ジブラはアルワ女王により作られた街として知られ,訪れる観光客も多いようだ.
タイズから野を越え行くと ここジブラに至る.この辺一帯は丘の上から眺めると木立ちが茂り,いまは乾季で全体的に茶色っぽいものの畑が多く,雨季になれば相当緑豊かになるものと想像する.年間800~1,000mmの降雨量があり,イエメン屈指の穀物地帯であり,アラビア半島全体を見渡しても最も緑豊かな土地なのだそうである.
「幸せのアラビア」の呼称はそんな緑豊かな土地に由来するらしい.また" Arabia Felix"の標記がパンフレットなどでよく見かけられるが,WikipediaによればFelixはラテン語で "fortunate Arabia"に相当するようだ.
尤も日本とか東南アジアなどのように,どこもかしこも深々とした緑に包まれた大地とは比較する術もないのは事実で,あくまでアラビアの地に限定しての話だ.
アルワ女王のお墓を守るために建立されたというモスクだ.白い大きなミナレットを含めて亡き女王専用のモスクのようだ.ところでアルワ女王とは誰か?歴史を紐解けば,昔アリーアンニスラウフという人物が居ったそうで,この方が所謂スライフ(またはスレーヒ)王朝の始祖であったそうだ.1,046年ころその息子アリーが父を継いでサナアに王国を建国.しかしアリーはすぐ亡くなり,その妻アルワが女王としてサナアからジブラに首都を移し,1,067年~1,130年この地で治世をおこなった,ということのようだ.
ところでこのグレートモスクの周辺はあたかも門前市を成しており,とっても狭い通りをいろいろな人が行き交いしている.
中央のミナレットがスライフ王朝最後の女王,アルワ女王自ら建立したと伝えられるモスク(Mosque of Queen Arwa),その右の崩れた建物が宮殿だったそうで,なんと356もの部屋があったそうである.このミナレットはイエメンで最も美しいミナレット,とも言われているそうだ.ふむふむ....
下は,ジブラの写真あれこれ.丸いドームはエジプトの影響を受けたというクバットゾームモスク.
ジブラの近くにイブの町が広がっている.この町に望む標高1,850mほどの小高い丘のレストランで昼食をとった. イブには伝統的イエメン建築ももちろん多いが,ジブラとかと比較すると断じて近代建築が多くなり,まあ産業都市と言えるのかもしれない.
複数のサイトの情報をまとめると,なんでも1982年,Dhamarを震源とする,死者3,000人を数えた震度5.8の地震の際,古い建物のかなりが倒壊したとか....
ここはレストランの前.どうした訳かジブラを離れるときから我々6台のランドクルーザーを先導して,ここまで来てくれた.時にサイレンで他車を蹴散らして.そして我々が食事中ここで待機してくれている.食事が終わり,再び段々畑のある野道を越え,タイズに戻るのであるがこのパトカーがやはり先導してくれたのだ.タイズの混んだ路ではけたたましくサイレンを鳴らし,強引に他車を脇に寄せてホテルまで先導した.多分これで30分は早く着いたのではなかろうか.それにしてもこんな事して大丈夫なのかな~?そもそも6台も4WDが続くのは観光客以外ないし,その先導にパトカーが付けば国賓級のVIPならいざ知らず.....強引に脇に寄せさせられたドライバたちは.....これが観光客をターゲットにする反政府活動者の反感を増強することにならなければいいが.....