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モハスタンMohasthan

このモハスタン編では,2019年11月9日,ボグラバザールの後,モハスタン博物館を訪れ,次いでモハスタン遺跡を歩いたときの写真を載せました.

モハスタン付近のGoogleマップ(静止マップ)map around Mohasthan

モハスタン付近のマップ(Googleマップのスクリーンショット)

モハスタンはマーカー6に位置している.

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モハスタン博物館Mohasthan Museum

モハスタン博物館前に到着

モハスタン博物館前に到着

私達の車はモハスタン博物館前に到着した.正式名がMohasthan archaeological museumとベンガル語の下に併記されているから相当古い出土品も展示されているのであろう.期待しよう.そしてガイドさんが入館手続きをしてくれた.


入館手続き時間中にお巡りさんの記念撮影

入館手続き時間中にお巡りさんの記念撮影

平和なので入館手続き時間中に私達の警護お巡りさんに,当博物館ガードのお巡りさんを交えて記念撮影させてもらった.写真に対してはびっくりするほど好意的である.

皆銃を携えているが,添乗Nさんの資料によれば,ショットガンはブラジル製ということだ.どうしてブラジル製とわかるのでしょうか?

私も20年余り以前米国で,クレイ射撃で普通のショットガンで50発撃ったことがあった.帰宅し裸になったら銃床を受けていた右肩前部が,発砲の反力衝撃で赤くなっていて驚いたものだ.まあ博物館とは全然関係ないが,バングラではいつも銃を見せられているのでつい....


庭園の先に博物館

庭園の先に博物館

博物館本体の手前にはきれいな庭を備えている.庭木は日本の庭師さんととても良く似た手法で手入れされている.

そしてどんどん進み館内に入る.仏像やテラコッタなど多数展示されていたが,撮影禁止なのでどうも,いや殆ど思い出せない.そこでNさんの資料,他を辿ってみよう.古くは紀元前4世紀頃の石器や,紀元前3世紀マウリア朝アショカ王時代のテラコッタやレリーフ,ブロンズ像,さらに検証が不確実ながら8〜12世紀パーラ王朝時代の仏像やヒンドゥーの神像など収蔵されていたようだ.

また玄奘三蔵はナーランダ(Nalanda:ブッダガヤの北東に位置する)で学んだ後,638年ここを訪れたそうだ.そして寺院が20余,僧徒3000人余,大小二乗(大乗仏教と小乗仏教両方のことでしょうか)を兼学していたと記しているそうだ.


庭のレリーフ

庭のレリーフ

庭に石造りのレリーフがあった(庭は撮影可).バングラデシュでは石を産しないので,インド他エリアから素材,あるいは完成品を運んだのか,興味深いですね.

それと掘られたデザインが面白い.極端にデフォルメされた顔のようでもあるし,マヤ文字と似ているようにも見えますね.


ちょっと変わった庭の花

ちょっと変わった庭の花

庭には花も植えられていた.この花は一風変わっており,一見白い花びらにオレンジのメシベのようであるが,前者は白い葉っぱ,後者が花全体,かな.


モハスタン遺跡MohasthanRemains

先ずはゴビンダビータ見物

先ずはゴビンダビータ見物

モハスタン遺跡は城壁全長が4.5kmもあるそうでとても広い.そして先ずは博物館に隣接したゴビンダビータ(Govinda Bhita)をお巡りさんと一緒に見物することになった.

写真のレンガ壁は城壁や寺院,僧坊(上述のように僧徒3,000人余というので,多数あった筈)の跡なのでしょう.ただし基部を除き,レンガの多くは,仏教からヒンドゥーの時代に入った後修復や改築されたもののようだ.

レンガの壁に上ると,この辺りが高台で,下にカラトヤ川(Karatoya river)の流れが見える.


モハスタン遺跡内をバスで移動

モハスタン遺跡内をバスで移動

モハスタン遺跡内の次の見物場所へバスで移動することになった.道路脇に立って眺めていると,この辺りのリキシャは人力タイプは少なく,大半はバッテリーを積んだ電動式のようだ.首都ダッカはかつて電動式の事故があり,条例で走行禁止になっているが,首都以外は問題ないそうだ.人力より余程楽なので殆ど電動式になりますね,それは.


モハスタン遺跡の生命の泉

生命の泉

バスで行った先で最初に大きな井戸跡を眺めた.Jiyat Kunda(The well of life)の案内板が掲げられている.内径3.86mと大きい井戸だ.このエリアのヒンドゥー王ポルシュラムの治世中,およそ18世紀から19世紀に建設されたという.ポルシュラム王はこの井戸の水で,イスラムスルタン(Sultan Balkhi)軍との戦いで戦死した自軍兵士を蘇らせた.ところが井戸の魔力を聞き及んだモズレムのスルタンは井戸にヒンドゥーの聖なる牛である肉片を投げ入れ,水の効力を無にした,ということだ.

以降,この土地はモズレムの支配下に置かれたということでしょうね.


モハスタン遺跡ここも確か僧坊跡

ここも確か僧坊跡

このエリアの名称は思い出せないが,ここも確か僧坊跡ではなかったか.幾つもの部屋に区画するか如くにレンガが積み上げてある.

少なくとも市民は立ち入り自由だそうで,喧騒のバングラではとても静寂で緑豊か,デートスポットとしても人気があるそうだ.


近所の子ら

近所の子ら

遺跡のレンガ壁は近所の子らの壁渡り遊びにちょうどいい.皆裸足でぴょんぴょん渡っていた.


稲は収穫期

稲は収穫期

モハスタン遺跡脇の稲は秋の収穫期で,一部は刈り取られ,一部はこれからだ.二期作,三毛作可能ということだから,一年中実った稲がどこかには見えるのでしょうか? 収穫期の分散はサイクロン襲来時に全滅するリスクを低減できると思うが....


さつまいもの葉を食べるヤギ

さつまいもの葉を食べるヤギ

やはりモハスタン遺跡脇の光景だ.三毛作可能なので,稲の後のさつまいものようである.一般に連作となる二期作より三毛作の方が土地が安定するのだそうだ.

で,そのさつまいもであるが,ヤギがどんどん葉っぱを食べている....食べ尽くしそうな気配だが....まあ,その分ヤギが育つからいいのかな.


ベンガル菓子

ベンガル菓子

モハスタン遺跡見物を終え,バスに乗った.前日ナヤクリシ農場で,煎り鍋で焼いてポン米作りを見たが,そんなポン米に味付けしたお菓子を添乗Nさんが配ってくれた.いただきます.少し辛かったかな.

袋上部の文字,物干し竿にぶら下がった洗濯物のような文字は,ベンガル文字なのでしょうが,ヒンディー文字などと似ているように見えますね.全く読めませんが.