ショナルガオンSonargaon
このショナルガオン編では,2019年11月15日ダッカのショドルガート見物後,ダッカ南東のショナルガオンへ行き,古いゴアルディモスジットを眺め,ショナルガオンの町のマドラサ(神学校)を見せてもらい,食事し,午後今は廃れたパナムナガールの街並みを見物したときの写真を載せました.
ショナルガオン付近のGoogleマップ(静止マップ)map around Sonargaon
ショナルガオンはマーカー15に位置している.
別窓で大きなGoogleマップを開くショナルガオンへgo to Sonargaon
レンガ焼成工場通過
ダッカから,その南東に位置するショナルガオンへと走った.村や畑,レンガ成形場,そして写真のようなレンガ焼成工場を通過する.つまりこれまでの通過区間と概ね同じような眺めが繰り返される.
小さな川も通過
これまでのガンガーとかと異なって小さな川を通過した.ちょっと不思議なことにこれまでの大河と違って,水の濁りが少ないように見える.
ゴアルディモスジットGoaldi Masjid
先ずゴアルディモスジットに到着
ショナルガオンに到着した.町の入り口近くにはいきなりゴアルディモスジット(Goaldi Masjid)という古い小さなモスクがあり,見物する.
1519年建立で,ショナルガオン最古のモスク(モスジット)で,ムガール朝より以前の建築様式が見られるという.具体的にどこら辺がちがうのでしょうか.
こうして眺めたところ,バングラデシュらしく漆喰でかためた全レンガ造りのようだ.
入り口とテラコッタパネル
入り口の両脇などにはテラコッタ(素焼きで焼成された陶器)パネルが嵌め込まれている.イスラムらしく枠は唐草模様で,中心は人物は描けないため,それとはなしに人のイメージを想起させるような模様が描かれている.私には縄文時代の土偶が思い起こされた.
ゴアルディモスジット内部
内部はワンルームの礼拝堂になっているようだ.ドームは大きく,四角い礼拝堂の稜線に接するまで伸びている.現在礼拝に使用されていないため,全体がくすんでいる.
ショナルガオンの町city of Sonargaon
ショナルガオンの町
ショナルガオンはヒンディ語で「黄金の都」の意だそうだ.メグナ川(Meghna River)など幾つもの河川に囲まれ,水運に恵まれたようだ.そして12世紀ヒンドゥー教徒のセーナ朝(1070〜1230年)の下で大発展し,やがてムガール帝国(1526〜1858年)に政権が奪われ,ダッカに遷都するまで東ベンガルの中心都市,首都であったそうだ.
ただセーナ朝当時から,この地は良質の綿花が育ち,それで織られた綿布(モスリン)は優れ,世界中に輸出され,モスリン商人大富豪が多く出現したという.そして「黄金の」という形容が冠せられようになったようだ.
ショナルガオンの皆さん
今日は金曜日でお休み.国内,海外からの観光客が通るので,暇に任せて見物中です.私達も皆さんを撮ろうとすると笑顔を作ってくれます.大変友好的です.
ところでここモズレムの女性の服装は明るい暖色系が多いですが,前日グラミン銀行の村で見せてもらったヒンドゥー女性のド派手さと比べるとシンプルコーディネートですね.
ショナルガオンのマドラサ(神学校)
ショナルガオンには小さいながらマドラサ(神学校)があった.全寮制で,二階に日常生活の部屋があり,ベランダに洗濯ものが架かっている.
マドラサの生徒
小学生くらいの子と高校生くらいの子が出てきてくれた.窓の内側にはも少し幼い子も見えている.小さいときからイスラムについて専門的に学ぶのでしょう.
ところでイスラムなので男の子は割礼を受けるが,大体2~5歳のときが多いそうだ.するとマドラサはその後に入学ということなのであろう.
ショナルガオンロイヤルリゾートでランチ
私達はショナルガオンロイヤルリゾートのレストランに入った.ちょうどお昼時間だった.
このホテルは名のようにリゾートホテルなので,今日金曜からお客が増えるのではなかろうか.
なお入り口にはX線監視ゲートが設けられていた.
ショナルガオンロイヤルリゾートの料理
かなり食べた後なのでよく分からない.やはり一部中華風バングラ料理(←何か分からないという意)かな.
特段記憶に残ってないのは,自分的にはそれなりに美味しかった証拠だ.
ショナルガオンロイヤルリゾートの庭
このホテルは建物も立派だが,庭も手入れが行き届き,確かにリゾートには相応しかろう.
パナムナガール入り口のお土産屋さん
パナムナガール内部にももちろんお土産屋さんがあるが,言わば所定数の公式店舗でそれなりのルールで権利確保されているのであろう.
そこでたくさん訪れる観光客を賄うべく,パナムナガール入り口前に露店を開いている.バングラデシュは元より露店だらけであるし,こうした入り口前露店は自然な成り行きであろう.
パナムナガールPanam Nagar
ガイドAさんがチケット仕入れ
ガイドAさんがここパナムナガール(Panam Nagar)のチケット全員分を仕入れてくれてる.
壁に設けた小さな窓の売り場はいくらか謎めいた雰囲気ですね.
パナムナガールの豪邸群
パナムナガールは,道の両側に50軒余りのヒンドゥー教徒の豪邸が建ち並んでいる(いた).こうした豪邸は前述のモスリン豪商の邸宅として1900年前後に建てられたそうだ.だが1947年パキスタン(現バングラデシュを含む)がインドから独立し,イスラム国として出発した際,ヒンドゥーである彼ら豪商は迫害を恐れ,せっかく築いた豪邸を捨ててヒンドゥー国インドへ移住してしまったとのことなのだ.
ただ良く解らないのはムガール帝国支配下になったこともあるし,現在も多くを占めるのはモズレムと思うのだが,モスリン豪商はどうしてヒンドゥーだけだったのでしょうか? 特別交易の商才に長けていたからでしょうか....?
豪邸の外観
この辺りでは採れない赤い石の円柱,コリント式をさらに複雑にしたような柱頭,アーチ型ステンドグラスに金属模様枠,壁のレリーフ,バルコニーの手摺.....まあいろいろ贅を尽くした造りですね.
豪邸内部
一階の大広間は吹き抜け構造で,周りにアーチ回廊が巡らされている.回廊部は大きなモスクかカトリック修道院のような雰囲気も感じられる.
それに,柱のないこれだけ広い部屋なので,天井のスラブ構造も大掛かりでしょう.
色々な観光客が通る
元はヒンドゥーの街ですが,現在はブルカの女性も歩いてます.
放棄されて半世紀以上になるので,かなり壊れかけた建物が多い.一部は危険なため立ち入り禁止となっている.
捻じりん棒柱の家
二階アーチ窓前の捻じりん棒柱が大変おもしろい.白または黒の柱表面にスパイラル状に溝を穿ち,そこにもう片方の色の石を象嵌したのであろうか.
こうした凝った石の象嵌はインドの職人さんにとってはお手のもので,元はと言えばインド領だったこの地にもそういった技術を有した職人さんが居たのであろう.
パナムナガールの公式お土産屋さん
こちらがパナムナガールの公式お土産屋さん.ここで食べる果物から,帽子やバッグ....いかにもお土産が揃ってます.
パナムナガールの警備員さんかな
ジュース屋さんに集まったお巡りさん.ライフルやショットガンを持っておらず,手ぶらだ.またユニフォームにpoliceとか記されてない.パナムナガールの警備員でしょうか.
広場と池あり
パナムナガールの終端近くに広場があった.また広場奥に池もあった.公園だったのでしょうか.
私は見なかったが,池にはワニがいたそうだ.まあこの辺ならワニの棲家に適していると思う.
またダッカに戻る
パナムナガール見物を終えたので,またダッカに戻る.写真はダッカ郊外辺りかな.電動ではなく人力のリキシャなので多分ダッカ市に入ったのであろう.
ダッカ市には約40万台のリキシャがあるという.その多くは実際稼働中であろう.一応クリーン度は高いのでグレタさんにもお薦めできそうだ.