モカokha

ビザードでの昼食後モカに移動した.


モカへの道

モカへの道

ビザードを後にし,一旦紅海に面したモカを目指し西に折れ,進む.道はいいので車はオーバーヒート気味になりながらもぶっ飛ばし進む.途中砂嵐に遭遇したり,羊飼いご一行に道を譲ったりしながら到着する.


モカ港

モカ港

ここが紅海に面したモカの港.沖合いには停泊した貨物船が見える.かつてここモカからアラビア産コーヒーが世界に向けて出荷されたことに因み”モカ”コーヒーの名が生まれたそうである.しかし港は1800年代中頃から,沖合いに潮流が運んできた土砂が堆積し,港として機能が低下したため実質的に閉鎖され,その後コーヒーは前日宿泊したホデイダや南岸のアデンから輸出されるようになったようだ.ただ輸出港は変わってもモカコーヒーの名前は今日でもそのまま使用され続けられており,ブランドの重要性がよく理解できる.

ちなみにアラビア産に留まらず,エチオピア産コーヒーもモカの名で取引されているのだというからなおさらだ.その理由として「イエメンコーヒーの木が元々エチオピアから移植されたらしい」,「産地がイエメンに近く,品質が似ている」,「エチオピア産コーヒーがモカ港経由で輸出された」など,諸説あるようだ.

エチオピアの主な産地は標高の比較的高いところで,「モカ・ハラー」とか「モカ・ハラリ」と細分化された名称が与えられ,その独特の香りと味が高く評価されているそうだ.な~るほど.

寂れたコーヒー商館

寂れたコーヒー商館

これはコーヒー商館の一つ(いや,税関だったかな~?)であったそうである.このような朽ちた商館がいくつか残っているのであるが,かつては栄えたモカの町も今は未舗装のままの小さな村に過ぎなくなってしまった.

モカがコーヒー出荷港としての地位を失ったのは前述のとおりであるが,現在のイエメンではコーヒーの栽培そのものも少なくなったのは残念なことである.しかしてスークでもコーヒーを扱っている店舗は少ないし,国民に親しまれている「イエメンコーヒー」は実はコーヒーの皮を煎じたものが主材料というきわめて質素なもので,キシル(Qishr)とも呼ばれるようだ.このイエメンコーヒーはあちこちで出されたが正直言って決して美味しいものではない.

なお生産量こそ激減したが今も著名なモカコーヒーのイエメンの産地は数日前から前日まで滞在したサナア州,ホデイダ州,タイズ州の標高1,000m~3,000mの山岳地帯だそうだ.中でもサナア州のバニーマタル地方で算出されるモカ・マタリは世界的に最高級のコーヒーの1つであることは別のページでも既に述べた.

尤も,ここ20年来,主に経済的事由でMJBの1kg入りブレンドコーヒー(グリーンの大きな缶)を愛飲し続けている筆者がそのような高級豆について言及するのはおこがましいかも知れないが......一応ここを見物した行きがかり上.....

カのアルシャドリモスク

モカのアルシャドリモスク

1,500年代から1,600年代,モカはコーヒー輸出港として隆盛を極め,当時人口は5万人に達し,1,614年オランダが最初の商館を設置したそうだ.それがこのように寂れ,住民が少なくなってしまったモカではあるが,モスクはこのように立派なものが建てられている.
それにしてもとにかくこの日は風が強く,砂の多い地方ゆえ正に砂嵐であった.どこもかしこも,耳の穴までもが砂だらけになった一日だった.



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