奥の機械は蒸した茶葉を撹拌する装置かな.まあ,よく解らないながら見せてもらった.
こちらでは確かお茶を飲ませてもらい,お手洗いを使わせてもらったと思う.
写真お茶のテーブル奥テレビ上は祭壇で,燃え尽きたお線香の灰,燭台が見える.その両側の写真は今見えている奥さんの先代ご夫妻でしょうか.そして各種証書や家族の写真が貼られている.よくあるホーチミンの写真は見当たらず,またアニミズム的なものも皆無だ.ということで,先祖を祀ることに主眼においた信仰ということでしょうか.
次に街道から小路に入り,一軒の農家を訪ねた.スレート切妻屋根の平屋建てだ.写真のように一部部屋が区切られて個室形成され,屋根裏は倉庫に活用されている.
写真中央キッチン前に立つのは奥さんで,右に座っているのは大奥さんだ.この後主役の若奥さんに登場してもらう.
ガイドLさんがお願いして若奥さんにターバンザオ族衣装を着けてもらうことになった.写真は若奥さんがその衣装を着て,最大特徴ターバン状スカーフ,いや帯と言うべきか,を奥さんにぐるぐる巻いてもらっている場面だ.
これもLさんの差し金で若奥さんが鍬を肩に掛け,畑の前に立つ.ありがとうございます.
ザオ族と言っても,一般に黒っぽい印象の強いザオと違って,赤い多数の房飾り,それにこの大きなターバンと,とても華やかですね.
家の軒先で大奥さん,奥さん,若奥さんと三代揃って写させてもらいました.
このとき男衆は皆外へ仕事で出かけているようで,不在でした.
上のお宅の隣は公務員住宅(長屋形式)で,お昼休み,食事のため小学校や中学校から戻ったところだそうだ.単身世帯と家族世帯の部屋があるそうだ.
教職に就くと,まず最初は,一般的にはあまり望まれないこうした,はっきり言って辺境の地に配属されることが多いそうだ.尤もその前にいくら大学での成績が優秀であっても公務員になれないという.有り体に言えば相当のお金が要るそうで,それが調達できないために諦めるケースはごく普通なのだそうだ.であるなら多分都市部への異動などにも金が絡むのでは.....
右の女性は『私子持ちだけど独身よ~』とLさんにアピールしている.少数民族ではなく,国民の大半を占めるキン族(ベト族)だそうだが,屈託なく明るく積極的な人だ.
ターバンザオ族ナムティ村を離れ,再びDT177棚田街道を南東へと走り始めた.
街道沿いには次から次へと棚田が現れる.このエリアでは川を挟んでその両側に展開されている.双方ともかなり広く,多分別の村でしょうね.
手前側は成長が進み,間もなく刈り入れと見られる辺りを拡大してみた.田んぼの縁の描く曲線が美しい.
一方こちらは道路添いにある間隔が極めて密な棚田.すなわち急斜面の険しい地形に拓かれた棚田だ.
棚田の途中には何軒かの住宅(若しくは一時滞在小屋)が見える.棚田は細かで複雑な形態に分割されているので,農作業はそれだけ大変そう,人手が掛かりそうである.
DT177棚田街道をさらに南東に進んだ.棚田もどんどん現れる.それ以外に,交通量が少ないのがこの街道のいいところだ.
やがてDT177街道はQL2街道と交差する地点に至った.そしてこの辺りはタンクアン(Tan Quang)の街の南端になる.私たちは交差点でQL2街道に北に折れ,そして程なく目指すランチのレストランに到着した.
レストランは大層繁盛していた.何か人気のメニューが揃っているのでしょうか.期待しよう.
レストランでは壁上部に祭壇が設けてあった.中国風デザインのスノコの向こうにはバナナのお供えが見える.そして読めないが漢字の御札が棚野両側に張られている.さて経営者はザオ族系でしょうか....
タンクアンレストランでは野菜や豚肉を炒めた料理,魚などの他に,写真中央ちまきと言うか笹団子というか,そうした形態のバンガイ(黒いお餅)という名物料理を出してくれた.
バンガイの包笹を剥ぐと,黒いお餅が入っており,味は概ねもち米で作られたお餅だ.黒いのは黒いお米を炊いて作るからでしょうか(黒い餅米というものがあるらしい).それともやはりヨモギのようなものを混ぜるのか.聞いたのであろうが覚えてない.
レストラン近くのタンクアン(Tan Quang)の街の様子だ.天気が良くなってきたようだ.
私たちは今回QL2街道を北に向かって来たが,後日ハジャンからハノイに引き上げるときはこの 街道をハノイに向け南に進むことになる.
QL2街道を北に向かう途中,花ラチ族(Flower La Chi)の村を訪ねた.花ラチ族は前日訪ねた山のバンフゥン村黒ラチ族と同じ系統の民族なのであろう.ただこちら花ラチの耕作地や住居は概ね平らなところにあるようだ.
なおこの花ラチ族村の産業はお米,藍染め,お茶ということだ.
先ずこれまでは少なかったコンクリート造りだ,屋根はスレート葺きで,壁の一部には竹スノコの通風窓が設けられているようだ.手摺がなくちょっと怖い階段を上った二階入り口には花ラチ族の奥さんが座って私たちを待ってくれている.
階下の土間は倉庫や作業場になっており,変わったことに藍染用原料の葉っぱが積み重ねてあった.
二階の居室に入れてもらった.基本的には広いワンルームだ.一番奥はリビングスペースで,右側はベッドスペースになっている.一番ビックリするのは床が竹筒を開き板状にした竹スノコで,竹と竹の間には隙間が在るし,歩くと撓んで気になる.ただし右側ベッドスペースは少し高くソリッドな素材が敷かれている.
このように竹床,所々の竹窓で通風,換気を確保しているので,春から秋にかけてはちょうど快適であろう.冬はちょっと寒そうだが,慣れているので問題ないのでしょう.
左が花ラチ族このお宅の奥さんで,伝統衣装を着ておられた.基本的には前日会った黒ラチ族のくノ一忍者装束とほぼ同じように見える.殆ど濃い藍色の中で襟元に控えめサイズの刺繍が施されているのも同じだと思う.
違いは金太郎スタイルのエプロンで,このデザインとそこに設けたポケットの構造が異なるらしい.奥さんが,金太郎はこんなデザインですよ両手で広げ見せてくれている.これは奥さんの創作ではなく,伝統的デザインで他の女性もこうしたデザインだそうだ.一部岡本太郎(花ラチ族より新しい)の作風に少し似ているような.....
また金太郎の両サイドにはポケットが設けられ,財布など入れるという.この位置だとスリが手を入れにくいので安全性が高いそうだ.まあそうでしょうね.
右側の女性は山から降りてきて近所で暮らすヌン族(Nung)のお友達で,時々こうして会っておしゃべりを交わすそうだ.ラチ語やヌン語では話を交わせないが,共通語のベトナム語があるから問題ないそうだ.
庭に生えていたこの丸っぽい葉が藍染の原料だそうだ.染めるには大量の葉が要るので専用の畑で栽培しているという.
なおこの植物は毒性があり,家畜が食べないよう管理する必要があるそうだ.
花ラチ族村ではもう一軒別のお宅を訪ねた.こちらの住宅もコンクリート作りで,竹床のようである.二階の居室に上る階段には手摺がある(何を細かいことを.でもさっきおじいさんがこれを伝って上って行った).
こちらのお宅では午後の休憩時間なのか,階下で寛いでいた.女性はごく普通に伝統衣装を纏っている.家族の構成を説明してもらったがとてもややこしくて覚えられない.まあ,皆近親者であるが.
真ん中の男の子は生まれながらにして耳が聞こえず,話せないのだそうだ.治療法は見つかっているのだが,片耳日本円換算300万円と高額で,お父さん(階段で裸の人)は何とか頑張って工面したいものだと話している.
なおこのお子さんに関係あるかどうかは別にして,ベトナム戦争時の米軍投下枯葉剤の影響と見られる障害者が多いとこれまでも聞いている.そして米国に補償を求めるケースが多々あるそうだが,米側が認めることはまずないそうだ.
花ラチ族の藍染め衣装が大量に乾燥中だ.商品として出荷されるのか,または家族の洗濯物か,でもそれにしては多いか.
私たちはQL2街道を長く走り,タイー族(Tay)ドンタン村にやって来た.ドンタン村は概ね平地で稲が栽培され,山側の斜面には野菜が栽培されているようだ.
家々は一様に椰子の葉葺き高床式の重厚な造りである.とにかくずいぶん立派な建築だ.ドンタン村は自治体として全村観光で生き残りを図ることに注力しているのだそうだ.統一的重厚デザインの住宅はその一環で,実際観光客誘致の効果はかなり現れているそうだ.
上写真のようにドンタン村の家庭ではよく池を設けている.主にテラピアなどの養殖に使われるという.カモも泳いでいて,時々こうして道路を散歩している.カモの散歩は,大手町であればテレビに出たり,新聞に載ったりするくらい可愛いもので,しばし見とれた.
これがどうやらタイー族(Tay)の伝統装束のようで,自転車で颯爽と過ぎ行く.タイー族(Tay)はディエンビエンフーで会った黒ターイ族(black Thai)と同じタイ語系に属する民族のようで,やはり平地を好み,細いスラックスを履くようですね.
そしてこの女性の装束を見る限り,ラチ族同様くノ一忍者スタイルで,一切装飾を省き機能第一に仕立てたように見える.でもサイクリングに出るため,今回だけシンプルなサイクリストスタイルにアレンジしたのかな~
いや~見れば見るほど立派な造り,特に椰子の葉屋根はすごい.椰子の葉屋根と言うと南の島のペラペラ屋根のイメージがあるが,ここは多層に重ねた構造で,白川郷の屋根並みの重厚さだ.ただ雪が降らないためか傾斜は緩やかだ.
高床式で,下の多分倉庫や作業場は野生動物,いや人か,侵入防止の柵が張られている.
また二階居住部壁はサフォー族ドンナムケン村の家のように全周竹で編まれているようだ.
厚い屋根と編み竹壁で,夏の日中も涼しく過ごせるに違いない.
ドンタン村当局観光事業推進の一環としてこうしたホームステイの看板を掲げたお宅も見える.日本の民宿のようなものであろう.看板にはWWWのURLも載っており,外国から予約もできそうだ.自転車が何台か停まっているが多分ヨーロピアンサイクリストであろう.
ドンタン村にはビンロウの樹も生えていた.ビンロウの実は一部の国は麻薬扱いで禁止されているが,ベトナムではお歯黒に用いたりするそうで,少なくとも噛んでもいいようだ.
ただビンロウは歯を黒くするが(それと口が真っ赤になりますね),持続性が弱く,お歯黒が落ちやすいそうだ.そのため以前会ったルー族ナタム村の女性はビンロウより強力な樹液を使うと話していた.
山の斜面は棚田ではなく,野菜栽培の作業中だった.野菜でもやはり共同作業のようだ.下に平らな水田が確保できているので,この斜面で棚田を拓く必要はなかったのでしょうね.
斜面の畑を下り,田んぼエリアに入る辺りで,共同で家の新築作業に当たっていた.家の建築は他の少数民族同様村総出の共同作業で行うようだ.やはりあの重厚な椰子の葉屋根造りに仕上がるのでしょう.
タイー族ドンタン村から少しの距離でハジャンの街に到着した.ハジャンはハジャン省の省都で,省全体で人口77.12万という.ただここ省都はそれほど大きな街ではなさそうだ.
ハジャンではハアン(Ha An)ホテルにチェックインした.
共産党直営で,党会合優先,一般サービスがイマイチという評価もあるらしいが,私は大いに良くしてもらった.
さてキーを受け取り,エレベータを上り,部屋に入り,エアコンのリモコンを押す.でもエアコンが点かない.
これはまずいと電話し,保守担当者に代わると事情を話し,程なく来てくれた.そして電池を交換したり,リモコンを取り替えたりしたが,やはりびくともしない.そしてとりあえず一旦引き上げた.
しばらくして今度は別の保守員を連れて来た.彼は直ぐにエアコン本体のカバーを外し,内部配線をチェックし,何やら手を加え,カバーを閉じた,そしてリモコンを押したら動作した.ありがとうございました.
一般にこうした問題では保守員はなかなか来てくれないものだが,ここでは最初の電話から20分程度で,素早く解決してくれた.気に入った.
暗くなって夕食のためレストランに出かけた.写真のレストランだが,左側に仕切られたエアコン付き別室に入った.
この日はハマグリ鍋だった.写真中央ちょっと小振りだが,一年中採取できるというハロン湾産だそうだ.Wさんにポン酢も用意してもらい美味しく頂戴しました.
まあ場所にもよるでしょうが,省都にしてはちょっと寂しい感じの街並みです.でもこういった静けさがベトナム北辺の街の持ち味なのでしょうね.