カタール航空利用のためイエメンに行く経由地としてドーハに降り立った.ドーハはカタールの首都でペルシア湾に面した港町.人口はおよそ85万人という.主な産業は石油産業と漁業である,とされるが多分石油がメインであろう.筆者にとっては何よりも「ドーハの悲劇」(1994年FIFAワールドカップアメリカ大会アジア地区最終予選,日本対イラク戦で日本がロスタイムで同点に追いつかれワールドカップ初出場を逃した)以来ようやくその名前だけは知ることとなった都市である.
ドーハ空港は今のところ小さな空港だ.しかしご覧のように人がいっぱいで外に出ると拡張工事が進められている様子がうかがえる.アラビア文字の案内板がアジアやヨーロッパの空港との違いを感じさせる.際立つはお祈りの部屋が備えられ,しかもこれが男女別々であることがイスラム世界に来たことを強く印象付ける.
空港の外に出るとバスとガイドさんが待っていた.左は添乗庄司さん,右はドーハのガイド(英語)のフランシスさん.どちらもイケメンと評判だった.アラブではアリさんとか,ハッサンさんとか,アブドラさん....とか多いので,フランシスと聞くとイスラム教徒なのかな~?と思ってしまう.
灼熱のドーハと思っていたが,涼しいどころか寒いくらいだ.ご覧のように皆結構着込んでいる.あるサイトで冬の頃は「夏の軽井沢を思わせるさわやかな気候」と読んだがそれ以上のよう.....
空港のカフェの一画でPCを広げるアラブのビジネスマン.右から左に書くアラビア文字の画面なのだろうか?
ところでアラブ随一の富裕国カタールには似合うのであろうか免税店街の展示車はベンツだ.
下は,ドーハ空港の写真あれこれ
ドーハの街は近代都市で,とてもラクダが歩く雰囲気には見えない.実際この牧場の周辺は住宅街,とは言っても砂漠っぽい住宅街ではあるが,で農地などは一切ないのだ.ラクダは色々なイベントとかレースつまり競駝で活躍するために存在するようだ.ここの牧場では沢山のラクダが飼育され,また取引やレンタルの場としても供される場所だそうである.
アラビア圏のラクダは概ねひとこぶラクダのように思う.ふたこぶラクダは新疆ウイグルなどで見られるが少数派のように思える.ふたこぶラクダは往々にしてこぶが垂れ下がっておりあまりカッコよくないことが多い.やはりひとこぶラクダは大きくスタイルも凛々しいように思える.なおガイドのフランシスさんの解説ではラクダは長寿で人間と同じくらい長生きだそうである.
ドーハの中央市場であろうかいくつかある屋根つきの建物に分散されている.この写真の場所は主に野菜や果物を扱うお店が並んでいた.これらの多くはアジア諸国や米国,他からの輸入品のようである.
この花屋さん(若しくは植木屋さん)は普通の鉢植えの花や観葉植物に加えて,いかにもこの辺りらしい商品,大きなやしの木を並べているのが面白い.
下は,市場の写真あれこれ
ここは住宅街.緑は少なく,全てが乾いた街並みだ.この一画にあの「ドーハの悲劇」のあったあのスタジアムが見える. 住宅は同じ形の家が沢山並んでいる場合が多いが,商店の場合はそれなりに個性のある建物が並んでいる.
オフィス街は広々としたところに高い建物,その多くはアラブ好みのピカピカ,が多く建ち並ぶ.住宅街を含めてどこもかしこも建設ラッシュだ.これは長い間続いており,労働力の多くはインド人やパキスタン人など外国人で,その数は自国国籍つまりカタール人より多いのだそうだ.これも石油と天然ガス産出の効果なのであろう.
左側は厩舎で多くの馬が飼われ, 右側はパドックになっている.外から見るとかなり大きな施設である.イスラムの戒律で競馬で賭けることはできないそうで,そうすると純粋にレースを楽しむのであろうか?
下は,ドーハ市内の写真あれこれ
ドーハはペルシャ湾に突き出たカタール半島の先に位置している.とは言ってもここに立ってそれが実感できる訳ではないが.....上述のオフィス街は海岸に近く,近くの桟橋から見える.もやがかかってくっきりとはいかないのが残念.季節によってはクリアなのであろうか?なおカタールはバーレーン,オスマン帝国,イギリスの支配を受けた後,1971年に独立を果たしたそうで,ここから見える高層建築群を眺めると今ではアラブの中でも最も豊かな国の1つであることがよく判る気がする.
本来のダウ船は中世イスラム圏の三角帆が特徴の木造帆船であるそうだが,これは帆船ではなく普通のエンジン船である.まあしかしイスラム圏の船で,船体は伝統的造船技法による木造船だからダウ船と称してもいいのかもしれない.ダウ船は当初アラビア半島やインド,東アフリカの沿岸部で主に使用され,のち季節風を利用してインド洋を航海しインド,東南アジア,中国まで行き来し,香料などの交易に用いられていたそうである.