アデンからムッカラに飛び内陸に進むとハドラマウト渓谷に至る.
当日朝にならないと出発時間が定まらないと言われるイエメン航空(イエメニア)で,それなりの待機時間を費やした後アデンを発ち,ここムッカラ空港に到着する.一歩空港の外に出ると茶一色だ.太陽がまぶしい.茶一色の空き地がいっぱいあるし,近くには住宅街も見当たらない,ムッカラ空港を拡張するのはきっと簡単にいくであろう.
ムッカラからは一旦海岸線に沿ったリヤンへの立派な道路を進む.道路沿いにはイエメン国旗とサレハ大統領のポスターが絶え間なく掲げられている.
リヤンから内陸に折れ,北上を始める.途中,あのバグダッドカフェを彷彿させる砂漠のレストランでチキンやヨーグルトの昼食をとった.チキンは皮の部分が結構美味しく,「イエメン風北京ダック」との評価もあった反面,xxxx...という声も聞かれた.筆者は雑食性なので,北京かどうかはさておいて,もちろん前者の評価グループに属する.そして食事後,内陸にどんどん入るとやがて右のような山道にさしかかる.
北上を続けると,道路は谷ではなくその上を通過することになる.上は広々とした台地状となっている.やがて岩肌があばた状になった奇妙な景観を眺めながらなおも進むと,見晴らしのよい丘の上に至る.
道路の要所ようしょにはこのようなチェックポイントが設けられている.その度に武装係官に対してドライバ若しくはガイドが通行手形に相当するであろう書類を提示している.銃器は結構物々しいがこの辺では銃や弾薬が普通に販売されており,誰しも自由に買えるようである.ただそれが大きな都市に持ち込まれたりするのは本来まかりならぬということでこのようなチェックポイントがあるということである.でも本気で運ぼうとすればこの脇を徒歩ででも通過してしまえばいい訳でそれは容易いことであろう.
やがてハドラマウト渓谷に至る.この辺りからは水が確保できるのであろう徐々に民家が見られるようになる.そのうちどうしてこんなに多くの民家があるのか?とほんとに多くの村々があることが判るのであるが.
ところで,彼のオサマビンラディン氏の父親は元々イエメン人で,隣国サウジアラビアに渡り同国最大クラスの建設企業群を作りあげたということであるが,ここハドラマウト地方の出身なのだそうだ.ハドラマウトの何処かまでは判らないが.
下は,ハドラマウト渓谷の写真あれこれ
どんどん渓谷に沿って進むとやがてアルハウタに至る.アルハウタと言っても別に特別な観光地でも何でもなく,この後訪れる予定のかの有名なシバームの傍にある村に過ぎず,たまたま宿泊したホテルのあった地である.そんな訳でこのアルハウタパレスホテルに泊まったのであるが,伝統的ハドラマウト様式の建築でそれなりに良かったと思う.ただ伝統に忠実過ぎるせいか一階の部屋は広いには広いが窓が殆ど無かったのは,ちょっとやり過ぎでは......
一度ここのレストランでラクダシチューが振舞われた.味がなくなったビーフ,と言うか.....歯ざわりが少しビーフに似るも味は独特,でも個性はさほど強烈ではなく比較的薄い,なぜかほっとした.以前,新疆ウイグルでラクダの味付け調理済み肉を持ち帰ったとき,家族には著しく不評だった経験がある.その時は自分でもやっとの思いで食べたが.イエメンのラクダはひとこぶラクダ,一方新疆ウイグルのラクダはふたこぶラクダ,その違いか?
下は,アルハウタの写真あれこれ
アルハウタのホテルからほど近いところに日干しレンガの製造工場(?)があり,見物させてもらった.日干しレンガを作るには先ず泥に麦わらか何か所定の長さに切った繊維を混ぜて捏ねる.それを一輪車に載せて型枠のある成型場所に運ぶ.ここを歩いたら,靴底にはしっかり泥がへばりついて往生した.この粘着性はさぞや建築構造材として威力を発揮することであろう.
順々に木枠の成型型枠に捏ねた泥を入れ,型枠を外す.わらの切断など細かい工程は省いたが大まかな工程はこれだけで至極簡単である.形状的には,レンガとかコンクリートブロックとかと比べて「とても扁平」,きわめて「歪みが大きい」,といった印象を受ける.モロッコとかの日干しレンガなどはむしろレンガとかコンクリートブロックとかより大きく,扁平な感じもしないので,ここの扁平日干しレンガはそれなりの理由があるのであろうが....まだ理由を確かめるに至っていない.
どのくらいの期間だったか思い出せないが暫く天日の下に晒せば硬い日干しレンガができあがる.製品は1個50リヤル,35円くらいか,になるという.こうして眺めていると,やはり形状が厚さ方向に扁平な薄い形状である理由をちゃんと知りたくなるのだが,訊く人が傍にいない.またこれらは今後見学する高層建築の構造材になるのであるが低い階ほど幅が広いレンガが用いられるそうで構造力学的にも理解しやすい.