ザビードZabid

紅海に面したホデイダから南下しザビードに向かった.

養蜂Beekeeping

砂漠の養蜂家

砂漠の養蜂家

ホデイダからザビードへは海岸から少しだけ離れた砂漠っぽい部分が多い街道を南下する.従って草はあまり豊かとは思えないが,蜂にとっては十分なのだろうか所々に養蜂の巣箱が散見される.その一箇所に止まって見物することになった.4WDが何台も止まったためか通りかかった軍隊も車列を止めて,我々がここに留まっている間警護(?)してくれた.蜂は我々が一般に見かける種類より相当小さい.養蜂家はプロテクタも付けずに素手で蜂の巣を取り出した.大丈夫なようだ.観光客でも立ち寄らない限り暇そうな稼業だ(その理由:餌は自分たちで勝手に探して,勝手に蜜を生産してくれそうなので,余り仕事があるようには見えないのだ,失礼!).巣箱の傍らにはちゃんと休憩小屋が設けてあり,小屋でぼけ~っとしながらも傍らでず~っと張り付いていなければならない商売も大変だな~,と言うのが最終結論かな.

蜂蜜の色と味は別々

色と味は別々

巣箱から取り出してくれた蜂蜜で満たされた蜂の巣,所謂ハニカムだがこれが柔らかいものであることを初めて知った.不思議なことに巣箱毎に違う色と味らしく,2種類試しただけであるが色の濃さと味に相当の差があった.餌になる花粉が別々のようには見えないし,蜂も別々の種類には見えないし......でも何かしら違う筈であるが....??

アフリカ村African Village

アフリカンスタイルの住居

アフリカンスタイルの住居

山岳地方の強固で高層な石作り建築とは対照的である.円筒状日干しレンガ本体に藁葺き屋根を張った構造で,簡素そのものである.ここのご主人が土塀の内側に招き入れ見せてくれた.右側が母屋,左側が家畜小屋である.このような様式は言わばアフリカ様式で,アフリカ系住民の多いこの地方ではしばしば見かけられるようである.もちろん必ずしもアフリカ系住民だけではなく一部のイエメン人もこのような住宅に居住しているそうである.

屋敷の塀

屋敷の塀

複数の家が共通の土塀で囲まれているところもある.塀には立派な門が設けてあった.比較的高い塀構造を見ると,単純に家畜のための囲いではなさそうであるし,何よりも家畜には,「猫に小判」に対比し「家畜に立派な門」となり,とても納得できない.やはり人間用の門なのだ.ところで広い屋敷の場合,写真のように沢山の家畜を飼育できるようだし,それを守る塀とそれに見合う立派な門の必然性が徐々に判ってきたような.......

ラクダCamel

ラクダのごま油挽き

ラクダのごま油挽き

これまでの街道をさらに南下を続けるうちに小さな町をいくつか通過する.そんな中でごまの実を入れた臼の杵をラクダが廻すごま油挽きの光景を見かけた.左が仕事中のラクダでアイマスクで目隠しされており,右は休憩中のラクダである.「目隠しは目が回らないためか?」と問えば,「そうだ」と言う.そうなのかな~?

なお2時間毎に交代だそうである.ラクダも決して楽ではないのだね~

ごま油産地直販

産地直販

挽きたてのごま油は添加剤等を加えず店先で販売されていた.すぐ使用すれば美味しいであろう.ところでお店の扉はどこも溶接リブ入り鉄板製で,一様ではなく,リブ形状やペイントに思いおもいのデザインセンスを込めた工夫が感じられる.


街道沿いの市場

街道沿いの市場

典型的な街道沿いの市場である.果物や野菜を中心に日用品が並べられている.ただ携えられたジャンビアがイエメンの市場であることを強烈に判らしめてくれている.写ったバイクの,サドルから燃料タンクに差し渡された赤いシートカバーも割と特徴的ではあるが,どこか他の国でも見たことはある.どこだったかな~?何にしてもジャンビアには遠く及ばないのは確かだ.

ザビードZabid

ザビードのアルアシャエルモスク

ザビードのアルアシャエルモスク

左はアルアシャエルモスクという永い歴史を有するモスクを門前から眺めた写真.ザビードの街は819年,時のアッバース朝の総督によって創設され,さらにここを首都とする国家が建設されたそうだ.国を学問で振興させるべく,モスク付属のマドラサ(メドレサ)を拡充し,これがアラブ世界初の大学,アルアシャエル大学の起源になったという.途中朝廷の遷り変わりがあったものの,中世イスラム最盛期には5,000人の学生が神学はじめ法学,医学,数学などの研究を進めたようだ.中でも代数学はここが発祥の地とされるそうであるが,残念ながらその大学機能は現在残っていないそうな,もったいない!ところでこの頃はどんな代数だったのかな~?線形空間論とか.....?

念のためウィキペディアで代数学(algebra)の語源を引いてみると,元は『al-jabr』(アラビア語では「Al」は定冠詞,「Jabr」は「バラバラのものを再結合する」「移項する」意味からインド数学のこと)とラテン語に翻訳した.....と解説されている.な~るほど!

現在旧市街にはモスクが86あるという.ザビード旧市街の規模からするととても多い数だが,補修が不十分で,さらに新しいコンクリート建造物も現れるなど,世界遺産ではあるが,2000年には危機遺産リストに載せられたそうである.

ザビードのアルアシャエルモスク外壁

モスク外壁

煉瓦を幾何学的に積んで,浮き出し模様を形成している.大体は白い漆喰で覆われている.モスク内部に立ち入ったわけでなく単に外壁を眺めただけであるが,その範囲内では個人的にはそれほど美しいとか,感動的な場所に遭遇することはできなかった.壁の内側に立ち入って仔細に観れば多分印象が相当変わっていただろうに残念だ.


下は,ザビードの写真あれこれ

ザビードの写真
ザビードの写真 ザビードの写真 ザビードの写真 ザビードの写真 ザビードの写真 ザビードの写真 ザビードの写真
ザビードの写真 ザビードの写真 ザビードの写真 ザビードの写真 ザビードの写真 ザビードの写真 ザビードの写真

レストランRestaurant at Zabid

ザビードの風通しのよいレストラン

風通しのよいレストラン

お昼はここザビードで戴いた.料理そのものはイエメン料理で確か煮た野菜とか,...よく思い出さない...建物は何というかポリネシア風というか暑い地方ならではの風通しのいい造りだ.


イエメンダンス

イエメンダンス

多分このレストランの従業員が主なのだと思うが軒先でダンスを披露してくれた.土地柄か女性の踊り子も, 男性のドラマーもアフリカ系の人が結構目立つ.アレービアンも結構音楽にそれなりの才覚を示しているのであろうが,ここはやはり協業性を発揮し,アフリカンと一緒になって1+1以上の音楽効果を狙っているということなのであろう.


ザビードの大きなモスク

大きなモスク

このレストランを出て間もなくのところから大きなモスクが見える.歴史に名高いザビードのモスクだということだ.でもどうしてか名前を思い出せない.(←陰の声:単に老化が進み,脳細胞が減ったためだよ~)



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