バゲルハットBagerhat
このバゲルハット編では,2019年11月11日,ルプシャ川下りを終えた後,車でバゲルハットへと向かい,シャイトゴンブスモスク,そして他のモスクを見物し,カンジャハーン廟をお参りし,クルナに戻るときの写真を載せました.
バゲルハット付近のGoogleマップ(静止マップ)map around Bagerhat
バゲルハットはマーカー14に位置している.
別窓で大きなGoogleマップを開くバゲルハットへgo to Bagerhat
噛みタバコの乾燥
クルーズボートベラ号を下船し,小型バスでモスクの町バゲルハットへと向かった.
バス前方に茶色い帯状のものが竿に架けられている.噛みタバコを乾燥させているのだそうだ.日本では以前鳥取県で栽培中のタバコの木を見たことがあったが,葉っぱはこのように長くはなかった気がする.日本のタバコは殆ど紙巻きタバコであろうから,タバコの木の種類が全く違うのかな.....
なお日本ではタバコ栽培は厳しく管理されるが,バングラデシュでは噛みタバコの栽培は自由だということだ.
こちらはビンロウでしょうか
こちらは粒の大きさや色あいがビンロウのように見える.随分と大量の粒を人海戦術で選別しているようだ.
既に以前記したが,ビンロウは栽培も販売も消費も自由だそうだ.でも歯が赤くなった人はあまり見かけないですね.
サイクロンの被害
途中サイクロングルグルで倒された木が所々に見えた.この辺りはエビの養殖池も多いそうで,その被害甚大ということだ.
シャイトゴンブスモスクShat Gombuj Mosque
シャイトゴンブスモスクに着く
バゲルハットに到着した.この町は「バゲルハットのモスク都市(Historic Mosque City of Bagerhat)」として1985年世界遺産登録されているが,その中で代表的建築が写真のシャイトゴンブスモスクである.
シャイトゴンブス(Shat Gombuj)は60のドームの意だそうだが,実際は77ドームあるそうだ.このモスクはベンガルの スルタン:ナシルディンマフムードシャー(Nasiruddin Mahmud Shah/在位:1435-1459年)時代,屯田兵を引き連れて赴任したカーンジャハンアリ将軍によって1459年建立されたという.低いドームは11x7のマトリクス状に77個配置され,さらに四隅の塔にもドームも備える.どうして60のドームと形容したのか?実は礼拝堂内部の屋根(ドーム)は60本の柱で支えられており,当初『60柱モスク』と呼ばれていたのがいつの間にか『60ドームモスク』に変わったようだ.
横から眺めたシャイトゴンブスモスク
陽の当たる横から眺めると,外壁や屋根はレンガ作りであることがよく判る.周囲には観光客や参拝者がぐるぐる散歩を楽しんでいる.
四隅の大きな塔はテーパーが付いており,うち2つはアザーンを流すミナレット,残り2つははっきりしないが監視塔であろうか?
シャイトゴンブスモスク内部
内部は大きな礼拝堂になっており,細い石造りの柱でドームを支えると同時に,礼拝堂を区画し,先方にミフラーブが設けられている.入り口近くはレンガを積み上げた太い柱も見える.
床は一般的なカーペットではなくレンガのままのように見える.礼拝に訪れる人が一人用マットを持参するのでしょう.
奥の方ではミフラーブの方向(メッカの方向)に向かってお祈り中の人が複数居られた.午後1時半で,たまたま金曜礼拝時刻と同じだが,今日は月曜で,熱心な人々だ.
6つの礼拝時計
6つの礼拝時計が架けられていた.週単位くらいで一日5回の礼拝時刻修正が行われるのであろう.左下の時計(午後1時半)はこのモスクで行われる金曜礼拝の時刻ではなかろうか.
聖なる池で沐浴
シャイトゴンブスモスクの裏には大きな聖なる池があり,沐浴している人たちが見える.
バゲルハット博物館
シャイトゴンブスモスクの近くにバゲルハット博物館(Bagerhat Museum)があった.展示はモスクに関わるものが主だったと思うが,暗く(停電だったか)てよく見えなかった.ただ何故かワニのミイラが印象に残った.ただしこの頭部は欠落した部分を繋いだレプリカという.昔スミソニアン博物館で,布でグルグル巻きワニミイラを見たのが衝撃的で,その記憶が蘇ったのか....
他のモスクother Mosques
全レンガ造りの単一ドームモスク
バゲルハットにはシャイトゴンブスモスク以外にたくさんのモスクがあって,これはその一つ.
この地方で調達可能なレンガのみで作られた,単一ドームの小型モスクだ.小型ながら四隅に丸い塔を備えているのはシャイトゴンブスモスクと同一様式ですね.
中でお祈りの人
このモスクもやはり現在もちゃんと使われており,中でお祈りの人が居りました.床はカーペット敷きで,シャイトゴンブスモスクとは異なるようだ.
さらにも一つの小さなモスク
竹やぶの向こうにまた小さなモスクがり訪ねる.周りは竹以外の木も茂っており,シャイトゴンブスモスクが広い芝生に囲まれていたのとはエラく異なる.
全レンガ構造は上のモスクと同様だ.
森のモスク内部
モスク内部は白い漆喰が塗られ,少ない窓の光を補っている.それとミフラーブはシャイトゴンブスモスクと同じように複数備え,中央のメインミフラーブはやや大きく,脇に説教壇を備えている.
こちらも現役であるが,かなりくたびれてきてますね.
小型バスで次に向かう
次の場所カンジャハーン廟は離れているのでいつもの小型バスで向かう.お巡りさんも付いて行きます,もちろん.
カンジャハーン廟Khan Jahan Ali Mazar
カンジャハーン廟前の数珠売店
車はカンジャハーン,正しくはカンジャハーンアリ(Khan Jahan Ali)の廟前に到着した.
正面は廟のゲートで,両脇にはお巡りさんが銃を立てて警護している.
右横には売店があり,ビーズというか数珠というか,まあそういったものを売っている.驚いたことに仏教の数珠と同じように108個のビーズが紐に通してあるそうだ(もっと長いタイプもありそうだが).そして仏教で経を唱える度に玉を一つ送るように,コーランの一節を唱える度に送り,カウントするのだそうだ.イスラムで仏教と同じような行為があるのか?すみません,ガイドSさんに担がれたのかと疑いそうになったが,ごく真面目に話されるので確かなようだ.とにかく驚いた.
カンジャハーン廟
茶色い塀の向こうの肌色ドームを載せた白い四角い建物がカンジャハーン廟だ.女性は塀の内側の庭までは入っていいが,白く四角い廟には入れないという掟がある.
カンジャハーン廟内部
爺は男なので廟内部に入ってみた.鉄格子に囲まれた中に布で覆われた棺が安置されている.そして格子越しでお祈りを捧げている人々がいた.
カンジャハーンは前述の如く軍人であったが,一方敬虔なイスラムのスーフィー(スンナ派の律法主義,形式主義を批判し,敬虔な信仰生活を旨とする人々)でもあったそうだ.そうした人柄が今もこうして民衆を惹き付けているのでしょうか.
廟横近親者の墓地
カンジャハーン廟に隣接して近親者や側近の墓地があった.メッカの方向に限定されるので墓石はカンジャハーンの棺と同じ方向に揃えて並んでいる.
聖なる湖で聖水
カンジャハーン廟前には聖なる湖があり,聖水を湛えている.人によってはこれを汲んで持ち帰るようだ.インドでガンガーの水が聖水であるように,物理的な成分や見かけより大切なものを含むようだ.
クルナに戻るgo back to Khulna
サイクロンの被害
さてバゲルハットの観光は終わり,クルナに戻ることになった.
途中倒木や電柱の倒れが見える.サイクロングルグルの被害だ.とりあえず道路を塞いでいるもので手の打てるものは切り取って通行可能としてくれている.
バングラデシュは山や崖がないのでがけ崩れが起こらないのは不幸中の幸い(?)か.
ルプシャ川を横切り,右岸に渡る
今度は陸路でルプシャ川を横切り,右岸に渡った.この橋はマップを見るとカンジャハーンアリ橋(Khan Jahan Ali bridge)のようである.そうであれば午前中ルプシャ川下りでクルーズボートで通過した橋だ.それにしてもカンジャハーンアリ氏は今も尊敬を集めているのですね.
クルナの町に戻ってきた
再びクルナの町に戻ってきた.お店の看板にベンガル文字でなく,比較的アルファベットが多くなった.少しホッとできる感じだ.
建設中の10階建て
細い柱,薄いスラブ,それだけ使用可能空間が増えるのですが,心配ですね,他人事ながら.でも大きな地震はないとのことで心配ないそうです.
夕食中華料理の一皿
無事クルナCity innに戻り,個室で中華料理の夕食になった.これはその中の一皿で,エビと野菜のトロみ付き....他の料理も含めて大変美味しく頂きました.
さて明日は制限はあるであろうがとにかくシュンドルボン国立公園に入る計画になった.スタッフの皆さん当局とのネゴよろしく願います.