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ラロン聖者廟Lalon Mazar

このラロン聖者廟編では,2019年11月10日プティアから南下し,ラロン橋を越えて,クスティアのラロン聖者廟に至り,バウル(吟遊詩人)の唄や舞を見せてもらい,廟を離れさらに南へと向かったときの写真を載せました.

ラロン聖者廟付近のGoogleマップ(静止マップ)map around Lalon Mazar

ラロン聖者廟付近のマップ(Googleマップのスクリーンショット)

ラロン聖者廟はマーカー10に位置している.

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プティアから南下go south from Puthia

渋滞の町を抜ける

渋滞の町を抜ける

プティアの寺院群を眺めた後,私達の車は南に向かった.途中幾つもの村や町を通過した.

中には写真のようにエラく混み合ったところもあり,先導パトカーから離れることもあった.しかしこうした場所ではさすがパトカー,うまく周囲を蹴散らして進行を助けて下さる.


竹屋さん

竹屋さん

竿竹~♪竿竹♪と売り歩くあれ(最近少なくなった)とは違って,太く長いですね.主に建築工事などの用途でしょうか.

藁や,それをマット状に加工した畳床のようなものもありますね.まさか畳は使われていないと思うが.....


イスラムのパレード

イスラムのパレード

南下を続けるうちに大規模なパレードに出会った.リキシャ,オートリキシャ,人を満載したトラックが,大声でがなり立てながら行進して行く.「アラーアクバル(Allahu Akbar/神は偉大なり)」などと叫んでいるようだから,イスラムのパレードのようだ.そして数え切れないほど多数が進むが,女性は皆無だ.バザールの光景などと一緒ですね.


昨夜はサイクロンの影響があったか

昨夜はサイクロンの影響があったか

路面に水が溜まっている.プティアからかなり南になったので,昨夜はいくらかサイクロンの影響で雨があったのでしょうか.


広軌,狭軌併用鉄路を越える

広軌,狭軌併用鉄路を越える

ここはお店が出ておらず線路周辺がきれいだ.村から離れているのであろう.ここは3本のレールが敷かれ,広軌,狭軌併用のようだ.山形新幹線のようだ.ただここの広軌はとても広く見えるので,実際は標準軌の新幹線軌道と違ってほんとの広軌かな....


ラロン橋を越えるcross the Lalon Shah bridge

建設中の原子炉

建設中の原子炉

ガンガー(パドマ川)近くになった.クレーンが建設工事中だ.原子力発電所の新設工事で,ロシアの技術と資金で2022年稼働を目指しているそうだ.冷却水はガンガーから引くのであろう.

原発は原発なりの問題があるが,CNG生産には限りがあり,またレンガ作りで石炭の粉塵や焼成炉の排出ガスの問題を抱えるので,石炭の消費を増やしたくないのであろう.


ガンガーは広い

ガンガーは広い

ガンガー(パドマ川)手前にやって来た.いや~広いですね.

ガンガーを含めた三大河川は全てインドから流れてくる.ということでインドの機嫌を損ねると,水が止められる,首根っこを押さえられているわけで,政治的には大変なようだ.

これはメコン川下流のタイなどの国が,上流中国のコントロールに縛られているのと同じですね.メコン問題は現に重要問題という.


ラロン橋を越える

ラロンシャハ橋の碑

ガンガーには大きな橋が架かっており,その袂にバングラ,日友好のしるし,両国旗,2004年を記した「ラロンシャハ橋」の碑があった.ラロンシャハ(Lalon Shah)は今目指している聖者廟の主であり,橋にその名を冠したわけだ.日本の国旗は日本のODA(政府開発援助)によって完成したためとのこと.こうした援助のためにバングラデシュでは親日家が多いそうだ.

ところでバングラ旗は色は違えど円を配したデザインは日本の日の丸と良く似てますね.現シェイク・ハシナ首相の実父,独立後初代大統領に就いたムジブル・ラフマン氏は娘さん(現首相)に,実は日の丸を参考にした,と明かしていたそうである.なお,日の丸は四角い外形のセンターにあるが,バングラ旗の丸は若干左(竿側)寄りに偏芯している.風にはためいたとき,真ん中に見えるのだそうだ.


ラロンシャハ橋を渡る

ラロンシャハ橋を渡る

この橋は空いており,順調に通過した.多分後ろ側を写したようで,クレーン群が右手に見える.

なおこの橋と並行して走る鉄橋は英の植民地時代に建設された鉄道の橋ということだ.


ラロン聖者廟Lalon Mazar

ラクスティア(Kushtia)の町に入る

クスティアの町に入る

ラロンシャハ橋を越え,クスティア(Kushtia)の町に入ってきた.ノーベル文学賞詩人のタゴールも住んだことがあり,また他の文人も多く過ごした町という.東京で言えばかつての馬込文士村のようなものか.


クスティアのレストランに寄る

クスティアのレストランに寄る

ちょうど昼時になり,クスティアのレストランに寄った.


もちろんバングラカレー

もちろんバングラカレー

昼食はもちろんバングラカレー(よく分からないので私はこう呼んでいる)がメインで,辛くない野菜やスープも頂戴した.

お味のほどは....多分,普通に美味しかったかな.


ラロン聖者廟

ラロン聖者廟

白いラロン聖者廟に到着した.全体にインド風味のデザインに見える.

さてラロン(Lalon Shah)とはどういったお方か.ラロンは当時英領インド(現バングラデシュ)生まれで,旅先で病(天然痘)で死にかけ,意識を失い倒れた.そこで幸運にもモズレム女性に助けられ,必死な看病で命が助かったそうだ.そしてラロンは感謝し無事帰郷した.

ところが戻った故郷はヒンドゥーの村で,対立するモズレムの村人に助けられたとして責められ,ラロンは失意のうちに故郷を離れ,放浪の旅に出た.やがて旅先にてバウル(Bauru:吟遊詩人)のグル(師匠)に出会い,弟子入りし,やがて自身もバウルとなった.

やがてラロンは宗教や民族などの障壁を超える詩を歌いだし,詩と唄を芸術レベルにまで引き上げたということだ.そして細々続いてきたバウルが一気に広まり,多くの人に受け入れられることになったそうだ.


ラロンの棺

ラロンの棺

この白い廟中央にラロンの棺が置かれる.外にも複数の黒い墓石が置かれている.少なくともその中の幾つかはお弟子さんのものであろう.

ところでラロンと,その連なるお弟子さんたちはある種の流派を形作っているわけだが,ほかの人をグルとするバウルもあるそうだ.ただしラロン派の人気が非常に高いということのようだ.


ラバウルの演技を見せてもらう

バウルの演技を見せてもらう

ラロン聖者廟の先にホールが有り,実際のバウルの人々の演技を見せてもらった.自ら奏でる一弦琴のような楽器(エクタラというそうだ)や周りのパーカッション演奏に合わせ唄を歌い,同時にダンスを行う.女性演者も居られる.写真では独演であるが,複数人で演ずるときもある.最後には私達のツアーメンバーも加わってダンスに興じていた.

バウルのラロン音楽はユネスコ世界無形文化遺産に登録されているそうだ.

また柱の前,タンバリンを手にした長髪の目立たない男性は,一度だけ一曲披露して下さった.実はこの方は日本で言う人間国宝に相当する方なのだそうだ.ただ皆と同じように歌ったり,後ろに座って伴奏したり....全然ドヤ顔的仕草とかは感じられず,実に謙虚な方なんだな~と思った次第だ.


廟からさらに南へgo further south

廟からさらに南へ

クスティアの町を出る

ラロン聖者廟をお参りした後,また小型バスに乗り,再度南に向かった.

後ろを見ると,珍しいことに乗用車(トヨタ)が走っている.ある程度大きな町なのであろう.


シュンドルボン現時点の様子

シュンドルボン現時点の様子

ガイドAさんが,スマホで得たシュンドルボンの現時点の写真を見せてくれた.サイクロンのシュンドルボン直撃で250万人(ちょっと桁違いだ)に避難勧告が出され,倒木に因る死者が40人出ているという.私達のツアーのメーンイベントはシュンドルボンにあるのだが....入境禁止だそうでやはり行けないかな....でも添乗Nさんが何とか頑張って下さると言うから期待しよう.

なおAさんのスマホは高価なサムスン(左に写っている)ですね.最貧国などと言われるが,そうでもなさそうですね.


空いた並木道になる

空いた並木道になる

クスティアの町を抜けると,舗装されきれいな並木道になり,しかも空いている.快適ですね.