パハルプールPahalpur
このパハルプール編では,2019年11月9日モハスタンからパハルプールに向かう街道風景,そして到着したパハルプールの写真を載せました.
パハルプール付近のGoogleマップ(静止マップ)map around Pahalpur
パハルプールはマーカー7に位置している.
別窓で大きなGoogleマップを開くパハルプールに向かうgo to Pahalpur
幾つも村や町を越える
モハスタンからバスに揺られ村や町を越える.人口密度な高さで知られるだけあって,バングラデシュでは街道沿いには次から次へと村や町が現れ,長い距離途絶えることはない.
ここも選挙ポスターが目立ちますね.
次の村
いつものように次の村になった.人やリキシャが溢れていると言うか,活気があると言うか....結構なことだ.
それとダッカやボグラといった大きな都市を離れると乗用車が極端に少なくなり,大型トラックも多くはないように見える.専ら電動リキシャやCNG三輪車の出番が多そうだ.
バングラデコトラ
ガソリンスタンドで給油(CNGか)中のお兄さんとデコトラを写させてもらった.トラックは中型であるが,きれいにデコレーションされている.デコトラと言えばパキスタンが本場だが,バングラデシュもその昔は東パキスタンと称していたことだし,似た文化を共有しているのでしょう.
ところでスリムでかっこいいお兄さんは裸足でペダル操作をするようだが慣れているのであろう.
花を飾ったリキシャワーラー
こちらのリキシャは花を飾ってました.客引きにも効果がありそうですね.
人牛共用トラック
こちらは人牛共用トラック.多分普段は人が主でしょうが,稀にこうした家畜も乗せるようだ.ネパール辺りでは路線バスにニワトリを持ち込む人などいるから,それに比べればこれは輸送専門店の車だから全く不思議じゃないですね.
護衛ポリスが交代し,女性二人加わる
管区が変わったようでパトカーが交代し,女性二人加わっていた.もちろん女性もライフルを携えている.
現首相シェイク・ハシナ(女性)氏はスンナ派で,二大政党のひとつアワミ連盟の党首だそうだ.氏が実権を握ってから,女性の社会進出を強く推し進める政策が採られ,婦人警官もどんどん増やしているとのことだ.
なおバングラデシュには大統領も存在(アブドゥル・ハーミド氏)するが,国の名目上の代表とし,全ての執行権が首相に与えられた議院内閣制が実態ということらしい.
竹を活用した建設工事
足場やコンクリート型板保持に竹棒を活用している.なかなか器用に組んでおりますね.
コンクリートの柱は小さく,また間隔も疎らであるが,幸い大きな地震はないそうで,それなら大丈夫でしょう.なお柱と柱の間は後でレンガで塞ぐ構造になる.
線路上バザール
線路上に商品を並べて商売している.列車は時刻表があるので,通過時間近くになると商品を引っ込めて,通り過ぎたらまた並べるのでしょう.多分運行間隔は密ではないので,並べ/撤去もさほど忙しくはないのでしょう.
真ん中の果物はリンゴでしょうか.そうであれば輸入品でしょうね.
また左に並ぶブルーシートはホームレスの皆さんのハウスかな...
リキシャで大量の藁運び
隣のMITSUBISHIパトカーと対比するとリキシャが随分と大量の藁を運んでいますね.多分荷主さんとは荷の総量で契約しているので,リキシャワーラーは実力いっぱい積んで,移動回数を減らすのだ,と想像.
パハルプールゲート脇の露店
車はパハルプール遺跡のゲート脇に到着した.遺跡内で商売はできないので,ご夫婦はゲート横の空き地にビニールシートを敷き,商品を並べた.並べたものは親と一緒に訪れた子供のおもちゃ(子供だましに近いかも)の類だ.
上の線路上バザールといい,ここの露店といい,やはり人手が余っていると言うか,仕事がないと言うか....やはり途上国の域にあると感じさせられる.
パハルプールat Pahalpur
パハルプールの庭に入る
ガイドAさんがチケットを手配し,ゲートを潜り,パハルプールの庭に入った.やはり庭木がよく手入れされている.
左の白い建物は博物館やレストランを含めた賓館になっている.
パハルプールの大きな塔が見えてくる
庭を少し行くと,先方に仏教遺跡パハルプールの大きな塔が見えてきた.意外にも相当大きな造りで先ずは驚いた.
庭木にはWELCOMEの文字に世界遺産ロゴが刈り込まれた緑がなかなかだ.
バングラカレーの食事
遺跡見物を前に賓館カフェテリアでバングラカレーのランチを頂戴した.長粒米ご飯にチキンに玉子(つまり親子カレー)かな~ナスやじゃがいもも付いているようだ(←自分で装ったのだが).
インド亜大陸の国々,インド,バングラデシュ,パキスタン,ネパール,それに周辺島つまりスリランカなどは皆カレーの国だ.どうしてそうなったのでしょうか.大英帝国が東インド会社を作った大きな理由の一つに香辛料を手にするためだったと聞いたことがあるが,そんな良質の香辛料が昔から良く育っていたからでしょうか....
パハルプールを訪れたファミリー
とても広々し,びっくりするほど巨大な塔や,立体曼荼羅的僧坊コンプレックスが見えるので国内の観光客も多いようだ.私達のような外国人はあまり見ない(尤も他の町でも外国人は少ないが)
ところでこちらはヒンドゥーの皆さん(普通仏教はヒンドゥーの一部としている)のように見えますが,やはり国民の圧倒的多数を占めるイスラムの人々は訪れないのかな....でも少なくともガイドSさんはモズレムだし,既に遺跡だから構わないのかな....聞き漏らした.
パハルプール遺跡全容
くどいがとても大きな遺跡だ.中央のレンガ外壁塔にはかつて十字型の巨大な詞堂が立っていて,その詞堂を取り囲むように仏舎利塔があったという.
その外側にあるレンガ積みは1,000人もの僧を収容する177の僧坊の基礎跡で,ドローンのカメラで見るとあたかも300m四方の立体曼荼羅のように見えるそうだ.
曼荼羅と言えば密教的響きだが,一般に小乗仏教もしくは上座部仏教と呼ばれる南方仏教系にはあまり見られない要素を加えたということであろうか.
パハルプール大塔に進む
パハルプール遺跡はかつてかなり埋もれていて,それを掘り起こし,写真のような参道を整備したようだ.
パハルプールは8世紀後半,仏教のパーラ王朝第二代ダルマパーラ王が創建し,12世紀まで仏教が栄えていたようだ.そしてパーラ王朝は積極的に布教活動を行い,ミャンマーのバガン遺跡,カンボジアのアンコールワット,インドネシアのボロブドゥール遺跡などに影響を及ぼしたという.
ただ12世紀後半になるとイスラム勢力に攻め入られ,パーラ王朝は終焉を迎えたということだ.
パハルプール大塔の構造
少なくとも大塔外側はレンガで覆われている.これは石のないバングラデシュならではの構造であろう.内部は見えないが,上面の一部が土砂のように見えるから,土が充填されているのではなかろうか.
大塔基部には素焼きのレリーフ(テラコッタ:terracotta)が2,800枚も貼られているようで,そのモチーフはちょっと不思議なことにヒンドゥーの神々や,各種動物が多く,仏像は多くないようだ.
修復されたテラコッタの例
テラコッタ(terracotta)の多くは年月で破損したり,イスラムの偶像禁止で破壊されたりで,多くが壊れたようだ.そしてそうしたテラコッタは新しいのに貼り替えられている.写真のように新しい煉瓦色のパネルはそのような貼り替えされた例である.無地の部分は破損程度が進み,復元できなかったところであろうか.
この例の場合,一つは亀,他の三つはヒンドゥーの神(またはその化身)でしょうか.少なくとも私には仏教的には見えない.
オリジナルのテラコッタ
所々にオリジナルのテラコッタが残されている.概して素焼きレンガ色は失われ,苔で覆われている.左は猿の人魚,いや猿魚,右は孵化前の鳥の卵か?多分違うでしょうが,やはり仏教的な感じはしないですね,むしろ正直言って不気味というか.....
上るなと書いてあるが上っている
本来上に行く見物路なのだが,半ば壊れて危険なのであろう,ロープが張られ,上るなと看板が架かっている.でもバングラの皆さん無視して上ってますね.
写真撮られ,撮りました
バングラではよく写真を撮られる.一緒に撮らせてとも声が掛かる.なので私のも,とお願いして写してもらった.
お隣のバングラ美女お召のサリーは前日工房で見せてもらったタンガイル織りのようなサラッとした上等な仕立てに見えますね.
パハルプールを去る
パハルプール遺跡見物を堪能し,また小型バスに乗り,ラジシャヒへと連なる街道を伝わり去った.街道脇には引っ切り無しに村や町が出現するが,その間には畑があり,また写真のように並木が連なっている.並木はときに風景眺めの妨げになると恨めしく思わぬときも無いではない.
ということで並木はなかなか素晴らしい.並木はこの写真左側のようにバナナのような果樹もあるし,もっと大きなマンゴーの木などもある.だが多くは私の知らない木だ.でも並木を潜り抜ける単にバスからの眺めに過ぎないのだがとても快適な一時であることに違いない.飛行機との違いだ(もちろん飛行機は飛行機の楽しみはある)