サナアの町の歴史は古く,旧約聖書に出てくる「ノアの箱舟」のノアの息子シェムが最初の住人という言い伝えもあるのだという.確かな歴史としても2500年以上にわたって人が住み続けてきた記録が残り,また今日も活気に満ちた街であり続けているようだ.
QR-454便(A320)でサナアに向かう.イスラム圏のエアラインであるがビールやワインを振舞ってくれるのはありがたい.乗務員のユニフォームもごく一般的で,食事も美味しかった.
サナア国際空港に到着しイミグレーションに向かう.同空港は首都の国際空港にしてはかなり小さい規模だ.
空港周辺は独特の風景にアラブスタイルの人々が行き交っており異国を印象付ける.
なおカタール航空の客室業務員に聞いた話では,同航空の尾翼(⇒写真)に描かれているオリックスはもともとアラビア半島全域に棲息した野生動物で,現在はカタールでは,同国政府の管理下で保護動物として飼育されているそうである.アラビア半島と言えば砂漠,「砂漠に餌があるのか?」と問えば,「小さな葉の潅木がところどころに生えている」ということだ.
タージシェバホテルというホテル.部屋はこの辺りではいいクラスということだ. テーブルには聖地メッカ(マッカ)の方向を示す矢印(キブラAl Qeblah)が貼ってあった.コンパスを沿えるとメッカはちょうど北の方向にあるようだ.
アラビア文字の看板とトヨタの車が目立つ.通りには車のドライバ相手の物売り,例えばジャスミンの首飾り売りなども目立つ. サナアを出れば直ぐに荒野に至り,標高2,300mという雰囲気が感じられる.
ジャンビアはイエメン風の刀.帯刀が部族社会では一人前の戦士としての証だそうである.しかしてここにも, そこにも, さらにあそこにもジャンビアの男が街を行く.大時代的でとても見応えがある. また写真撮影に快く応じてくれる人が多くありがたいと思う.
さてそのジャンビアであるが,本来,誰でもが差していいものではなかったそうだ.日本でも帯刀は武士に限定されたし,まあ当然か.アラブ人は一般に父系の血筋を大切にし,なかんずくアラブ源流を自認するイエメンはあの箱舟で知られるノアにまで遡る血筋を誇っているそうである.そしてジャンビアを差すことができるのは本来この血筋のはっきりとした部族民,カビーリーと呼ばれるそうであるが,だけだったそうである.でも実際問題そうなると日本で言えば二千数百年前まで遡る天皇家,いやそれ以上古い家系となる訳で,ここでも,そこでも,あそこでもジャンビアを差した人物に遭遇するのはちょっと.....となってしまうような.まあ若干は弾力的に基準を運用した面はあろう.部族民は一般に僅かでも土地を所有する農民であり,かつ戦士でもあるそうである.また血筋のはっきりしないものは非部族民であり,戦闘には参加できないそうである.しかしてジャンビアは部族民の名誉の象徴であり,帯刀する者は名誉を汚すような恥ずべき行為を自重するべきであると云う規範が自然とでき上がったようである.
このような規範は武士道とあい通じるものがあると思う.ところで,実際に刀が抜かれることは滅多なことでは無いそうである.また万が一抜いてしまったときは,相手を活かしたまま刀を鞘に収めるのは非常に恥ずべき行為で,絶対殺してしまわなくてはならないそうである.刀を抜きながら吉良上野介を討てなかった浅野内匠頭がさぞや感じたであろう無念さ,と対比してみると,「滅多なことでは抜かない」,「抜いたのに,討てなかったのは無念」と云う観点で結構武士道との共通性高いのでは.
方やこちらは女性.概ね目以外は黒い装束で覆っている.この黒いロングドレスはアバヤ,また頭と顔を隠すスカーフはヒジャーブと称されるようである.妙齢の女性も殆どこう云ったファッションである. たまに少しオープンな衣装の女性も通りかかる.顔は覆わないものの絶対に黒でなくてはならないイランとかと比べると若干緩いドレスコードと言っていいのかどうか.....
いずれにしても目以外全部覆うのは相当きつそうに見える.その目さえも我々とすれ違う際にさらに上からカーテン状のすだれを垂らして,念入りに二重に覆う人たちにもしばしば出会う.
こんな大きなナンはホブスではなく,どうやらムルワと呼ぶようである.どのようにして焼くのだろうか?他国の例では,捏ねて平たくしたナン生地をかまどの内側にペタンと貼り付けて焼いている光景を見かけるが....こんなに大きくはない,せいぜいこの1/4くらいのものだろう.なお表面にはマクドナルドハンバーガーのようにゴマがまぶしてあった.
ところでこれを千切って食べるのであるが,断面が層状になっており少しクロワッサンのような感じで,なかなか美味しい.
下は,サナアの街の風景
イエメンの首都サナアは標高2,300mの高地にあり,人口120万人中5万人がこの写真のようなユニークな様式の建物が建ち並ぶ旧市街に住むという.
ところで,このユニークな建築であるが,内部は基本的に似通った構成だそうだ.一例として6階建て住宅のケースでは,1階は羊や山羊などの家畜部屋,2階は食料や農具,日用品の倉庫で,一般に空気穴や小窓のみ設けてあるようだ.3階から上が居住空間で,まず3階はキッチンとトイレ,使用人の部屋など,4階は家族全員のリビング,来客用の大広間,4階は女性の部屋,5階が男性の部屋,6階は「マフラジ」と呼ばれる男性専用のリビング兼応接室,とまあこんな具合になっている場合が多いようだ.またステンドグラスのカマリア窓も多用されているようだ.
上述のようにサナアは高地にはあるがモンスーンの影響を受け雨量もそれなりに多いようだ.ここ旧市街には粘土から焼かれた煉瓦造りで,白い漆喰で縁取られた構造が多いようだ.土台や1,2階は花崗岩や玄武岩で,その上に日干しレンガ(アドビ)を積み上げた構造もかなりあるそうだ.
白い漆喰はデザイン面のアクセントだけでなく,日干しレンガの隙間から雨水がしみ込むのを防ぐ役割も重要なようだ.
サナア旧市街にはこのような様式の高層住宅,モスク,お店等が建ち並び,なかなかインパクトがある.1986年には世界遺産登録されたそうだ.
モスクだけでも100余に達するそうで,その中の1つを覗かせてもらったら,なかなか荘厳な感じの礼拝の間が広がっていた.
一方,遠景に山を臨めば,木が生えておらず茶色一色,日本などの緑豊かな山並みとはかなり異質だ.ここの高層住宅から眺める風景としてはイマイチといったところか.
イエメンでは,世界の他の街と同様に,長い歴史においては部族間の対立が激しかったようだ.そのため街を頑丈な城壁で囲み,夜には城門を閉め,外敵の侵入を防いだようだ.かつて城門は5つあったそうであるが,現在はその中の1つ,イエメン門と呼ばれるこの門だけが残っているそうだ.
写真の長老はどうやら特別の衣装を身に着け,何人かの従者を従えていた.写真を撮ってもいいかと訊いたら颯爽とポーズをとってくれた.
イエメン門の正面は門前広場になっており,多くの人と車が行き交っている.地べたに商品,例えば杖など並べた露天商などが見られる.
イエメン門を入ると,こちらも広場になっており,周囲には茶屋,乾物屋,雑貨屋.....といろいろ並んでいる.広いスークで,遥か沿岸地方の民が塩を紅海からここに運び,山岳部族民に売ったという名残にちなみ「塩の市場」の名が付いているそうだ.このように遠くからの旅人も多かったので宿泊施設は大事であったであろう.そんな当時のキャラバンサライ/隊商宿の1つが,現在はいくつかのテナントショップが入る名店街(?)として残っていた.我々はイエメンでは滅多なことではお目にかかれない数少ない公共のお手洗いとして使わせてもらった.
そんな中でこのように,かなり異質な感じであるがなぜかラクダが店先にいたりする.どうやら他でも見かけたように,ごま油を交代で挽くラクダで,このラクダは今非番で待機中の様子であった.まあ,旧市街には日常生活に必要なものが一通り何でも揃っているということの例であろうか.
そう言えばアラビア圏では結構定番の観光用ラクダ,つまり砂漠で乗るとか,一緒に写真を撮るとか,....そういった類のラクダをイエメンでは一切見かけなかった.まだ観光客がさほど多くないのでこう云ったビジネスモデルが成り立たないせいか?
下は,サナア旧市街の写真あれこれ
美しい,実に美しいと思う.この街では大量のジャンビアを並べたジャンビア店がかくもたくさんあることに驚かされる.こんな大きな刃物は,例えば日本では刃渡りは優に13cmを容易に越えそうなので銃刀法の対象,ちょっと持ち込めそうもなさそうであろう.お店では観光客相手に一応売り込んではいるものの売れ行きは必ずしも芳しくはない.つまり殆どは自国での消費となるであろうから相当大きな内需があるのだ.それとも他のアラブ諸国からの観光客需要とかがいくらかあるのだろうか?
ジャンビア職人街は旧市街の一画に固まって在った.職人さんはパーツ毎に専門分野に分かれており,このカートで頬を膨らませた職人さんは刃の最終組み立てだったか...?他に例えば彫金の職人さんとか,鞘造りとか....色々に分化されている様子だった.
ところでこのジャンビア,鞘はご覧のように「J」字型である.刃もJ字型だと鞘から抜けなくなるのは自明の理で,草書体「し」の字程度にアーチ部の長さが適度に抑えられている.刃渡りは大きいので30cmくらいであろうか?結構大きい.
日本刀の場合,帯は刀の一要素ではない.帯はあくまでアパレル業界が牛耳る製品だ.ところがジャンビアの場合,ベルトもジャンビアの一重要パーツで,ジャンビア業界がちゃんと抑えているのだ.サスガ~!!
つまり,客は,「鞘」,「刃」,「ベルト」の3つを別々に選び,もちろん別々の専門店で選んでいいのだが,買い求めるのだが,その買い求めた「鞘」と「ベルト」は店を出る前に縫い合わせて貰うところがカギだ.つまり使用する前に「鞘」と「ベルト」の組み立て工程を経て初めて完成されたジャンビアになるということがミソなのだ.おおらかな日本刀業界に比べて,ジャンビア業界はカルテルといった独禁法違反行為を未然に回避し,ちゃんと合法的に業界の利益を守るべく,「鞘+ベルト」という画期的発明,つまりこの構成が新規性,進歩性,有用性の諸要件満足を確認し,国際特許出願,登録と相成った,のである....?かも.
ところでこれら主要3要素のうち最も重きを置くものは~?答えを聞いてビックリ,なっ,なんと鞘!なのだそうだ.この点も日本刀業界とは決定的に異なる.日本では正宗など著名な刀工は数多くいるが,鞘の製作者となると正直あまり注目されないのは事実だ....んで,「名刀正宗」とかの言い方はイエメンでは通用しない,「名鞘xx」と締まらない言い方になってしまう...なんか物足りない....
なお,さらに凝る人は3つのSub. Ass’yを構成する各パーツをも丹念に一つひとつ選んで世界でたった1つのジャンビアに組み立てて貰うそうだ.ここ旧市街にはそのようなお店がいっぱいあるのだ.現代のパソコン業界ではビルトインオーダーなどと尤もらしく称し,さも画期的手法が如く触れ回っているが,基本的なビジネスモデルはこのようにちゃんと数世紀,いやミレニアムの昔からあったのだ.
これは乾物屋さん?豆とかレーズンとかを売っているお店,何と称するのか?似たようなお店で乾燥ナツメヤシ(デイツ)の専門店,つまりナツメヤシ屋があるが,他国のそれと異なって蜂蜜か何かで固めてあるのか見るからにベタベタで味を試すにはちょっとためらわれる.
ここ旧市街は観光地もあるので洋品店では,ついでにちょっとしたお土産を並べたりしている.あくまで,ついでに,という程度であって,観光客専門店はあまり存在しないようである.他にも銀製品のお店,菓子店,素朴な土器類などを扱う陶器店とか......いろいろひしめきあっている.
下は,さらにサナア旧市街を歩き見ると出会う光景
ここはホテルから間近なサナア一の繁華街.でも照明はあまり明るくはなく他国の基準に照らせばちと寂しい感じはする.ここはジュースやサンドウィッチなどを供するファストフード店の前だ.白地にアラビア文字の看板に特徴があると思う.仕掛け的には至ってシンプル,単に蛍光灯バックライトを入れたプラスチックの看板に過ぎないのだ.こうした特徴は洋品店の看板や,電器店の看板でも共通にみられる.
つまり,ネオンサインは無いのだ.それで全然ピカピカ感,キラキラ感がなく,落ち着いている(?)のだ.
暗い街灯の下,古本(新本もあるか?)の露店がいくつか並んでいた.暗いのに拘わらず熱心に読んでいる客が結構いる.昼は暑いので露店はそれなりに夜が好まれるのかも知れない.なお表紙を見る限りアラビア語の本が多いようだ.