アジスアベバAddis Ababa
このアジスアベバ編では,2020年2月1日ラリベラからアジスアベバへと飛び,聖ジョージ教会,エントト山,マスカル広場を見て回り,イタリア料理の夕食を頂き,帰国したときの写真を載せました.
アジスアベバ付近のGoogleマップ(静止マップ)map around AddisAbaba
アジスアベバの街はこんな形だが....それ以上は判らないな.....
別窓で大きなGoogleマップを開くラリベラからアジスアベバへfly from Lalibela to Addis Ababa
ラリベラからET121便(DHC-8-Q400)
ラリベラ発13:10 エチオピア航空ET121便に搭乗する.いつものように機材はDHC-8-Q400だ.
エチオピア航空のすごいところはクルー全員を自国民で賄っている(と聞く)ことであろう.
アジスアベバ上空になる
機はアジスアベバ上空になった.大きな建物もあるが,とても大きな緑地も見える.この中に訪問予定のエントト山もあるのであろうか.
三度目のアジスアベバの街に入る
アジスアベバの街はこれで三度目だ.通過するだけなのだが,やはり建設工事中の建物が目立つ.
聖ジョージ教会st. George church
聖ジョージ教会正面
同名の教会は前日ラリベラでも見てきたが,首都にも大きな聖ジョージ教会が建てられている.こちらはエチオピア正教会の大聖堂(St George's Cathedral)で,エチオピア正教総本山に相当するのではなかろうか.
1911年建立と比較的新しく,八角形の外形が特徴的だ.新古典主義様式というが,少なくとも外見は古典的には見えない(もちろん私見).
聖ジョージ(ギオルギス)はエチオピアで大変人気高い大天使のようだ.世界ではこれを国名や州名にし,ジョージアと称しているケースもあるから,聖ジョージはやはり特別だ.
エチオピアはアフリカで植民地化を免れた数少ない国のひとつであるが,一時期イタリアの支配下に下ったことがあった.そして第一次エチオピア戦争時の1896年に起きたアドゥアの戦いでエチオピア軍がイタリアに勝利し,植民地化の危機を脱したわけで,これを記念して建てられたのが本聖ジョージ教会ということだ.
聖ジョージ教会外壁でお祈りの人
八角形外壁には所々に聖ジョージや聖母子のイコンなど掲げられており,跪いてお祈りしている人が大勢いた.私はこれには大層驚かされた.イスラム圏ではたまにこうした光景に出合うが,キリスト圏ではあまり見ない.もちろん教会内部でのミサ等ではもっともっと多くの人が参列しているが.
聖書を読む人も
教会外壁には聖書を開き読んでいる人もいる.それなりに年配者なので十字架は杖でもあるのでしょう.
回廊の前室
教会は外周部は礼拝準備の前室,同芯の内側は礼拝堂と至聖所があるのだが,それが円筒状に2重の部屋になっているのか,それとも半円状になるよう真っ直ぐな壁で区切られているのかは不明だ.
外周部前室はカーペット敷きで,一見チベット仏教の五体投地のような姿勢でお祈りする人も見られる.
外周壁にはステンドグラスも見えるが,前記アドゥアの戦いで捕虜にしたイタリア兵の技術も活用されたということだ.タシケントのナヴォイ劇場建設に日本兵捕虜が活躍したのと似た面があろう.
主礼拝堂入り口
内側の主礼拝堂への入り口だ.聖母子像と聖ジョージの絵が掲げられている.どれもワンパターンで解りやすい.
ところがこちらはユニークな作風
ワンパターンの聖母子像とは圧倒的に異なる聖母子像.先ず第一にエチオピアの絵はどれも絵本風と思っていたが,これはそうではなく,実モデルを描いた写実風に見える.
も一つ,抱いたイエスキリストは顔だけで全身ではない.またその形がエチオピア国土の形になっている.ただよく見るとソマリア領土を含んだ形になっている.グーグルマップでもこの両国国境は未確定の破線で表示されているので,互いが領土の主張をしているのでしょうか.
エントト山Entoto Hills
とても混み合う道
私たちの車はエントト山(Entoto Hills)を目指し,とても混み合う道に入った.普段から混む道で,ちょうど下水道工事中のため,それに輪をかけているようだ.ガイドFさんはこの近くで育ったとのことだ.
ATMは超高性能と想像
道端にアビシニアン銀行のATMが見えた.エチオピアは日本と違って(ヨーロッパのように)歩道脇にATMが設置されている.
エチオピアのお札がインドやネパール以上にボロボロ,破れ,汚いのは驚愕に値するが,さらにこうしたお札を扱うATMの性能はすごいであろうと驚嘆を隠せない.日本の並みのATM機では多分,出金時も入金時もジャム頻発で,暴動が起こりかねないと思う.
エントト山に到着
エントト山(Entoto Hills)に到着した.確かにアジスアベバの街が見下ろせるが,くっきりきれいというわけではない.むしろわざわざここまで来なくとも....という感想だ.
目ざとく私たちを見つけた子がアクセサリー,いや駄菓子か何かを運んできた.頑張っているね.
炭焼き木運び
エントト山からの眺めは正に取るに足らないものであったが,この炭焼用木材運搬作業は,見物と言ったら甚だ失礼なことだが,この力強さを見せてもらったことは実にすばらしいと思った.感動した.
単純に備中炭などから連想すると炭の原料木はかなり太いものと思われるが,ここの材木は様相が異なる.これで炭が焼けるのかと思われるほど細いではないか.多分炭と言っても所謂消し炭のようなタイプの炭を生成するのであろう.
そして元に戻るが,細い材木と言っても,ご覧の通り身体の数倍はあろうかと思われる量を背負っているのだ.きつい仕事だ.そしてこの仕事は女性限定ということなのだ.きつい仕事を押し付けたのかな.....
若い娘はピクニック
一方若い娘はピクニックでルンルンだ.まあ私たちも歳は取ってるがそんなもんだし,別に何の文句のつけようはもちろんない.ただ改めて炭焼き木運びの女性が些か気の毒に思えてくる.
エントト山から下る
エントト山から下る途中路肩に市場が並んでいた.常設市場で店舗番号56,57,58....と並んでいる.この辺りは白い婦人服店街だ.どこの国でもアパレルは婦人用が強いですね.あまりにも当たり前だが.
マスカル広場Meskel Square
2両編成の電車
エントト山から下ると私たちは都心の道に入った.高架で2両編成の電車が運行している.昔の玉川線のようで,大都会にしては些か頼りない印象だ.せっかく建設したのになぜ大型車両8両編成とかにしなかったのか....などと,とかく部外者は思いがちだ.そこは容易ならざる諸事情があるのですよ.....
マスカル広場に到着
そのうちマスカル広場(Meskel Square)に到着した.でそのマスカル広場とは何ぞや.毎年9月にエチオピア正教会のマスカル祭が行われる広場ということだ.でマスカル祭とは,マスカルはアムハラ語で「十字架」を意味し,マスカル祭は「真実のクロス/十字架を発見した日」ということだ.なお昨日ラリベラではマスカル聖堂(Biete Meskel)を眺めてきた.
イエスキリストが磔刑になった十字架が即ち本物のクロス/十字架で,長年不明だったが,4世紀ローマ帝国のコンスタンティヌス1世の母エレナがこのクロスを見つけたと言われており,その発見を祝うのだそうだ.
現在のマスカル広場
マスカル広場の前にはやはり広い円形劇場風観覧席が設けられ,ここで散歩の人や休む人が見られる.写真のように横段々飛びの妙技を披露してくれている人もいる.お見事だ.
こちらは腕立て伏せ
こちらの男性は腕立て伏せだ.腕が低い位置にあるのでかなり体力がないと上がらない.みんなかっこよく決めている.
まあこうしたワザを披露する格好の場になっているのも違いないそうだ.
夕食dinner
ギャラリーのようなイタリアンレストラン
これでエチオピアの観光日程は全て終わった.暗くなる前にスーパーに立ち寄り,エチオピアンコーヒーを買い求め,このイタリアンレストランに行った.レストランは壁いっぱいに絵が掛かり,アートギャラリーの趣だ.店長の趣味かそれとも,昼間は実際ギャラリーとして運用しているのかも知れない.お店の名はマクシュトだそうだ.
最後の夕食
そして最後の夕食を頂戴した.スープに続いて,写真を見る限りパスタにスライスビーフか....まあ大まかにはイタリアンフードということで....それとちゃんと赤ワインも添えて貰った(右上にグラス).
表はすっかり暗くなった
夕食を終えて表に出ると辺りはすっかり暗くなっていた.脇の看板を見るとチャンピオンと記されているが,はてこれは何のお店かな....
それにしてもこの時間帯にしては通りが疎らで結構なことだ.
帰国home
ボレ国際空港へ
食事が終わり,首都のボレ国際空港へと行った.そしてアジスアベバ22:35発 エチオピア航空ET672便のチェックインをする.そして長らくお世話になったガイドFさんにはここでお別れした.ありがとうございました.
後はボーディングまで暫く待つ.ただ驚いたことにセキュリティチェックの担当者など全員がマスクをしている.アフリカでマスクをしている人など見かけないので驚く.新型コロナウィルスのためだ.そう言えばWHO事務局長テドロス・アダノム氏はエチオピア人ですね.
ET672便に搭乗
定刻にET672便に搭乗し,夕食も済んでいることだし,後は長時間インチョンまでのフライトを踏ん張るのみだ.
インチョンでトランジット
一旦インチョンでトランジットのため降りた.
ここでセキュリティチェックの場で,健康チェックを兼ねて実施していた.私たちは放射温度計で全員検温は受けた.
中国からの入国者は別ラインへと導かれ,少なくとも新型コロナウィルスに関しては中国からの入国を特別扱いにしている風だった.(少し後で通る成田では全くコロナウィルスに関する警戒はなく,イミグレーションは従来と変わりなかった)
ET672便の食事
インチョンでのトランジットで再びET672便に乗り,しばらくして食事を出してもらった.
インチョン経由なのでちゃんとキムチ(写真中央紅白のパック)が付いている.それより言うまでもなくワインが付いていたのが嬉しい.
もうすぐ成田着
機は順調なフライトで,間もなく成田到着だ.今回は(も)いろいろ問題を起こし,添乗Iさんはじめ皆さんにお世話になった.おかげさまで楽しい旅でした.ありがとうございます.
おしまい.